2018年7月アーカイブ

最近最も注目されるM&A交渉は、富士フィルムによるゼロックスの買収案件でしょう。当初はすんなりいくかと思いきや、ゼロックスの大株主アイカーン氏の反対でこじれてきています。友好的なMAだったはずが、敵対的なM&Aになりつつあるという状況。

 

今後どうなるかは予断を許しませんが、富士ゼロックスの存在がキーになることでしょう。富士ゼロックスは1962年、富士フィルムとランク・ゼロックスの50%ずつのJVとして設立されました。当初は、ゼロックス製品をアジアで販売する販社でした。しかし、徐々にキヤノンなど競合日本メーカーが現れ、日本市場に適応した製品が求められるようになり、富士ゼロックスも生産機能に加え、製品開発機能も備えるようになっていきました。

 

富士ゼロックスの商圏はアジア地域に限定されているため、アメリカやEUの市場では販売できません。しかし、ゼロックス本体の製品では欧米市場ニーズに応えることが難しくなり、ゼロックスは富士ゼロックスから製品の提供を受けて欧米市場に販売していくようになります。

 

徐々にゼロックスの経営は厳しくなり、2001年ゼロックスは所有する富士ゼロックスの株の25%分を富士フィルムに売却します。これで、富士ゼロックスの株式は、75%を富士フィルムが、25%をゼロックスが保有となりました。

 

そしていよいよ今回の一連のM&A騒動は、名門ゼロックスを富士フィルムが完全買収する計画です。交渉決裂した場合、ゼロックスと富士ゼロックスとの契約が解除され、袂を分かつ可能性もあります。

 

問題はゼロックスが富士フィルムとの関係を断って、単独で生き残れるかどうかです。ゼロックスは富士ゼロックスから製品を入手できないならば、と競合であるコニカミノルタやリコーに納入の打診をしたが断られたとの報道もあります。断られるのは当然でしょう。

 

一方、富士フィルムは、これまで販売できなかった欧米市場に富士フィルムのチャネルを使って、富士ゼロックス製品を販売できると豪語しています。ゼロックスはアジア市場にチャネルを持たないだろう、と添えながら。複写機はフィールドサービスが重要なので、容易には新規市場には参入できません。

 

ここまで富士フィルムが強きに出られるのは、相対的に強力な製品を持つ富士ゼロックスの株式を75%押さえているからですが、そもそも富士ゼロックスが単なる販社から組織能力を高めて、現在のメーカーとしての競争力を獲得したことが極めて大きい。さらに、JV設立時には市場として魅力が小さかったアジア市場が急成長し、一方でその反対に欧米市場は縮小を続けるという逆転現象。遅れたアジア市場を割り振られた富士ゼロックスにとっては、怪我の功名でしょう。

 

しかし、なぜ富士ゼロックスはいわば師匠を超えるような組織能力を獲得できたのか、ずっと不思議でした。そこには、日本の製造業が磨いてきた「現場発の経営革新」の存在があったと、本書を読んで知りました。QCとか現場主義といえばトヨタですが、他にもその能力を磨いてきた企業があった。

 

本書「現場主義を貫いた富士ゼロックスの『経営革新』」は、日本企業が強かった秘密を、具体的に教えてくれる名著だと思います。過去形を現在形にするための、ヒントがたくさんあります。

現場主義を貫いた富士ゼロックスの"経営革新"―品質管理、品質工学、信頼性工学、IEの実践論―
土屋 元彦
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対話的教養の実践

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東京大学が社会人のリーダー育成機関として開設した6か月間の エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMPがこの10月で十周年を迎えます。開設時からその存在は知っていましたが、内容についてはよく知りませんでした。本日、東大EMP特任教授の高梨さんとお話する機会があり、初めてそのユニークさを理解しました。いわゆるビジネススクールとは全く異なり、最先端の教養・知恵に重点を置いています。

 

近頃、ビジネスパーソンの間で「教養」が一種のブームになっており、幹部研修で取り入れている企業も増えつつあるようです。そこでは、その分野の権威と目されている先生が、確立された専門知識を受講者に講義し伝えます。それとも全く異なります。

 

東大EMPでは、その分野の第一線の研究者が講師を務めることは同じでも、現在進行形の研究成果や、まだわかっていないこと、研究上の限界や悩みなどを話すそうです。完成された知識を伝えるのではなく、講師の現在進行形の研究活動をさらけ出すのです。普通、大学教授も務める研究者は、未完成の研究成果を広く開示することには強い抵抗感があります。しかし、東大EMP内限定ということで、講師にはそれを期待しているそうです。

 

つまり、知識としての教養を伝授するのではなく、その研究者が日々悩み苦闘している姿から、知を創造する何らかのメカニズムを受講者に掴み取ってもらうことを目的としているわけです。これはホンモノの教育です。

 

講師のレクチャーの後で、受講者との質疑応答がなされますが、そこにこの教育のエッセンが垣間見えます。当初は、なかなか質問ができません。できたとしても、質問者が持つ思考の枠組みの中で質問をするため、どの業界出身なのかすぐわかってしまうそうです。銀行員は銀行員らしい、役員は役員らしい質問しかしない。講師の思考枠組みと質問者の思考枠組みが少しでも噛み合えばいいですが、そうでなければ、全くすれ違ってしまう。

 

しかし、二ヶ月くらい経つと、質問内容が明らかに変わってくるそうです。質問者は、講師の思考枠組みを理解した上で、それに沿って質問するようになる。さらに三ヶ月目くらいになると、東大EMPが想定したレベルで質疑応答ができるようになる。質問者は講師の思考枠組みの範囲を理解しているのは当然ですが、さらに講師の研究対象の外にあるにも関わらずその研究と関連を持つと考えられることに関する質問をするようになる。講師はどうしても狭い専門分野を深く掘り下げるため、その外にはなかなか想いが至らない。その急所を質問者が突くわけです。

 

講師は、はっとさせられる。講師自身も発見があるのです。こうなると、どっちが先生かわからなくなる。

 

高梨さんは面白い表現をしていました。

開始当初は「雀の学校」。

 

チイチイパッパ チイパッパ

すずめの 学校の 先生は

ムチを 振り振り チイパッパ

生徒の すずめは 輪になって

お口を そろえて チイパッパ

 

三ヶ月も経つと「めだかの学校」になる。

 

めだかの 学校の めだかたち

だれが 生徒か 先生か

だれが 生徒か 先生か

みんなで 元気に 遊んでる

 

 

ここで行われる質疑応答が日常でもできるようになれば、あらゆることから学ぶことができるようになることでしょう。「対話」とは、本来そういった思考とコミュニケーションの作法なのだと思います。ソクラテスではありませんが、ホンモノの教育は、対話によってなされるのです。


そういえば、6/19に大澤聡氏の以下の言葉を転記していました。

少し変形してその文脈に接続させる、これも教養のひとつのあり方だと思う。僕はそれを「対話的教養」と呼んでいます。


まさに三か月目以降の質問は、対話的教養を実践している。東大EMP,恐るべし。羨ましい限りです。

 

PS.数多くのセッションの中で人気高いのは、哲学と高梨さんが担当する天文学だそうです。

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