2010年5月アーカイブ

昨日、財団法人九州生産性本部のご依頼を受け、「人材開発マネジメント ~今、求められる経営戦略とリンクした人材開発~」というテーマで、三時間半のセッションを福岡で行いました。九州各地の企業から人材開発担当者や責任者が集まる、半年間の人材研究会の初っ端を仰せつかった次第です。日々、人材開発の問題でご苦労されている方ばかりですので、私も大変刺激になりました。

 

このような会のいいところは、同じような経験や課題を抱えている現場の方同士で学びあえることです。冒頭で、以下を申し上げました。

 

「よい(Good)クラスでは、それまでわからなかったことがわかるようになる。

偉大な(Great)なクラスでは、わかっていると思っていたことが、実はわかっていなかったとわかる。」

 

これは、つい先日、慶應ビジネススクールの清水勝彦教授から、聞いた言葉です。早速使わせていただきました。

 

経験豊富な方々を相手にする場合には、この意識が非常に重要だと思います。多くのビジネス日々の業務の中で、なかなか立ち止まって深く考える余裕を持てません。なので、なんとなくわかった気になって進んでしまう。でも、実は本当にそうなのかと、立ち止まって考えるといろいろな疑問が浮かんできます。

それは、外部の人間や他社の方々との対話の中で芽生えてくるものです。そういう疑問を抱くことが大切です。適切な疑問を抱けば、それがきっかけなって

また日々の業務の中での体験学習が進むはずなのです。

 

本も同じですね。すぐ判る本は、すぐ忘れるものです。逆に、何かもやもや引っかかりが残る本は、頭の中に残り続けます。本当の読書とはゴールではなくスタートなのです。

 

昨日の参加者のお一人が、私の書いた「人材マネジメントブック」を読んで下さっており、その方から、「それまでややマンネリ感から行き詰まりを感じていたが、本を読んでこれまでやっていることが整理された。」と声をかけられました。経験が整理されることによって、新たな一歩が踏み出せることがあります。そんなお役に少しでも立てれば、こんな嬉しいことはありません。

 

課題を抱えて、それをなんとかしたいと強く願っている方々との対話は、非常に勉強になり刺激にもなります。こういう機会を頂き、大変感謝しています。

 

伝統ある一部上場アパレルメーカーのレナウンが、中国企業の傘下に入ることになりました。もはや、日本企業が中国企業に買われるレナウン.jpgことは珍しいことではありません。「変われない企業が買われる」のは、資本主義の必然です。

 

レナウンの北畑社長が会見で、「変わりきれなかった・・。」と発言したのが、印象的でした。細かい情報は知りませんが、業績が長期低迷する中で、たぶん様々な取組みをしようとしたのでしょう。製造小売(SPA)がアパレルの主流になるなかで、時代から取り残されている感は否めませんでした。

 

では、なぜ変革できなかたのでしょうか。様々な理由はあるでしょうが、やはりトップが決断できなかったからだと思います。

 

変革によって失うもの、例えば過去のブランドイメージや仕事の手順や減っているとはいえ現在の「売上」などの大きさと、変革することによって得られるかもしれない将来の大きなリターンとの、トレードオフの中で、大きな意思決定ができなかったのでしょう。なぜできなかったのか。

 

たとえば、50億円を確実に失うことと将来100億円を得られるかもしれないことの比較を、合理性に基づいて行うことは案外難しいものです。将来の100億円の価値を、リスクファクターを考慮した上で現在価値に割り引いて、合理的に評価はできなくはありません。それが、仮に60億円だったとします。合理的に考えれば、50億円を失っても変革すべきです。でも、感情をもつ人間の意思決定はそうはなりません。確実に失う50億円のほうが、合理的に計算された60億円より価値が大きくなる傾向にあります。それが感情です。(プロスペクト理論)

 

レナウンも感情(変革はできればしたくない)と合理性との間で大きく揺れたことでしょう。そして、感情が勝ち小さな改善を繰り返すことで延命を図ったに違いありません。人間は案外楽観的です。時間が経てば、状況は好転するかもしれないと思いたいし、思うのです。

 

でも、やっぱりだめだった。それが、北畑社長の「変わりきれなかった・・・・。」の発言に表れていたのではないでしょうか。

 

社内研修とは、会社の人材開発部門などが企画し主催する研修に、社員が参加するものです。当たり前ですね。また、社外研修とは、外部の教育機関などが企画・主催する研修に、複数の企業の社員が一緒に参加するものです。

 

両者の使いわけは、どのようになされているのでしょうか?普通に考えれば、自社固有の内容のプログラムは、自社でしか企画できません。他では使用できないスキル(スキル以外もあるでしょうが)、つまりUnportable skillの研修です。あるいは、組織開発を主目的とする研修です。いうまでもなく、自社組織の開発は、自社内でしかできません。

 

しかし、もしPortable skillの獲得を主目的にするならば、自社内にこだわる必要はありません。多くの企業で共通するスキルですから。このような、Portable skillはビジネスパーソン、あるいは特定職種における基盤能力です。

 

社外研修に送り出す、積極的意味もあります。社外の人と、ともに学ぶこと、すなわち他流試合の効用です。

 

ひとつは、自己再認識のきっかけです。メンタルモデル(認識の枠組み)は、環境に影響を受けます。異なる環境にある他社の人との交流は、自分のメンタルモデルに疑問を挟むことになるかもしれません。他者を鏡にして、あらためて自分自身を顧みるきっかけになるでしょう。さらに、異なる視点を獲得することもできるかもしれません。

 

二つ目に、ネットワークづくりです。何かあったときに相談できる人を、社外にたくさん持つことは、それだけで財産です。

 

三つ目は、エネルギーの獲得です。異文化(ちょっと大げさですが)との接触は、少なからず摩擦を生みます。それがストレスになる可能性もある一方で、そこから刺激やエネルギーを受け取ることも多いでしょう。海外旅行も同じですね。かなり高い確率で、エネルギーを獲得することが多い実感があります。

 

このように、社外研修への参加は、社員の自立性を高める効果があることは間違いありません。

 

社員の自立性を求める企業は、決して少なくありません。もう会社には頼るなと。であるならば、ただ突き放すのではなく、社員のPortable skill開発を積極的に支援すべきです。必ず、そのスキルは会社の成果にもつながります。

 

そして、それは社外研修でなされることが好ましいでしょう。その受け皿となる教育機関の責任は、重くなりそうです。

 

歌舞伎囃子方で指導者でもある田中佐太郎さん(女性です)が、弟子の教育について、こんなことを話しています。

田中佐太郎.jpg 

うるさく言うのは姿勢や目線など舞台での行儀。技は回数を重ねればできるが、行儀は仕込まなければ身につかない。

 

技術は教えなくても、場数を踏んだり真似ることによって修得可能。つまり、みずから学ぶことができる。しかし、行儀はそうはいかない。適切な師匠による仕込み、すなわち手取り足取りの教育が必要だということなのでしょう。その違いは何でしょうか。

 

 

小津安二郎に、こんな言葉があります。

「品行は直るが、品性が直らない」

 

田中さんの言葉は、これに通じるものがあるように思います。

 

品行は心がけ次第で時間をかけて直すことができる。また知性も努力次第でなんとか獲得できる。しかし、品性はそうはいかない。人生のある特定の時期に、師匠とも言うべき人から集中してすり込まれなければ、一生に身に付かないものなのでしょう。(残念ながら・・・)

 

そして、品性を身に付ける上で、もっとも効果的なのが行儀なのかもしれません。(耳が痛い・・・)美しい行儀が基本にある品性は、あらゆる芸に現れます。口で説明するのは難しいのですが、品のある芸は確実にあるのです。

 

 

これは、ビジネスの世界でも同じだと思います。どんなに儲ける技術に長けていても、品性に欠けていれば長期的には成功できないのではないでしょうか。特に日本のような、長期的関係を大事にする社会ではそうでしょう。

 

では、企業でどのように行儀を仕込むことできるのか。それは家庭でしかできないことなのか。企業の人材育成の中には、行儀の要素も入っているはずです。それは、マナーというレベルではありません。企業の価値観をすり込むことが、その企業における行儀仕込みなのでしょう。では、どんな価値観を?

 

品のない組織には、品のない個人しかいないものです。芸に品性が出るように、個人だけでなく、企業の行動にも品性が現れます。それを、今一度確認してみる必要があると思います。

4月からNHK教育TV日曜18時から放送されている 「ハーバード 白熱教室」。きっと、毎回ご覧になっている方は多いことでしょう。私は、まだ第二回と昨日の第七回しかみていませんが、その他の回は録画してあります。この番組は、いろいろな意味で画期的なプログラムです。

 

まずは、ハーバード大学の講座がフルで史上初めて一般公開されたことです。しかも超人気講座(サンデル教授の『Justice』)を無料で。電子ブックの普及を間近に控えた日本では、コンテンツの価値をどう考えたらいいのかという議論に、一石を投じることにもなりそうです。なにしろ、世界第一級のコンテンツが、何の制約もなくただで入手できるのですから。広告なんて、意味をなしません。考えてみれば、すごいことです。

 

それ以上に、日本社会にとって大きなインパクトを与えると思うのは、超一流教授のクラスでのパフォーマンスを、誰もが知ることができたことです。言わずもがなですが、一方通行の退屈なレクチャーではありません。

 

いくつかの学生が関心を持ちやすい事例(昨日であれば、「殺人鬼に追われている友人があなたの家に逃げ込んできた。そして、殺人鬼が来て『そ header_about.jpgこにいるだろ?」とあなたに尋ねた。そこで、嘘をついてはいけないのか?』)を使って、学生に問いかけ、意見を言わせ、学生同士による対立シーンを仕立てるわけです。それを、転がせていき、最終的に教授のメッセージに彼らを到達させる。それを、楽しませながら行う、その技術は本当に大したものです。「正義」という大変難しい科目にも関わらず、人気講座であることがよくわかります。いや、一般に難しいとされている科目をわかりやすく教えているから、人気があるのでしょう。例の井上ひさしさんの「難しいことをやさしく・・・」ですね。それの実例を、この眼で確認できるわけです。(きっと、今頃日本の大学の一部の教員は焦っているかもしれません。)

 

 

これまで、大学にしろ企業研修にしろ、講師の実力を客観的に測る術があまりありませんでした。自分の知っている範囲の中でしか、講師の評価ができなかったのです。何しろ実際に見てみなければわからないのですが、そうそう機会も多くはありません。

 

しかし、これからは「ハーバード 白熱教室」のようなロールモデルが公開されることによって、講師を選ぶ眼力も飛躍的に高まることでしょう。これは、学ぶ側にとってはとても好ましいことです。一方、教える側は大変です。

 

これは、日本のどちらかといえば情報閉鎖的だった教育業界(もちろん企業内教育も)に風穴を開けるようなインパクトをもたらすかもしれません。もし、ご覧になっていない方がいれば、ぜひ一度はご覧になることをお勧めします。

鳩山政権への信頼感も失墜し、政治も経済も閉塞状態に陥っています。またも諦めムードがまん延する元気のない日本です。

 

そんな時、哲学者久野収さんのこんな言葉を見つけました。

 

 

確率や法則に従うとすると、正に現在はにっちもさっちもいかない閉塞状 久野2.jpg況だ。でも、私は人間を信頼している。特異点がどこかにはるはずだ。大きな雪崩も、ほんの小さな石が崩れることから引き起こされる、そんな特異な点がある。確率や過去からの法則に従って考えればとても起きるとは考えられないことが起きるのだ。人間はそんな営みを続けてきた。だから悲観はしない。

 

 

これは、現在の言葉ではなく、86年になされた瀬戸内寂聴さんとの対談での発言です。それからもう、24年も経っています。

  

その話を聞きながら、多くの企業が変わりたいと考えているにも関わらず、変わらない現実について、思いを巡らせました。確率論でいったら、経営危機にでも陥らない限り、組織を中から変えることは困難です。そうなる前に、どうやって変えるのか。組織の中の特異点を探すことが、ひとつの突破口になるかもしれないと思ったのです。

 

かつて暴力の街だったニューヨーク市が安全な街に変わったのは、ジュリアーノ前市長が警察署長(たしか)だった時に、地下鉄の落書きを徹底的に消し続けたことからだったそうです。地下鉄の落書きが特異点だったのかもしれません。

 

それと同じように、企業組織の中の特異点を見つけ、そこを何があっても愚直に刺激し続けることが決め手になるような気がします。もしかしたら、今、名もない誰かがその営みを、一人で始めているかもしれません。そういう活動を見つけ出し、スポットライトをあててみましょう。

 

「変革は辺境から」という言葉もあります。特異点は、辺境にこっそりあるのかもしれません。久野さんは99年に亡くなりましたが、人間への信頼は引き継いでいきたいものです。

 

 

注:特異点とは、数学と物理の用語で、ある基準の下でその基準が適用できない点のこと。

昨晩、日本CHO協会主催セミナーで「日本企業における組織開発の意味とHRD部門の役割」という題で講演をさせていただきました(資料は近日中にHPにアップします)。組織開発は、ずっと以前から持ち越してきた宿題のようなテーマです。その思いが強すぎたのか、限られた時間の中でいろいろ言いたいことを詰め込み過ぎてしまい、やや消化不良になってしまったように感じ反省しきりです。これを体験学習し、また進化させていきたいと思います。

 

そのようなもやもや感を抱え、帰りの道すがら地元の焼鳥屋の暖簾をくぐりました。向こうの席では、妙齢の女性(おばさん?)二人が異性問題で盛り上がっています。カウンタ席の隣では、こざっぱりスーツを着た若いビジネスマンが二人で飲んでいました。入社2年目と4年目くらいでしょうか。聞くとはなしに聞いていると、二人は銀行員で、先輩が後輩の相談に乗っているという構図のようです。「わからなことがあったら、勝手に判断しないで相談しろよ。」「そうは思ったんですけど、いつまでも聞いてばかりいるわけにはいかないですし・・。」「そりゃあ、そうだよ。でも・・・。」という感じの会話です。かつての自分ともダブりました。

 

仕事が終わってからも飲みながら、こうして職場の話題で対話を続けているのが伝統的な日本企業の社員なのです。そこで、後輩は先輩からいろいろ学ぶことでしょう。また、先輩は話しながら自分のこれまでの経験を整理し、自らも学んでいるはずです。そんなことが、至る所で延々と繰り返されてきたのです。「自己組織化」なんて難しい言葉を使わないでも、りっぱな組織開発が自発的に行われているのです。たいしたもんです。こういう雰囲気を、絶対失ってはいけないでしょう。(かつて若手の頃は避けていた自分が言うのもなんですが・・)

 

そういう飲みが最近減ってきているという話も聞きますが、そんな懐かしい光景を目の当たりして、少し元気が出てきました。

 

 

そして帰宅すると、一枚の見慣れない方からの葉書が届いていました。それは、先月観た一人芝居を演じた女優さん(加藤忍さん)からの手書きの礼状でした。彼女は、私が好きな加藤健一事務所の養成塾出身で、加藤健一事務所の公演にも何度も主演級で出演しています。数ヶ月前の加藤健一事務所の公演のとき、劇場入り口で彼女がチラシを配っていました。ぎこちない配り方です。そのチラシは、彼女が初めて自分でプロデュースし主演する一人芝居(「花いちもんめ」)のチラシでした。その後、すっかり忘れていたのですが、偶然オフィスのすぐ近くの小劇場で、その一人芝居が公演されることを知り、観にいったのです。

加藤忍.jpg 

正直言って、想像以上の出来でした。普段アンケートはあまり書かないのですが、その日は正直な感想を書きました。それらを見て、彼女はひとりひとりに手書きでお礼状を書いているのでしょう。初めて自分の力で自分の公演をプロデュースし、成功を収めた。それは並大抵のことではなかったでしょう。苦労が大きかっただけに、喜びも大きく、そして感謝の気持ちも抑えがたく、お礼状を出さざるを得なくなったのでしょう。決して、次回公演のための営業活動とは感じませんでした。別に私だけに書いているはずもありませんが、小さな幸せをもらったような感じです。たまには雨の夜もいいものですね。

 

 

おまけ:上の写真は加藤忍さんのブログから転載しました。赤提灯にやきとり「戎」とあります。この店、実は私が時々行く店です。昨晩は別の店でしたが。なんという偶然!!

 

 

 

未開の国を訪れた二人のビジネスマン。住民が全員裸足なのを見て、ひとりは、ここでは靴は売れないと嘆き、もう一人はここには靴の大市場があると驚喜した、というたとえ話は有名ですね。同じものを見ても、人はそこに異なるものを見ることの例えです。

 

この話を聞くほとんどの人は、「そりゃそうだ」と思うでしょうが、ビジネスの世界でその教訓が活かされているとは、なかなか思えません。

 

ある事業を始めようと提案を上げてみると、上司はこう答えます。

「なんで、そんな魅力的な市場なら、カネも技術もある既存大企業が参入しないのだ。それだけ、魅力がないということじゃないのか。」

 

また、既存大手参入している市場に、切り口を変えて参入することをまた上司に提案すると、

「そんな大手が参入している市場に入ってどうするんだ。切り口を少し変えてみたところで、すぐ真似されるぞ。その後は、物量作戦で木端微塵だ。」

 

どちらの上司の言い分も、一理ありそうではあります。でも、それでは、新規事業などするなということになります。なんか、おかしいですね。

 

 

管理職向け研修などで、SWOT分析がよく使われます。強み、弱み、機会、脅威を分析して戦略を策定してみようというパターンです。受講者が書く分析内容は、ほとんど差がありません。どの項目についても、社内での定説というか常識みたいなものがあるようです。「ウチの強みは技術開発力で、機会は中国市場の急拡大だ。技術力を活かして、中国市場へ打って出よう」みたいな。

 

それはそれで意味がないとは言いませんが、競合もきっと同じようなSWOT分析をしていることでしょう。大事なのは、自社にとっての意味のある見方であり解釈です。さっきの新規事業提案の例でいえば、既存大企業にはXXと見える市場が、我社にはYYに見えるという解釈です。その解釈する力こそを磨くべきです。

 

経営環境を分析しようとしても、経営環境という実体はありません。10人の盲人が、大きな象を触ってみて、それぞれ全く異なる生き物を想像するのに似ています。そこに、想像力を働かせて創造する余地があるのです。

 

「この島が靴の大市場になる」姿が「見えて」しまう人間が、イノベーションを引き起こしてきたことを忘れてはいけません。

 

ただ、「見たいこと」のみが「見えて」しまい、「見た」と確信することが、世の中にはあまりに多いことを認識しておくことも必要でしょう。客観性は大切です。

 

 

客観と主観とのバランスをとること、すなわち環境に適合するロジックと、環境を想造(イナクト)し自ら描く想像力、これらのバランスを取っていくことが、マネジメントなのかもしれません。

事業仕分けには様々な評価があるようですが、ひとつ良かったのは、官僚や研究者はコミュニケーション能力が低いことを、白日の下にさらしたことだと思います。

 

両者の共通点は、高い専門性に加え限定された社会との接点しか持たないことかもしれません。当人たちは、そのことをどう捉えているのだろうかと疑問に思っていたのですが、今朝の朝日新聞でノーベル賞受賞者の田中耕一さんが、こう語っていました。

田中耕一.jpg 

研究者にとっては、自らの研究の重要性や必要性を説明する能力が求められることになるが、それは好ましい変化だ。国のお金を預かって研究する以上、説明責任があるのは当然だ。私自身、ひと前でしゃべるのが苦手な人間だったが、今は自分が何をやっているかを説明することがやりがいにつながると考えている。ただ、研究者や技術者が、蓮舫さんのような説明能力の高い人に攻められると困っちゃう。もう少し準備や練習が必要だろう。

 

いやー、至極まっとうなご意見と思いました。これまで、説明しないでどうやって予算を獲得していたのだろうかという疑問は残りますが・・。

 

 

アカウンタビリティーだの説明責任など、いろいろな場面で耳にしますが、ようは、今回の事業仕分けのように、その道以外の人に適切に伝え、理解してもらうということでしょう。

 

民主党のお陰で、今回は官僚と研究者の説明能力が露呈しましたが、一般企業の中でも、五十歩百歩のような気がしないでもありません。井上ひさしさんの言葉の正反対に、「やさしいことを難しく」することによって、自分の付加価値を高めている(と思いこんでいる)人が、まだまだ数多く存在します。

 

透明で公平な社会を造るには、コミュニケーションのトレーニングは、必要な社会コストであるはずです。 

 

そういう意味では、事業仕分けは時代を動かす、ひとつのきっかけになるのかもしれません。長い目で見れば、経費削減効果(たかが知れているそうですが)よりもはるかに大きな成果だと思います。

 

SWOT分析などに基づいて、環境に適合すべく戦略を策定し、実行するのが常識とされています。いわば、環境に反応(react)するわけです。でも、それでいいのでしょうか?

 

 スーパーホテルというチェーンがあります。朝食付き4980円という低料金でありながら、日本初の顧客満足度指数ランキングでトップとなったホテルチェーンです。

 

2000年に入り35店舗を超えたあたりで、経営数字が悪化しました。稼働率が下がり、クレームが急増。社歴の浅い社員は管理の真意がわからず、現場は荒れていく。まさに、バッドサイクルです。

 

顧客の高い要望に応えサービスを向上させることが、正しい環境適合戦略に見えそうです。しかし、それは必然的に価格を上げることになるでしょう。

 

苦境に陥った山本社長は、「話し込み」と名付けた対話を奨励し、自らも従業員の中に入っていきました。すると、教えるはずが教えられることばかりだったそうです。「ベッドの下にゴミが落ちていた」というクレームには、「だったら、足を取ってしまえ」という声に従い取ってしまった結果、大幅に掃除が効率化された。

 

また、ごみ箱はコンビニで買った空き缶の山だったそうです。他店から出たごみ掃除だけをやっているわけです。それに対して、「自販機の飲み物をコンビニより安くしよう。」すると、夜には近所の主婦がわざわざ飲み物を買いにくるようになった。(日経ビジネス 2010.4.12号より)

 

ゴミが落ちているから掃除を丁寧にする、というように反応するのではなく、ゴミが落ちる「環境」に対して働きかけを行い、結果的に成功を納めたわけです。いつもうまくいくわけではなく、「アイデアはまず各店で試してみる。まあ、9割はボツです。でも、話をする空気が生まれる。そして、経験が埋蔵金のように後になって効いてくる。」こうして、苦境を脱したそうです。

 

 

このような、まず何か環境に働きかけてみることを「イナクト(想造)」といいます。そして、うまくいくものを探して選択する。振り返ってその行動に意味付けする。実は、日本企業では、そのようにして戦略が生まれてくるような気がします。前もって戦略策定し、それがうまくいったケースはあまり聞いたことがありません。多くは、苦し紛れの後付けなのです。

 

そこで大事なのは、山本社長が始めたような現場の従業員との対話です。日本の組織の強さは、そこにあるのだと思います。

 

 

ところで、このホテル、ブルー・オーシャン戦略で分析してみても面白そうです。

今年のゴールデンウィークは、ずっと暖かいお天気が続き、快適そのものです。朝は、窓の外、上空から聞こえてくるうぐいすのさえずりで目覚めます。「ホー、ホケッキョキョー」と一所懸命に鳴いています。きれいに「ホーオ、ホケキョ」とは鳴けません。まだ若鳥なのでしょう。

 

若鳥は、親鳥から教育してもらえなければ鳴けないと、以前本で読みました。鳥は、犬や猫と違って、親の教育により一人前に鳴くことができるようになる、学習者なのです。人と同じです。

 

夏まっ盛りになれば、このうぐいすも立派なさえずりをあたり一面にとどろかすことでしょう。日に日に大きくなるタンポポの黄色い花や唐松の新葉、今年も発揮しつつある自然界の成長力を、自らの中にも取り込みたいと願ってみます。

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