2013年3月アーカイブ

2010年に前作を観て感銘を受けたこの映画。(201012月にその感想をアップしました)その続編のプレミア上映会に昨晩行ってきました。(下の写真で真ん中がドロシー、右が佐々木監督)

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続編はクラウドファンディングと方法で資金を集め製作されました。クラウドファンディングとは、ネット上で使途を説明し、それに共感した個人が資金を拠出する仕組みです。日本では1000万円の目標に対して、915人から1460万円強のお金が集まったそうです。(詳細はここ)私もわずかですが参加して、このプレミアにも行けたわけです。

 

倹しい生活の中からこつこつ作品を集めてきた「ハーブ&ドロシー」ですから、小口のお金を多くの個人から集めて作品を制作するというのは、とてもフィットしていると思います。

 

その資金の一部を使ってドロシーも来日し、昨晩挨拶されました。昨年ハーブは残念ながら亡くなってしまいましたが、さぞハーブも日本に来たかっただろうと、佐々木芽生監督とともに言葉を詰まらせる場面もあり、ドロシーとわずかでも時間と場所を共有できたことに、幸せを感じました。

 

さて、この続編兼完結編は、以下の動画を観てもらえばわかりますが、ナショナルギャラリーに寄贈した膨大な作品のうち250点を、全米50州の美術館に、各50点ずつ寄贈するプロジェクトを追ったドキュメンタリーです。

 

アートのコレクションは、その集合全体でコレクターの生きざまを反映するひとつの作品といえます。だからもともと二人は、永久に売却しないナショナルギャラリーにコレクションを寄贈したのです。しかし、それは一般の人々に公開する可能性を限りなく小さくすることを意味します。他の作品も膨大に保管しているのですから。

 

このトレードオフに対して、ふたりは全米50州に均等に分散させるという回答を出しました。250作品は50の美術館に分散されます。当初ハーブや作家の一部(リチャード・タトルなど)は猛反対したそうです。タトルとドロシーはしばらく口もきかなくなったほどです。でも、最終的には理解してくれました。

 

NYLAには数多くの立派な美術館があり、常に多く優れた作品に接することができます。しかし、多くの州ではそうではありません。財政も厳しいおり美術館の閉鎖すら珍しくありません。そんな地域の人々にも、コレクションの一部を観てもらうことは、とても素晴らしいことです。こつこつ生活費から作品を集めてきた二人の意にかなうものでしょう。だから、ハーブも賛成したのだと思います。

 

映画の中には、多くの美術館でコレクションが展示され、人々が楽しんでいる場面がでてきます。田舎の美術館にとっては、奇跡的なことなのです。

 

ある作家が言っていました。「コレクションは、分散することでまとまったのだと思う」まさにそう感じました。ナショナルギャラリーの倉庫でまとまっている状況と、「ふたりからの贈りもの」コレクションとして全米50州の美術館に分散されて多くの人々の目に触れることでは、後者のほうが明らかに、より二人のまとまったコレクションとしての「意味」が立ちあがってくるでしょう。

 

欲張りなハーブは、全米に散らばったコレクションをまとめて閲覧できるウェブサイトをチェックして、「アラバマ州は、まだ作品の写真がアップされていない。早くアップするよう後でメールしておこう」と言ったりします。微笑ましいですね。

 

今回の50州へ寄贈するプロジェクトは、分散することとまとまることの意味をあらためて考えさせてくれました。分散することで、まとまることもあるのだと。観賞者を考えさせることが代アートの役割だと、映画の中である作家が言っていました。そういう意味では、この寄贈プロジェクト自体が、アート作品ともいえるのではないでしょうか。

 

二人のスタイルといい、寄贈プロジェクトといい、クラウドファンディングといい、これから現れてくるであろう新しい価値観のようなものを予感させる出来事です。一方で、ハーブが亡くなりシンプルに暮らしたいと、部屋に残っていた作品全部を移動させ、がらんとした部屋にドロシーが最後に残した一枚の絵、それは普遍的な価値を強烈に訴えかけてくるものでした(それがこの映画のエンディング)


前作とこの作品を監督・プロデューサーとして世の中に提示した佐々木芽生さんの実行力に敬意を表すとともに、こんな素敵な出来事に少しでも関わる喜びを与えてくれた関係者に感謝します。

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)
新 雅史
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原発事故によってほとんどの人が、原子力ムラの存在やその意味を知ったのだと思います。もちろん私もその一人です。そういうことは、他にもあるんではないかと漠然と思っていましたが、やっぱりありました。本書によって、商店街衰退の理由や意味を知って腑に落ちたことがたくさんあります。

 

地方のシャッター通りは、時代の流れで仕方ないことだと思っていました。しかし、それはいくつかの思い込みから成り立っているのでした。

 

・商店街の起源は古い(江戸時代?)

・商店は古くから街に住む地元民によって自然発生的に始まった

・商店街は弱い存在だから規制(大店法や許可制など)によって長く守られてきた

・零細事業者は保護され、サラリーマン世帯は虐げられてきた

・その規制が廃止されて、消費者は恩恵を被った

・手厚い保護を受けてきたにもかかわらず、家族経営の生業から進化できず衰退していった

・バブル崩壊後、商店街に対する政府の金銭的補助が減少したため衰退した

・子供が継がない店が廃業してシャッターを閉めるのは仕方ない

・コンビニに業態転換できたので、何とか商店街にも古くからの店が残れている

・モータリゼーションによって、郊外大型店舗ができたので、商店街の存在意義はなくなった

・地方の商店街が衰退したのは、東京一極集中化のため住民が減少したためだ

 

これらはすべて本書で否定されます。その時代時代の政府の政策によって、商店街というコンセプトが創造され、保護し拡張させ、そして崩壊していったのです。政治に翻弄されたといえます。

 

もちろん、全てを政治のせいにはできません。著者は、商店街自身の責任として二つ挙げています。ひとつは、「商店街が恥知らずの圧力集団」になったこと。もうひとつは、権益の私物化により専門性を磨かなかったことです。

 

先の思い込みの反例のひとつとして、バブル後の金銭補助があります。圧力集団として自民党と野党たる社会党に取り入ることに成功し、バブル崩壊後の景気対策として膨大な資金が商店街をはじめとした零細事業者に流れ込みました。その背景にはアメリカの自由化要求に沿った大店法廃止があります。その代償の意味もあったのです。そういった補助金が麻薬化し商店街の崩壊を速めたのです。

 

カネという麻薬によって、自らを滅ぼす例は商店街だけではなく、原発自治体や農業など、枚挙にいとまがありません。もうそろそろその麻薬性に気付くべきでしょう。ところが、アベノミクでは再び麻薬を打つことを狙っています。やれやれ・・・。

 

我々が当たり前だと思い、なんの疑問も持っていないことの裏では、実はある動機によって複雑な構造が構築されており動いている。「知らしむべからず、由らしむべし」といいますが、知らないことがまだまだたくさんあります。もっともっと、批判的見方を心掛けていかねばなりません。

 

 

ところで、著者の実家は北九州で酒屋を営んでいましたが、今はコンビニ経営に転換したそうです。子供の頃、酒屋の倅がいやでいやでたまらなかったことが、本書執筆の動機になっていると告白した「あとがき」は、ちょっと泣かせます。

 

この著者のように比較的若い学者が、それまでの権威者とは異なる新鮮な切り口で分析した著作が、このところ増えているような気がします。さらに頑張ってほしいですね。

 

ヒトが本来持っている能力にもかかわらず、それが発揮できない状況になんらかの刺激を与え発揮できるようにすることが、「人材開発」のもともとの定義です。

 

ではなんで発揮できないのか?様々な理由はあるでしょうが、最も大きいのは「思いこみ」や「(必ずしも正しくない)常識」に囚われているからだと思います。それらは、かつては適切だったのかもしれませんが、現状にはフィットしない。にも拘わらず、それに縛られている。

 

縛るのは組織か自分自身のどちらかであり、それによって打ち手が異なります。自分自身の場合は、組織に対する不満や不安はいくいらでも口から出てくるのですが、実は自分を本当に縛っているのは自分自身なのだと気づくことが大切です。

 

かつての感受性訓練は、それを「強い外からの圧力」に身をさらすことで実現しようとしていましたが、そういうアプローチは現在には必ずしもフィットしないのでしょう。

 

もうひとつのアプローチは、守られた環境(場)に身を置き、新鮮な気持ちで普段とは違った思考をしてみることです。そこは、職場とは違って何を言っても責められない安全地帯であり、研修の場はその場として絶好です。「あれは研修だから・・・」ということで、何でも許すことができます。その前提があるため、派遣する側も鷹揚になれるのです。

 

そこでは、自分自身や組織を相対化してみることができます。自分とは異なる思考をする他者と対話するからです。それが他のメンバーであっても、外部講師でも構いません。そういった人々と真剣な対話を重ねることで、自分自身をもう一段階上から見つめて、位置づけることができます。日々の職場では、なかなかできないことです。

 

そういった場をつくるには、参加者にいくつかの姿勢が求められます。

 

1)疑ってかかる

普段の業務では、いちいち疑問を持ってそれを周囲にぶつけていては、仕事ははかどりませんし、第一嫌われます。だから、できるだけ疑問が少し芽生えても、「そういうもんなんだ」と自分に言い聞かせるようになります。研修の場では、そういう姿勢に抗います。

 

2)目線を上げる

組織で仕事をするには、自分の立場や役割を認識し、それに沿った言動が求められます。それが「常識」を浸透させます。研修の場では、そんな常識をとっぱらいます。そのために、(もちろん「下」ではなく)あえて「上」の目線を求めます。

 

3)ざっくり考える

目線を上げるとは、普段担当者目線でミクロに拘泥していた自分ではなく、よりマクロでものを見て考えることです。マクロで考えるということは、ざっくり考えるということです。ざっくり考えるということは、全体の中で優先順位を考えることですし、全体の中での重要な関係性を捉えることでもあります。

 

4)ロジカルに考える

全体の中の関係性を捉えるとは、ロジックのつながりを把握することでもあります。普段の仕事では、どうしてもロジックより「感情」や「慣習」に依存してしまいます。だから、あえてこの場では、ロジックをまず押さえて欲しい。その上で、必要に応じて人の気持ちを斟酌したり、過去からの経緯などを考慮すればいいのです。

 

こういうルールを研修の始めに確認しておくと、受講者の言動が目に見えて変わってきます。一種のゲームとして楽しめ、自分を相対化していける。

 

もちろん、また職場に戻れば、再び以前の思考プロトコルに戻ることでしょう。でも、一度でも「異なるプロトコル」を体験し相対化する経験を持てば、それまでの自分とは違う自分を意識できるようになります。ただし、その後どう変わっていけるかは、その人次第です。

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