文化と芸術: 2009年11月アーカイブ

優れた芝居とは、観る者を癒やす効果があるようです。癒しといっても、いわゆる「癒し系」の癒しとは違います。

 

「癒される」ということは、「自分だけじゃないんだ。みんな同じで、実は深いところでつながっているんだ。」という感覚になることだと思います。そういう時に、力が抜けると同時に、心の緊張が少し解けて、心が少し膨らんだような感覚を味わいます。

 

先日観た芝居でも、その感覚をしっかり味わいました。三ヶ月に一本必ず公演する加藤健一事務所の、「高き彼物」という芝居です。

  高き彼物.jpg 

過ちを犯す→隠す→罪悪感に苦しむ→告白

 

このプロセスを経る三人の男性と、それを見守る二人の女性が中心の登場人物です。物語は、この三つの秘密がからみあいながら進みます。

 

人は誰でも過ちを犯し、多くの場合にそれを隠し、そして苦しみます。だれでもそんな出来事の一つや二つを抱えていることでしょう。そんな自分にあきれたり、嫌いになったり。それを責めるのは簡単です。でも、責めたところで、どれだけの意味があるでしょうか。罪悪感に苦しむからこそ、ひとに優しくなれることもあるし、ひととつながろうとするのかもしれません。

 

 

演劇の力は、正論を押しだして説教するのではなく、共感を与え、癒しを感じさせ、結果として心の持ち方に少しだけ影響を与えることなのではないでしょうか。やはり、映画などの映像以上に、生身の人間が眼の前で語ることによって、こちらの心にダイレクトに入ってきます。

 

 

この物語は、三人とも告白をすることによって癒され、また新たな歩みを始めます。多くの観客も私同様、また歩み始める力を、少なくともその時はもらったはずです。

 

 

私も、この芝居を観て、自分のこれまでのいろいろな出来事を振り返りました。反省するというのと少し違います。そして、「自分も過去から延々と続く人間の一人にすぎない。特別でもなんでもない、他の人と同じなんだ。」漠然とですが、そういう大きな存在の中に、自分を位置付けたような気がします。

 

 

小泉.jpg同一化できる演劇に出会えることは、大きな喜びです。ぜひ、ご覧になってみてください。演者の一人、小泉今日子さんの、すっとした立ち姿の美しさ、それを観るだけでも十分満足できます。

一昨日、移転なった山種美術館へ、「速水御舟展 -日本画への挑戦」を観にいきました。

 
速水.jpg 

 速水は40歳で早逝した天才ですが、その短い画歴の中で、何度も新しい試みを行っています。評価された自分のスタイルに安住する気など、さらさらないかのように。

 

こんな言葉を残しています。

 

「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。(中略)登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である」

 

すごい言葉だと思いませんか。登った頂きに満足するのが、ほとんどの人間だと思います。あえて、そこから降りる勇気、そして再び登り返す勇気、これを本当の勇気だというのではないでしょうか。

 

失敗したから、もう一度挑戦するという勇気、これも貴いものですが、彼はそういう明らかな失敗はしていません。失敗していないにも関わらず、評価された自己をいったんご破算にして、新たな道を切り拓こうとするのです。これは、安定や高い評価、実績を失う可能性もあるわけですから、いわゆる再挑戦よりさらに難しいことだと思います。

 

しかし、彼にとってはそういう安定や名声など、どうでも良かったのでしょう。そんなものよりも、常に描きたい理想の絵があり、それを追求せざるを得なかった。これは、常に葛藤を抱えることになり、苦しい道でもあったはずです。だからこそ、勇気が必要なのです。

 

晩年、夫人に、「これからは売れない絵を描くから覚悟しておけ」と告げていたそうです。

 

速水の絵は、単に美しいだけでなく、意思と勇気、そしてそれから滲みだす凄みが感じられます。そんな速水の絵から、勇気と励ましをもらった気がしました。

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