文化と芸術: 2011年7月アーカイブ

俳優の原田芳雄さんが昨日亡くなりました。実は3年くらい前まで、あまり俳優としての原田さんに注目してきたわけではありませんが、あることをきっかけに私にとってはちょっと気になる俳優となっていました。

 

 

200853日、長野県大鹿村で300年続く大鹿歌舞伎の春公演を初めて観ました。そこで地元住民が演じる役者の演技と、三味線と大夫を同時に務める登大夫さん、そして何よりおひねりが飛び交う観客と一体となった雰囲気に強く惹かれました。その後、翌年と今年の3回見物しています。(09年はブログにも書きました)

 

その最初の年、公演が終わるとすぐ観客席の後ろから促されるようにして舞台下に現れたのが原田さんでした。(その年原田さんは、大鹿歌舞伎にも触れたNHKドラマに出演し、その縁で来られていたのだと思います)観客席後方に座っていた私にも、原田さんが感動に打ち震えているのがわかりました。そして、うわずった声でこう叫びました。

 

「ここに芝居の原点を私は見つけました。これまで私がやってきた芝居なぞ、足元にも及びません。本当の芝居を教えてもらった思いです。ありがとうございました」(あいまいな記憶ですが・・・)

 

そのセリフは決してお世辞などではなく、心の底からほとばしり出てきたことばでした。私は本当にこの人は芝居が好きなんだなあ、とそのことに感動したほどです。

 

 

そして今年の53日、再び舞台の下に原田さんの姿がありました。今度は

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、大鹿村を舞台にした映画の企画兼主演して、監督(阪本順治)や共演者(岸部一徳、大楠道代)を従えていました。原田さんが登場すると観客席から、「いよー、大物!」との掛け声。2週間、村に寝泊まりして撮影した原田さんらは、すっかり村民となじんでいました。そのときの雰囲気に、どうみてもこの映画は監督より原田さんの映画だとわかりました。

 

4人が順番に挨拶しました。最後の原田さんは、3年前初めて大鹿歌舞伎を観て感動したこと、その時大鹿歌舞伎を題材にした映画を撮りたいとおもったことをゆっくり語りました。その希望がかない、こうして歌舞伎の舞台の下でそれを発表できることが、本当に嬉しそうでした。(直前に、村での試写会を行ったようでした)しかし今思えば、うれしさの割には、少し元気がなかったように思えます。

 

試写会.jpg

そして、先週の土曜、その映画 「大鹿村騒動記」は封切られまし

711日の試写会に車椅子で舞台に立ったのが、後の公の場での姿でした。大鹿村にも悲しみが広がっているそうです。

 

 

まだ映画は観ていません。封切りを楽しみにしていたのに、まさか観る前に亡くなってしまうとは、本当に残念です。ただ、勝手な思いですが、原田芳雄という一人の俳優の最後の仕事に、少しだけ立ち合えたような気がしています。

 

遺作というフィルターを通してしまうとは思いますが、原田さんの思いを感じながら映画を大いに楽しんでこようと思います。


心より冥福をお祈りいたします。

7/26(土)2030から何と三時間にわたって、草間彌生の特集世界が私を待っている「前衛芸術家 草間彌生の疾走」)がNHK-BSプレミアムで放送されました。

kusama.jpeg

 

彼女の水玉模様の作品をご覧になった方は多いと思いますが、現在のアーチストとしての生の姿が描かれていました。もう40年近く精神病院から近所のアトリエに通う(その逆ではありません!)姿は、驚きを通り越して神々しさまで感じてしまうほどです。

 

もう84歳になるというのに、その欲望は衰えません。「もっとたくさんいい作品を描かないとピカソやミロを超えられないわ」と、世界巡回展のための百連作を描き続けます。彼女は本気で、ピカソを超えるつもりです。

 

そう語った直後に、アシスタントに尋ねます。「ねえ、カレーはまだ?」このギャップこそが草間彌生。

 

また、ロンドンの契約ギャラリー(超老舗)のオーナーにこう言います。

「なんかスタッフが、もう少し値段が上がんないかなと言っているだけど・・」

こう彼女に直接言われたオーナーは、了解せざるをえません。表面的にはスタッフの要望にしていますが、彼女以外の誰がそんなことを考えるでしょうか。

 

創作中も、驚くほどスタッフに意見を聞いていました。「ねえこれ、これでいいと思う?」「もっと、こうしたほうがいかしら」でも、スタッフはYESという以外にありません。自分自身で全て決めているにもかかわらず、それだと不安なので同意を求めているのでしょう。それはわずかに身につけた処世術なのかもしれません(岡本太郎も晩年は敏子に同意を求めていたそうです)。そんな草間は、ちょっとかわいらしくも見えました。

 

彼女は、作品を創造し続けなければ生きられないと語ります。もし、創造できなければ自殺していると。それは本心だと思います。生きることとは創造することであり、創造するからには一番でなければ満足できない、そしてその指標は「値段」である、この考え方は非常につらく厳しいものといえるでしょう。人間、そこまで自分を追い込めるものではありません。

 

 

 

84歳にもなってそこまで追い込まなくてもと凡人は考えるのでしょうが、彼女の場合84歳にもなっているのだから、残されたわずかな時間で極みを目指さなければ意味がない、そう思いつめエネルギー源としているようです。きっと、そういう生き方しかこれまでもこれから先もできないのだと思います。

 

彼女が世界で高く評価されているのは、そういった生き方やエネルギーが作品に込められているからなのでしょう。

 

草間の眼は岡本太郎の眼に似ています。外野の視線には全く関知せず、自分自身を生き抜く人に共通の眼なのかもしれません。草間彌生という存在自体が既に芸術作品になっています。

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