文化と芸術: 2009年5月アーカイブ

普段、中国や韓国から歴史問題で非難を浴びることに慣れているためか、日本は世界の嫌われ者なんじゃないかと思ってしまいがちです。

 

 

キューバでのハバナビエンナーレから戻った友人から、キューバは親日的だと聞き、ちょっと驚きました。アメリカと一体と見られてもおかしくないのに。

 

彼女は2000年に続く二度目の訪問でした。以下、彼女の話です。

 

キューバ人は、日本が戦争で焼け野原になっても、不屈の精神で急速な発展を遂げ、経済ではアメリカを脅かすまでになったことに驚きと尊敬の念を持っているようね。

 

2000年当時、カストロが、サトウキビの大増産を奨励した有名な演説をした。その中で、「イチ」の精神を見習って精進しようと国民に呼びかけたそう。イチとは、座頭市のこと。カストロは、盲目でも強いサムライ(?)座頭市の大ファンだった。

 

町の人は、私が日本人だとわかるとオチン、オチンと呼び近寄ってきた。最初意味がわからなかったが、「おしん」のことだった。「し」が発音できず「チ」と発音する。やはり、逆境から這い上がる「おしん」に現代の日本人をも重ねているようだった。

 

今回は、オチンがイチローに変わっていた。WBCで日本チームに大敗し、彼らは日本チームから大事なことを学んだという。それは何か尋ねたところ、こう言った。

「野球でピッチャーは大切なんだ」

 

 

彼女は、そんな大らかで親日的なキューバ人が大好きだそうです。

 

文化の力の偉大さと、多面的なものの見方の大切さを、あらためて感じました。

 

 

キューバ.jpg

唐突ですが、私は昔から美術館に行き、作品を観るのが好きです。観るにあたっての作法も、何となく自分で決めてきたように思います出光美術館.jpg。それが「観感聴思読確」です。当然ですが、これは私が勝手に作った言葉です。

 

「観」:これは作品をまず、観ることです。当たり前だと思われるかもしれませんが、案外そうでない方が、特に最近多いようです。作品を観る前に、作品解説を読む方が異常に増えた気がします。美術館サイドも、年々解説プレートを充実させています。有料解説テープも普通になってきました。

 

「感」:感じることです。作品のエネルギーであったり、奇怪な雰囲気であたったり、とにかく五感で感じようと努めます。

 

「聴」:五感の中でも、特に音を聴こうとします。音楽作品でなくてもです。特に絵画は、じっと観ていると音が聞こえてくるような気がします。もちろん、

モンドリアンなどの抽象画も。マチスのJAZZは、まさに音楽的作品(切り絵)ですね。そういえば、この感じご理解いただけると思います。

 

「思」:そして何かを思います。決して、考えるのではありません。「考える」という行為は、二分法の発想に基づく気がします。つまり暗に、「AではなくBだと考える」というわけです。これは左脳の働きです。そうではなく、何かのイメージやストーリーなどを「思い浮かべる」のです。

 

「読」:作品を一通り観終わった後、まだ時間と体力があれば、新ためて最初から観(見)に行きます。こんどは、作品を観た後、解説プレートを読みます。なるほど、と感心するものもあれば、時間の無駄だったと思うものも結構あります。なにしろ、この時点では、結構疲れてきていますので。

 

「確」:そして、文章を読んだあと、あらためて作品を観て、確認するのです。的を射た解説を読んだ後でまた観ると、また別の感じ方ができたりします。

 

これで、やっと完了です。観から思までは、右脳の働きに頼り、読と確は、主に左脳の働きによります。

 

先に左脳を使ってから右脳を使ったらどうだ、との意見も出そうですが、それはうまくいきません。一度左脳で理解してしまうと、なかなか右脳モードに行かないのです。それだけ、私が左脳に毒されているということかもしれません。左脳の誘惑を断ち切るのは、案外難しいのです。

 

 

ところで、人間が学習するプロセスにも、「観感聴思読確」が活用できないか、今思案中です。

 

昨日、国立劇場の5月文楽公演(第一部)を観てきました。ことしは、大阪の国立文楽劇場開場25周年ということで、その記念公演寿式三番叟.jpgとなっています。

 

お祝いということで、最初に「寿式三番叟」が演じられました。この出し物は、能の「翁」を文楽に解釈しなおしたものです。

 

翁は、能の多くの演目な中でも別格で、演目というよりも呪術的な儀式の色が濃いものです。初めて観たときは、厳かで日本古来の信仰に根ざしたものと感じました。

  

それが大阪の大衆芸能である文楽で演じられるので、どうなるのか楽しみでした。前半は能の雰囲気を残した厳かな語りと舞いでしたが、終盤は文楽特有のおちゃらけ(ちゃり場)も入り、笑いを取って終わるという、らしいものに解釈されていました。さすが、文楽です。

 

また、三番目の演目は、「日高川入相花王」でした。これも、能の「道成寺」をモチーフに大幅に創作を加えたものです。もちろん歌舞伎でも「娘道成寺」は人気の演目です。

 

能から文楽に、文楽から歌舞伎にと、ある演目がそれぞれ創作を加えながら引き継がれるということは、珍しいものではありません。珍しいよりも、多いと言ってもいいでしょう。

 

 

考えてみれば不思議な現象です。そもそも、能の後に文楽が生まれ、また歌舞伎が生まれたわけですが、決して能が滅んで文楽や歌舞伎に入れ替わったわけではもちろんありません。同じ系譜にありながら、決して進化したわけではなく、枝分かれしたにすぎません。新が旧を滅ぼすのではなく、共存する存在として多様化していく。

 

これは、芸能だけでなく文学もそうですね。和歌や俳句や現代詩なども併存しています。時代を経るに従って、どんどんバリエーションが増えていく。でも、なんとなく一貫性はあるわけです。

 

 

中国の王朝は、勃興と滅亡の歴史です。対して日本は、政府はいろいろ勃興しますが、天皇を中心とした日本という国の概念は、何となく続いてきています。

 

日本企業のM&Aも、欧米企業のように資本の論理により、買収企業が被買収企業をあからさまに征服するような形態はまれだと思います。また、そうしてもうまくはいかない。

 

このように考えてみると、日本というのはつくづく特殊な国だと思いますね。何となく吸収し、何となく咀嚼し、何となく続いていく。そういうゆるい生き方(行き方)は、市場経済にはなじまないとして、ここ20年くらい否定され続けてきましたが、世界同時不況の今日、見直されてしかるべきと思います。

 

でも、何となく適応しながら生き残っていく、その原動力は何なのでしょうか?

3日、昨年に続いて長野伊那谷の大鹿村に江戸時代から続いている地歌舞伎である大鹿歌舞伎http://www.vill.ooshika.nagano.jp/kyoiku_iinkai/kabuki_teiki_koen09haru.htmlを観に行ってきました。秘境ともいえる大鹿村に、このような伝統芸能が続いていること自体驚きですが、それよりも客席と演者(村民)が一体となっての舞台の雰囲気は、きっと歌舞伎も文楽も昔はそうだったんだろうなと感じさせるものがあります。

千秋楽.jpg 

役者とは別に三味線を弾きながら語る浄瑠璃弾き語りの存在が、ユニークです。文楽であれば、三味線や大夫は、観客のほうに向かっていますが、ここでは、役者の方に向かっています。やはり主は、太夫ではなく役者なのです。

 

ただ、大鹿歌舞伎の場合は、82歳になる竹本登太夫の力量が役者に比べて抜きんでているため、つい舞台より太夫さんを聴き入ってしまいました。

 

急峻な山々に囲まれた耕地も乏しい典型的寒村にもかかわらず、幕末から明治にかけて13もの芝居専用小屋があったそうです。現在でも村内に7か所の舞台が残っています。今は、春と秋に、各一日別の舞台で演じられています。いずれも回り舞台と太夫座まで備えています。

 

春の午後、地歌舞伎と弁当を楽しんだわけですが、日本が古くから伝えてきた農村の豊かさにあらためて考えさせました。物質的豊かさではなく、精神的豊かさこそが、人を幸福にするという、当たり前のことですが、忘れがちなことを思い出させてもらった気がします。

 

娯楽が乏しかったということもあるでしょうが、自分たちで娯楽を作り上げるバイタリティーは、是非とも参考にしたいものです。

 

そして、帰り道、こちらも昨年に続いて分杭峠のパワーパワースポット.jpgスポットにも寄ってきました。本州の中央を走る中央構造線上には、パワースポットがいくつかあるそうですが、その中でも最も強い「気」が出ているとされているそうです。http://bungui.fineup.net/

 

信じない方もいるかもしれませんが、そのスポットに近づいていくと、手の指先や足の裏からびりびりした電流のようなものを感じます。そして、不思議にリラックスできるのです。(入口の看板の写真を貼っておきます。)

 

 

その後、数年ぶりに駒ヶ根市の「アンシャンテ」というベンガルカレーの店に寄り、カレーを持ち帰りしました。この近くに海外青年協力隊の研修施設があり

隊員には有名な店です。ご主人も、協力隊員としてバッグラデシュに派遣され、そこでのカレーの味を忘れられず、全くに素人にも関わらず店を始めたそうです。ものすごく美味しいのですが、いつ来ても商売っ気がなく、素朴にご夫婦で経営されています。儲けよりも味の追求を重視する姿勢に、学ばされる思いです。

 

ちょっと変わった行楽案内みたいになってしまいましたが、GW故ご容赦ください。でも、日本は奥が深い・・・。

 

 

ゴッホは、浮世絵の大ファンでした。そしてついに、浮世絵に現れている日本の陽光に憧れて南仏アルルに移り住みました。そこで、描かれた作品群は、確かに光にあふれた名作ぞろいです。

 

でも、不思議でした。19世紀当時日本は、そんなに陽の光に溢れていたのでしょうか。今、目にできる浮世絵を見ても、ゴッホが感じたような光の色を感じることはあまりできません。どちらかといえば、くすんだ褪せた色しかないのですから。

 

浮世絵の顔料は、とても光に弱く、当時の色を維持していることは、ほとんど不可能なのだそうです。

 

昨年、江戸東京博物館でボストン美術館所蔵の浮世絵展がありました。それらは、所蔵されてからほとんど公開されていない作品群だったので、刷られた当時の色がかなり残っていました。ゴッホの感動が、少しですが共有できた気がしました。

 

明治以降、浮世絵制作の技はほとんど廃れてしまいました。だから、本当の意味でゴッホの感動を共有できるのは不可能かと諦めていたのですが、なんと日本でただ一人、その技を会得した作家がいることを、偶然昨年知りました。

 

立原位貫さんです。立原さんは、富山の旧家から見つかった浮世絵の版木から国芳の絵を、昨年かた今年にかけ国立歴史民俗博物館の依頼に基づき復刻しました。それが、NHK-hVで放送されました。(https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20090419-10-15004)情けないことに私の家のTVは、ハイヴィジョン放送は映らないので、5/16の総合放送番組を待っています。

 

幻の色.jpg 

その復刻浮世絵を観ると、こんなに浮世絵は鮮やかで明るいんだと感動します。確かに、当時の色彩感覚は今とはだいぶ違って大胆だったのです。ゴッホのみならず多くのフランス人がたまげたのも分かります。

 

 

先日、話題の阿修羅展を観てきました。奈良の興福寺では、何度も観ていますが、展示方法がまったく異なるため、新しい発見がたくさんありました。その中で大きかったのは、天平の仏像や彫刻に施されている色の鮮やかさです。奈良でよく認識できなかった色が、今回は、照明の工夫や、背後にも回って見られるため認識できるのです。十大弟子像も、老僧の衣装に残ったかすかな色から、なんて派手な僧衣をまとっていたんだと驚きます。想像する当時のイメージが大転換します。

 

現代から見ると、残っている遺物の色合いから、天平や奈良時代は枯れた色彩が中心だったように思いこんでしまいがちですが、全くそうではなかったのです。

 

やはり、本物に接することが大切なんだと、つくづく思います。

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