文化と芸術: 2018年12月アーカイブ

昨晩、和泉流狂言「狐塚」を観ました。(国立能楽堂の企画で、先月は同じ狐塚を大蔵流で観ました。ストーリーはほぼ同じですが、設定が微妙に異なりました)

 

簡単にストーリーを説明するとこうです。

 

今年は豊作。狐塚にある田を群鳥に荒らされては大変と、主人は太郎冠者に田にいて鳥を払うことを命じます。やがて真っ暗闇になり、一人っきりの太郎冠者はだんだん不安になります。狐塚というくらいで、そのあたりは狐が人間を化かすと評判だからです。

 

次郎冠者はひとりで番をする太郎冠者のことが心配になり、様子をみにいきました。真っ暗やみなので、「ほーい、ほーい」と呼びかけます。その声を聞いた太郎冠者は、いよいよ狐が化かしにきたと思い込み、恐ろしさのあまり、招くふりをして捕え縛り上げます。次に、主人も心配になり来ますが、同じように縛りあげられてしまいます。

 

恐ろしさのあまり二人とも狐だと信じ込んだ太郎冠者ですが、やがて二人の反撃をうける・・・という話です。

 

いたってシンプルな話ですが、人間の本質を的確に描いているといえるでしょう。人間は想像しなくてはいられない生き物です。だから、一人ぼっちでしかも真っ暗で心細いと、すべてが悪い方に想像してしまうのです。防衛本能がはたらくのかもしれません。

 

そうなると合理的な判断はできなくなります。様子を見にきた太郎冠者と主人の姿が本人そのものに見ても、よくぞそこまで化けたものだと、逆に警戒心を高めてしまいます。

 

こういうこと、よく聞きませんか?私がすぐ思いついたのは、自分が三顧の礼で連れてきた後任の社長を、二人続けてクビにして、自分が社長に復帰した某社の創業者二代目です。彼はひとり暗闇を心の中に抱え、不安でしかたがないのでしょう。だから、自分が連れてきた後任社長が狐に見えて、自分を騙しているのではと思いこんでしまう。外から来た社長は、誠意をもってその二代目と話し合ったかもしれません。でも、誠意を示されればされるほど、「うまく化けた」とますます警戒心を高めてしまう。

 

こういうことは、この会社のみならず、いたるところで起きているのではないでしょうか。

 

室町時代から人間の本質はまったく変わっていない。よくぞ、600年も前の狂言作者は、そうした人間の本質をシャープに切り取ったものだと、あらためて感心します。すごいもんですねえ。

先週の土曜日、東京芸術劇場でのエル・システマ ガラコンサートに行ってきました。エル・システマとは、1975年にベネズエラで設立された組織で、子供たちがオーケストラやコーラスに参加することで、音楽を学び、集団としての協調性や社会性を育み、コミュニティとの関わりをつくることを目的としています。日本では、東日本大震災をきっかけに2012年に設立されました。福島県相馬市、岩手県大槌町、そして2017年には長野県駒ケ根市と東京でも活動を開始。そうした活動の、いわば発表会がこのガラコンサートです。

 

第一部は、相馬子どもオーケストラ、大槌子どもオーケストラ、駒ケ根子どもオーケストラの合同演奏会です。ベネズエラから、エル。システマの先輩でもあるデュダメルに師事した21歳の指揮者エンルイス・モンテス・オリバーさんが来日し、指揮しました。想像以上に上手で、子どもとは思えないほどの演奏。特に、バイオリンソロの半谷くん(高一)は、なかなかのテクニックでした。

 

第二部は、昨年に続き東京ホワイトハンドコーラスの子どもたちによる演奏です。ホワイトハンドコーラスとは、聴覚障害や自閉症、発声に困難を抱える子どもたちが、音楽に合わせて白い手袋でパフォーマンス(手歌・サイン)するものです。歌詞からサインを作るのも子どもたちです。声を出さなくてもコーラスができるという、素晴らしい発想ですね。

 

今年は、こうした「サイン隊」に「声隊」が加わりました。声隊は、視覚障害で目が見えない子どもたちです。舞台向かって右側にサイン隊が並び、左側に声隊、舞台左端に伴奏ピアノの配置。それぞれの隊に、指揮者の先生がつきます。

 

視覚障害の子どもたちは、ピアノの伴奏に合わせて大きな声で歌い、その声を受けた指揮に合わせて聴覚障害に子どもたちがサインでコーラスを奏でる。奇跡的なコーラスだったと思います。何よりも、どちらの子たちも楽しそう。でも、ここに至るまでは相当の苦労があったと思います。支える人たちには頭が下がります。( サイン隊と声隊の合同練習の動画をみてみて下さい。)

 

眼が見えないからできないのではなく、伴奏を聴いて歌ってサイン隊を導く。また、聞こえず声がうまく出せないからコーラスできないのではなく、指揮に合わせて体で歌を表現する。そのパフォーマンス観客に伝わり、それが指揮者や伴奏者にもフィードバックされ、さらにコーラスに反映されていく。

 

無いものを嘆くのではなく、あるものを活かして全体に貢献する。それがこのホワイトハンドコーラスの意味だと思います。そうしたプロセスに参加することで、誰もが楽しみや喜びを感じることができる。こうした姿に共感しない観客はいません。人類は、補い合い支え合うことで生きのびてきました。その本性が、こういう場面には意識せずとも発露してくるような気がします。

 

普段は忘れてしまいがちな、こうした本能を思いださせてくれる、貴重な機会でした。

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