その他の最近のブログ記事

バンクーバーオリンピックも終わってしまいました。今回のオリンピックで、多くの方の印象に強く残ったシーンは、女子フィギュア浅田選手のフリー直後のインタビューではないでしょうか。

 

「オリンピックは、長くて短かったです」と答えた後、溢れる涙をおさえることは、できませんでした。

 

そこで、私たち視聴者は、浅田選手の悔しさを一瞬にして知ったのです。では、彼女の悔しさをわかったのか?「わかる」と「知る」では、どう違うのか。そんなことを考えてしまいました。

 

こういう場面での「わかる」とは、共感を意味するように思います。友達の深刻な悩みを聞き、「お前の気持ちはわかるよ」という場面と同じです。

 

浅田選手の悔しさを、情報として「知る」ことは容易ですが、深く共感するには、想像力と自らの経験の量が必要でしょう。

 

 

「わかる」にも、もう一種類あります。先日、引っ越しをしたのですが、そこで作業してくれた引越し業者の手際の良さに、久しぶりにプロの仕事を見た気がしました。

 

引越し先に先回りして荷物が到着するのを待っていた私に、その引越し屋さんは、到着するとすぐに部屋に入り聞きます。「先ほど搬出した荷物の配置を教えてください。」私は、事前に配置をある程度決めていたので、細かく指示しました。私は荷物をすべて理解しているし、配置も決めているからいいのですが、彼は私の指示がわかるのか正直不安でした。正しく理解していないと、運びこむ順番を誤り、手間が大幅にかかってしまいます。しかし、一度説明しただけで、「わかりました」と事もなげにいい、頼りなさげなバイトに細かい指示を出しつつ、ほぼ完璧な順番で運びこみ、配置を終えたのです。迅速でした。資料なんかありません。

 

 

彼の「わかりました」は、対象物、プロセス、出来上がりイメージ、すべてが頭の中で出来上がっており、その通り実行できることを意味しました。つまり、行動に結びつく「わかる」です。

 

他にも「わかる」は、「分かる」「解る」「判る」などいろいろな漢字があり、微妙にそれぞれ意味が異なるのでしょう。

 

「知る」や「わかる」をどういう意味で使っているのか・・・、コミュニケーションって難しいですね。

 

ここまで書いて、「知る」にも実はいろいろな意味があるのではと思いだしてしまいました。また、こんど考えてみます。

新年明けましておめでとうございます。

 

 

普段あまりTVは観ないのですが、年末年始はわりにたくさん観ました。といっても、ほとんどがNHKです。

 

関口知宏さんが、海外でユニークな活躍をしている日本人を訪ねる「ファースト・ジャパニーズ」という番組(再放送を数話連続放映)を二話観ました。スイスで切り絵のアーチストとして活躍しつつある主婦と、モロッコで花屋を始めた方でした。

 

いずれも三十代の女性です。ステレオタイプ的には、女性のほうが会社組織などに縛られないため、自由な生き方をする人が多いということはあるかもしれません。

 

たぶん昭和30年代くらいまでは、女性のほうが束縛が多く、自由な生き方ができなかったでしょう。それが、いつのまに女性のほうが自由になったのか。

 

 

かつての社会的束縛は、「家」に付随するものでした。それがその後「会社」に変わったのです。家に縛られていた女性は、それから解き放たれましたが、だからと言って会社に束縛されているわけではないようです(もちろん人によりますが)。一方、男性は、まだまだ「会社」の束縛が強い気がします。「家」は秩序を、「会社」は安定を保証するのだとの前提があり、男性はまだまだ安定を志向しているのでしょう。

 

 

モロッコで花屋を営む女性は、三十歳になろうとしている自分はこのままでいいのかと、会社や結婚、将来のことなどで悩みながら、モロッコの海岸の町に辿りつきました。たまたま入った骨董屋の主人と話し込み、その不安を口にしたところ、「それなら、この町に住んで自分で何か始めればいいじゃないか」と言われて、目が覚めた思いがしたそうです。

 

彼女も、当然のように「あるべき日本の三十代前半の女性像」に縛られていました。それが悩みの背景にありました。しかし、その前提自体を、深く吟味・検討したことはなかったのでしょう。だから、その前提を全く考慮しない骨董屋の主人の言葉が、彼女に気づきをもたらしたのだと思います。

 

もし同じような境遇の男性が、彼女と同じような出会いをしたとして、どう感じたか・・・。やはり、一般的には女性のほうが、残念ながら一歩も二歩も先に行っている気がします。

 

 

思い込みやマインドセットを変えることは、言うまでもなく難しいことです。ある時期には、それが有効だったのですから。しかし、状況は確実に変わります。それに気づくのに、時間がかかるのです。

 

あまり長い時間をかけずに思い込みをはずせる人が、「軽やかで、しなやかな人」なのでしょう。

 

 

今年は、「軽やかに、しなやかに」暮していきたいと、彼女たちを観て思いました。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちその他カテゴリに属しているものが含まれています。

次のカテゴリはヒトの能力です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

2010年3月: 月別アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1