映画「日日是好日」を観て

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利休を扱った映画はいくつもありますが、「茶道」そのものを題材にした映画は、とても珍しいのではないでしょうか。本作は、茶道と関わって変化していく黒木華演ずる典子が主人公ではありますが、本当の主人公は茶道でしょう。

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茶道の作法を撮影することは可能ですが、茶道の心を撮影するとなると、それは容易ではないことは想像つきます。

 

そのための大森監督が取った手法は、典子の変化(成長といってもいいかもしれません)によって茶道の心を映すというものです。それは成功していると思います。

 

そして根底に流れるのはこの言葉です。

 

世の中には「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐにわかるものはすぐに忘れる。すぐにわからないものは、長い時間をかけて少しずつ気づいて、わかってくる。

 

茶道に限らず、古来日本では「すぐにわかるもの」を重視しない傾向があります。それは、現代の風潮にはそぐわないこともあるでしょう。でも、弊害が世界中で広がっています。だからこそ、今この言葉を噛みしめることも大切なのだと思います。

 

この映画は、典子がまだ子供の頃、両親に連れらフェリーニの映画「道」を観て、帰宅した場面から始まります。典子は「暗くてつまんなかった」と述べる。しかし成長した典子は、再び「道」をとめどなく涙を流しながら観るようになる。

 

映画の内容は不変でも、それを観る人間が変わるため、その評価も大きく変わる。ただ、人間はそうすぐに変わるものではない。時間をかけて経験を積むことで、それまで見えなかったものが見えてくるようになる。

 

茶道の作法には不変の「型」があります。その型に従って毎週稽古を重ねることで、典子はふとしたきっかけで自分自身の変化に気づいていく。変化に気づくのか、気づくから変化するのか、どちらなのかはよくわかりませんが、型の存在がそれを可能にしているのです。日常を大切にするとは、そういうことなのでしょう。

 

典子は次第に、自然と一体になる感覚を味わうようになっていきます。それは、新しい能力を会得したというよりも、本来誰もが持っているものの、「頭」の働きでスイッチオフの状態になっていた能力を、スイッチオンに切り替えたというほうが適切でしょう。

 

それを観客に実感させることを可能にしたのは、この映画の自然描写の素晴らしさだと思います。是非、観て下さい。

 

二十歳の大学生だった典子が最後は40代半ばになりますが、ずっと黒木華が演じています。二十歳は多少無理ありますが、内面の成長を姿形に表現できるその才能は大したものです。

 

キャッチコピーに「静かなお茶室で繰り広げられる、驚くべき精神の大冒険」とは、なかなか的を射ています。本来、大冒険はアウトドアでではなく、精神においてなされるものなのかもしれません。それを理解していた昔の日本人は、やはりすごいですね。

 

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このページは、ブログ管理者が2018年11月 2日 14:20に書いたブログ記事です。

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