文化と芸術: 2009年6月アーカイブ

昨晩、NHKBSで小澤征爾さんのインタビューが放映されていました。自宅のTVではBSは映りません。たまたま、自宅近くのジムのランニングマシン上に設置されている小型TVのおかげで観ることができました。(なので、観たのはわずか30分程度)

小澤.jpg 

どの世界でも、一流といわれる方の話は、圧倒的に面白い。しかも、どこか共通点があります。うろ覚えですが、再現してみます。

 

Q:そもそも、なんでオーケストラには指揮者が必要なんですか?

A:楽団員は、世界中から集まり、しかも様々なスクールに属しています。同じ楽譜を読んでも、少しずつ表現スタイルが違うのです。それを、演奏会である一貫したスタイルで演奏してもらうには、指揮者が必要なんです。とりあえず、今回は指揮者の考えるこのスタイルでいこうと、思ってもらうわけです。でも、普通2割は、言うことを聞いてくれません。

 

楽譜はコンテンツであり、作曲者の意思が、文字や記号で表現されています。しかし、楽譜ですべてを記録するのは不可能です。そこに、解釈の余地が出てきます。だから、その都度統一した解釈をする指揮者が必要なのです。

 

つまり、コンテンツは一つでも、コンテクストは無限にある。落語でも、演劇でも経営でも何でもそうですね。コンテンツという制約があるからこそ、コンテクストで創造ができるともいえます。

 

 

Q:どうやって、多様な楽団員に指揮者の意図を伝え、従ってもらうのですか?

A:カラヤン先生から教わったのですが、各団員をInviteするのです。指示ではありません。ある意図をもって、しぐさで伝えます。その演奏者は自分のスタイルや解釈を持っており、それを表現しようとしているのですが、なんとなく指揮者の動作に影響され、そっちの方向に変わっていきます。本人は、それに気づいていないかもしれません。でも、そうなってしまうのです。それがInviteです。

 

これは、教育と全く同じだと思います。指示や命令では、特に学習者が大人の場合は、学習できません。与えられたのではなく、自分自身で創りだしたのだと思わせなければ、自分のものにはなりません。実は、教師がその方向に導いたにも関わらず。まさに、教師の世界に自然に「招き入れる」のです。

 

それが、大人の学習、教育のポイントだと思います。小澤さんは、それをInviteと表現し、実行していたのです。学校の先生であろうは、研修の講師であろうが、会社の上司であろうが同じなのです。これは、大きな発見でした。

 

 

Q:年を重ねて、音楽は変わってきましたか?

A:年を重ねるのも悪くない。今は、自由に指揮ができる。若い頃は、音楽のルールから外れやしないかと、ひやひやしながら指揮していた。でも、観客はルールを守ることより、多少音がずれても、自由に指揮した方が、絶対喜ぶんだよ。もちろん、大事なルールからは、絶対逸脱してはいけないよ。まあ、子供の頃からルールが体に染みついているから、逸脱なんてできないけどね」

 

 

守・破・離という言葉こそ使いませんでしたが、古典芸能で語られる守・破・離そのものですね。小澤さんクラスになっても、毎日の「勉強」は決して欠かさないそうです。だから、型を離れ、自由になれるのです。

 

 

いやはや、達人の言葉は、すべて勉強になります。

過疎の山村にアートがどれだけ力を吹き込むことができるか、その荘大な実験ともいえる越後妻有トリエンナーレhttp://www.echigo-tsumari.jp/2009/index.htmlが、また7/26から始まります。

越後妻有トリエンナーレ2009.jpg 

私は前回2006年に初めて参加しました。参加というとアーチストみたいですが、もちろんそうではありません。でも、あの空間にいるだけで参加しているような気分になるのです。

 

今年がちょうどスタートから10年目(4回目)、当初は相当大変だったらしいです。百人を超える現代美術のアーチストが世界中からあの過疎の山村に集まり、数ヶ月も滞在して作品を創り上げるのですから、想像しただけで恐ろしいことです。

 

友人の一人が、メキシコ人アーチストの通訳として、その過程を体験したそうです。田舎の老人たちは、外国人というだけで警戒してしまいます。ましてやimages.jpg、わけのわからないモノを造る人など、想像をはるかに超える存在だったようです。文化や習慣も異なります。そういう人々を、村人が簡単に受け入れるわけがありません。

 

ひたすら忍耐強く、コミュニケーションを続けるしかなかったでしょう。異文化コミュニケーションの最たる事例ですね。

 

でも、最後は涙でお別れするまでに、その関係は強固なものになったそうです。間に入った通訳やボランティアの方々の苦労も大変だったと思いますが、やはりアートの力も大きかったのではないかと思います。

 

 

当初から三回で自治体の補助が打ち切られることが決まっていたため、四回が開催されるか微妙でしたが、これまでの評価の高さにより、自治体支援なしでも継続されることになったそうです。このような経済状況のもとで、画期的でしょう。

 

利益誘導や補助金頼りでない地方活性化の仕掛けとして、アートが果たすことのできる役割を、全国に示しつつあるこの大地の芸術祭、大げさかもしれませんが、市場重視型資本主義に代わる新たなパラダイムの萌芽という気がしています。

 

まあ、そんな理屈を抜きにしても、とにかく参加するのが今から楽しみです。

 

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