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内宮神楽殿で御神楽を奉納(初穂料を納め、それによって御神楽を神様に奉納するので、我々が奉納したことになるのだろう)したあとで、いよ

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いよ天照大御神を祀る正宮(正式名称は皇大神宮)を参拝。2013年に遷宮がなされたので、建築後6年です。建物はもうかなり古びた味わいのようなものを醸し出していました。

 

階段の下からまでしか撮影できないので、右はそこからの写真です。正宮の中心となる正殿は、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重もの垣根で囲われています。一般参拝者は、板垣と外玉垣の間までしか入れません。私たち社中は、玉串料を納めることで、もう一段階内側の内玉垣の外側まで入ることができました。

 

外玉垣の内側には、玉砂利というには大きすぎる、15cm~20cmもあるグレーっぽい丸石が敷き詰められています。そこを歩くのは、かなり大変。正装でなければなりませんが、ヒールのある靴では危険です。興味深いのは、神様に正対する場所の石は、すべて真っ白。これは、全ての別宮も同じ。

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々は、中重鳥居の後方あたりに整列。代表の観世喜正師が中重鳥の下あたりに進み出て、全員揃って二礼二拍一礼。そして、またしずしずと外玉垣を出ました。

 

お垣内参拝(外玉垣の中に入っての参拝)を終えて、いよいよ参集殿での能楽奉納です。1015分の開始時には、客席は満席で立ち見もでるほど。地元の皇學館大學の学生による仕舞から始まり、観世喜正師による半能「逆鉾」が奉納されました。半能とは、能の後半だけを演じるものです。逆鉾のシテ(主役)は瀧祭明神であり、内宮の別宮である瀧原宮が、その神様を祀っています。先生は舞台を終えた後で参拝してきたそうです。

 

半能の後で、多くのお客さんは帰っていきました。仕方ないでしょう。その後、15時半ごろまで、弟子の舞台が入れ替わり続きます。途中13時頃、大連吟を行いました。大連吟とは大勢が舞台に座り、声を合わせて一斉に謡うものです。40人以上で「絵馬」の最後の部分を謡いました。「絵馬」は、伊勢神宮の斎宮が舞台で、最後には天照大御神と天鈿女命と手力雄命が現れ、天の岩戸隠れの故事を再現するというもの。その部分を大連吟したわけです。とてもアップテンポでついていくのが大変でしたが、要所では後方に座る先生がリードしてくださるので、何とか無事謡い終えることができました。これも得難い経験です。

 

ところで、私の仕舞の出番は最後から三番目。ほとんどの方は、出番を終えて、着替えもすましリラックスしているのに、待たされる私の緊張はずっと続きます。いやなものです。この能舞台での稽古をする時間は一切ないので、床の感触などは本番までわかりません。


私の演目は、「雲林院」です。舞台は京都の雲林院ですが、シテは伊勢物語の主役といわれる在原業平の霊。なぜ伊勢物語と呼ぶかには諸説あるそうですが、現在は第69段の伊勢国を舞台としたエピソード(在原業平と想定される男が、伊勢斎宮を連れだし密通してしまう話)に由来するという説が最も有力視されているとのこと。

 

私が仕舞で舞う部分(クセ)は、在原業平が二条の后を連れだし逃避行する場面です。連れ出すのは斎宮ではありませんが、伊勢神宮で奉納するにはふさわしい曲とも言えそうです。(演目を決めるときは、そこまで考えていませんでした)

 

また、その直前にみた御神楽の人長舞の装束が、ちょうど私が舞うパートで語られる在原業平の装束と似ていたので、イメージが湧きました。

 

そして出番。喜正師と中所先生が地謡で座る前に進みて、片膝座り。「きさらぎや」と、シテ謡いをし、立ち上がりました。舞台では眼鏡を外すので、遠くが見えません。見えない方が、気楽とも言えます。床のすべりが、普段稽古している床と違って滑らないので、なかなかすり足で前に進むのが難しい。でも、出番を終えた方から、その情報を得ていたので焦ることはなく、なんとか大きなミスはなく終えました。終わった時は、汗びっしょり。

 

終演後、バス出発まで1時間くらい余裕があったので、おかげ横丁の赤福

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へ。その頃には雨が止みかなり蒸し暑くなっていましたから、舞台を終えた解放感も加わり、本当に美味しく赤福氷(赤福餅の入った抹茶かき氷)をいただきました。

毎年恒例の能の発表会、今年は伊勢神宮の内宮参集殿能舞

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台にて、7/7(日)に行いました。我々の先生である観世喜正師が、神様に能楽を奉納するというのが正式な名目であり、その後で素人弟子もついでに奉納という名の発表会を行うというわけです。

なにせ、場所が伊勢神宮ですから、これまでの地方での会とは趣が大いに異なります。これまで、昨年の名古屋能楽堂から溯り、彦根城、佐渡、京都観世会館と場所を変えて実施してきました。いずれも夏だったので浴衣に袴の衣装でよかったのですが、今回が紋付袴です。

 

7/6(土)早朝に東京駅に集合、そこから団体行動です。団体旅行には慣れていないのですが、ここは添乗員付き旅行にどっぷりつかります。総勢40人くらいの団体です。

 

お昼すぎに宇治山田駅に到着、バスでおかげ横丁へ。そこで自由行動となり、各自昼食。てこね寿司を食べに「すし久」へ。おかげ横丁全体もそうなのですが、古い建物を利用しており、いわゆる観光地の「・・・横丁」「・・・通」とは一線を画していました。「すし久」も、江戸時代の旅館の風情を残しており、弥次喜多道中にも出てきそうな雰囲気。

 

その後、バスで外宮へ。伊勢詣ででは、外宮のあとに内宮を参拝するのが決まりだそうです。私は初めての伊勢神宮だったので、少し勉強していきました。

 

伊勢神宮とは、正式名称ではなく、正式には「神宮」です。「The神宮」です。日本全国にあるあまたの神宮は、●●神宮と呼びますが、その総本山である伊勢には●●は不要なのです。皇族に苗字がないのと近いかも・・。

 

その神宮は、内宮と外宮、それから14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社によって構成される一大組織です。もちろんその中核が、皇室の祖先といわれる天照大御神お祀りする内宮です。正式には、皇大神宮といいます。

外宮は別の神様をお祀りしています。それは衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神です。だから正式名称は、豊受大神宮です。

 

内宮と外宮それぞれに正宮があり、20年ごとに遷宮されます。なので、正宮の隣には必ず旧正宮の跡地が更地になっています。

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さて、外宮正宮を参拝し、その後、近隣にある別宮(土宮、風宮、多賀宮)も参拝。どれも正宮の縮小版のようで、遷宮するため隣に更地が残っています。

 

ちなみに、外宮の勾玉池には池にせり出した能舞台があります。以前は、ここで能楽奉納をしていたそうですが、3年前の台風で被害にあい、現在は閉鎖されています。

 

外宮を出たバスは、二見ヶ浦で夫婦岩を拝んだ後、ホテルへ到着。夜の宴会を経て初日日程終了。翌日舞台にも関わらず、結構皆さん羽目を外しておられました。

 

7/7(日)は早朝7時半にホテルを出発し内宮へ。お垣内参拝をしるため、全員礼装に準じた服装です。私は濃紺のスーツにネクタイ。普段着と羽織袴に加え、スーツも持参と、なかなか大変でした。

 

内宮は、五十鈴川に面して配置されており、水との関わりが深いことが感じられます。我々が奉納という名目の発表会を行う、内宮参集殿に荷物を預け、内宮神楽殿に向かいます。そこで、祝詞をあげていただき、そして神楽を拝見するのです。

 

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神楽殿の中では、全員正座です(畳敷きとはいえ、これが結構つらい)。4人の舞女が、ご神前(奥の台座)に神饌(神様のお食事)を順々においていきます。その後、神職が祝詞を奏上。そして、その後に、いよいよ御神楽が奉納されます。

 

後で知ったのですが、神楽殿で奉納される御神楽は4段階あり、私たちは最上位の特別大大神楽を奉納しました。当然初穂料が異なります。

 ・御神楽        [倭舞]

・大々神楽    [倭舞・人長舞]

・別大々神楽[倭舞・人長舞・舞楽1曲]

・特別大々神楽[倭舞・人長舞・舞楽2曲]

 

 

雅楽の調べとともに、4人の舞女が群舞。その後に、一人ずつ男性が舞い、4人続きます。いずれも、とても鍛え抜かれ、洗練された舞でした。舞を含む雅楽には単調で退屈なイメージを持っていましたが、全く見方が変わりました。厳かな美しさとでもいいましょうか、動きの激しい舞も一部の隙もなく、突き詰められた緊張感が漲りエネルギーを発します。こうした舞楽が、生きたまま千年以上伝わっていることに感動します。とても贅沢な体験でした。

 

それぞれの特徴は、とても私では説明できないので伊勢神宮HPから転載します。

 

倭舞:

倭舞は清和天皇の御代から宮中の儀式で舞われています。本来は男子4人の舞ですが、神宮では明治時代に乙女舞に改められました。舞人は舞女が緋色長袴に、白い千早をつけ、紅梅をさした天冠をいただき、右手に五色の絹をつけた榊の枝を持って、楽師の歌にあわせて舞います。舞振りは優雅で歌に伴奏する和琴、笛ふえ、篳篥、笏拍子の調べは、単調ながらも幽玄な余韻があります。

 

人長舞:

宮中の御神楽の中に「其駒」という曲があり、神楽人の長が舞うので「人長舞」といいます。舞人は葦に千鳥模様を青摺にした小忌衣をつけ、手には御鏡を模した白い輪のついている榊を持ち1人で舞います。舞振りは落ちついた神々しいもので、いわれもめでたい歌舞として尊重されています。倭舞には現代的な華やかさがあるのに対し、人長舞は上代的な幽玄さがあるといえます。

 

舞楽:

雅楽には、日本で古来歌われてきた国風歌舞(くにぶりのうたまい)5世紀から10世紀にかけて中国大陸や朝鮮半島、また林邑ベトナム、天竺インドなどから渡来した外来音楽、11世紀ごろ日本の宮廷で流行した朗詠・催馬楽という3種類の歌曲があります。

国風歌舞には、神楽歌・倭舞・東遊(あずまあそび)などがあり、特徴として歌に舞を伴い、和琴・笏拍子などの楽器を伴奏に用います。

外来音楽は一般に雅楽と呼ばれるもので、中国大陸から渡来したものを唐楽(とうがく)といい、朝鮮半島から伝わったものを高麗楽(こまがく)といいます。唐楽には笙・篳篥・龍笛・羯鼓・太鼓・鉦鼓など、高麗楽には高麗笛・篳篥・太鼓・鉦鼓・三ノ鼓などの楽器があります。唐楽・高麗楽を伴奏とする舞を舞楽といいます。唐楽の舞は左舞と呼ばれ、赤色を基調とする装束を着けて舞うのに対し、高麗楽の舞は右舞といい、青色を基調とする装束で舞います。


ベストセラー本の品揃えを競っているような図書館に、存在意義はあるのかと近頃思っていました。ベストセラー本を図書館で借りて読むことが普通になったら、誰も本など買わなくなる。その結果、本の存在そのものが危うくなってしまう。その片棒を担ぐのが公共図書館だと思っていました。

 

にも関わらず、この映画が予想外にヒットしていると聞き、少し不思議でした。その理由を知りたいとの気持ちもあり、観てきました。噂通りの大入り。

 

 

映画としても斬新でした。バックミュージックやナレーション、テロップは(分館名だけ日本語文字表示あり)一切なし。ドキュメンタリーではありますが、ここまでそぎ落とした映画は初めて観たのでは。そのため、観客には分かりづらさがあることは否めません。まるで自分が透明人間になって、いきなりどこか知らない会社で数日過ごした感じに近いかもしれません。戸惑いますよね。

 

図書館のイベントで有名なパネラーや講演者が多数出演しているのですが、誰なのか詳しい人にしかわからないでしょう。ドーキンス博士、エルビス・コステロ、パティ・スミス、辛うじて私が知っていたのはこの三人ですが、他にも超有名人が登壇しています。

 

あえて、登壇者をテロップ等で紹介しないところに、ワイズマン監督の意思を感じます。この図書館では、有名人も一般の利用者も、同じ利用者の一人として扱っていることを予感させる。一般の住民対象のワークショプもいくつか出てきますが、そこでの発言者も堂々として、先の有名人と遜色なく見えます。ここがアメリカの厚みでしょうし、監督の認識なのでしょう。

 

このように、一見するとわかりにくい作りではありますが、その分観客の想像力を掻きたててくれます。日本のTV番組のテロップや字幕の多さに辟易としている私には、すがすがしささえ感じさせてくれました。

 

さて、映画で観察された「ニューヨーク公共図書館」そのものについて。いろいろなことを考えさせられました。

・デジタル化社会における図書館の意義とは?

・税金と寄付で成り立つ「公共図書館」の役割、存在以後とは?

・貴重な資金の配分をどう考えるべきか?

 -紙の本か電子書籍か?

 -ベストセラーか研究書か?など

・住民に開かれた図書館を標榜する立場から、入ってくるホームレスにどう対応すべきか?

・どのように資金調達を進めるべきか?

 

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図書館幹部による、こういった正解のない問題を議論する会議の場面が何度も描かれます。その真摯な議論をする様子を観察するだけでも興味深い。日本の組織の会議では、どうしても落としどころを意識した予定調和が根底に流れますが、それとはだいぶ異なります。

 

図書館というと本に代表される知識を収蔵し、利用者がそれを探し持ち帰る場所というイメージが強いと思います。このニューヨーク公共図書館は、それだけに留まりません。知識はネットでいくらでも家にいても獲得できる。この図書館では、ネット環境を持てない住民のため、ネット接続機器の貸し出しまでしています。ここは、知識を提供する場ではなく、人間同士が物理的に関わることで知識を交換し、さらには創造を促す場になっています。最初に述べたパネルディスカッションはその代表例ですが、他にもたくさんのセッションや講座が描かれています。

 

なぜここまでの役割を、公共図書館が果たしているのでしょうか?民主主義を支える装置として、図書館は存在するのだという基本思想を感じます。日本では、未だに知識は上から与えられるものという思い込みに縛られています。子どもの時は親や先生から、社会人になると会社の上司や、政治家など「エライ人」から。憲法とは国家を縛るのではなく、国民を縛るためにあるのだと勘違いする人が、いまだに多くいるのは当然かもしれません。

 

この映画を観る限りアメリカでは全然違いそうです。市民が自らの力で知識を獲得し、それらが切磋琢磨して「公」をつくりあげる。そういったボトムアップの志向が、当然のように市民にいきわたっている。その基盤として、図書館が存在する。

 

10分の休憩をはさんで約3時間半の長い映画で、しかも不親切なつくり。そんな映画が大入りになるのですから、日本もまだ捨てたもんじゃないのかもしれません。

映画「嵐電」を観て

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アート作品は、作家の意図はある意味どうでもよく、観る人がどう感じ思うかが全てといってもいいでしょう。

 

この「嵐電」も、観る人に様々な想像をさせる余地を残しており、観る人によって解釈は様々に違いありません。

 

そもそも「嵐電」という電車はどのような存在なのか。普段決まったダイアに従って走っていながら、どの電車に乗るかで、その後の行き先、つまり人生は無限に枝分かれする。その無限の選択肢の中で、人は偶然にある一つを選んでいる、あるいは選ばれているにしか過ぎない。そういうことの象徴が「嵐電」であるように感じました。狐の乗務員は言います。「この電車に乗ればどこにだって行けますよ」、と。

 

40代、20代、10代の3組のカップルの話が同時進行していきます。40代の鉄道関係のライターである井浦新は、一人で嵐電線路脇のアパートに住み始めます。鎌倉に残してきた妻からときどき携帯に電話は入ります。しかし、その電話は本当にかかってきたものなのかも疑わしい。井浦の想像ではないかと私には思えました。彼は、もう現世にはいない妻を、思い出のある嵐電の周辺に探しに来ているように見えるのです。彼は、妻に対して何らかの後悔をしている。鉄道ライターの仕事ゆえ、家に全然帰らなかったことなのかもしれないし、他の理由かもしれない。

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嵐電には都市伝説があり、「夕子さん」にラッピングされた電車をカップルでみると結ばれるというものと、狐と狸の乗務員の乗った電車に乗ると、カップルは別れるというもの。井浦はかつて妻と京都を訪れた時に、どうやら狐と狸が乗務員の嵐電に乗ったようです。そこから人生が何かずれていってしまったと、井浦は感じているのかもしれません。その電車がどんな行いを意味しているのか、全くわかりません。人は誰でもそういう自分なりの分岐点を持っているものなのでしょう。あの時、あの電車に乗ってしまったと。それが、観る者をざわつかせるのです。

 

最後の方に、嵐電線路沿いの家で、妻と仲良く暮らす井浦が描かれます。こういう「幸せ」な人生も有りえたのだという井浦の想像なのだと思います。諦念なのかもしれません。

 

20代のカップルも、及び腰の恋が成就しかけたところで狐と狸の嵐電に乗ってしまった。その結果、男は去り、女は打ちひしがれる。やはり、その乗った嵐電が何を意味するのかはわかりません。最後に、このカップルを映画撮影するシーンがでてきます。一度目のテイクは、現実に二人の間に起きたことの再現。その後、監督はもう一度同じシーンを撮ると告げます。しかし、テイク2はさっきのことは忘れて、別の気持ちで演技して、と指示。二人はそれに挑みます。先ほど書いた井浦の有りえたかもしれない想像と違って、このカップルはテイク2が可能だということの暗喩なのではないかと感じました。

 

10代のカップルは、不細工で不器用で猪突猛進。なんとも、微笑ましい。

 

三つの世代のカップルの成長過程、成熟過程を表現していると言えなくもない。でも、それより、乗る電車によって人はどうにでもなるという、他力思想を表現した映画なのだというように、私には感じられました。

 

でも、きっと、そう思う人はそう多くないだろうな、とも思います。それが芸術というものなんでしょう。とにかく、不思議で魅力的な映画です。

もうすぐ東京での会期が終了することに気付いたので、慌てて昨日上上野の森美術館に観に行ってきました。

 

初めての時間枠予約制でしたが、いいですね。平日昼間とはいえ、観客が殺到するのは明らかなので、予約制は安心感があります。私は13時入場枠を購入。14時半まで入場可能で、その次は15時入場。入替制ではありません。

私は待ち時間なしで14時くらいに入りました。ロッカーの空きもあり、まあまあの時間だったでしょうか。

 

入場すると同時にイヤホンガイド渡し場所。普段はイヤホンガイドは借りないのですが、それも代金込み(2500円)なのでつい借りてしまいました。また、全展示作品の紹介文が記載された小冊子も、全員に配られました。これも代金込み。正直、あまり大したことはかかれておらず、ほとんど見ませんでした。フジサンケイグループが主催すると、こういう展覧会になるのだなと、妙に納得。絵画好きというよりも、フェルメールの名前につられてくる方を主な対象としているのがありあり。フェルメール作品をこれだけ持ってくるには相当の費用が掛かったでしょうから、こういった方式で入場者を増やすのは合理的と言えば合理的。でも、絵画好きにとってはちょっと複雑な心境。

 

さて、展示全49作品中39作品は、同時代オランダ作家の作品。それらが展示された5部屋を通り過ぎて、やっとフェルメール作品だけの部屋に辿り着く。驚いたのは、最初の5部屋も人だかりができていたこと。皆さん、イヤホンガイドと小冊子で、絵画の読み取りに専念のご様子。私はさっさと、人だかりを抜けて一目散に最後のフェルメール部屋に直行。フェルメールの8作品が一堂に会した部屋は、さすがにすごかった。(「赤い帽子の娘」だけは12/20で展示終了。代わりに、「取り持ち女」が1/9から展示。数年前にドレスデンで見た作品でした。)フェルメールの作品は、全世界で35作品しか発見されていないのに、そのうちの9作品を日本でみられるのは、確かに画期的なことです。

 

フェルメール作品は物語を感じさせます。観る者の想像力を刺激し、各々が勝手に自分でストーリーを思い描かせる力が、ものすごく強いですね。

 

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例えば、「ワイングラス」ではグラスをまさに開けようとする女性をじっと見つめる男性。片手は既にワインボトルに。早く注ぎたくてしかたない風情。リュートやステンドグラス。少しだけ乱れた卓上が意味深です。あと、床の市松模様が微妙に歪んでいます。手前の市松は奥のそれにくらべて、上から見た確度で描かれています。つまり、奥に比べて手前の床が少し落ち込んで見える。遠近法として不自然です。なぜ、あえてフェルメールはそんなふうに表現したのか。そこの想像力を刺激されます。ワインを飲む女性が、酔っていることの表現か、はたまた女性が「堕ちていく」ことの暗示か。空間がゆがんでいるのです。

 

歪んでいるのは空間だけではありません。時間も歪んでいる。ワイングラスは、ほぼ飲み干されており空に見えます。であれば、もっと女性はグラスを傾けている(120度くらい?)はずです。でも、そうはなっておらず、75度くらの角度しかついておらず、不自然です。女性は、空になっているにも関わらず、グラスを口から離したくない。離すと男性から注がれてしまうからか。必死の抵抗に見えなくもない。そういった女性の気持ちが、あるはずのないワイングラスの確度に表現され、また女性がいやで長く感じる時間をも描いているように、私には思えます。

 

有名な「牛乳を注ぐ女」の牛乳の流れと壷の角度のズレも、フェルメール

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の意図を感じます。本来、壷の底に少しでも牛乳が見えていないとおかしい。観る人は、その微妙なずれに視点を集中してしまう。その時に脳の中で傾く壷と牛乳の流れが動き出す。私は動きを感じました。つまり、フェルメールは絵画でありながら動画を観るような効果をつくりだしたように思えるのです。

 

他の作品についても、いろいろ想像が膨らみますが、このくらいにしておきます。ホンモノの作品は、やはりすごい!!イヤホンガイドや小冊子に頼ると、こうした想像力がはたらかなくなってしまわないか心配です。それは、本当にもったいないことです。

名画の誉れ高くても、なぜか観てない映画があるものです。「ディア・ハンター」は、私にとってその筆頭でした。1978年製作なので、当時は中学生か高校生。アカデミー賞受賞も評判は聞いていましたが、きっとその重さに食指が動かなかったのでしょう。ベトナム戦争の余韻がまだ残っていた時代でもあります。

 

その後、やはりその重さと地味さゆえ映画館でのリバイバル上映もほとんどなかったのではないでしょうか。そのためこの齢になるまで、観ていませんでした。

 

しかし、最近4K版での再映が始まっており、満を持して観てきました。三時間を超える上映時間があっというまに経ってしまった印象です。この名画を4Kで復活させてくれたこと、感謝に堪えません。

 

主演マイケル役のロバートデニーロが、とにかくカッコ良い。高倉健を意識したのではと思うくらい、しぶくて優しく、でも女性には弱い、そんな人物像を見事に演じています。また、製鉄所の仕事仲間でいっしょにベトナム戦争に徴兵された、ニック役のクリストファー・ウォーケン、同じくスティーブ役のジョン・サベージ、ふたりとも狂喜と狂気と哀切をきめこまやかな演技で表現しています。また、若きメリル・ストリープが本当にきれい!今の恰幅よい貫録はまったく想像できません。

 

4Kゆえ映像もとても鮮明で素晴らしい。炎が飛び交う溶鉱炉、結婚披露パーティで踊り狂う群衆、一転して静寂の鹿狩りを行う山地、そしてベトナムの怪しい貧民街、どれも4Kだから鮮明に奥行きを感じることができるでしょう。(比較してないので想像ですが)

 

さて、2019年の現時点に観ることによる感慨です。

・アメリカの製鉄会社も活気があり、そこで働く労働者には固い結束があった。トランプ支持のラストベルト地帯は、こういう時代を懐かしんでいるのだろう

・労働者でも、休日には山小屋を拠点にして鹿狩りができるほどの余裕がある。そんな豊かなアメリカがあった

・主人公らはロシア系の移民末裔のようで、それに強いプライドを持っている。現在はどうなっているのだろうか?

・こういった地方では、ベトナム戦争に反対する運動は目立つことはないようだ。裕福な大学生は戦争反対が大勢だが、労働者は怖れながらも国のために戦地に向かう若者を、敬意を持って送り出している

 

そういった今観ての感慨はともかく、この映画の普遍性は時代を超えるものであることは間違いありません。

 

製鉄所の街でともに働き遊ぶ、おそらく幼馴染の三人。この三人の友情と心情の変化がメインストリームで流れ、そこにいくつかの話が絡みあっていきます。

 

戦地でいっしょに捕虜になった三人。そこでの恐怖のロシアン・ルーレット体験。やっとの思いで脱出し救援ヘリコプターに救助されたものの、ニックだけが機内に残り、マイケルとスティーブは力尽き、川に落ちてしまう。ここから三人の運命が分かれる。マイケルは、ロシアン・ルーレットの恐怖で頭がおかしくなりさらに落下時に足を骨折したスティーブを南ベトナム軍のジープに任せ、自分はひとり歩いて逃走。

 

その後、助かったニックはサイゴンの米陸軍病院に収容される。特に怪我や病気はないものの精神的に不安定で、米国帰還が許されます。米国に残した恋人リンダ(メリル・ストリープ)の写真だけが生きる支えなのでしょう。彼は米国にかけることができる軍人専用電話からリンダに電話しようとしますが、途中でダイヤルから指を外し、そのまま立ち去る。その後は、他の兵士が電話機を確保しようと争う。そのシーンがとても印象的です。想像するに、一人だけ助かった自分が、恋人に電話することに罪悪感が芽生えたのでしょう。自分を助けてくれたのはマイケルだ。このまま帰国していいものなのか悩む・・・。

 

一人英雄として帰国したマイケルは、ニックの恋人リンダを訪れる。マイケルは、以前からリンダに片思いしていたことが、描かれています。彼も戦地でリンダの写真を持ち続けていた。そして、行方不明のニックの代わりにリンダを手に入れる。マイケルはそこに罪悪感を抱くが、気持ちを押さえることはできなかった。マイケルは、スティーブが既に帰国しているが家族とは暮らしていないことを知り、彼がいる病院を訪ねます。スティーブは両足を失い車いす姿で入院しています。家族に迷惑をかけたくない彼は、家に帰りたくないという。マイケルはそれを理解します。

 

スティーブは、サイゴンから定期的に大金が送られてくると話します。誰からかはわからない。それを聞いたマイケルは、気づきます。ニックが生きてサイゴンに留まり、足を失ったスティーブに贖罪の気持ちからお金を送っているのだと。マイケルは三つのことを考えます。ひとつは、ニックの気持ちに応えるためにも、スティーブは家族のもとに戻るべきで自分がそうせるという決意。もうひとつは、ぬくぬくと帰国しニックの恋人であるリンダと幸せを掴もうとする自分への怒り。そして、贖罪の気持ちからも、何があってもニックをベトナムから連れ戻すという決意です。

 

そしてサイゴンで再会したニックは、マイケルだと認識しすらできないような廃人になっていた。必死でマイケルは、故郷の山や木、鹿狩りの話をして思い出させようとする。一瞬、ニックは思い出したかのように微笑する。が、その直後自分で打った小銃の弾丸が頭を貫く・・。

 

きつい仕事をしながらも楽しく暮らしていた若者の人生をこうも変えてしまったのは、戦争です。マイケル・チミノ監督は、戦闘シーンはほとんどなしに、戦争の残酷さ、愚かさを見事に描き切りました。しかし、単なる反戦映画ではありません。

 

なぜ、タイトルが「ディア・ハンター」なのか?戦争にいく直前と、還ってきた直後にマイケルは仲間と鹿狩りにでかけます。行く前のマイケルは、鹿を「一発」で仕留めることが大事だと言います。それは鹿を苦しませないためです。帰還後の鹿狩りでは、大きな牡鹿を追い詰めるものの、ざわと逃がします。ベトナム戦争で、楽しみの為だけに殺される鹿と同じ立場にたったマイケルは、動物や大自然の一部である自分自身に気づいたのではないでしょうか。単なる反戦映画ではなく、人間の傲慢さや愚かさ、しかし一方で仲間を思いやる崇高な心も持つ人間を描いたのです。鹿狩りする山岳シーンは、神の存在を意識させるような荘厳な映像です。


「経済は全体から個をみるが、芸術は個から全体をみる」と言う言葉がありましたが、まさにそんな作品でした。

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http://cinemakadokawa.jp/deerhunter/

昨晩、和泉流狂言「狐塚」を観ました。(国立能楽堂の企画で、先月は同じ狐塚を大蔵流で観ました。ストーリーはほぼ同じですが、設定が微妙に異なりました)

 

簡単にストーリーを説明するとこうです。

 

今年は豊作。狐塚にある田を群鳥に荒らされては大変と、主人は太郎冠者に田にいて鳥を払うことを命じます。やがて真っ暗闇になり、一人っきりの太郎冠者はだんだん不安になります。狐塚というくらいで、そのあたりは狐が人間を化かすと評判だからです。

 

次郎冠者はひとりで番をする太郎冠者のことが心配になり、様子をみにいきました。真っ暗やみなので、「ほーい、ほーい」と呼びかけます。その声を聞いた太郎冠者は、いよいよ狐が化かしにきたと思い込み、恐ろしさのあまり、招くふりをして捕え縛り上げます。次に、主人も心配になり来ますが、同じように縛りあげられてしまいます。

 

恐ろしさのあまり二人とも狐だと信じ込んだ太郎冠者ですが、やがて二人の反撃をうける・・・という話です。

 

いたってシンプルな話ですが、人間の本質を的確に描いているといえるでしょう。人間は想像しなくてはいられない生き物です。だから、一人ぼっちでしかも真っ暗で心細いと、すべてが悪い方に想像してしまうのです。防衛本能がはたらくのかもしれません。

 

そうなると合理的な判断はできなくなります。様子を見にきた太郎冠者と主人の姿が本人そのものに見ても、よくぞそこまで化けたものだと、逆に警戒心を高めてしまいます。

 

こういうこと、よく聞きませんか?私がすぐ思いついたのは、自分が三顧の礼で連れてきた後任の社長を、二人続けてクビにして、自分が社長に復帰した某社の創業者二代目です。彼はひとり暗闇を心の中に抱え、不安でしかたがないのでしょう。だから、自分が連れてきた後任社長が狐に見えて、自分を騙しているのではと思いこんでしまう。外から来た社長は、誠意をもってその二代目と話し合ったかもしれません。でも、誠意を示されればされるほど、「うまく化けた」とますます警戒心を高めてしまう。

 

こういうことは、この会社のみならず、いたるところで起きているのではないでしょうか。

 

室町時代から人間の本質はまったく変わっていない。よくぞ、600年も前の狂言作者は、そうした人間の本質をシャープに切り取ったものだと、あらためて感心します。すごいもんですねえ。

先週の土曜日、東京芸術劇場でのエル・システマ ガラコンサートに行ってきました。エル・システマとは、1975年にベネズエラで設立された組織で、子供たちがオーケストラやコーラスに参加することで、音楽を学び、集団としての協調性や社会性を育み、コミュニティとの関わりをつくることを目的としています。日本では、東日本大震災をきっかけに2012年に設立されました。福島県相馬市、岩手県大槌町、そして2017年には長野県駒ケ根市と東京でも活動を開始。そうした活動の、いわば発表会がこのガラコンサートです。

 

第一部は、相馬子どもオーケストラ、大槌子どもオーケストラ、駒ケ根子どもオーケストラの合同演奏会です。ベネズエラから、エル。システマの先輩でもあるデュダメルに師事した21歳の指揮者エンルイス・モンテス・オリバーさんが来日し、指揮しました。想像以上に上手で、子どもとは思えないほどの演奏。特に、バイオリンソロの半谷くん(高一)は、なかなかのテクニックでした。

 

第二部は、昨年に続き東京ホワイトハンドコーラスの子どもたちによる演奏です。ホワイトハンドコーラスとは、聴覚障害や自閉症、発声に困難を抱える子どもたちが、音楽に合わせて白い手袋でパフォーマンス(手歌・サイン)するものです。歌詞からサインを作るのも子どもたちです。声を出さなくてもコーラスができるという、素晴らしい発想ですね。

 

今年は、こうした「サイン隊」に「声隊」が加わりました。声隊は、視覚障害で目が見えない子どもたちです。舞台向かって右側にサイン隊が並び、左側に声隊、舞台左端に伴奏ピアノの配置。それぞれの隊に、指揮者の先生がつきます。

 

視覚障害の子どもたちは、ピアノの伴奏に合わせて大きな声で歌い、その声を受けた指揮に合わせて聴覚障害に子どもたちがサインでコーラスを奏でる。奇跡的なコーラスだったと思います。何よりも、どちらの子たちも楽しそう。でも、ここに至るまでは相当の苦労があったと思います。支える人たちには頭が下がります。( サイン隊と声隊の合同練習の動画をみてみて下さい。)

 

眼が見えないからできないのではなく、伴奏を聴いて歌ってサイン隊を導く。また、聞こえず声がうまく出せないからコーラスできないのではなく、指揮に合わせて体で歌を表現する。そのパフォーマンス観客に伝わり、それが指揮者や伴奏者にもフィードバックされ、さらにコーラスに反映されていく。

 

無いものを嘆くのではなく、あるものを活かして全体に貢献する。それがこのホワイトハンドコーラスの意味だと思います。そうしたプロセスに参加することで、誰もが楽しみや喜びを感じることができる。こうした姿に共感しない観客はいません。人類は、補い合い支え合うことで生きのびてきました。その本性が、こういう場面には意識せずとも発露してくるような気がします。

 

普段は忘れてしまいがちな、こうした本能を思いださせてくれる、貴重な機会でした。

時間の感覚

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今月初め、能の発表会に出演しました。(その稽古段階のことは、前々回書きました。)なんとか仕舞を舞い終えたのですが、舞台上で舞っている最中、すごく地謡が遅く感じました。

 

説明しておきますと、仕舞は能舞台で一人で舞うわけですが、後ろに地謡、すなわち伴奏ともなるコーラス隊のようなものでしょうか、がプロの能楽師が4人座り、その謡に合わせて舞うわけです。

 

舞手は謡に合わせる必要がありますが、そこは素人とプロ、地謡がある程度舞手に合わせてくれます。地謡4人のうちリーダーとも言える地頭は、普段稽古していただいている観世喜正先生なので、稽古と基本的には同じ条件になります。

 

それにも関わらず、本番では地謡のスピードが普段の稽古の時よりも、すごく遅く感じたのです。この詞章の部分ではこの動き、というようにある程度セットで体に浸みこませているので、舞台上で「あれ、まだこの詞章??」とずれをやはり感じてしまいました。だから、稽古の時よりも動きが先に行ってしまうため、長めに停まって待つようなことが起きてしまいます。幸い、以前のようにそれが理由で頭が真っ白!という惨事には至りませんでしたが、違和感はぬぐいきれません。

 

私と同じように感じる稽古仲間もいたので、思い切って終演後の懇親会の時、先生に質問してしまいました。

「本番では地謡がいつもより遅いように感じるのですが、なぜなんでしょうか?」


先生は、こうおっしゃいました。

「普段の稽古と違って、本番では4人で地謡を務めるので、どうしても普段と同じにはならないのかもしれませんね。」

 今思えば、先生も随分気を使ってお答え下さったのでしょう。

 

その後、舞台を撮影したDVDが手元に届きました(もちろん有料です)。恐る恐るそれを観たときの第一印象は、なんて自分は速く動いているのだろう、でした。焦ってこんなに速く動いているので、相対的に普段と同じスピードの地謡でも遅く感じたのだろうと、納得しました。

 

本番の時にはそれほど自分が速いとは感じませんでしたが、DVDで観ると明らかに速く感じます。

 

その後、念のため演技時間を測ってみると、230秒でした。

 

あれ、あれ?? これって、稽古の時先生が模範で舞ってくれたとき(iPhoneでの撮影を許されます)の時間と全く同じだ・・・。

 

なんと、時間は多分稽古の時と本番では、違っていなかったのです。本番の映像をみると、イメージの中での私の稽古時や本番の時よりも速い。

 

・稽古の時に自分が感じたスピード

・本番の時に自分が感じたスピード

・本番の映像を観たときに感じるスピード

 

絶対的なスピードは、どれも230秒で変わらない。

にも関わらず、これら3つのスピードはどれも違っているように感じる。

 

先生の仕舞を動画でみると、絶対的な時間は同じでも、随分とゆったり動いているように感じます。時間の流れがゆったりしているのです。

 

脳が感じる「時間」というものは、主観的に自分がつくりあげたものなんですね。だから、先生の素晴らしい動きは長く感じ、私の稚拙な動きは速く感じる。速く目を逸らしたいからなのかもしれません。また、動いている自分自身が感じる時間の流れと、それを動画で恐る恐る観ている自分の時間の流れも異なる。

 

凍結した下り坂で車を運転していて、ロックして道から落ちそうになったことがあります。危うく落ちずに済みましたが、その時の光景はいまでもまじまじと覚えています。スローモーションのようでした。

 

これも人間の感じる時間は、主観的であいまいなものという例でしょう。

 

まだ、時計が普及していない時代、人びとはこういった主観的な時間の流れの中で生活していたはず。きっと、今とは全く異なる世界が広がっていたことでしょう。いったい、どんな感じだったのでしょう?

 

利休を扱った映画はいくつもありますが、「茶道」そのものを題材にした映画は、とても珍しいのではないでしょうか。本作は、茶道と関わって変化していく黒木華演ずる典子が主人公ではありますが、本当の主人公は茶道でしょう。

日々.jpg

 

茶道の作法を撮影することは可能ですが、茶道の心を撮影するとなると、それは容易ではないことは想像つきます。

 

そのための大森監督が取った手法は、典子の変化(成長といってもいいかもしれません)によって茶道の心を映すというものです。それは成功していると思います。

 

そして根底に流れるのはこの言葉です。

 

世の中には「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐにわかるものはすぐに忘れる。すぐにわからないものは、長い時間をかけて少しずつ気づいて、わかってくる。

 

茶道に限らず、古来日本では「すぐにわかるもの」を重視しない傾向があります。それは、現代の風潮にはそぐわないこともあるでしょう。でも、弊害が世界中で広がっています。だからこそ、今この言葉を噛みしめることも大切なのだと思います。

 

この映画は、典子がまだ子供の頃、両親に連れらフェリーニの映画「道」を観て、帰宅した場面から始まります。典子は「暗くてつまんなかった」と述べる。しかし成長した典子は、再び「道」をとめどなく涙を流しながら観るようになる。

 

映画の内容は不変でも、それを観る人間が変わるため、その評価も大きく変わる。ただ、人間はそうすぐに変わるものではない。時間をかけて経験を積むことで、それまで見えなかったものが見えてくるようになる。

 

茶道の作法には不変の「型」があります。その型に従って毎週稽古を重ねることで、典子はふとしたきっかけで自分自身の変化に気づいていく。変化に気づくのか、気づくから変化するのか、どちらなのかはよくわかりませんが、型の存在がそれを可能にしているのです。日常を大切にするとは、そういうことなのでしょう。

 

典子は次第に、自然と一体になる感覚を味わうようになっていきます。それは、新しい能力を会得したというよりも、本来誰もが持っているものの、「頭」の働きでスイッチオフの状態になっていた能力を、スイッチオンに切り替えたというほうが適切でしょう。

 

それを観客に実感させることを可能にしたのは、この映画の自然描写の素晴らしさだと思います。是非、観て下さい。

 

二十歳の大学生だった典子が最後は40代半ばになりますが、ずっと黒木華が演じています。二十歳は多少無理ありますが、内面の成長を姿形に表現できるその才能は大したものです。

 

キャッチコピーに「静かなお茶室で繰り広げられる、驚くべき精神の大冒険」とは、なかなか的を射ています。本来、大冒険はアウトドアでではなく、精神においてなされるものなのかもしれません。それを理解していた昔の日本人は、やはりすごいですね。

 

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