文化と芸術: 2011年2月アーカイブ

雪がちらつく11日(金)の夜、映画 「死なない子供、荒川修作」を観てきました。上映後は、山岡監督と本間桃世さん(荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所代表)のトークショーもありました。

 

 

荒川さんは惜しくも昨年5月に亡くなりました。私にとって、これまで荒川さんは同時代のアーチストというよりも、一風変わったげーじつ家(失礼!)という印象でした。作品のいくつかは目にしたことはありますが、正直よくわかりません。アメリカではものすごく有名なアーチストだとの知識はありましたが。

 

荒川さんの言動の超人的なところは、いろいろ耳にはしていました。そして、この映画で扱われている天命反転住宅にも、本間さんに誘われ完成早々出かけました。それでも、まだ、何者なのかはよくわかりませんでした。でも、この映画を観て少しだけ(ほんと

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に少し

ですが)わかったような気がしました。

 

天命反転住宅は死なないための家です。死なないとはどういうことか。もはや荒川さんは亡くなってしまったので真実はわかりませんが、私が感じたのはこういうことです。


人間は肉体を仮の宿として一時的に借りているだけ。しかもその肉体がその人なのではなく、肉体にある「何か」と周囲の「関係性」がその人である。つまり、人間は生物、無生物含めあらゆるものと交信していることで存在している(量子力学っぽい)。交信できることが生きているということ。逆に言えば、一見生きている人間も、その交信能力が衰えてしまえば死んでいる。現代の人間は、その交信能力が衰えている。五感を研ぎ澄ますような生活をしていないからだ。したがって、研ぎ澄まさざるをえないような環境に身を置けば、真に生きることができる。そのための環境装置が天命反転住宅なのである。

確かに、その住宅の中の床といい壁といい、安楽な生活とは程遠いものでした。でも、だからこそ生きる力が湧いてくるようにも感じました。山岡監督は、入居後花粉症が治ったそうです。またそこで生まれた女の子は、一歳くらいで立派な土踏まずができていました。監督が最後に言った言葉が印象的でした。彼は入居後、荒川さんの本「建築する身体」を読んだものの、さっぱり理解できなかったそうです。でも、そこで暮らすようになって、だんだん体の感覚が変わってきたそうです。

 

「自転車に乗るのと同じです。自転車の乗り方の手引書を読んでもさっぱりわからないでしょう。でも、いったん乗れるようになったら、書いてあったことが簡単に理解できます。それを言葉で表現すると、やっぱり手引書に書いてあったようにしか言えません。それと同じ感覚です。体で理解したのです。」

 

「体がどう変わったか。体の中の隅々に電話が開通した感じです。例えば、肩こりは肩に問題があるのではなく、股関節に原因があるとわかるようになった。そんな感じです」

 

 

人間存在の意味まで作品(というにはスケールが大き過ぎますが)にしてしまった荒川修作とは、やはりすごい人でした。亡くなる前に、お会いできなかったことが、今さらながら残念です。この映画を観て 天命反転住宅を訪れると、何かのスイッチが入るかもしれません。(体験ツアーもあります)

 

しかし、こういう人知を超えた人、超人をとくに日本という狭い社会で支えてきた本間さんは、大した人だとあらためて感じ入りました。

建築する身体―人間を超えていくために
荒川 修作 マドリン ギンズ Madeline Gins
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