2018年9月アーカイブ

映画を観て大きく魂が揺さぶられ、しばらく動けなくなることは滅多にありません。しかし、「祈り」三部作と呼ばれる、「祈り」(1967年)、「希望の樹」(1976年)、「懺悔」(1984年)を観た後、三本ともその滅多にないことが起きました。

 

これらはジョージア(グルジア)のテンギズ・アブラゼ監督の代表作です。これまで、私はこの監督を知りませんでした。何と無知だったことか。三本と詩的で哲学的で美的。時代はそれぞれ異なりますが、故国ジョージアの歴史と伝統を徹底的に掘り込むことで、普遍性を獲得しているのが素晴らしい。

 

「祈り」の冒頭に、「人間の美しい本性が滅びることはない」との詩が読まれます。これが、三部作を通してのメッセージになっているのでしょう。「美しい本性」を否定するような不条理な現実が、どの作品でも描写されます。しかし、微かな光は垣間見える。

 

「祈り」は日本初公開。

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ノクロームで描かれた、宗教劇のようなこの作品には、ほとんど台詞がありません。白と黒の対象が鮮烈で、色を全く必要としません。とにかく映像が神秘的で美しい。現実のものとは思えないほど荘厳な風景。

 



「希望の樹」になるともう少しストーリーらしきものがあります。ロシア革命前のジョージアの地方における、因習の愚かしさを描いた作品ですが、そんな一言では語ることは、この作品への冒涜でしょう。田舎の因習にとらわれる民衆だけでなく、革命を叫び子供に教え込もうとする男、昔の思い出に生きて村をさまよう年増の女。彼女はま

kibounoki.jpgるで、能に出てくる「女物狂い」のようにも見えます。奇跡を信じて希望の樹を探しまわって亡くなる父親と、父を送り出すその娘たち。賢さと因習を代表する村長。そして、悲しい結末を迎える若くて美しい娘と貧しい牧童。どの登場人物も、現代に通ずる何らかの人間像を表しているような気がします。いつのまにか、どちらが正常でどちらが異常かわからなくなる。どちらも人間には違いない。



そして、遺作ともなった「懺悔」。内容よりも、制作の顛末を書きます。この作品は、ジョージア出身のスターリンによる1930年代の大粛清を描いています。しかし、1984年はまだソ連時代。KGBが跋扈していた時代になぜ、制作することができたのか。ソ連崩壊時に外相だったシュワルナゼは、ジョージア出身です。アブラゼ監督は、旧知のジョージア共産党第一書記だったシュワルナゼにこの映画の脚本を見せたそうです。戦慄した彼はモスクワの検閲を回避するため、ジョージア独自制作が許されていた2時間のTVドラマ枠を利用することをアドバイスし、実行されました。大変な苦労を経て制作された作品を試写で観たシュワルナゼは、監督と抱き合って「これは必要な映画だ」と述べたそうです。

 

当局からいくつかの修正を指示され、その作業を行っている間にビデオテープが流出、ひそかに民衆の間に広まり熱狂の輪が大きくなっていく。一方、KGBからの警戒も強まる。

 

ちょうどその頃、モスクワではゴルバチョフが登場しペレストロイカの風が吹く。そうして198611月に公開され、ペレストロイカの象徴に。この「懺悔」が、ソ連崩壊を後押ししたようにも思えます。アブラゼ監督の勇気とシュワルナゼという政治家の存在が、映画を通じて時代を動かしたのかもしれません。

 

公開から3年後の1989年の秋、私は留学していたストックホルムから、学生訪問団の一員として、ソ連を訪れました。ペレストロイカから揺り戻しが起こりかけているような時期で、まだまだソ連は暗く貧しく、そして少し怖かった。その時の風景とこの作品をだぶらせて、希望の大切さと人間の勇気の偉大さを噛みしめました。


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