2014年3月アーカイブ

今朝の新聞各紙にファーストリテイリングが、国内に3万人いるパート・アルバイトのうち1.6万人を正社員とするとの記事がありました。ブラック企業と叩かれた同社でもあり、世間のベ-スアップなどの雇用重視の流れに従ったものにも見えますが、もっと深い意味がありそうです。

政府の要請によりしぶしぶベースアップに応じた大企業とはスタンスが異なります。まず非正社員の否定すなわち、正社員主体で業務遂行するという大方針を示したことがまず大きな違いです。(現在正社員約3400人に対してパート・アルバイトは3万人)さらにその目的が、従業員への雇用保障や配分を増やすという厚生面にあるのではなく、あくまで世界で勝つことであり、その手段の一つとして正社員化があるということです。

 

では、どうやってFRを世界一にしようとしているのか。柳井社長が3/11の幹部向け講演(「FRコンベンション」)でそれを語っています。(それを読んでいただければいいですが、ポイントを列記しておきます。)


・世界一になるには世界最高の店の集合体でなければならない

・そのためにそこで働く従業員の働き方を変えなければならない

・店長だけでなくスタッフ全員が経営者となり独立自尊の商売人にならねばならない

・スタッフは機械と違って取り替えがきかないので、スタッフが成長できるように支援し、長期間働ける環境を整備する

・少数精鋭とし、チームとして支えながら結果を出す

・スタッフ全員に経営情報を開示する

・店長は、自分の時間の9割をスタッフとの対話に使え

・販売員には今の二倍の効率を求める。その代わり雇用は守る

商売の結果に応じて報酬が決まるようにしていきたい。

・何のために生き、使命は何かをスタッフ一人ひとりに問い続けろ

・本部発ではなく店舗発で会社を変えていきたい

人の言うことを聞いて、疑いもなく作業する人はいらない。何が最適なのか、自分がやるべき仕事が全体から見てどうなのかを考えてもらう。そして、「これが自分の店だ」「自分が誰よりもこの店に貢献している」と思えるように変えていきます。

・(自分が)「この店」と決めたら、「こういう店にします」と宣言してもらって、最低3年間は、そこで店長をしてもらう。店長自ら商売する店舗を選び、販売員は店長の仕事ぶりを評価する。本部も同じです。部員が、部長やリーダーを評価する制度に変えていく。

・ 誰でも夢があると思います。どんなに小さな夢でも、一人ずつが夢を持てる会社にすること。その実現に向けて、歩んでください。

 

チェーンストアは一般にトップダウン組織ですが、柳井社長はボトムアップの組織に変えたいと言っています。つまり、現場の知やダイナミズムが全社を動かしていくように「会社の仕組みを180度変える」と宣言したのです。これは、サムソンの李会長が1993年にフランクフルトで幹部に行った有名な「妻と子供以外は全部変えろ」演説に匹敵する内容だと思います。

これまで柳井社長の鶴の一声で動いてきたトップダウンの典型だった同社をボトムアップに変えることは、柳井社長自身が最も変わらなければならないことを意味します。もちろんそんなことは百も承知でしょう。トップダウンでない方法でボトムアップを推進するという、大難問に柳井社長は立ち向かうことになりました。この大方針転換をどう実現させていくのか。


柳井社長はこうも述べています。経営者意識を持ってほしい社員に対する言葉ですが、自信にも向けていることでしょう。


私は、経営者には、2つしか仕事がないと思っています。

 一番大事なのは教育すること。経営者は全員、教育の担当であり、人事の担当でないとダメ。それが一番大事です。

 もう1つが利益責任。利益がなければ誰も幸福になれません。今日の生活があるのは、利益を上げてうまくビジネスをしているから。そのお陰で今、存在できているわけですから。

人間にはさまざまな行動原理や思考原理があります。またそれらには、共通した原理を持つレイヤーがあります。例えば、人類、民族、国籍、性別、年代、などであり、最後は個人固有の原理にまで細分化されます。

 

我々日本人は、画一性が相対的に高いため、原理の存在や異質性に気付くことが不得手です。「話せばわかる」「結局同じ人間なんだから」など、異質性を否定したいとの言い回しは枚挙にいとまがありません。私もそれで何度も失敗してきたように思います。まずは、自分および自分が属すと考えられる集団の行動・思考原理を認識することが大切です。


日本人は日本人論が好きなのは、そんなところに理由があるかもしれません。ただし、日本人の行動原理を知って、「なーんだ、自分もしっかり日本人なんじゃん」と安心して終わる傾向があるようですが・・。大事なのは、自分の独自性を認識すると同時に他者の異質性をも認識し、自分と同じだけ他者を尊重するという姿勢だと思います。それがなかなかできない。

 

最近つくづく感じるのは、日本人は他者との関係を次の二つでしか捉えられないという点です。つまり、敵対的関係かそうでなければ合流する関係かのどちらかです。合流する関係とは、一方が他方を飲み込むか従属させる関係です。まれには、両者とも完全に各々の独自性を喪失してひとつになる関係もありえます。日本企業のM&Aを見れば歴然です。うまくいくのは三井住友銀行のように飲み込む関係であり、対等合併を志向したみずほ銀行は予想通りうまくいきません。(三行という数がそれをさらに複雑化し困難にしている)


欧米の企業は一般に、それとは違う関係を築きます。二社が独自性を維持しながら協力体、補完体を構成することを標ぼうします。そのほうが双方にとって「得」だからです。なぜそれが日本では難しいのでしょうか。そこには日本人固有の行動・思考原理が働いていそうです。

 

中根千枝氏の「適応の条件」には、そのヒントがたくさん書かれています。

 

1)日本人の人間関係は、特定の二者間の関係を基盤として構築され、その関係の累積が集団の組織となる

2)二者の相互関係は、異質性を認めず(二項対立がなく)連続を前提とする。すなわち、二者はそれぞれそれ自体個体としての独立性はなくなり、両者はつながってしまう(点と線の関係ではなく面となる)

3)この関係は、相手の意を本当に汲んだり、相手を充分認識するという能力を低下させる

4)そうすると、より積極的なほうが身勝手に主観的に相手を把握しやすく、力関係が問題解決の手段となりやすい

5)その背景としては、下位に立つ者が上位に立つ者に対して譲歩するのが当然という権力構造の助けを借りることによって、相互のアジャストメントをスムーズに行わせるというシステムの存在がある

6)また前提には、ヒエラルキーの頂点あるいは自己という基点を設けて、そこからの距離によって他の人々、集団を(同質のものを連続的に)位置づけるという社会の認識枠組みがある

7)その中で関心を持つのは、主観的には「より自分の(質的に)近くにいる」人々か、客観的には集団の格付けによる体系において「より頂点に近い」ところにいる人々である

 

上に列記したことそれぞれに、いろいろな現象を説明する事例がいくらでもあげられそうです。


こういう原理を当たり前と思い、原理が異なる人々に接するとどんな軋轢が生じるか、たとえば現在の日本の外交関係によく表れていると思います。


適応の条件 日本的連続の思考 (講談社現代新書)
中根千枝
B00CU8JRI6

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