文化と芸術: 2009年9月アーカイブ

状況を変化させるには(正確に言えば周囲と自分の関係性を変化させるには)、自分を変えるか周囲を変えるかしかありません。

 

「相手を変えるより、自分を変える方が簡単だ」とは、よく言われる人生訓でしょう。しかし、つい自分中心に考えてしまいがちです。自分を固定し、周囲が悪いからと言い立ててしまいます。頭では、そうではないとわかっていても、なぜか「気づけ」ないのです。

 

アートは、全く異なる切り口から、自分自身への気づきを与えてくれることがあります。

 

先日の瀬戸内旅行での直島での経験です。直島に、南寺というアート作品(というか建物)があります。建築は安藤忠雄設計ですが、作品はジェームス・タレル作です。彼は、光の芸術家として有名です。光を様々に見せて、観る人に刺激をもたらします。

南寺.jpg 

彼の多くの作品は、外光や電気の光を切り取り、見せるわけですが、南寺では逆に一切光を遮断し、真っ暗な室内に観客を入れるのです。全く光のない映画館に入れるようなものです。観客は、最初の5分はベンチでじっと座るよう指示されます。本当に何も見えないので、そうせざるをえません。

 

やがて5分経過すると、何となく少し見えてきます。目が慣れてくるのです。そこで、正面に歩いて行くことを促されます。恐る恐る歩くと、向こうに白いスクリーンのようなものがおぼろげに見えてきます。皆同じように見えてくるようで、「白いものがあるぞ」などといった声があちこちで聞こえてきます。

 

その後、Uターンして入ってきた入口を、それぞれ戻っていくよう指示され、だいぶ見えてきた目で、今度は安心して出ていくのです。

 

これだけの作品ですが、すごい刺激を受けました。普段は、変化する外部の光を眼で捉え、それが脳に伝わって感じるわけですが、ここでは反対に、外部は一切変化しません。自分の眼が変化し、その結果外部が姿を変えていくのです。外部の光と自分の関係性がひっくりかえっても、変化をすること(徐々に形が現れること)自体は同じように起きるのです。

 

自分が変わればいいんだ、変わるようにできているんだ、と妙に納得したのです。いつのまにか「自分ではなく周囲が変わるべきだ」と思いこんでいたことに気づかされたのです。

 

 

その二日後、夜の露天風呂で5歳くらいの男の子が、夜空を見ながら叫びました。

「おとーさん。おとーさん。最初一つだった星が、じっと見ていたら、その星の周りにどんどん星が増えていったよ。すごいよー」

 

広島県福山市の鞆の浦に行ってきました。ご存じの方も多いと思いますが、江戸時代の港が奇跡的に残されている港町です。現在その湊の一部を埋め立て架橋を建設する計画があります。反対運動も盛んですが、どうなるかわからないため今回足を延ばしてきたのです。

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古代から海の交通の要衝で、大伴旅人、平家から始まり坂本竜馬、三条実美まで、さまざまな逸話には事欠きませんが、それは別の機会に譲るとして、最近の宮崎駿のエピソードを書きます。今日、聞いたばかりの話です。

 

最近アメリカでも公開された作品「崖の上のポニョ」の構想を、宮崎監督は、この町の海に突き出た崖の上にある、知人の別荘に二ヶ月間滞在し練ったそうです。今日、その別荘も観てきましたが、眺 ポニョ.jpgめの良いとても素敵な場所です。

 

構想を固めた監督は、映画スタッフ200人余りを鞆の浦に集めたそうです。きっと、そのあたりの風景を見せたかったのでしょうが、それだけではありませんでした。

 

港を見下ろす山の中腹に、沼名前神社があります。そこには、豊臣秀吉が伏見城に造らせた能舞台(重要文化財)が移築され、残っています。その伝統ある能舞台に、監督は近隣からお神楽の一座を招き、実際に奉納神楽を舞ってもらったのです。

 

今日その舞台にも行ってきましたが、使用していない時は板ですべて覆い隠すということで、舞台は全く見えませんでした。そこを一晩借受け、スタッフ200人のためだけに、本物の神楽を舞わせたのです。(一部の地元民はその御相伴に与ることができたそうで、そのうちの一人の方から直接伺った話です)

 

直接、映画と御神楽は関係ないと思いますが、映画の舞台(?)となる鞆の浦の町や海、風土をスタッフに理解させるには、きっと欠かせないことだと宮崎監督は考えたのだと思います。

 

そういえば黒澤明監督は、江戸時代の長屋を舞台とする映画を撮る際、当時人気絶頂だった古今亭志ん生を撮影所に招き、一席噺してもらったそうです。

 

 

どちらも、大変贅沢なことで、効率重視では、絶対できないことです。しかし、フィルムには、本物を見せた影響が何らかの形で現れているのでしょう。本物を創るには、本物の力が欠かせないのです。

 

単純なビジネスベースでは難しいことですが、本物に触れた時間の蓄積というものは、長い目で見たら、人の成長に大きな効果があると思います。

 

効率に振り回されないで、「眼」に栄養をやることも、忘れないようにしたいと思います。

 

 

昨日の  「爆笑問題の日本の教養」で、坂本龍一さんが音楽についてこう語っていました。(記憶によっています)

坂本.jpg 

2001年の9.11の時NYにいたが、しばらくは体が強張ってしまったようで、音楽に近づきたくもなかった。しかし、ある仕事の締切に迫られ、いやいや作曲を始めた。すると、音楽によって体が溶けていくことを体験した。」

 

「音楽には、計り知れない力がある。それがいい方向で活かされればいいが、ヒトラーに利用されたワグナーの例にもあるように、国民をある悪い方向へ誘導する力もある。優れた音楽はあっても、いい悪いの方向づけ自体は音楽にはない。だから、作曲する時も、すごく神経を使っている」

 

 

また、国立近代美術館の  「ゴーギャン展」に行き、名作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこにいくのか」をじっくり鑑賞しました。

我々は・・・.jpg 

生と死、智恵と無垢について、一人の個人、その時代のタヒチの人々、そして人類の次元で、時間と空間を超えて壮大に表現されていると感じました。言葉で書くと陳腐ですが、絵画はその深淵な宗教的かつ哲学的な感情をたった一枚で表現できるのです。何万字を使っても表現できなかったことを、たった一枚の絵で表現できることは、すごいことです。

 

また、これを描くに至ったゴーギャンの体験と思考の変遷に思いをはせると、何とも言えない思いがします。

 

 

坂本さんも言っていましたが、人間は言語を持たない時間のほうが遙かに長く、それまでは音楽的なものや、絵画的なもので交信していたはずです。そっちのほうが、はるかに我々のDNAに馴染んでいるはずなのです。

 

所詮言語とは、最近使われるようになった、便利ツールにしか過ぎないのかもしれません。

 

アートというとすかしたイメージがあるかもしれませんが、アートは、長い人類の歴史を経て、我々ひとりひとりの根底に染みついている「何か」に作用することができる、物凄いパワーを持っているのだと思います。

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