2010年10月アーカイブ

一人の画家が描くものが、具象から抽象にうつりまた具象に戻っていくということは、意外に珍しいことのように思います。先日回顧展を観にいった岩澤重夫がまさにそうでした。

 

現在日本橋高島屋で開催されている岩澤重夫展(11/1まで)は、昨年の金閣寺客殿壁画完成を記念した回顧展です。襖で仕切られた三つの大きな和室の襖絵がメインに展示作品です。彼は、完成直後の昨年11月に81歳に亡くなりました。この作品が、彼の一生の総仕上げだったように思います。

 

最初の部屋は具象の梅と松、海に浮かぶ太陽が描かれており、次の間は金

抽象の桜.jpg箔と銀箔でそれぞれ一本ずつの桜が抽象的に描かれています。そして最後の間は、床の間の背には銀の大きな月、襖には水墨で険しい山の稜線がひと筆書きのように引かれています。この墨の線だけみたら、山とは気付かない人もいるかもしれません。しかし、具象の梅と抽象の桜を観ている人には、もう険しい峰の連なりにしか見えません。観る前から、頭の中に既に山々が浮かび上がっているのです。これが鑑賞者の想像力をかきたてる画家の力だと思いました。どの部屋の作品も素晴らしいのですが、この順番で観た私は、水墨の山が最も印象に残りました。個人的には想像力を刺激される作品が好みです。

 

その後には、若い頃から晩年までの作品が陳列されています。若いころには、ピンポン玉や釘などを使った抽象アート作品もあります。近年は、雄大な山を緻密に描いた大きな作品が多いのですが、これがまた素晴らしい。江戸時代は一木材産地で天領だった大分の日田出身の彼は、山や木に対して特別な思い入れがあったように感じます。例えば、93年に描かれた「渓韻」

けいいん.JPGは、真夏のはち切れんばかりの濃い緑の木々を緻密に描くことで神々しいまでの山の存在感とそこの空気感が伝わってきます。さらに真ん中を流れる渓谷が、動きと生命感を放ちます。作家の「思い」がびんびん伝わってきます。もう、具象でも抽象でもどうでもよくなってしまうようです。

 

そんな具象と抽象を行ったり来たりしてきた彼の集大成がこの襖絵であり、最後の間が水墨で引かれた稜線だったというのも、いとをかしでした。

2000年前後、自動車業界で400万台クラブという言葉が流布しました。1社年間400万台以上生産しなければ生き残っていけないという趣旨でした。それを考慮したのかベンツがクライスラーを買収したり、大型M&Aが頻発しました。しかし、その結果はご存じのとおりで、いったいあの説は何だったのでしょうか。M&Aで儲けようという機関がしかけて、多くの企業が踊らされたようにしか見えませえ。

 

それから10年がたち再び似た様な議論がでています。今度は、環境投資には規模が必要だから、規模を追求するための合従連合を、という論調です。前回もそうでしたが、その意見に反論するのは難しいです。ただ、それを実行したときの弊害をどれだけ真剣に考えたのかとの、チェックは必要です。ある論調が神話化して、一人歩きを始め、誰も疑問を持たなくなり、あとは「赤信号みんなで渡れば怖くない」となっていきます。かつての日本の土地神話もそうでした。ライブドアによるニッポン放送買収騒動の頃、多くの大企業が一斉に買収防衛策を導入しましたが、これも神話に踊らされた例だと思います。冷静に考えれば、そんな経営者を守るルールのある会社の株式は、投資家からすれば投資対象から外すはずで、従って株価は下がるはずです。その後、防衛策を廃止する企業が増えていることがそれを証明しています。

 

話を自動車業界に戻しますが、400万台クラブ騒動の時も独自の道を歩んだホンダは、現在何を考えているのでしょうか。以下のように伊東社長はインタビューに答えています。

 

提携は否定しない。ただ、最も大事にしたいのは提携先で

honda.jpg

はなく、お客様だ。それには絶対にホンダに対する誇りや忠誠心が必要だ。例えば、販売量の拡大を狙い、異なる2社が提携し販売網を相互に活用す

るとしよう。だが、販売店が愛着もない他社の商品を本気で売るだろうか。(中略)偉大なる中小企業を目指す。(中略)この厳しい時代、日本の企業もトップがもっと強い意志を示すべき時が来たと思う。

 


卓見だと思います。妙な神話に惑わされず、自社のあるべき姿を追求する。それがトップの責任だ。こういうトップがいる企業こそ強い企業だと思います。それに比べ、神話に踊らされ右往左往するトップがいかに多いことか。

スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチ(2005年スタンフォード大学卒業式)を、観直してみました。(以下は前半です)

 

彼は三点を述べているのですが、その最初のポイントは「点と点をつなぐ」とうことです。前回書いた「戦略的直観」にも結びつく内容だと閃いたからです。

 

大学をドロップアウトすることを決意したジョブズは、「書道(カリグラフィー)」のコースに魅了され、熱心に受講しました。それが、マックの美しいフォントにつながっているのです。ずっと先になりますが、アップルを追い出され不遇をかこった時代も、振り返ってみれば人生で最も創造的な仕事が出来たと述べています。

 

「点と点を最初から結ぶことは難しいのです。振り返ってみてはじめて、点と点を結んだ線が見えるのです。ですから、今は無関係に見える点でもいずれは自分の人生の中で大きな線で繋がれることを信じなくてはなりません。それには、自分の勘、運命、輪廻を信じ続けなくてはならないのです。」

 

戦略的直観も、蓄積されてきた長期記憶が選択され、結びつくことによって起きます。脳科学者のバリー・ゴードンは2003年の著作「知的記憶」でこう書いています。

 

「知的記憶とは、・・・点と点をつないで絵を描くようなものである。点とは構成要素あるいは思考であり、点と点をつなぐ線は、つながりもしくは関連性である。線と線は結びつき、より大きな断片を形成し、これらの断片は結合して、あるまとまった一つの思考を形成する。このようにして形成された思考は、視覚的イメージ、知識、アイデア、もしくは問題解決となりうる。各要素、そのつながり、そしてこれらを結合させる精神過程は一体的に作用するため、一つの認知的なまとまりであるかのように見える、これこそ、人がアイデアや概念をひらめくときに起きていることなのである。」

 

人間の脳の中で起きている直観が生まれるプロセスと、一人の人間の人生で起きているプロセスが、相似形のように私には思えます。いずれも意図的に点を選び、つなぐわけではありません。操作可能ではないのです。ジョブズが、若い頃から禅に傾倒していることもわかる気がします。

戦略は直観に従う ―イノベーションの偉人に学ぶ発想の法則
ウィリアム ダガン William Duggan
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A.自分を信じ、明確な目標を設定し懸命に努力すれば、どんなことでも成し遂げることが可能だ

B.機会に備え、機会を見極め、機会に基づいて行動すれば、多くのことを成し遂げることが可能だ

 

これがコロンビア大学ビジネススクールのウィリアム・ダガン准教授が、必ずクラスの最初に学生の聞く質問です。ほとんどの学生がA.と答えるそうです。きっと日本でも、ビジネスを学ぼうとする人のほとんどはそう答えるでしょう。かつて私もA派でした。

 

未来がある程度予測できる社会ではAが有効だと思います。だから、的確な目標もビジョンも立てることができ、現状とのギャップを埋めるための努力の方向もやり方も理解できます。ある部分の効率化や工場の生産性向上といった線形型の問題であれば、現在でも適用可能でしょう。しかし、現在多くの問題は、非線形で不確実性も高まっています。したがって、問題設定する容易ではありません。ましてや、例えば個人のキャリアといった個別性も不確実性も高い問題では、A.の思考は危険ですらあります。数年前まで安定して花形ともてはやされた企業が倒産する時代です。明確な目標も設定して頑張っていた人ほど、そうならなかった時のダメージは大きいでしょう。「折れてしまう」かもしれません。

 

よく考えてみれば、過去の偉大な成功者たちは、意外なほど目標をころころ変えたりしています。最初から成功後の姿が思い描けていた人は皆無でしょう。

 

これからの時代は、B.の思考がもっと見直されるべきでしょう。しかし、機会に備えるとはどういうことで、見極めるための選択眼はどこからくるのか、などの疑問が生じます。そこでの重要なスキルはダガン氏のいう「戦略的直観」です。これまでは合理性に基づく分析の時代でした。分析とは、分解していって正解を見つけ出すこととも言えます。直観はその反対に、必要な事象を結びつけていく思考です。それを身につけるには、出来るだけの多くの先人が蓄積してきてくれた知識や理論を習得しておくこと、しかしそれにはこだわらず空っぽの頭で世界を見て捉えること、そしてそれらの結合を待ち、ひらめいて行けると評価したら、周囲の騒音に惑わされず強い意志を持って実行することです。もし、違うと分かれば、固執しないで変更すればいいのです。最大の敵は、思いこみや常識、固執です。

 

ダガン氏の「戦略は直観に従う」を読んで、これまで何となく感じていたことに確信を得た思いです。

世の中の状況をざっくり把握するのに有効なのは、タクシーの運転手さんに景気を尋ねることと、定期的に書店で本の売れ行きや売り場の様子を見ることだと思い実行しています。特に、どうしてもビジネス書に関心が向いてきます。

 

今朝の朝日新聞にビジネス書に関するオピニオン特集(一ページ)があり、とても興味深かったです。ヒットを連発している(昨年は計60万部!)小宮一慶さんは、自著を演歌のようなものと位置づけていました。つまり、迷った中小企業経営者が、時々しみじみ聴いて「やっぱりなあ~」と確認するようなもので、中身はどれも同じで構わない。同じ演歌を数十年聴き続けても、また聴きたくなるようなもの。なるほど、と思いました。新しい知識や考え方を伝えるのではなく、常に原点(演歌なら「情」、ビジネス書なら「顧客志向」や「社会への価値貢献」など)を思い出させるツールなのです。

 

また、ある女性ブロガーは、若いビジネスパーソンはビジネス書に「上司」を求めていると指摘しています。確かに、最近「○○○してはいけません」といった指示口調のタイトルが増えています。私などは、「何でそんなこと言われなくちゃならないんだ」と、手にも取りませんが、指示命令を求める若手が増えているのでしょう。上司が忙しくて、彼(女)らに、指示しないことの裏返しなのかもしれません。

 

作家・批評家の唐沢俊一さんは、ビジネス書はビジネスパーソン向けハーレクイ・ロマンスだと指摘します。ヒーローが書く本を読んでヒーローを目指すのではなく、束の間の時間ヒーローの気分を味わいたいというのです。従って、著者も手の届きそうな「なんとなく成功している人」が好ましいそうです。あこがれではなく、同一化対象。なんか、美空ひばりから天地真理(古い!)へ大衆の関心が移ったようなものでしょうか。その背景には、自分はヒーローにはなれない、なりたくないという閉塞感でしょうか。

 

もう一つの指摘は、かつて定番だった「いかに上司とつきあうか」といった人間関係に関する本から、自己啓発本へのシフトが起きているというものです。自己啓発は、潜在的に保有している才能を開花させましょう、そのためには自己改造しましょう、といった他者との関係ではなく、すべて「自分自身」に収斂していく傾向です。つながりを求めるよりも、自己の「能力」を求めるという姿勢です。自己責任論が関係性放棄の言い訳になり、そこから発する漠然とした不安を自己啓発本で癒しているという見方もできるかもしれません。しかし、その先には何が待っているのでしょうか。

 

 

三人の指摘は、どれも納得感がありました。日本のビジネス社会を映す鏡としてビジネス書を見ると、いろいろな発見が出来そうです。

尖閣問題で中国との関係が怪しくなっていますが、ニュースに出るのは、政治家/スポークスマンかデモに参加する庶民の姿ばかり。もっと別の層の人々の本音を聞きたい、そんなことを思っていたところ、友人の中島恵さんから、中央公論今月号に「中国の若者は日本をどう見ているか?というレポート記事を書いたとの連絡をいただきました。

 

インタビューされた若者は、日本をよく知るとびきりのエリートたちばかりです。冷静に日本や自分たちのことを見ているなあという印象を受けました。立体的に物事を見ることが、やはり大切ですね。

 

以下、コメントを抜粋します。

 

「日本の経済は確かに悪いと思うけれど、日本人のマイナス思考も問題。日本人は真面目すぎて、自分で自分を苦しめてしまう性格なのかもね」

 

「日本人はみんなお行儀がよく、会話では『そうですね』とか『はい』という相槌をよく打つのですが、本当に親密な関係になるには時間がかかる。最初は自分だけが距離を置かれているのかと思いましたが、日本人同士も互いに気を遣い合い、表面的な付き合いをしているように見えました」

 

「実際にこの目で見た日本は予想と少し違っていました。日本人は自然を尊重し、万物に神様が宿っていると信じている。『空師(そらし)』(高木に登り、枝下ろしや伐採をする職人)という専門職の話を聞いたときは感動しました。枝を見極めて伐採するとき、感謝の祈りを込めて塩とお酒を幹に撒くのです。この話を聞いて、日本に尊敬の念を持ちました。お祭りを大事にしたり、夏に女の子が浴衣を着て花火大会に行ったりするのもとてもいい習慣。日本はアジアの中で最も東方文化の伝統が残っている国だと思いました」


「それに引き換え、中国では文化大革命などによって文化に断層があり、街を見渡しても高層ビルが立つばかりで中国的な伝統文化は感じられません。経済発展のスピードが速すぎてじっくり本を読む時間もないのは、はたして幸せなことでしょうか。私たちが中国にいて清潔で安全な日常生活を手に入れるためには、かなりの対価を支払わなければならない。日本では当たり前だったり無料だったりすることなのに......。日本の景気が悪く日本人は暗く悲観的になっていると聞くけれど、冷静に物事を考える時間を持てるのは、よい面もあると思います」

 

「昔々、日本は中国から多くのものを学び成長しました。今、中国は日本からたくさんのものを学んでいる最中でしょう」

 

「外国人から見れば中国共産党に対してさまざまな意見もあるでしょう。でも、私の両親が幼いとき、中国は貧しくて食べるものすら十分に行き渡らなかった。今の中国はどうでしょう。中国共産党は国全体の生活水準をここまで上げることに成功しました。すばらしいことではないでしょうか。私も党員となり、国に貢献したいのです」

 

「みんなストレスまみれですよ。賃金は上がっているけれど物価も上がっているから生活は豊かじゃない。いつもイライラしている人が多い。〝拝金病〟を患うのはよいことだと信じている人もいる。昔貧しかった反動なのか、目に見えない魔物に追われるようにガツガツお金を貯め込んでいる。お金は不安に打ち勝つための『安定剤』なのかもしれません。飲み続けないと死んでしまうのです」

 

「今の日本ではチャンスの数自体が少ないし、国の成長が止まっているのですから、日本人が留学したくないという気持ちはよくわかります。だって、その先の明るい未来が想像できないんですから」


「でも、ひとつのゲームを三日間黙々とやり続けることができる日本人はすごいです。ただひたすらに、真っ直ぐ突き進んでいくのが日本人の特徴。一途だから日本人は強いし、逆にいえば、海外の文化や外国人の考え方を柔軟に受け入れられないのは一途であるがゆえ。頑固者だともいえますね。オタクという言葉は日本では悪い意味も含まれているかもしれないけど、世界では断然よい言葉。私は日本のオタク文化を研究してみたいと思っています」

 

「孫文の辛亥革命も失敗しましたが、中国の革命と比べて日本の革命はなぜ成功したのか。日本のどこがよかったのかを徹底的に学ばされました」

 

「以前、最高学府だった大学は貧しい者でも人生を一発逆転できるチャンスの場でしたが、九〇年代後半から政府が大学生数を急激に増やすよう方向転換した結果、雇用できないほどの大量の大学生を生み出し、大学が実利主義に走る結果となりました。今の中国も江戸時代同様、不満が鬱積していると思います」

 

「私はこれから『超国家』を研究テーマにしていきたいと考えていますが、日本も中国も、世界地図からは絶対に消えない国。今後、日中間にどんなことがあっても、どちらも引っ越しはできず、隣国として共存していかなくてはなりません。そのことをよく理解した上でお互いに尊重して付き合っていけたらいい。もちろん、付き合っていくのは国だけでなく、私たち、一人ひとりの人間です」

 

 

もっと複眼で隣国中国を知る必要があると同時に、日本のことをもっと客観的に理解しなければならないと実感しました。

予期せぬところから探していたものが見つかったときほど、嬉しいものはありません。たまたま古本屋で手にした「やきもの談義」(加藤唐九郎、白洲正子 著 1976年)は、そんな本でした。やきもの談義
白洲 正子 加藤 唐九郎
4833131021

 

加藤唐九郎はもはや伝説的な陶芸家であり、彼と白洲の対談なので、面白そうだとは思いましたが、想像をはるかに超える面白さ。話題がものすごい勢いで広がり、しかもそれぞれが異様に深い。そういう対談です。

 

例えば、加藤が戦略論を語っています。なんと彼は、昭和9年に陸軍参謀部の委員として、「日本戦史」の改訂に関わっているのです。そこで、戦略を学び「それから僕はだいぶ変わっちゃった」そうなのです。

 

戦争というもの、軍隊というものと政治というものと、経済、政治、文化というものは皆同じものであると。それが結局ね、戦争というものは戦術によって勝ち負けが決まるものであると。しかしそれに応えていくように決定するものは、戦略であると。

 

戦術というのは兵器が変わるたびごとに変わる。戦略というものは永久に変わらないものである、政治、経済、文化であると。戦術は軍隊でやっていけるが、戦略とは一般庶民と繋がっていかなければ出来ないものであるというふうに書いておるんです。

 

加藤は、利休を重用したり、美濃を開拓したくさんの窯を開かせたり、楽市楽座を実施したりと、文化・済政策を整え全国統一事業を推し進めた信長を絶賛しています。陶芸家の発言とは思えません。

 

経営戦略でも同じです。「いい製品を作れば売れる」では、単なる戦術です。いい製品が生まれ続けるインフラを、簡単には揺らがないインフラを社内においても、社外においても構築することが戦略だと思います。あらゆるところに強さの基盤となる関係性を築いておくのです。強い企業は、そういうインフラを備えています。

どんなに小さな組織であっても、リーダーに選ばれると世界が変わって見えるものです。収益責任、品質責任、育成責任など多くの責任を担うことになるからでしょうか?もちろんその要素も大きいですが、最近少し違った見方をするようになりました。

 リーダーとフォロワーの最大の違いは、その組織の「常識」を自らが形成するのか、それに従うかの違いだと思います。(ここでの「常識」とは、その組織内での「正しいこと」を指します。「メンタル・モデル」ともいえます)

 リーダーの行動や判断を基準にして、フォロワーは自らの常識を修正していきます。ミーティングにいつもリーダーが遅刻してくるとすれば、どんな理由があろうとも、その集団では「遅刻は許される」が常識になりますし、リーダーへの断りなしに他部門との連携を図ろうとしたことを咎められれば、「勝手に動くな。すべてリーダーを通すべし」が常識になります。フォロワーは、「自発的に動け!」というリーダーの明示的な言葉よりも、行動を常識の基準とするのです。そうして出来た常識が組織文化を形成し、結果として組織のパフォーマンスにも大きな影響を与えます。

 これはリーダーにとっては結構キツイ状況です(置かれている立場を認識していればですが)。多くの場合、本来の自分とは異なる行動を取る必要が出てくるからです。そのため、本当の自分とは異なる「仮面」をかぶることも必要になり、その仮面を通して世界を見ることを強いられます。だから世界の見え方も変わります。しかし、それがリーダーを成長させます。役職が人間を大きくするという言葉がありますが、それは仮面に実態を合わせていくプロセスのことなのだと思います。

 すぐれたリーダーは、形成すべき常識をいち早く理解し、それを促すような一貫した行動を取るようになります。進んで必要な仮面をかぶり、演じます。経営環境の変化が激しければ激しいほど、その能力が求められます。そういったリーダーの下で揉まれたフォロワーは、企業がこれから必要とする常識をつかみ取り、社内で重要な役割を担っていくことになるでしょう。

 

会社は社長の器以上には大きくならないといいますが、組織やチーム(当然フォロワーも)もそこのリーダーの器以上には大きくなりません。リーダーとはそれほど重い、しかしやりがいのある立場だと、あらためて認識する必要があると感じます。

 

 

日本企業も日本社会も、環境変化に適合させるための改革がなかなかできません。制度をいろいろいじったりはしていますが、一言でいえばそれに魂が入っていないので、浸透していかないのです。では、どうしたらいいのでしょうか?

 

日曜の日経朝刊にGE前CEOのジャック・ウェルチ氏のインタビュー記事が載っていました。米国経済低迷へのコメントでは、

ウェルチ.jpg

 

「解決策は『イノベート! イノベート! イノベート!』。起業家に自由を与え、政府は干渉しない。中小企業などに負担をかけるような規制はしくべきではない」

 

と述べています。アメリカですらこうなら、いわんや日本をや、です。イノベーションなくして、日本企業は生き残れないでしょう。

言に絞ってメッセージを強調する姿は現役時代と変わわず、明解です。

 

イノベーションを促すためには、

「イノベーションの創造に報いなければならない。報酬制度はもちろん、『彼らがヒーローなのだ』と称賛する企業文化を生み出さなくてはならない。もっと機会を与えて、社員を奮い立たせることが、今の経営者の大切な仕事だ」

 

また、現役経営者の評価を聞かれ、

「個々の現役CEOについて評価したくないが、一人だけ触れたい。米アップルのスティーブ・ジョブス氏だ。(中略)彼自身は類まれな人物だが、革新的な人材は育てることができる。チャンスに恵まれず、『ジョブス氏』になれていない人材を掘り起こすことだ」

 

こう答えています。企業が現在何を最重視するのかをまず明確にすることが必要です。その上で、それを体現する人、あるいは体現出来そうな人を徹底的にヒーローに仕立てることで、全社員の意識を変えることが経営者の仕事だと言っているのです。

 

論理を感情に訴えて実現するという、彼のマネジメントスタイルが明確に出ていると思います。多くの日本企業の経営において欠けているのは、この部分だと思います。理詰めの分析(情を加味した分析でなく)に基づいて経営の優先順位を決め、後は社員の感情をうまくコントロール(情に訴えたり、人事権という論理をかざすのでなく)してその実現を促す。変革とは、ロジックとエモーションの融合なくして実現はしないでしょう。それに全責任を負う、そういうリーダーが求められているのだと思います。

 

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