2019年3月アーカイブ

厚生労働省の統計問題は、ますます混迷を極めています。それについて、言いたいことはいろいろあるのですが、今日は特別監察委員会を題材にして考えてみたいと思います。

 

まず、特別監察委員会報告は最初の報告で、国民からダメ出しされ、先日の二度目の報告でもまた議論を呼んでいます。情けない失態です。なぜ、こんなことが起きたのでしょうか?

 

報告内容以前に、特別監察委員会とその活動の客観性に関する認識の違いがあったと思われます。想像力をはたらかせて、厚生労働省官僚の思考を追ってみましょう。

 

・特別監察委員会は第三者委員会でなければまずそうだ

・しかし、全く厚生労働省のことを知らない人に監査は無理だろう

・厚生労働省の外郭団体のトップであれば、ある程度役所の文脈も理解できるし、知的レベルも高い立派な人だし、役所の人間ではないので適任だろう

 

 

また、最初の監察委員による職員へのヒアリングに、厚生労働省幹部が同席していたというのも驚きでした。そこも想像してみましょう。

 

・職員へのヒアリングでは、正しい発言をしてもらわなければならない

・しかし、職員は管理者のいないところでは、どんないい加減な発言をするかわかったものではない

・管理者(幹部)は、職員の発言に責任を持たなければならない

・また職員は管理者のオーソライズがなければ、責任ある(?)発言はできない。なぜなら、もし自分の発言内容で問題が起きても、自分では責任を取れない。管理者がオーソライズしてくれていれば(同席だけであっても、そこで否定しなければ)、責任はその管理者が取るはずなので

・したがって、ヒアリングには管理者が同席しなければならない

 

これはあくまで想像ですが、役所全体がこういう思考でなければ、今回の事態は理解できません。

 

この思考回路には、隠れた前提があります。

まず監察委員の構成について。

・役所のことは役所内部の人間でなければ理解できない

・そうして役所の人間が下した結論に、間違いはない

・国民はその結論に従うべきだ

 

次に、ヒアリングへの幹部の同席について。

・「正しい」発言とは、真実を指すのではなく、役所のピラミッド機構を維持するための発言を指す

・その機構において、下の者は上の者の意向を想像してそれに沿った行動を取ることが正しい

・究極の上の者とは、国民ではなく官僚機構トップであり、さらに言えばその上司にあたる首相である

・職員は組織の一員であって、独立した個人ではない

 

このように、「第三者委員会」や「第三者委員会によるヒアリング」という言葉も、我々のような一般の人と、役人では全く異なるものとして捉えているようです。

 

私は、厚生労働省の役人が、悪意を持ってこうした思考をし、行動したとは思えません。もし、悪意があればもっとうまくやり、隠しおおすことだって、彼らの才覚を持ってすればできたはずです。

 

つまり、これが「普通だ」と思ってなしたのだと思います。彼らの世界では一貫性のとれた思考。私は悪意があった場合より、こっちの方が恐ろしい。悪意であれば自制が働く可能性はありますが、無意識であれば、同じようなことが何度も繰り返されるでしょう。国家の中枢が、こんな世界観で動いている。

 

役人の頭に浸みこんでいるこうしたディスコース、すなわち思い込みや言説をどうすれば変えていくことができるのか?

 

しかし、これは役所に限定した問題ではなく、会社でも国民レベルでも、どこにもあることです。

 

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