2012年1月アーカイブ

論理思考の重要性に一般のビジネスパーソンが注目しだしたきっかけは、1995年にバーバラ・ミント著「考える技術・書く技術」(ダイヤモンド社 山崎康司訳)が日本で出版されたことでしょう。本書は、世界の経営コンサルティング業界では必読書となっていました。私も90年にコンサル業界に入ったとき、その原書を渡され苦労したものです。

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則
バーバラ ミント グロービスマネジメントインスティテュート Barbara Minto
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翻訳した山崎さんがその翻訳企画を持ちかけてこられた際、誰もが日本では売れないだろうと言っていました。私もその本の価値は認識していましたが、同感でした。ところが、なんとか出版にこぎつけたところ、思わぬ大ヒット、びっくりしました。

 

その理由は、バブル崩壊でこれまでの仕事の進め方ではだめだとの認識を多くの方が持ち、その解を探していた時期だったことが大きいと思います。それまでは、「仕事は理屈じゃない!」というのがまだまだ主流でした。また、Eメールが少しずつ浸透するタイミングであったこともあります。本のネーミングもすごく良かったと思います。たしか、編集者の発案だったと記憶していますが、本書のコンセプトをズバリひとことで表現しており、さすがプロ!と感心したものです。考えることは書くことで深まり、書くこととは考えることである。

 

本書は論理思考のテキストではなく、それを前提として分かりやすい文章やレポートを書くためのテキストです。つまり目的はコミュニケーション。しかし、そもそも論理思考とはなにかがわかっていなかった多くの読者にとっては、そっちのインパクトのほうが大きかったのかもしれません。その後、ご存知のとおり論理思考が一大ブームとなりましたが、ライティングやコミュニケーションのほうは、それほどブームとはなりませんでした。

 

企業研修のプログラムを企画する際、何はともあれ「論理思考」を最初に入れたいとの要望もどんどん増えていきました。もちろん多くのビジネスパーソンにとって、それは不可欠でありかつ今まさに欠けているスキルだったので、それも自然な流れだったでしょう。

 

それから15年以上が経過し、いまや論理思考の重要性はビジネスパーソンのみならず日本人一般にとっても共通認識となっているのではないでしょうか。それでは、その効果はどうでしょうか?

 

ここ数年、「社内でSo what? Why?を連発する若手が増えているようだ」、「批評家は増えたけど、自分では実行しないね」といった言葉を人事の方から聞くことが増えてきました。「論理思考」を武器と考え、それを使って自らの存在意義を示すことに喜びを感じているようなのです。

 

論理思考は、若手経営コンサルタントにとっては必要不可欠な武器であることは間違いありません。彼ら彼女らはあくまで第三者であって、クライアントの実行には責任を持たないため、それだけでもいいのです。しかし、一般のビジネスパーソンは、コンサルタントではなく当事者であり「実行者」でなければなりません。いくら社内で「論理思考」という武器を振りかざしてみても、単なる「理屈野郎」と呼ばれ疎んじられるのがおちです。そこを勘違いする若手がどうやら多いようなのです。(その後も、コンサルタントのノウハウ公開的な本がたくさん出版されヒットしました)

 

求めるべきは「論理思考」という思考法ではなく、それをベースした問題解決でありコミュニケーションです。目的と手段を取り違えてはいけません。

 

また、論理思考とは分解することとセットになっています。科学的に分析することの基盤ですから当然でしょう。まさに若手コンサルの仕事の大部分はこの分解であり分析です。しかし、近年ビジネスの現場では分解よりも「統合」のほうが重要です。創造やイノベーションは異分子の結合によって生まれます。(ざっくり)20世紀は分解の時代だったかもしれませんが、21世紀は統合の時代だと言えると考えます。だから、今、論理思考至上主義(もしそんなものがあるとすれば)は危険なのです。

 

3.11以降、人々はそれに少しずつ気づきつつあるようにも思いますが、人の意識が変わるのは思う以上に時間がかかります。「論理思考」浸透の片棒を担いだひとりとして、できるだけ機会を捉えそのあたりを語りつづけようと思っています。

さよなら!僕らのソニー (文春新書)
立石 泰則
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創造性溢れる企業が、時間の経過と規模拡大に伴ってそれを失い、平凡な企業へとなっていく、これは珍しいことではありません。それでも、それが「ソニー」という、ある時期の日本人にとって象徴的な企業の場合、当然と流してしまう気にはなれません。本書は、そういったソニーに対する愛情溢れる立石氏による、変貌過程のルポと言えます。

 

立石氏より約一まわり年少の私は、彼ほどの思い入れはないとはいえ、それでもやはりかつてソニーは特別な存在でした。なので、少なからず共感しながら一気に読みました。

 

ソニーの変貌は、創業者の存在感が薄れていくという時間の要素、企業規模拡大に伴う管理の必要性の要素、そしてグローバル企業となったが故に起こった要素、の三点にあるのではと本書を読んで感じました。それらは当然、「経営者」を起点にして絡み合っています。

 

以下は、本書の記述を信じたうえでの私の解釈です。

 

創業グループに属する大賀社長は、盛田氏から次の社長は技術畑からと申送りされていました。しかし、本命がスキャンダルで脱落したため、ハー

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ドとソフトの融合に思い入れの強い出井氏を抜擢します。大賀氏は、盛田氏との約束を破ったことになります。それゆえか、大賀氏は社内基盤の弱い出井氏の後見として影響力を維持しようとつとめますが、やがて院政をよしとしない出井氏は反発し、関係は悪化します。

 

正統性に乏しく社内基盤の弱い出井氏は、グローバル・スタンダード経営という、当時の経営環境や社会の雰囲気から、誰もが反対しづらい旗を立て、過去のしがらみや先輩らからの影響力を排して自らが主導できる経営体制を構築しようとつとめます。それが、CXO体制、執行役員制度、社外取締役制度のような人事&ガバナンス制度、eHQEVA、製造のアウトソースなどの組織&経営管理手法といった、当時先進的だと持ち上げられた多くの経営改革手法です。

 

それまでの社長に比べて正統性の低い出井氏は、短期間で高い業績を上げ、数字で権威を得るより仕方なかった。しかし、思ったような成果は上

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げられず、自分が指名した社外取締役からなかばNOを突きつけられるような形で退任した出井氏は、誰も予想しなかった米国人、ストリンガー氏を後任社長に指名します。「エレクトロ二クスのソニー復活」を掲げて新体制を敷くことを決定したにもかかわらず、技術畑どころかソニー製品に関わってこなかった、日本には住まないと明言しているストリンガー氏を、です。出井氏が影響力維持を望んで、院政をひきやすい人を選んだという見方もできます(オリンパスにおける菊川氏とウッドフォード氏との関係が頭をよぎりました)。自らが受けた仕打ちを、今度は自分が後任にする・・・。そして、今度は平井次期社長に・・・。本当にそれが会社にとって正しいことだと考えていたのでしょうか。

 

投資家の影響力が強い上場企業であれば、強い正統性を持たず、かつ戦略を描けない経営者は、すぐに「数字」で結果を示すしか生き残る方法はありません。したがって、どうしても短期志向にならざるをえない。特に、海外市場や海外投資家の影響力の強いグローバル企業ではそうです。そして、それを促す仕組みが、ソニーが先鞭をつけバブル崩壊後に日本企業に浸透した「グローバル・スタンダード経営」なのです。

 

ソニーという戦後の焼け野原から生まれ出た日本企業がグローバル企業になっていくには、避けて通れなかった道なのでしょうか。「グローバル・スタンダード経営」は本当に必要だったのか?仮に必要だったとして、そのための手法は適切だったのか?あるいは適切に運用されていたのか?手法やツールは、使う人の意識や能力によって毒にも薬にもなりえます。今のソニーは果してどうなのでしょうか?

 

アップルが復活したのは、その逆をいったから、すなわち正統性を持つジョブズが復帰し、それまでスカリー以降の経営者が進めてきた「グローバル・スタンダード経営」を強引にぶち壊したから、とも言えるでしょう。かつてジョブズがソニーを尊敬していたことを思えば、皮肉なものです。

 

 

本書で語られるソニーの事例は、ソニーという特別な企業だから、と考えることもできますが、一方で多くの日本企業が参考にすべき点が数多く含まれている気もします。

 

ソニーはこのまま存続を続け、場合によっては再成長するかもしれないが、もはや「僕らの」ソニーは失われてしまったと嘆く著者の愛憎半ばする感情も理解でき、ちょっと複雑な読後感でした。

必ずいつもその著者の書いたものを読みたくなるのは、著者のものの見方や感じ方、距離感の取り方、つまりパースペクティブに共感するからだと思います。常にいつも共感するわけではないのですが、何となく「ツボ」が似通っているという感じ・・・。説明するのは難しいですが、ありますよね。

 

私も何人かいます。意外?なところでは、中野翠。サンデー毎日の連載が毎年単行本になるのですが、毎年それを(なぜか)古本屋で買って読むのが恒例です。そのツボは別途書きたいと思います。

ごきげん タコ手帖
中野 翠
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今日書きたいのは、デザイナーの原研哉です。先日読んだ「日本のデザイン」(岩波新書)にも、多くの共感する見方がありました。厳かに膝を打つ、という感じです。例えば、こんな記述。

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)
原 研哉
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東日本大震災の折、アメリカ合衆国の日本援助活動の名前は「オペレーション・トモダチ」であったが、これは微妙に不気味でもあった。「トモダチ」というワッペンを付けて現れる人々は本当に「ともだと」なのか。大震災の支援は「ともだち」を強要しない国々や組織からの援助も多大であったわけで、そのあたりに実は深い感動もあった。結局、は人も国も「関係性へのデリカシー」が今後は重要になっていくということなのだろう。

(中略)いずれにしても、「オープンネス」と「シェリング」に対する感受性が、今後の社会を住みやすくも住みにくくもするのだろう。

 

私も「トモダチ作戦」(カタカナ表記が一般的だったと思います)には、感謝する気持ちと一方で何となくざらついた感覚のふたつの感情を抱き、それが妙な気持ち悪さになっていたように思います。滝沢直樹の「20世紀少年」に出てくる「ともだち」に、どこかで結びつけていたのかもしれません。

 

原の上記の文章を読んで、その何となくの気持ち悪さの原因がわかりました。「トモダチ」は必ず「非トモダチ」を作り出す。「オープンネス」も「シェアリング」も、それが正しいだけに、オープンでなかったりシェアを拒む人々を抑圧する原因にもなりうるのです。例えばフェースブックは、オープンでシェアを基盤に成り立つコミュニケーション・インフラですが、そこには隠れた裏腹な何かを秘めているようにも漠然とですが感じています。この感覚は非常に個人的なもので、他人にうまく説明できませんでした。原の表現を借りるならば、「関係性へのデリカシー」の問題なのでしょう。

他にも、公平性とか互酬性(私がこれだけやってあげたのだから、あなたもこれだけしてくれなくてはおかしい)も難しい問題を生みだしかねません。

 

原はこうも言います。

 

個々の自由が保証され、誰もが欲しいだけ情報を入手することのできる社会においては、人々は平衡や均衡に対する感度が鋭敏になる。

 

確かにそうですね。自分に不利になっている(と思われる)バランスを均衡させるべく行動することが、資本主義のエネルギー源と言えるでしょう。それは、他者と比べて不利なのかもしれませんし、あるいは昨日の自分よりも不利なのかもしれません。フランスの経済学者(名前忘れましたが)が、「幸福感は、それが増加しているときにのみ感ずる」といったニュアンスのことを書いていました。均衡していたら幸福感を得られないのですから、永遠に幸福にはなれないわけです。情報が増えれば増えるほど、その傾向は強まる。「我、唯、足るを知る」やはり、仏教は真理を語っているのです。

 

 

共感できる書き手がいるということは、自分にとっては財産です。これも「関係性へのデリカシー」のひとつの形なのでしょう。

 

今朝の朝日新聞で、今や日本を代表する現代美術家である村上隆のインタビューを興味深く読みました。彼は明確な戦略のもとで世界を狙って成功しています。

 

なぜ海外で評価されているのか、との質問にこう答えていました。

 

日本の美を解析して、世界の人々が「これは日本の美だな」と理解できるように噛み砕いて作品を作っていることだと思います。僕は、戦後日本に勃興したアニメやオタク文化と、江戸期の伝統的絵画を同じレベルで考えて結びつけ、それを西洋美術史の文脈にマッチするように構築し直して作

727727(l).JPG品化するということを、戦略的に細かにやってきました。それが僕のオリジナリティーです。

 

なるほどねー。マーケットを世界に定め、彼らに分かりやすくすることを重視している。いいものはいいんだ、というありがちな作家の一人よがりはありません。そして、作品の題材は、一見異なる戦後日本のサブカルチャーと江戸期の伝統絵画を交差させたこと。我々日本人から見れば、この二つを交差させることによる違和感やそれは変だという理由はいくらでも説明できます。

 

しかし海外コレクターから見れば、戦後のアニメやオタク文化も琳派などの江戸絵画も、自分たちと異質な視点で形成されたという意味では同じレベルにあります。というか、同じレベルであっても、さほどおかしくは感じない。さらに、西洋美術史の文脈にマッチするように構築し直すことで、彼らの認識の土俵に置いてあげている。きっと、彼らから見れば自分たちが村上を「発見した」と思うのでしょうが、実際は発見するように綿密に仕向けているのです。

 

こういった、一見すると異質なもの同士を、受け手の文脈にマッチするように再構築して、受け手に発見の喜びを与えるという戦略は、アート以外の世界でも使える気がします。創造とは「異質の組み合せ」ともいいますし。

 

科学的創造の話ではありますが、1791年に英国で内燃機関の特許が取られてから、1885年にベンツによって自動車が開発されるまで100年近くかかっています。内燃機関と車輪を結びつけ、移動手段という文脈にそれらを置くことは、後で思うほど容易ではないのです。「(19世紀の)馬車の利用者にどれだけインタビューしても、誰も自動車がほしいとは答えない」と言ったのは、スティーブ・ジョブズです。誰も想像すらしていないものを、組み合せて創造した人こそ真のイノベーターです。

 

 

話を戻しますが、文脈にそったうえでの意表をついたズレと連結が、人間の感情を揺さぶるのでしょう。村上やジョブズのようにそういった仕掛けをデザインできたら、きっと楽しいでしょうね。

 

これからの社会では、経済活動と人間の感情の結びつきがどんどん強くなっていくことは間違いありません。その時、村上のようなマインドというかスタンスは、ビジネスパーソンにとっても重要になってくるでしょう。

昨日、今話題沸騰の東京国立博物館「北京故宮博物館200選」を見にいったのですが、何と入場は60分待ち、目玉の「清明上河図」を見るのにさらに210分待ちとあり、さすがに諦めました。でも、せっかく上野まで行ったので常設展を見てくることにしました。常設展は有難いことに無料です。

 

常設展では、「日本美術の流れ」のタイトルのとおり、古代から近代までのあらゆる一級の作品が時代、テーマごとに展示されています。その質、量とも圧倒的で、日本美術教科書の実物版の趣き、国宝もたくさんあります。会場は広々としているし、客はまばらだし、ゆったりとかつ豊かに楽しむことができました。これは絶対お薦めです。

 

これだけの作品群を一同にみることで、日本人の深層に流れるものの考え方や志向、価値観がよくわかります。それは繊細、丁寧、緻密、簡潔といったものです。それをいつの時代も大切にしていました。もちろん、桃山時代みたいに絢爛豪華を振れた時期もありますが、そういった時期は長くは続かずすぐ揺り戻しがあり、大きな流れは変わっていません。秋にみてきたヨーロッパの芸術作品とは明らかに志向が異なります。

 

例えば研ぎ澄まされた鎌倉や室町時代の刀剣、形はいたってシンプルです。でもその鋭い輝きは、みる者に精神性を感じさせます。もちろんみる人によって受けとめる精神性はさまざまかもしれませんが、こちらに訴えかける「力」は誰でもが感じることでしょう。

 

また、禅画や墨跡、墨一色で、非常に多くの情報を発信しています。作者

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の性格、その時の感情、生き方、そんなものまで伝わってくるようです。でも、それらは合理的にはなかなか説明できません。日本の美術作品の多くにいえることは、みる側に多くを委ねているということです(これは能などの芸能にもいえます)。

 

つまり、作者はみるものの想像力を刺激する「入れ物」を用意しているにすぎない。その「入れ物」に何を入れるかは、完全にみるものに委ねているのです。時に強く主張する作品もなくはないですが、日本人の美意識ではその価値を認めにくい。「説明」を嫌うのです。そのあたりは、日本オリジナルなのではないかと思います。想像することを重視するがゆえ、「見立て」に大きな価値が置かれる。

 

こういった独特の美の世界では、つくり手とみるもの(使うもの)の間で、暗黙に了解された美意識や文化的素養が必要です。海に囲われた日本列島という地形の特殊性がそれを可能にしたのでしょう。しかも、ときどき海を渡って入ってくる海外(中国、朝鮮、ベトナム、オランダなど)の美的情報も、その希少性ゆえ、適度の日本化される余裕もあった。希有といえば希有な環境です。(その意味では、戦後のアメリカ文化の流入は過剰だったかも)

 

では、グローバル化が進む今後はどうなっていくのか。私は楽観的です。これからの日本人にとってのグローバル化は、自らのアイデンティティ認識がなければ難しくなるでしょう。それにみんな、何となく気づいているように私は思います。昨年の東日本大震災が、それを後押しする契機にもなっているのでは、ないでしょうか。

 

美意識とは決して芸術や文化の世界だけのものではなく、経済、政治などあらゆる場面で活かされるべきものです。2012年は、日本人自身が、日本が海外に誇れる最高の資源はこういった「美意識」にあることを、再認識する年になるような気がします。

ここ数年、企業の人材・組織開発において「自律」あるいは「自立」は大きなテーマであり続けています。安易な世代論では、「最近の若者は自立していない。その原因は日本が豊かになったから、子供の数が少ないから、ゆとり教育のせい・・・」などと勝手に論じます。私は、そういう議論はどれも的外れだと思います。

 

日本人は(少なくとも)戦後はずっと自立しておらず、その傾向は大きく変わっていない。ただ、バブル崩壊以降、それをよしとしてきた環境が変貌し、もう許されなくなってきている。だから、現在それは大きな問題なのだと考えます。

 

日本では、子供を伸び伸び育てることを重視します。幕末から明治にかけて来日した欧米人は、日本では子供が王様で、大人は子供のしたいようにさせていると、驚いています。まさに、「伸び伸び」育てている。個性化の旗のもとに、その傾向はずっと続いている、いやさらに強化されているようです。

 

しかし、やがて子供は思春期になり様々な社会のルールを知り、制約をどんどん増やしていきます。社会人になる頃には、すっかり子供時代の自由さを忘れ、企業や組織への適合を最優先させてきました。家族を持つことで、されにそれは強化されます。このように、子供から大人になるプロセスとは、自由から不自由になる、つまり自らの判断では行動できなくなるプロセスと言えます。日本における自律とは、自ら判断して自らの責任で行動するのではなく、与えられた規則や枠組みを受け入れ、その枠外に逸脱しないように自己規制すること、だったのではないでしょうか。自動車の全く走っていない道路を横断しようと、じっと信号待ちしている歩行者の姿が思い浮かびます。社会の前提となっている枠組みが適切であれば、これほど効果的なことはありません。

 

一方、欧米では、子供は自由ではないそうです。フランスへの留学経験のある年配の方から聞いた話です。ヨーロッパでは、子供は未完成の人間なのだから、犬や猫と同じ。自由にさせるなんてとんでもない。理由など告げず、口答えも許さず、ダメなものはだめと言い渡すのみ。それが躾。やがて成長するにつれて、分別も分かるようになり、自由裁量の余地が大きくなっていく。ただし、自由と責任は一対のものであると考えられるようになることが大前提です。こうしてかつての子供は、自分の力で少しずつ自由を獲得していく。そうなると、大人も彼らを大人として対等に扱うようになります。自分で判断して、自分の責任で自由に振る舞う。これが、欧米での自律であり自立することです。

 

日本は自由から不自由に、ヨーロッパでは不自由から自由に、人間が成長するプロセスにおいて、個人と社会の関係性が正反対の方向に向かっている。これは、長い歴史の中で培われてきた社会の仕組みであり、一朝一夕に変わるものではありません。しかし、現在の日本は、グローバル化のもとで、否応いなく欧米型の枠組みへの適合を迫られています。そこに大きなコンフリクトが生まれているのです。

 

では、今どうするか?日本企業において、子供の教育論を議論しても意味ありません。大人である社員を、どうグローバル経済に適合させるか。それは損得しかありません。つまり、合理的に考えてそっちを選択したほうが明らかに自分にとって「得」だと認識させることです。組織にとって、それは勇気のいることでしょう。なぜなら、企業組織の中には、過去の個人と社会の在り方のほうに適合している人のほうがまだ圧倒的に多く、また彼らが権限を握っているからです。そこをあえて突破するには、トップの強力なリーダーシップが必要でしょう。

年末年始は普段観ないTV番組をたくさん観ました(ほとんどNHKですが)。その中でふたつの番組が目をひきました。ひとつは、料理研究家の栗原はるみが、イギリスの一つ星レストランで一週間だけのコック修行をしている様子を追ったもの。もう一つは、盲目のピアニスト辻井伸行が自作曲作りをする姿を追ったものです。

 

両者に共通するのは、一見不必要に見えるチャレンジをする姿勢です。

 

栗原は既に64歳。日本で最高峰の人気を誇る料理研究家です。もう十分成功したと言えます。でも、彼女はこのままではいけないと考えたようです。きちんとした調理の修行もせず、主婦の延長線上でここまで登りつめ

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た栗原は、お金を払ってもらって顧客に料理を提供する経験がありません。そこにコンプレックスなのか、欠乏感なのかよくわかりませんが、ぽっかり穴が空いていると感じたようです。その穴を埋めるべく、ロンドンのソーホーで人気の37歳のオーナーシェフが経営するフレンチレストランでの短期修行を敢行します。

 

息子か孫の世代のコックたちが、生き馬の眼を抜くように働き続ける厨房。ありがちなタレントが体験修行する設定ではなく、まがりなりにも料理の道の専門家が挑むのです。挑むといっても下働きくらいしか、させてもらえません。60歳から習い始めたという英会話も、なかなか堂にいっていますが、容易には伝わりません。TV番組とはいえ、生易しいものでないと想像できます。どこの国でも職人の世界は同じ。34歳の料理長は彼女のかけた言葉を無視したりします。ただ、最終日には、彼も心を開いて彼女のつくる料理を誉めていました。

 

わずか5日間の修行ですが、お金をもらって料理する大変さを痛感するのと同時に、その喜びをも感じ取っていました。映像では、後者のほうが圧倒的に大きいように見えました。それを語る彼女の姿は、本当にいきいきとしてまぶしく見えました。この経験で、彼女のこれからの仕事は、一回りも二回りも大きくなることは間違いないでしょう。

 

 

一方の辻井は23歳。2009年にクライバーン国際ピアノコンクールで優勝し、3年間の世界ツアーを約束されています。その高い技術は世界中で絶賛

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され、スケジュールはいっぱい。それでも、彼は自作曲に取組みます。自分をさらに成長させるには、演奏とは異なる形で自己表現する必要があると考えたようです。201111月のNYカーネギーホールでの単独リサイタルで、自作曲を披露することに決めます。

 

当たり前ですが、演奏と作曲は別もの、別の才能と鍛錬が必要です。即興で作曲した演奏は、以前から好評でしたが、きちんと作曲するのはまた別ものです。その勉強にと、作曲家でピアニストの加古隆を訪ね、教えを請います。

 

そこで、作曲の際、左手で和音を弾くのやめさせ、右手だけで弾きながらメロディーを創ることを指導されます。すると、それまでは、溢れるように湧いてきたメロディーが全く浮かんでこなくなってしまいます。そんな自分に、彼はパニックに陥ってしまったように見えました。加古は、優秀な辻井に、曲を創り込むことの大切さを伝えようとしたのでしょう。

 

辻井は、映画音楽の作曲にもチャレンジ。盲目の彼は、監督から言葉で映像イメージを伝えられながら、その場で作曲していきます。しかし、監督からはダメだしが続きます。そして苦闘、観ているこちらがつらくなってしまうほど。なぜ、そこまでして作曲をするのか、疑問を感じずにはいられませんでした。

 

昨年11月のリサイタルは大成功。アンコールで弾いた自作曲に、観衆はどよめきました。終了後、これまでにない感動を味わった辻井は、飛び跳ねて喜びを表現していました。

 

 

栗原と辻井、年齢とキャリアの差こそあれ、二人とも世間的には成功者です。でも、決して現状に満足しません。大きなリスクを冒してでも、チャレンジを続けずにはいられません。だからこそ、二人はそれぞれの道を究めることができるのでしょう。

 

その尊さ、まぶしさに、心を揺さぶられ、二人の苦悩にゆがむ顔を見ながら、我が身を振り返らざるをえませんでした。2012年、二人とはあまりにレベルが違いますが、リスクを取ってチャレンジすること、それを常に忘れずに一年を頑張ってみようと思います。

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