2015年5月アーカイブ

昨日、文楽5月公演を観てきました。今回は、人形遣いの吉田玉男襲名披露公演の位置づけです。先代吉田玉男が亡くなって早10年、その一番弟子だった吉田玉女が名跡を継いだのです。文楽は歌舞伎などと違って、世襲制を取っていないため、名跡を継ぐことはそれほど多くはありません。なので、襲名披露公演での口上を聞く機会も多くはないのです。

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これより前の大きな襲名披露は、2003年の豊竹勘十郎三代目襲名でした。彼は、新玉男の同期入門です。その時の口上も忘れられません。文楽の襲名披露口上では、本人はしゃべりません。その代わり、各部(太夫、三味線、人形遣い)のリーダー(的な重鎮)が、お祝いを述べるのです。2003年は太夫のリーダーとして玉男が話しました。本来は、勘十郎(吉田蓑太郎)の師匠である吉田蓑助が言うべきところですが、蓑助は脳梗塞の後遺症がまだ残っていたため、玉男に託したのでしょう。でも、蓑助はなんとか、「よろしくお願いします」という言葉を絞り出し、それが何とも印象的でした。その言葉に、舞台上と観客席の全員が勘十郎を祝福するとともに、応援しようと思ったことでしょう。

 

今回の玉男襲名披露口上では、千歳太夫の仕切りのもと、嶋太夫、寛治のお祝いの後で、新玉男の同期である吉田和生と勘十郎が語りました。文楽の世界でも同期の絆のようなものがあるのですね。

 

ところで、この襲名という慣習というか仕組みは非常に日本的なものだと思います。周囲から認めてもらって、やっと上の名前をもらえる。上の名前をもらったら、自分はもちろん周囲もその人を一段階上の力量を備えたと認識する。そして面白いことに、襲名をきっかけに本当にその名前にふさわしい成果を出していく。

 

実力(技能の能力)があるということと、周囲が認めるということは、必ずしも一致しません。実力を身に着け、さらに周囲に認めてもらい、その上で襲名することで、名実ともに階段をひとつ上がっていく。このプロセスが独特です。さらに言えば、襲名披露とは、その場にいた全員に、襲名した人がそれにふさわしい行動を取る限り、応援し続けることを約束させる儀式でもあります。

 

その背景には、日本の組織で能力を発揮するには、自分の力だけでは不足で、周囲との良好な関係性を維持することが絶対条件だということが大きいと思います。そして、関係性は目に見えないものなので、象徴となる「名」が必要です。しかし、名には責任が伴います。先代の名を汚すことは、その組織ではもう生きてはいけなくなることを意味します。なぜなら、名とはその時間における位置づけを表象するのではなく、代々の先達、つまり歴史的時間に対しても責任を負うことになるからです。重たい名前ほど、そのプレッシャーは強烈でしょう。だから、それに耐えることで、さらに大きな存在になっていくのです。周囲も常に応援し続けるとともに、シビアに評価を続けていく。

 

実力があるから名をもらえるのではなく、名をもらうことで実力を本当のものにしていくのだと言えるかもしれません。

 

このように、組織における歴史的時間の中で成長することを期待されるのが、日本独特の組織文化なのでしょう。

 

昨日、照ノ富士関が初優勝を飾り、三役二場所で大関昇進が確実視されているようです。本人も、まったく予想も期待もしていなかったでしょう。

terunofuji.jpg撲の世界は、勝ち負けがはっきりするので、実力と周囲の承認が一致しやすいのかもしれません。しかし、番付とランキングは同じものではありません。大関昇進は、襲名と同じ意味合いだと思います。大関にふさわしい関取に、照ノ富士関が成長することを切に願います。

 

企業における肩書も、やはり「名」と同じようなものかもしれません。肩書が周囲の期待値を定め、その周囲の期待値が空気のように本人にプレッシャーを与える。その自覚をもって仕事のやり方を変え、スパンを広げ、視座を高くする。つまり、肩書が人をつくる。

 

バブル崩壊後、意思決定を速くするとの目的で、階層を減らしそれに伴い肩書も大幅に減らす企業がたくさんありました。係長も課長も部長もみんなマネジャーに括る。それは、日本の組織風土を考えれば、個人の成長機会を除去するものであり、その結果はさんざんだった。

 

やはり、日本人にとって。襲名と襲名披露は組織の活力の大きな源泉なのだと思います。これって、世界に誇るべきすごい仕組みではないでしょうか。

NHKSWITCHインタビュー達人達が面白い。

インタビュー番組はたくさんありますが、出演者二人がインタビュアーとインタビュイーを途中でスイッチする、つまり攻守所を変えるのが特徴です。しかも、片方がもう一方を指名するらしいという趣向。誰を指名するか、どんな質問をするか。それぞれに、とても個性が出ます。

 

私は録画しておいて後で観ることが多いのですが、GW中にやっと「中井貴一VS糸井重里」を観ました。期待に違わずとても面白かった。糸井の話を聞く機会は多いですが、中井の演技ではなく話をじっくり聞いたのは初めて。でも中井の話は予想以上でした。

 

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一番印象的だったのは、時代劇への想いでした。風前の灯の時代劇を、彼はなんとか守っていきたいと考えている。確かに、近年時代劇映画への出演は目立ちますが、特に時代劇俳優というわけでもないにも関わらず、熱く語っていました。

 

時代劇はヒットする可能性が低く、製作者は腰を引きがちだそうで、出演者としても、出演作品が失敗することは俳優の名声にも関わり、下手をしたらその後仕事が来なくなることもありうる、と中井ですら心配してしまうそうなのです。つまり、中井ほどの俳優でも、時代劇出演にはリスクを感じている。

 

でも、彼が時代劇にこだわるのは、裏方さんの卓越した技術を途絶えさせたくないとの思いと、彼ら彼女らのプロ意識に敬意を抱いているからなのです。例えば、立ち回りは、主役を引き立てる殺陣師の技量によって成り立つ。主役が下手でも、殺陣師がうまければ主役が輝く。それは、衣装、化粧、照明、大道具などあらゆる分野でもそう。彼らは自分の仕事にプライドを持っている、その姿に中井は魅かれるのだそうです。

 

さらに、中井は父、佐田啓二の話をしてくれました。

 

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佐田が1956年「あなた買います」でブルーリボン賞主演男優賞を受賞したとき、受賞あいさつで、「次回は助演男優賞を目指します」と述べた。自宅に戻った佐田に夫人が、「みなさんは主演男優賞を目指しているのに、それを受賞したあなたが助演男優賞を目指すというのは、なんだかいやらしい。」と非難。佐田はこう応えたそうです。「主演は何もしなくても周りが引き立ててくれる。助演は自分の力で立たないとだめだ。だから助演男優賞が欲しいんだ。」

 

主役は、ある意味御神輿に乗っていれば、みんなが支えてくれる。本当の実力者は御神輿を支える側の助演俳優だ。たとえ自分は目立たなくても、実力で評価されたい。主演と助演に上下はない。あるとすれば、助演の方が上。そういうことなのでしょう。

 

中井は、父と同じく助演をはじめたとした他の俳優や裏方さんこそが、本当の実力者であり、それが日本映画界の財産。それを守り後世に残していくのが、主演俳優たる中井のミッションだと考えているのだと思います。佐田の時代の映画界の雰囲気が、現在かろうじて残っているのが時代劇なのでしょう。

 

私はこの話を聞き、中井の俳優としての器の大きさに関心すると同時に、現場が上を支えていくという構造は、日本企業と同じだなと感じました。しかし、時代劇がまさに直面しているように、「変化」には脆弱で。そこが難しい・・。

 

ところで、女優高峰秀子も、別の表現で同じようなことを書いています。

 

四日で一本のドラマを作るテレビジョンなどと違って、(映画は)根気と愛情、そしてスタッフ全員のチームワークがとえれていなければ出来る仕事ではない。画面に映らない「かげの人」たちは、画面に映る被写体、つまり俳優たちのために髪を結い言い、ライトを照らし、カメラをまわし、移動車のレールを敷き、クレーンをあやつる。

 「私はいったい、この大勢のスタッフの努力に対して、俳優というクギとしての責任を果たしているだろうか?」 職業意識が、たとえ、わずかとは

takamine-kao.jpgいえ、私の心に芽を出したのはこのころからである。誰に教えてもらったものでもない。

 本で読んだことでもない。五キロ、十キロのライトを全身の力で押し上げるライトマンの光る汗を見ながら、いつか私は、それを、経験から教えられていたのである。人間は環境に慣れやすい動物だというけれど、十三歳の私の柔軟な心に、人間はみな一本のクギという東宝の「気風」が、ごく自然にしみこんでいったようである。

  画面に出る人も出ない人も、みなが理想の楼閣を作り上げたいという目標の前で、平等な「一本のクギ」である。(出所:「私の渡世日記」)

 

神輿に担がれる人としての責任、これはとても日本的ですが、忘れてはならないものだと思いました。

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