2013年6月アーカイブ

先日のサッカー日本代表の対ブラジル戦、日本の実力が如実に表れたといえるでしょう。対戦前、何人かの選手は、完全アウェーでブラジル代表と対戦できることを本当に心待ちにしていたようです。それだけアウェー、つまり敵地で戦う機会はそうそうないから。ホームであれば、日本企業のスポンサーの力で、世界の強豪と戦う機会もあるでしょうが、強豪国がわざわざ日本代表を招聘することは滅多にない。

 

さらには、強豪国がホームで戦う場合、決して負けることは許されない。少なくとも最初は本気で向かってくる。そういう相手に対することで、自分たちの本当の力を測る事ができ、課題も見えてくる。

 

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だから今回のコンフェデレーションカップを、日本代表は心待ちにしていたのに違いありません。しかし、その結果は・・。ブラジルとの

大きな力の差を思いしらされたのです。明日のイタリア戦でもきっとそう

なるでしょう。

 

でもこの結果は、アジアの井の中の蛙である日本代表が、ワールドカップ本戦目指してさらに強くなるためには避けては通れないことであり、大変貴重な経験であるはず。

 

 

企業でもグローバルで戦えるグローバル人材育成が、盛んに叫ばれています。では、グローバル人材とは何か。「たった1人でも、完全なるアウェーでも、どうにかしてその場で、限られた資源の中でベストと思える答えを探り出す力を持つ人材」だと思います。その中で語学力の占める割合はさほど高くない。それ以上に重要なのは、自律性です。自律性とは、「自分の行動や考えを自己決定できているという感覚」であり、それがあれば自分の力を信じて常に前に進もうというエネルギーが湧いてきます。

 

もちろん、自己決定できる環境ばかりではないでしょう。でも、少なくとも命令や指示だけで動いていると認識するのではなく、そこに自分なりの意味づけをすることで自己決定感は保持できるのではないでしょうか。

 

今月の日経朝刊「私の履歴書」は、テンプスタッフ創業者の篠原欣子氏ですが、彼女の自律性の高さには恐れ入ります。高度成長期の日本企業は完全なる男性社会であり、彼女にとっては最初からアウェー。アウェーでの戦い方を体験的に知りぬいている篠原氏のような方こそ、グローバル人材だと思います。

 

 

翻って、川崎重工の社長解任騒動。長い年月、同じ事業部門で時を過ごしてきた取締役連中にとって、川崎重工よりも「自分の」部門のほうが大切かのようです。それは企業の取締役のメンタリティーではなく、ムラ長のそれです。日本の組織の古くて弱い面が、今回如実に現れてしまいました。ムラの掟が企業のガバナンスを超越する。説明責任も何もあったもんじゃありません。掟なのですから。

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彼らは、アウェーで戦った経験もなく、30年以上もホームでムラの掟、すなわちローカルルールに従って生活してきたのでしょう。それでも、倒産しなかったのですから、幸せな会社員人生だったに違いありません。しかし、残された社員はどうなることでしょう。

 

サッカー日本代表が、本大会での挫折で一皮剥ける事を信じています。経営分野でも、本気でアウェー戦に挑む気概を持つ日本企業がもっともっと出てきて、本当のグローバル人材が数多く輩出されることを期待しましょう。

 

建築家やデザイナーの分野では、日本人が世界中で活躍しています。そのトップランナーの一人、建築家の隈研吾氏の事務所には世界中から採用希望者が集まります。従って彼は世界中の優秀な建築家のたまごを見ているわけですが、そこでは民族の特徴が手を取るようにわかるそうです。

 

隈氏によると、日本人は立体的にモノを捉える事や質感は段違いに優れている。一方、構想力は貧弱。また、おしなべて絵が暗い。(これは失われた20年を象徴しているのでしょうが)

 

ところで、こういう日本人の強みはモノづくりにも共通のはず。しかし、設計やデザインの世界での強みはまだまだ健在ですが、それを形にする力は安泰とは言えないようです。ベテランの職人がもっともそこに危機感を持っている。

 

昨日、近所のギャラリーで開催されていた「竹のあかり 近藤昭作 60年の歩み展」を観にいきました。(会場は倉を改造した建物で、それも素晴らしい)近藤さんは既に85歳。会場にもいらっしゃいましたが、大変お元気そうでした。

 

戦前は造船所の設計士だった近藤さんは、戦後復員して竹工の道に入ります。1952年、イサムノグチのAkariに触発され、竹であかりをつくりはじめます。竹をつかった照明の道を切り開き、そして60年が経ったわけです。大手照明具メーカーのヤマギワと独占契約を結び、ヤマギワが世界中に近藤さんの作品を販売していきます。(ヤマギワとの縁は、1961年当時の社長が西荻窪の洋食レストラン「こけし屋」で近藤さんの作品を目にして以来だそう。偶然、昨日私たちはその「こけし屋」でランチした後、この展覧会に行きました)

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目にする竹細工の素晴らしさについ、近藤さんに今も造っているのか尋ねたところ、もう随分前から造ってはいないとのこと。さらに、ヤマギワなき(2000年石丸電気と合併、2011年企業再生支援機構入り)後、どこで販売しているのか尋ねると、もう販売はしていないとこと。近藤さんの手元にあるものしか新しいものはなく、それも正式には販売されていない。こういう展覧会で欲しい人に買ってもらっているだけ。ちなみに値段はヤマギワが売っていたときの半額だそうです。多分、当時の卸値でわけているのでしょう。

 

作品の素晴らしさは言うまでもありませんが、そんな素晴らしい作品と技術が後の世に伝承もされず、近藤さんとともに失われていくという事実に衝撃を受けました。竹細工の技術と、照明としての優れたデザインを創り上げる力の双方を兼ね備えた職人は近藤さんしかいないのです。なのに・・・。

 

こうして、日本が世界に誇るべきものが失われていくのかと、一抹の寂しさを感じずにはいられません。

 

近藤はこうおしゃっていました。

「自分はものづくりから入って、デザインもするようになった。今、デザインする人はたくさんいるが、それをモノにする職人がどんどんいなくなっている。」

 

隈研吾氏も、自分の作品はモノづくりの職人たちとの共同作業でできたもので、彼らがいなければ何もつくることができないと、言っています。でも、日本全体では、頭にあたる建築家やデザイナーが「上」で、それを形にする手にあたる職人や現場の人々は「下」という風潮があるように思います。これは一般企業の世界でも同様。こういった考え方は、古くからの日本思想にはなかったものです。

 

 

近藤さんの話をうかがい、我家にもひとつペンダントライトシェードを買い求めました。そんなことしかできませんが・・。

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