2011年7月アーカイブ

先週末のTVニュースは、ノルウェイでのテロと中国高速鉄道事故がツートップでした。その後の報道でも、ノルウェイのテロは、平和な北欧の国のイメージが強い国でのテロだと、意外感に味付けされ、かたや中国の鉄

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道事故は「やっぱりな」という妙な納得感に味付けされているような印象を受けています。日に日にその色彩を帯びてきているようにすら感じます。死者数も世界への影響も遥かに大きいテロの報道は影をひそめ、中国の事故に関する報道はその後の当局の対応への批判を加え、さらに強化されているようです。

 

正直に言いますが、最初鉄道事故の報道に触れたとき、私も「ほら、いわんこっちゃない」という感情が芽生えました。ところが、一緒にニュースを見ていた妻が、報道に対して「なんか大人げないね」と言うのです。私は不意討ちをくらったように感じました。

 

確かに私もニュースを見ながら、日本が50年以上かけて築いてきた技術に、中国がそう簡単に追い付けるはずがないとの思い(思い込み)がありました。これは合理的判断の帰結ではなく、感情です。頭の片隅で、中国高速鉄道で事故が起きてほしいとすら、思っていたのかもしれません。どこか、中国VS日本という枠組みで考えていたのです。これは小さなナショナリズムだと、その時思いました。

 

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話は変わりますが、なでしこジャパンのワールドカップ優勝、これには感激しました。しかし、男子チームが勝つときとは、どこか異なる喜びだったように思います。男子チームでは常に日の丸を背負い、良くも悪くも日本という国家を意識します。それなのに、なでしこジャパンにはそういう感情を抱いていないのです。

 

もちろん日本チームが優勝したという事実は嬉しいのですが、それ以上に小さな選手ばかりのチームが大きな選手のチームを倒した爽快感、アマチュアばかりで恵まれない環境の中で練習を続けてきたチームが、プロ集団を破った痛快感、そういった喜びなのです。それがたまたまなでしこジャパンだったというと、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、そんな感じです。それは他チームからの素直な賞賛のコメントをみても、確認できる思いです。つまり、国家の単位ではなく、チームそしてそれを構成する選手ひとりひとりに対する普遍的な賞賛と敬意から来る感情なのではないでしょうか。

 

意地悪な見方をすれば、男子チームはメインストリームなので、国家を背負うことを宿命づけられているが、女子はメインではないので、その宿命は背負わずにすんでいると言えなくもないかもしれません。でも、そもそも何がメインで何がサブかは誰がどうやって決めるのか、という疑問も湧いてきます。

 

いずれにしろ、一連の出来事で国家やナショナリズム、普遍的な価値についていろいろ考えさせられました。

昨日ある企業の幹部候補者向け研修の一環として、 ㈱経営共創基盤の田中、斉藤両マネジングディレクターに「買収先マネジメント」のテーマで講演していただきました。お二人は、産業再生機構時代含め、多くの企業の再生の最前線で活躍されています。


今や買収先マネジメントは、多くの日本企業にとっても当たり前のことになっています。受講者の多くは、近い将来買収した会社や事業投資先へ経営陣として派遣され、そこでの事業再生にも取組むことになるでしょう。

 

実体験に基づく非常に興味深いお話ばかりでした。最後の質疑応答は、受講者も体験豊富なため鋭い質問が多く、とても実りのあるものでした。

 

講演の中で、こんなフレーズがありました。

 

「よい会社とは、当たり前のことが、当たり前にできる会社

 ふつうの会社とは、当たり前のことが、うまくできない会社」

 

そこでこんな質問がでました。

「では、当たり前のことが当たり前にできる会社よい会社とは、どんな会社ですか?」

 

だめになった会社に数多く接してきた講師にとって、意表を突く質問だったようです。だめになる会社の共通項を知れば、回答に近づくかもしれないと前置きし、こう答えました。

 

「だめになる会社はことごとく、内輪の論理と過去からの継続性に縛られている」

 

つまり、内輪と過去の呪縛により、「当り前」のことがわからなくなってしまうというのです。「社内の常識は社外の非常識」というわけです。これは、人間心理の本質的問題でしょう。組織という環境への適応力が高ければ高いほど、そうなります。

 

逆にいえば、「よい会社」は、それらの呪縛にとらわれない柔軟性を持っているのでしょう。自己否定する力です。ちなみにお二人の会社では、良い情報を上げた人よりも悪い情報を上げた人を評価するようにしているそうです。

 

さらに、「当り前」がわかったとしても、「当たり前にできる」とは限りません。再生の処方箋は難しいことではなく、どんな本にも書いてあるようなことだ、との講師の発言に対して、ではなぜ既存の経営者はそんな自明なことができないのか?との質問もありました。これも本質を突いています。ゴーン社長が来る前の日産社内にも、後にゴーン社長が実行する再生プランとほぼ同じ内容の再生計画があったといいます。でも、自分たちでは実行できなかったのです。

 

こういった人間集団の弱さに対して、同じ人間としてどう対処していくのかが、再生マネジメントのポイントなのかもしれません。

 

「当り前」を常に修正し、それを「当り前」に実行する、そういう当たり前の経営が、実は一番難しいことを、多くの破たん企業の内部でもがいてきたお二人は実感しておられました。

俳優の原田芳雄さんが昨日亡くなりました。実は3年くらい前まで、あまり俳優としての原田さんに注目してきたわけではありませんが、あることをきっかけに私にとってはちょっと気になる俳優となっていました。

 

 

200853日、長野県大鹿村で300年続く大鹿歌舞伎の春公演を初めて観ました。そこで地元住民が演じる役者の演技と、三味線と大夫を同時に務める登大夫さん、そして何よりおひねりが飛び交う観客と一体となった雰囲気に強く惹かれました。その後、翌年と今年の3回見物しています。(09年はブログにも書きました)

 

その最初の年、公演が終わるとすぐ観客席の後ろから促されるようにして舞台下に現れたのが原田さんでした。(その年原田さんは、大鹿歌舞伎にも触れたNHKドラマに出演し、その縁で来られていたのだと思います)観客席後方に座っていた私にも、原田さんが感動に打ち震えているのがわかりました。そして、うわずった声でこう叫びました。

 

「ここに芝居の原点を私は見つけました。これまで私がやってきた芝居なぞ、足元にも及びません。本当の芝居を教えてもらった思いです。ありがとうございました」(あいまいな記憶ですが・・・)

 

そのセリフは決してお世辞などではなく、心の底からほとばしり出てきたことばでした。私は本当にこの人は芝居が好きなんだなあ、とそのことに感動したほどです。

 

 

そして今年の53日、再び舞台の下に原田さんの姿がありました。今度は

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、大鹿村を舞台にした映画の企画兼主演して、監督(阪本順治)や共演者(岸部一徳、大楠道代)を従えていました。原田さんが登場すると観客席から、「いよー、大物!」との掛け声。2週間、村に寝泊まりして撮影した原田さんらは、すっかり村民となじんでいました。そのときの雰囲気に、どうみてもこの映画は監督より原田さんの映画だとわかりました。

 

4人が順番に挨拶しました。最後の原田さんは、3年前初めて大鹿歌舞伎を観て感動したこと、その時大鹿歌舞伎を題材にした映画を撮りたいとおもったことをゆっくり語りました。その希望がかない、こうして歌舞伎の舞台の下でそれを発表できることが、本当に嬉しそうでした。(直前に、村での試写会を行ったようでした)しかし今思えば、うれしさの割には、少し元気がなかったように思えます。

 

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そして、先週の土曜、その映画 「大鹿村騒動記」は封切られまし

711日の試写会に車椅子で舞台に立ったのが、後の公の場での姿でした。大鹿村にも悲しみが広がっているそうです。

 

 

まだ映画は観ていません。封切りを楽しみにしていたのに、まさか観る前に亡くなってしまうとは、本当に残念です。ただ、勝手な思いですが、原田芳雄という一人の俳優の最後の仕事に、少しだけ立ち合えたような気がしています。

 

遺作というフィルターを通してしまうとは思いますが、原田さんの思いを感じながら映画を大いに楽しんでこようと思います。


心より冥福をお祈りいたします。

7/26(土)2030から何と三時間にわたって、草間彌生の特集世界が私を待っている「前衛芸術家 草間彌生の疾走」)がNHK-BSプレミアムで放送されました。

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彼女の水玉模様の作品をご覧になった方は多いと思いますが、現在のアーチストとしての生の姿が描かれていました。もう40年近く精神病院から近所のアトリエに通う(その逆ではありません!)姿は、驚きを通り越して神々しさまで感じてしまうほどです。

 

もう84歳になるというのに、その欲望は衰えません。「もっとたくさんいい作品を描かないとピカソやミロを超えられないわ」と、世界巡回展のための百連作を描き続けます。彼女は本気で、ピカソを超えるつもりです。

 

そう語った直後に、アシスタントに尋ねます。「ねえ、カレーはまだ?」このギャップこそが草間彌生。

 

また、ロンドンの契約ギャラリー(超老舗)のオーナーにこう言います。

「なんかスタッフが、もう少し値段が上がんないかなと言っているだけど・・」

こう彼女に直接言われたオーナーは、了解せざるをえません。表面的にはスタッフの要望にしていますが、彼女以外の誰がそんなことを考えるでしょうか。

 

創作中も、驚くほどスタッフに意見を聞いていました。「ねえこれ、これでいいと思う?」「もっと、こうしたほうがいかしら」でも、スタッフはYESという以外にありません。自分自身で全て決めているにもかかわらず、それだと不安なので同意を求めているのでしょう。それはわずかに身につけた処世術なのかもしれません(岡本太郎も晩年は敏子に同意を求めていたそうです)。そんな草間は、ちょっとかわいらしくも見えました。

 

彼女は、作品を創造し続けなければ生きられないと語ります。もし、創造できなければ自殺していると。それは本心だと思います。生きることとは創造することであり、創造するからには一番でなければ満足できない、そしてその指標は「値段」である、この考え方は非常につらく厳しいものといえるでしょう。人間、そこまで自分を追い込めるものではありません。

 

 

 

84歳にもなってそこまで追い込まなくてもと凡人は考えるのでしょうが、彼女の場合84歳にもなっているのだから、残されたわずかな時間で極みを目指さなければ意味がない、そう思いつめエネルギー源としているようです。きっと、そういう生き方しかこれまでもこれから先もできないのだと思います。

 

彼女が世界で高く評価されているのは、そういった生き方やエネルギーが作品に込められているからなのでしょう。

 

草間の眼は岡本太郎の眼に似ています。外野の視線には全く関知せず、自分自身を生き抜く人に共通の眼なのかもしれません。草間彌生という存在自体が既に芸術作品になっています。

 小野寺講師のコラムにもあるように、コミュニケーションは大変難しいものです。研修の場面では、特にそう感じます。

 

企業研修講師は、そもそも受講者に伝えたいことをたくさん持っています。だからといって、それを単に語るだけでは、ほとんど伝わりません。下手をすると、「知識のひけらかし」や「自慢話の押しつけ」と受け取られかねません。

 

一般に講師と受講者の間には、大きな溝があります。

 

講師が伝えたいこと⇔受講者が伝えてほしいこと

講師が伝えたいこと⇔受講者が興味をもってくれること

講師が伝えたいこと⇔受講者に伝わること

 

さらには、受講者側にも溝があります。

 

受講者が知りたいこと⇔受講者の役に立つこと

受講者の役に立つこと⇔組織にとって役に立つこと

 

(以下もありえますが、これは入念な事前すり合わせでクリアできるはずです。

講師が伝えたいこと⇔企画側が伝えてほしいこと)

 

 

受講者たちも、それぞれに異なる事情や考えを持っています。こういうたくさんの溝がある中で、伝える側の講師はどうすればいいのでしょうか?考えれば考えるほど、難しい問題です。

 

そんなときは、軸を定めることです。人から何と言われようとも、これを伝えることが皆にとって絶対必要だと、時間はかかるかもしれないが、いつか絶対役立つはずだと。

 

しかし、これは言うほどやさしくはありません。上記の信念を実行するには、まず大きな溝があることを認めたうえで、相手方の関心や事情をできるだけ正しく認識し、それに最大限応える努力をする必要があります。こちらから橋を架けるのです。ただし、信念と明らかに対立する場合は、信念を優先すべきでしょう。言い方を変えれば、そこまで相手に歩み寄らなければ、信念は「一人よがりの思いこみ」になってしまいかねないのです。

 

最悪なのは、「自分はいいことを伝えている。伝わらないのは、相手に能力がないからだ(あるいはやる気がないからだ)」と、相手の責任にすることです。こうなってしまうと、講師の成長は止まり、周囲は不幸になります。

 

多くの場合講師は、受講者から「何でこんな奴に教えてもらわなくてはならないんだ。忙しいのに・・」という、マイナスの第一印象からスタートせねばならない立場にあります。(もちろん事前に、できるだけこのマイナスを小さくしてスタートできるよう企業の担当者とともに仕込むことは大切です)

 

だからこそ、あらゆる配慮や準備が重要であり、それができて初めてプロフェッショナルといえるのです。

 


こういったことは、必ずしも企業研修講師だけにいえることでもなさそうです。組織の中で他者と仕事をする人(ほとんど皆そうです)には、これから必須のスキルかもしれません。

 

今回の松本復興担当大臣のドタバタ劇を見るにつけ、あらためて政治家は我々一般市民と別の世界で生きていることが実感させられます。あり得ない言動の例をあげるのがばかばかしいほどです。

 

でも、彼を選んだのは官総理であり、また選挙で支持したのは国民です。結局国民のレベルが低いから政治家のレベルも低いのだという意見も、一見的を射ているようにも感じますが、果たしてそうでしょうか?

 

私は、「仕組み」の問題だと思います。一票の格差とか小選挙区制とか、そういうことではありません。これらは地域間の問題にしかすぎません。現在の日本では、地域格差以上に大きな問題は世代間格差ではないでしょうか。それを促しているもののひとつは、終戦直後から変わっていない、選挙方法です。

 

日曜の昼間に投票所にいきやすいのは誰でしょうか?TVでの政見放送や選挙カー、看板、ポスターといった政策広報手段で、いったいどれだけの人が候補者の力量や政策を理解できるでしょうか?果してこのやり方は公平なのでしょうか?民意は政治に反映できるのでしょうか。

 

低下を続ける投票率を100%にするために、どれだけの改革が試みられたでしょうか?投票率を上げることが、民主主義の基本中の基本だと思います。

 

結局政治家とは、どうすれば選挙で勝つかしか考えません。だから全体の投票率は問題ではないのです。現在の仕組みであれば、投票率が高く、かつ絶対数でも多い高齢者にやさしいことしかできません。それが、世代間格差を生んでいるのではないでしょうか。

 

もちろん高齢者対策は大切です。しかし、これから60年この国で生きていく人と、20年生きていく人で、どちらが短期志向に陥りやすいか、どちらが長期的視点で投票するか、言わずもがなではないでしょうか。(もちろん個人差はあります)

 

原発事故は、図らずもその問題を俎上にあげたのではないかと、私は思います。

先日、ある企業のグローバル人材育成研修のうちの一部のセッションを実施しました。その研修後半に、英語で経営戦略やマーケティングのケースメソッドを実施します。その前に、日本語でその基礎を学んでおこうという一日セッションでした。特に生産部門の方などは、経営学にかかわる知識をあまり持っていないことが多く、その対策となります。しかし、優秀な方はかえってそういう人の中にいます。

 

基礎編だから簡単にできそうと思われるかもしれませんが、正直いえば基礎のほうが企画設計する立場としては難しい。なぜかといえば、

 

・受講者の知識レベルにばらつきが大きい(→わかっている人には退屈)

・グローバル研修とはいえ、海外の事例を増やすとますます理解しづらい人が出てくるので、身近な国内事例にせざるをえない(→わかっている人にとっては、なぜ海外事例出さないの?となる)

・基礎だからと言って、基本的なフレームワークの解説に終始すると、初心者でさえ退屈する(→いわんや上級者をや)

・一日で両科目の基礎をカバーするためには、グループワークなどの時間が取れない(→一方通行になりがちで、集中力の持続困難)

 

といった多変数に対応しなければならないからです。ターゲットは、初心者に合わせるべきなのですが、声が大きいのは得てして上級者、彼らの声も無視できません。ならば、上級者はこのセッションを免除させればいいのですが、それも簡単ではありません。誰が免除対象だと、どうやって決めればいいのか。少しは難しさをご理解いただけたでしょうか。

 

これらの課題に対して、担当講師と練った作戦は以下です。

 

・ターゲットはあくまで初心者だが、上級者もある程度は参考になり楽しめるよう、できるだけなまなましい事例を入れる

・ついては、担当講師が経営に直接かかわった某中堅上場企業を一貫した事例とし、各フレームワークはその企業の具体的事象にあてはめて解説する

・その際、教科書的視点に加え、「現実」の視点からも解説し、立体的な理解を促す

・某企業に関する基礎知識を持ってもらうために、事前課題として基礎情報を配布し、簡単な設問に応えてきてもらう

・受講者が関心高そうなテーマについては、某企業だけでなく所属企業にあてはめる質問を、クラス中に投げかける

・グローバル展開や(関心の高い)M&Aについては、他社の事例も少し加える

・最低10分に1回は受講者の発言を促す。ただし、指名はできるだけ避け、受講者自らが発言する雰囲気づくりを心掛ける

 

 

そして、先週実施完了。ほぼ計画通りのファシリテーションができました。事前課題企業は、全くの異業種で関心を持ってもらえるか若干不安でしたが、多くの方はみっちり準備してきました。その結果、その事例企業に関して非常に突っ込んだ質問や意見が出てきたのは、うれしい誤算でした。

 

予定時間終了後も、20分ほど延長し質問対応。まだ、アンケート結果がまとまっていないので、受講者の評価はわかりませんが、少なくともオブザーブした私には、「場」のエネルギーは伝わってきました。


終了後、やや上気した担当講師の「自分もとても勉強になった」とのコメントが、このセッションがおおむね成功したことを表しているのではないでしょうか。

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