2015年9月アーカイブ

4822250946JTのM&A 日本企業が世界企業に飛躍する教科書
新貝 康司
日経BP社 2015-06-19

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本書は、JTで当事者としてM&Aを担ってきた方(新貝副社長)によるもので、日本の大企業のM&A当事者が書いた唯一の本ではないかと思います。ましてや、JTは海外でのM&Aを複数成功してきている、まれにみる日本の大企業。その期待に違わぬ、当事者ならではのリアリティーに溢れた、非常に面白い本です。

 

私は、二つの観点で読みました。

 

ひとつは、M&Aプロセス。経営戦略に基づくM&A対象の探索、交渉、統合計画策定、統合実行、というプロセスが、実際のRJRI、ギャラハーでのケースを使って詳細に記述されており、M&Aプロセスとその勘所が、とてもよくわかります。

 

もう一つは、M&Aや企業変革プラン遂行という非日常の出来事を、JTという大企業が組織としてどのように実行、運営していったかという点です。また、その前提として特に著者が直接指揮した財務企画機能とCFO機能の組織開発の方法。

 

それぞれについて面白かった記述を要約転記します。

 

●M&Aプロセス

-失敗事例に共通するのは、対象企業選択が主体的なプロセスではなかったこと。このため、買収後の統合や経営をどうするかについて、全く準備不足となりガバナンスにも苦労した。

-ターゲット企業を徹底的に知ることがいかに大切か

 -企業価値評価と交渉のためには、「買収後の青写真」が重要。ギャラハー買収時には、統合していく市場が世界中にあったため、個々の市場でどのように統合するのかをしっかり詰め、定量化した。

 -青写真をもとに、スタンドアローン価値、コスト低減シナジー、売上増によるシナジー、税務メリットや財務シナジーを詳細に算定

 -買収成立後、統合計画を迅速に策定し、かつ社内コミュニケーションの量を増やさなければならない。双方が将来の不安を抱えたままでは、他社からの草刈り場になりかねない。将来の不安は時間とともに増大する。負のモメンタムが大きくなる前に、一刻も早く企業の将来像、個々人の将来を明確化すべき。

 -統合作業での肝は、一貫した人的側面重視の姿勢、お客様や競合から目を離さない事業遂行、一人ひとりが当事者であることを鼓舞すること

 -統合管理体制をしっかりつくること。いかに買収作業に携わるメンバーに統合まで責任を果たしてもらうかの工夫が必要

 -統合の負荷を自分たちが呑み込める勢いがあるかどうかの見極めが大切

 

●組織開発

 -コーポレイト機能は、出来ない理由や問題的ばかりあげつらって解決策を示さなかった。自らが事業のために存在するとの意識は皆無だった。M&Aを実施してしまうことで、事業をより強力にサポートするビジネスパートナーへの脱却を、背水の陣で強いた。

 -変革を実行するには新しい組織体を創設することが必要。そして、その組織の「設計仕様書」作成、能力と意欲のある若手の登用、リーダーによる方向性明示を最初に行う。

 -共感を得ながら各部、各人へ課題を埋め込む。理由や目的が分からなければ、人は意欲を持って取り組めない

 -計画策定後、社員をはじめとするステイクホルダーからどのように賛同を得ていくか、社内外のコミュニケーションや研修のシナリオまで用意

 -信認とは他者からのパーセプション。会社に対する人々のパーセプションが変わるには時間を要し、かつ受け手から見た情報量がある閾値を超えねばならない

 -日米それぞれの強みをハイブリッドした強い組織とは、「元気で高いスキルを持つ個人が部門横断的に協働し、より高い成果を追い求める組織」、「生煮えアイデアでも気楽に相談できる関係」

 -多国籍からなるチームを強い組織にするには、チームビルディングのために、粘り強い努力と様々な仕掛けが絶えず必要。「あうん」の呼吸で仕事することができなくなっている日本にもおいても同様の投資が必要になってきているのでは

 -高品質のコミュニケーション力を身につけるヒントは、リベラルアーツを、学ぶことにありそう。広い視野と高い視座を持ちながら、世の中を俯瞰し行動するには、自分の頭で考えるための多様な指針を獲得すことが必須だから。


 

本書で著者が最も書きたかったのは、企業が変革をするとき(M&A後の統合も含め)に、いかに組織開発を行うかではなかったかと、読み終わった時点で気づきました。M&Aに代表される企業変革は、非常に複雑な人間ドラマです。著者は実務での苦労を重ねるうちに人的側面の重要性気づいていきます。そして、自ら徒手空拳で組織開発を担っていきます。その機能を支援する社内組織が存在すれば、著者の負担は大きく軽減されたことでしょう。きっと今は、JT社内にグローバルな組織開発セクションが出来ているのではないでしょうか。

今住んでいる杉並区のマンションに越してきたのは20年ほど前。この二十年で街の風景は、微妙に変わっています。その変化に、東京の20年の変化が象徴されているように思います。

 

自宅は私鉄の駅から徒歩10分弱で、井之頭通りに面しています。

引っ越してきた当初は、畑がまだ多く残っていましたが、少しずつ宅地になり小さな建売住宅が目立つようになりました。

 

井之頭通りを渡った向いには大きな農家がありました。樹齢300年以上はあろうかという大きな欅などが数本もあり、昔は豪農の屋敷だったのだと思います。

そこも、昨年大型のスーパーマーケットに変わりました。相続税対策だったとの噂です。広い駐車場の端に一本だけ大木が残されているのが、せめてもの救いでしょうか。

 

20年前には、徒歩圏内の通り沿いにはファミリーレストランの店が三店舗ありましたが、今は一つもありません。代わりにできたのは、高齢者用介護マンション、紳士服チェーン店舗、小型マンションです。

 

また、徒歩圏内でかつては通り沿いに中古車ディーラーが3点ありましたが、いずれもなくなり、それぞれユニクロ、オートバックス、スギ薬局になりました。ユニクロは昨年撤退し、今は回転すしチェーンの店になりました。久しぶりの外食店ですが、ファミレスではなく回転すしというのが時代を感じさせます。

 

以前倉庫だったところは、コインパーキングを経てマンションになりました。その一階にはイオン系の小型スーパーが入りました。百貨店の配送センターもいくつもありましたが、すべてなくなりやはりマンションになりました。

 

二軒あったお風呂屋さんはどちらも姿を消し、今はマンション。また、インターナショナルスクールは一昨年移転し、今その建物は学習塾チェーンの研修施設になっています。ただ、余り使われてはいません。3店あった小さな書店は、かなり早い段階でなくなりました。

 

近所に三店あったガソリンスタンドで、今も営業しているのは一店のみ。2店があった場所にはいずれもマンションが建っています。

 

このような近郊の街道沿いの街の風景の変遷から社会の変化が読み取れます。バブル時代、このあたりは住宅にするには地価は高く、また農家がまだ頑張っていため、農地がまだたくさん残っていました。ところが、地価が下がり、また農家の地主の高齢化が進み相続の心配が現実になるにつれて、住宅へと姿を変えました。住宅の都心回帰です。そのせいで、くらしに直結するスーパーが増えました。

 

一方、ロードーサイドでは、20年前はファミリー向けの店舗や百貨店やメーカーの倉庫、物流拠点がなくなりました。ファミリー向けの店舗が存続するには、子供のいる若い家族の存在と、晴れの場を求めるゆとりが必要ですが、高齢化や核家族化と所得減少により、それらの基盤が揺らいだのでしょう。中古車ディーラー消滅も同じ理由かもしれません。

 

倉庫や物流拠点の撤退は、贈答品を中心とした百貨店の売上減少に加え、ヤマトや佐川といった宅配業者の成長があると思います。以前は、各社が自前で配送チャネルを保有しなければならなかったのが、低コストで外注することが可能になったのです。集約されることで配送の効率化が進み、物流の為の土地も大幅に削減できた。これは、ある産業の進化が社会全体を効率化した例でしょう。

 

こうしてあらためて思い返してみると、この20年で私の住む街も大きくその風景を変えていることに驚きます。他の東京近郊の街でも、多かれ少なかれ似たような状況でしょう。これがいいことなのか、そうではないのか、よくわかりません。さらに20年後、この街はどうなっているのでしょうか。

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