2017年7月アーカイブ

どんなに論理的思考力が高い人であっても、インプットする情報にバイアスがかかったりしていたら、アウトプットの精度は当然落ちます。そして、バイアスを完全に回避できる人間など存在しないと思っておいたほうがいいでしょう。

 

あらためてそれを思い出させてくれる出来事がありました。先週末、年に一回の能の発表会を彦根城御殿内の能楽堂で行ってきました。1800年に造られた井伊直弼も立ったであろう能舞台に立てる貴重な経験をさせていただきました。終了後は大津のホテルに移動し、打ち上げとなった次第ですが、そこでの出来事です。

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参加者は彦根城から衣装の入ったスーツケースなどをマイクロバスの下部に格納し、バスで移動したわけですが、ホテル到着後スーツケースの取違いが発生したのです。Aさんは自分のケースを誰かに間違って持っていかれたと添乗員に届けました。バスからの荷下ろし時最後に残ったスーツケースは自分のスーツケースによく似ているが微妙に色の異なる別物で、しかもロックがかかっており開かない。自分はいつもロックはしないので、誰かが取り違えて自分のを持っていったのではないか、と。

 

いったん各部屋に分かれた後、全員が宴会場に集まったところで、添乗員がみなにスースケースを取違えた方がいるようですが、どなたか心当たりのある方はいませんかと尋ねました。さらに、まだ自分の荷物を開けていない方いませんかと問うても反応はありません。参加者全員が揃い、全員分の荷物がバスから降ろされ参加者の手に渡ったにも関わらず、間違えたという人がいない。謎に包まれ、皆勝手に様々な想像をめぐらし仮説を出しあったのですが、結論は出ません。

 

そんな混乱状態のなか、ある方がそのロックされたスーツケースの鍵部分をいじったところケースは突然開きました。実はロックされていなかったのです。Aさんに中味を確認してもらったところ、それは自分の荷物だとのこと。一件落着。鍵はかかっていなかったのにもかかわらずかかっていると思い込み、さらにはだから自分の物ではないと思い込み、色が微妙に異なるとまで思い込んでしまったのです。

 

ちなみに、Aさんは決して私のようなそそっかしい方ではなく、それどころか普段沈着冷静だと皆から見なされている方でした。そんな方でも情報インプット時になんらかのバイアスがかかってしまったのは、驚きでした。

 

バイアスに留まらず、情報インプット能力すなわち観察力は人によって極めてばらつきの大きな能力だと思います。私は子供の頃、シャーロックホームズの小説が大好きでした。特に話の冒頭の、ホームズの事務所を初めて訪れた依頼人に対して、ホームズが次々に依頼人に関する知るはずもない属性や状況などを指摘していく場面に感心したものです。ホームズの観察力、洞察力ってすごい!、と。

 

ホームズのような人間はいないから小説になるのであって、我々一般人はあまりに観察ができていない。その理由は、人間はパターン認識することで認知エネルギーを節約するようにできているからです。

 

例えば、ツルツルの坊主頭にサングラスをかけたスーツ姿の体格のいい男性を見たら、その筋の方だとつい視線を逸らしませんか?そのようなパターン認識で、いちいちいろいろな可能性を模索しながら、見つめ続けることのリスクとエネルギー消費を回避している。その方が賢いのです。

 

勿論弊害もあります。私は古い陶磁器が好きです。初めて目に触れたとき、ついこれは唐津かとか、いつの時代のものだろうか、いくらくらいなのかと考えてしまいます。また、美術館で絵を観るとき、ついタイトルや解説文を先に目をやってしまうことがあります。既存のパターンにあてはめて理解することで、認知エネルギーは節約できるのですが、その代わりに自分自身にとっての本当の価値を測れなくしている気もします。効率的ではありますが、既存パターンというフィルターを通してしか観察ができない。ホームズは、既存パターンにはとらわれず徹底的に観察し洞察する。

 

この既存パターンに囚われず徹底的に観察し、最後は既存の物差しではなく自分の中の評価軸(美意識)で判断する、こういった能力こそが現在の経営に最も求められているのだと確信しています。

 

フッサールの現象学に「エポケー」という概念があります。判断を一次停止するという意味です。既存パターンによる思い込みを回避するには、あえてエポケーする態度がますます重要になってきます。経営とは差別化することであり、差別化とは常識とは異なる切り口を発見し提示することです。


たまたま手に取った、「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」(山口周著)にも同じようなことが書かれており、膝を打ちながら読み続けました。読書の喜びは、こういったところにもありますね。


4334039960世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)
山口 周
光文社 2017-07-19

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この 「ありがとう、トニ・エルドマン」は、ホイットニュー

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・ヒューストンのGreatest love of all、この名曲の意味を、ずしーんと感じさせる映画です。

 

実家のドイツからルーマリアに転勤して一年、いろんなことに疲れていやになって、でも上辺は繕わなくてはいられないキャリアウーマンの娘・イネス。彼女は、父親に強引に人前でこの歌を歌わせられる。父親がオルガンで前奏を何度も何度も弾くため、どうしようもなくいやいや歌い始める。でも、歌詞と曲に、自分の境遇を重ねあわせたのか、徐々に気持ちが入っていき、最後は誰の目も気にせず絶唱。歌唱力があるとはお世辞にも言えませんが、聴いている人々を感動させます。観ている私も。久しぶりに、巧拙を超えた音楽の力を感じました。

 

その後、彼女は少しずつ変わっていったようです。上司から彼女が率いているチームは結束がゆるくなっていると指摘され、自分の誕生パーティを自宅で開きメンバーを招くことにします。準備万端整い、あとは来客を待つのみというタイミングで、着ている背中のジッパーが妙に不便なタイトドレスが嫌になり、着替えようと思ったのか

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脱ぎだしました。おかしな恰好になっているちょうどそのタイミングで、女友達が呼び鈴を鳴らすと、なんとイネスは裸で玄関のドアを開け招き入れました。そして、何を思ったのか、このパーティは全裸でなければ参加できないと宣言。この宣言に対する同僚たちの反応がおかしい。

 

女友達は即帰っていきます。次に来たのは男性上司。玄関で条件を聞いて、Uターン。しかし、その後裸になって再訪。次はイネスの恋人でもある男性部下。落ち着いたら電話してと告げ引き返す。その次に来たのは、イネスの女性アシスタント。彼女は常にイネスからどう評価されているのかを気にしています。先ほど引き返した男性部下から、全裸パーティと電話で聞かされた彼女は従順にもシースルーのレース一枚を纏った姿で現れます。もし自分が招待者だったらどうしたでしょう。

 

イネスは、務めるコンサルティング会社で評価され昇進することだけを考えて、本当の自分の上に何枚もの固い鎧を着重ねているようなもの。それを父親「トニ・エルドマン」に暗に指摘され、自分の中での合理性、一貫性が揺るぎかけていたのです。そこから自分を解放することの象徴が、この全裸パーティだったのかもしれません。

 

その後パーティはどうなったか、イネスは自分の生きる意味をどう結論づけたのか、映画では語られません。でも、愚かな自分に気づいて生き方を変えるという、ありがちな話ではありません。

 

次の場面はイネスの祖母、「トニ」の母の葬儀会場。久しぶりの父娘の対面のようです。彼女は予想通り転職していました。でも、新しい勤務先はシンガポールのマッキンゼー。親戚から活躍しているんだねと声をかけられ、満更でもなさそう。でも、なんとなく以前のイネスとは違っているように見えます。なんとなくですが・・・。

 

 

この映画はいろんな観方ができます。娘への愛情でいっぱいの父親の物語や、かみあわない父と娘の物語、キャリアウーマンの再生物語。グローバルビジネスの胡散臭さと人間の葛藤の物語などなど。観客は誰に感情移入するかにもよるのでしょう。私はどちらかと言えばイネスだったかな。 Greatest love of allが日本でも流行った頃、私は社会人一年生。今思えば、想像できなかった環境変化に大いに戸惑っていました。自分を奮い立たせるために、この曲を何度も聴いていたことを思い出しました。

 

いい映画は、観る人によって様々な観方や感慨を引き出すものです。その意味でで、この映画は名作に数えられるでしょう。「東京物語」を少しだけ連想しました。

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