文化と芸術: 2011年10月アーカイブ

大学三年生のとき、初めての海外旅行でオーストラリアにいきました。その時、一番印象に残ったのは人々の歩き方です。誰もが胸をはって、堂々と歩いていました。唯でさえ彼らに比べ貧相な体格なのに、いっそう自分のことをみすぼらしく感じたのでした。そこでその後も、せめて歩き方くらいは堂々としようと、自然に背筋が伸びる歩き方を意識していたように思います。おかげで、姿勢がいいねと言われたりしました。

 

数年前、矢内原伊作がエッセーで「西洋人は股で歩くが、日本人は膝で歩く」と書いているのを発見しました。矢内原といえば彫刻家ジャコメッティのモデルにもなった哲学者です。なるほど、と膝を打ちました。確かに私がかつて強く印象を受けたオーストラリア人に代表される欧米の人々は、背筋を伸ばしているだけではなく、大股歩きで前に踏み出した側の足の膝はまっすぐのびています。股を起点にして、靴が振り子になるような歩き方です。その極端なのが軍隊の行進でしょう。

 

それに対して我々日本人は、ほぼ間違いなく踏み出した足の膝も、くの字に曲がっています。極端にいえば、膝を起点にしているようです。何となく日本人の歩き方が貧相に見えるのは、そのせいだとわかりました。

 

では、日本人はなぜそんな貧相に見える歩き方をしているのでしょうか。ところで、能では歩く所作は「すり足」です。つまり常に膝を曲げてちょっと前傾姿勢ですーっと、すべるように歩きます。手は振らず両手を両太ももの前に軽く添えます。

 

現在の日本人の歩き方は、西洋人のそれと能の所作の中間のように思います。しかし、能の歩き方を貧相だとかみすぼらしいと感じたことはありません。なぜでしょうか?それは、能役者が着ているのが洋服ではなく能装束/和服だからでしょう。つまり、服にはそれに合った歩き方がある。現代の日本人は、和服の歩き方をどこか引きずりながら洋服を着て歩いているから、不自然に見えるのだと思います。成人式の頃、振袖を着てさっそうと歩く女性を見て不自然だと思うのは、その反対側です。

 

おととい、城西国際大学エクステンション・プログラム「日本人の身体の美意識」という講演を聞いてきました。とても面白かった。そこで、日本人の身体技法について学ぶことができました。矢田部先生によると、日本人は鼻緒のついた下駄や雪駄で歩いてきたので、重心が爪先にかかる。そして爪先を移動させて歩くには前傾姿勢で膝から歩くことになるのだそうです。そういう歩き方に慣れた人が、ハイヒールのようなかかとに重心を置くことを想定した靴を履くと、足先に大きな負担が掛り体に良くないのだそうです。外反母趾などはそれが原因なのでしょう。

 

先生によれば、服装に合った身体技法を身につけることが大切なのだそうです。さらにいえば、生活・生産活動-服装-身体技法、それらから美の基準も紡ぎ出される。矢田部先生が写して見せてくださった日本舞踊の名人

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武原はんの二枚の写真、舞踊中の姿と洋服で盛装した姿は、その重要性を如実に語っていました。どちらも完璧に「きまって」おり美しいのです。

 

つまり、状況に応じて身体を操作する技術「身体技法」を身につければいいだけの話で、決して日本人の体格や稲作文化のDNAを理由にして諦めるようなものではない。日本人だから洋服が似合わないのではなく、ふさわしい身体技法ができていないから不格好なのです。

 

そう思えば、体格を変えることはできなくとも何とかなりそうな、希望が湧いてきませんか。何事にも理由があり、それを克服する方法を身につければ、大抵の問題は解決できる、そんな希望も・・。

9/1927の間、久しぶりにヨーロッパに行ってきました。出発する日は猛暑で汗をかきながら家を出たのに、帰国した日はもうすっかり秋の涼しさとなっていました。この間、大きな台風を東京が直撃し大変なことになっていたようですが、海外でもTVニュースで大きく取りあげていました。トーンとしては「踏んだり蹴ったりの日本」でしょうか。

 

今回は、ドイツのハンブルグ、ドレスデン、チェコのプラハ、そしてイタリアのベニスというルートでした。ハンブルグは一泊、その他は二泊と駆け足で、やっとトラムやバスの乗り方を把握したと思ったら移動で、それぞれもう二泊はしたかったという気がしました。

 

プラハとベニスは世界中から観光客が集まる街です。25年前にもベニスを訪れましたが、その時と比べて街はほとんど変わっていないのですが、観光客の顔ぶれが全く変わっていると感じました。25年前のベニスを訪れるのは、ほとんどがヨーロッパ系の人々だったと思います。そこにアメリカ人や私のような日本人の学生(卒業旅行)がちらほらいると感じでした。

サンマルコ広場.jpg

ところが、今回、プラハもそうでしたが、ベニスのサンマルコ広場周辺行くと文字どおり世界中から人々が集まっていることを肌で感じました。中国、ロシア、ブラジル、インド、そうまさにBRICSです。ベールを被ったアラブの人も何度もみかけました。彼らの多くは団体旅行で、集団で移動しますので、いやがおうにも目立ちます。世界の縮図がそこにあるようでした。

 

この四半世紀で世界全体に豊かさが広がったことを実感すると同時に、この先どうなるのだろうと、ちょっと不安になりました。地球が果たしてそれに耐えられるのだろうかと。

 

今回ベニスを訪れた目的は、現在開催されているベネチア・ビエンナーレです。ベネチア・ビエンナーレとは、二年に一回開催される現代美術の祭典です。今回は第54回、つまり100年以上続いている世界最古にして最高の現代美術イベントなのです。

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そこでは、ベニスの違った顔が見られました。会場は主に島の東側にあり、そこを訪れるのはビエンナーレ目的の人だけで、サンマルコ広場にたくさんいた世界中からの観光客はいません。世界で最も美しい街に来ているのに、わけのわからない現代美術作品をみるのに時間を使おうという酔狂な人は、そう多くはありません。したがって、同じベニスとはいえ、全く異なる人々が集まってくるのです。

 

そこで団体といえば、イタリア国内の学校の遠足(社会見学)くらいのもの。その他は現代美術が好きな個人たちです。美術が目的なので、落ち着いた雰囲気で多くの会場をじっくり周っています。いかにもイタリアの上流階級といった感じのマダム達も数多くいます。リゾート地に来て、今日はアートにでも接してみようかといった風情。ファッションといい振る舞いといい、日本ではなかなかお目にかかれません。さりげない華美さというか、生まれた時からの品の良さみたいなものが自然ににじみ出てくる感じです。成り金ではなく、長い時間をかけて作り上げられた風格とでもいいましょうか。もちろん女性だけでなく男性も。(私には無縁の)有名なイタリアブランドの服やバッグも、こういう人が身につけるために存在するのだと、よく理解できました。


その時ふと思いました。現代の日本にはこういう光景はなさそうだ、もしあったとすれば江戸時代の御花見や紅葉狩りか。浮世絵には、そういう風情のある光景がたくさん描かれています。

 

日本人は戦後アメリカを追いかけ、成り金を目指してきたように感じます。そうして、古い日本を忌み嫌いどんどん捨ててきた。しかし、イタリアではそうではなかったようです。古いイタリアを、プライドを持って維持してきた層が確実にいるのです。日本もイタリアに負けないほどの伝統と歴史、そして独自のスタイルを持っていました。それなのに、そのほとんどを捨ててしまった。我々は大きな勘違いをしてきたと、早く気づくべきです。

 

そして、そんな日本の失敗を新興国の人々が繰り返さないことを、祈らずにはいられません。

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