2011年11月アーカイブ

そう言ったのは誰だったか忘れましたが、本当にそう思います。アートがなかったら、人類にとってもっと人生は乾いたものになっていたことでしょう。

 

最近、3つの展覧会にいきました。「ベネチア展」(江戸東京博物館)、「ジャクソン・ポロック展」(愛知県立美術館)、「南蛮美術の光と影展」(サントリー美術館)です。

 

「ベネチア展」では、9月にベネチアの行ってきたばかりなので、その時の風景と感覚を蘇らせてくれました。旅行前にこの展覧会を観ておけば、また違った感じ方もあったと思い、やや残念。今回の展示は、ベネチア派の絵画展ではなく、都市の生活と芸術の関わりに焦点があたってい

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ました。作品の多くはコッレール美術館のものです。たしかに、コッレール美術館へも行きましたが、ちょうどその時期は「ジュリアン・シュナーベル

展」開催中で、常設の作品群はほとんど観られませんでした。でも、豪華で巨大なボウルルームに彼のこれまた大きな作品が並べてられているのは圧巻でした。

 

海上に浮かぶ小さな都市国家が、貿易による巨万の富を使って芸術で豊かに実らせていく姿が、この展示でよくわかります。どこか、日本にも通ずるところがありそう。食に関する展示もあり、そこの解説文では、芸術と料理が融合した17世紀のベネチアでカルパッチョ(料理)が発明されたという表現がありました(カルパッチョは当時の有名画家です)。でも、それは間違い。1963年にベネチアでカルパッチョ展が開催されていた頃、あのハリーズバーで考案されたものです。まあそれはいいとして、歴史と芸術の都市、ベネチアの魅力が立体的に味わえる展覧会でした。

 

「ジャクソン・ポロック展」は、生誕100年記念の日本発の回顧展です。最高傑作のひとつ「インディアンレッドの地の壁画」1950年)もはるばるテヘランから初出国で来ています(今テヘランの英国大使館は暴徒で大変ですが・・)。私も大傑作と思います。この作品を、よーく観てみてください。わけのわからない図形にすらなっていない絵画です。観ていて左脳を働かせる余地がありません。抽象画であっても、まだ四角や円などの図形であれば、そこから何か既存のイメージを想像しますが、それもできません。つまり、純粋に「感じる」ことだけで味あうことができるのです。それが彼の作品の優れた特徴と思います。では、どのように感じますか?ひとそれぞれと思いますが、私は・・・・・、言語にすると陳腐になるのでやめておきます。

 

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しかし、50年代以降の彼は苦しみます。50年に到達してしまった地点から抜け出そうともがくのですが、やればやるほど俗っぽくなり質が落ちていきます。ならば50年と同じスタイルの作品を量産すればいいとも思いますが、芸術家である彼はそれが絶対にできないのです。その苦悩が、その後の作品から痛いほど伝わってきて、観ているこちらも苦しくなります。そて、1956年飲酒運転による交通事故で死亡。いろんなことを感じて、考えさせる好企画だと思います。そう、アトリエの再現まであり、中に入れます。(写真もOK)

 

最後は、「南蛮美術の光と影展」。 天正少年使節の本(クアトロ・ラガッツィ)が蘇ってきました。15,6世紀日本におけるキリスト教(カソリック)の地位付けやその影響、そして悲劇が概観できる展示でもあります。もちろん目玉は、「泰西王侯騎馬図屏風」の左右両揃い踏み。誰が何の目的で書いたのか、今もその謎は深まるばかりです。

 

左右それぞれ4人ずつの騎乗する王が描かれていますが、王の描かれ方は余りに凡庸です。西洋の王は、家柄のいいお坊ちゃんばかりだと言わんばかりに。一方、馬に関してはどれも驚くほど緻密に迫力を持って描かれています。王より馬が主役のように。日本には当時描かれたアラビア種の馬は存在しなかったはず。馬は現代の戦車にあたる重要な兵器ですから、西洋にはこんなに強力な兵器があるのだと、江戸幕府に半ば脅しをかける目的で描かれたのではないでしょうか。私たちは兵器たる馬を贈呈することもできる。だから私たちを大切にしなさいと。それと同時に、兵器では西洋はすごいが、王の器は大したことはない。その点、あなた方(将軍ら?)のほうが遥かに立派である、というヨイショも忘れなかった。そう考えると、日増しに圧力を強められたイエズス会が、将軍に対する一発逆転を狙った贈り物として、この屏風が描かれたような気がします。二つの屏風の間に、偉大な姿に描かれた将軍の絵もあったら面白いですね。将軍が世界の王たちの中心にいて従えている、なんて。ちょっとヨイショしすぎかもしれませんね。観ていて、こんな空想が膨らみ、なんか楽しくなりました。

 

しばらくブログ書く余裕もなかったのですが、今回これを書いてちょっと気分がよくなりました。これもアートのサプリメント効果ですね。

人材開発部門がいくらいい研修を企画しても、事業部門がなかなか協力してくれないし、受講者も本気で研修に取り組んでくれず、ましてや業務で活かせない、そんな声をHRD担当者から聞くことがあります。

 

一方で、事業部門から人材開発部門に対してもっと研修への参加枠を増やしてほしい、こういうテーマの研修を企画して欲しい、との要望が絶えない企業もあります。

 

その違いは何なんでしょうか?私のこれまでの経験から、両社の違いを描いてみましょう。仮に前者をA社、後者をB社とします。

 

A社では、研修担当者がわりに頻繁に変わります。もちろん、どの担当者もいい研修プログラムを企画したいと張り切ります。それぞれ自分の思いを研修に込めて企画実施するのですが、最初はなかなかうまくいきません。その意図を事業部門と共有するのも、当初は難しいからです。頑張ってその研修を3年続けて、やっと事業部門との信頼関係もでき、満足度も高まった頃、その担当者は異動でいなくなってしまいます。もちろん後任に引き継ぐのですが、後任は後任で自分の思いを入れ込みたいので、プログラムは変化していきます。そうなると、出し手側の事業部門では、また意図を汲みかねる事態となります。

 

A社では「打ちあげ花火」のような目立つ研修を数年に一回はぶち上げるのですが、それを支援し続ける幹部もおらず、結局単発の花火で終ってしまいます。事業部門は、またか・・と思い、適当に付き合っておこうと思うようになるのです。

 

また、異動がなかったとしても景気が悪くなると真っ先に研修予算が削られ、今年は中止という事態も頻繁に起きます。つまり、じっくり時間をかけてその研修を組織に浸透させることが、A社ではなかなかできないのです。

 

 

B社は違います。B社では研修を10年単位で継続させることを、最初から想定しています。担当者の異動サイクルも概して長いようです。もちろん、10年間漫然と継続させるのではなく、毎年受講者や出し手である事業部門からのフィードバックを受け進化させていきます。そうなると、事業部門は研修の意図や効果を咀嚼し、どう活用してやろうかという意識になってきます。また、受講者のストックも増え、組織の中で口コミの評判も広がってきます。そうなると、未受講者は早く自分もその研修に参加したいと思うようになります。そうして受講した際には、後輩のために研修をもっといいものしたいとの思いで、非常に有益で建設的なフィードバックを返すようになります。その結果、研修の品質はどんどん良くなっていくのです。こうして組織の中にその研修が当たり前のものとして組み込まれていき、研修で学んで欲しいこと(スキルや意識など)が組織に浸透していくことになるのです。もちろん、景気が悪いからと簡単に研修を中止するようなことはありません。こういうことが当たり前になれば、事業部門としての組織の目的を達成するために、研修という場を手段としてうまく使おうと考えるようになり、人材開発部門に対して様々な研修要望を出すようになります。

 

この両社の違いはただひとつ、企業が研修をどの程度の時間軸で捉えようとしているかだけです。人が育つにも組織が変わるにも時間がかかることは誰もが理解しています。にもかかわらず、A社ではそのための手段を非常に短い時間軸でしか考えられなくなっている。それは、なぜなんでしょうか?

 

企業研修で、会計分野は定番中の定番です。思うに、20年前くらい前までは、必ずしもそうではなく、経理部門など特定部署向けか、選抜幹部候補者向けのプログラムだったような気がします。一体いつからそうなったんでしょうか?以下は勝手な私の推測です。

 

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1960年代から70年代にかけて、原価計算などの管理会計は製造業を中心に、盛んに研修が行われていた。QCサークルなどでの改善活動に欠かせなかったからだ。でも、営業などの非生産部門では全く会計には触れる必要はなかった。

 

その後、行き過ぎたQC活動の反動とコンピュータ化の進展に伴い、現場からQC活動は徐々に消えていった。それに伴い、管理会計の研修もされなくなった。

 

80年代半から始まったバブルは、一躍会計にスポットライトをあてることになった。財務会計の知識がなければ、資金運用(財テク)やM&Aの話題についていけなかったからだ。MBAホルダーが社内でも脚光を浴び、会計や財務の知識を駆使し社内を闊歩するようになる。一方、生産部門に陽はあたらず、管理会計どころではなかった。

 

そして90年代前半のバブル崩壊とその後長くつづく不景気が、さらに財務会計の重要性を高める。リストラを推進するためにはバランスシートを圧縮しなければならない。さらに、生産現場も開発現場も採算向上を強く迫られる。また、営業現場でもやはり営業効率や収益性という指標で絞られる。以前は、とにかく売れれば何でも良かったものが、「利益」の上がるものだけを売れと変わった。極めつけは、顧客の決算書を読み込んでコンサルテーションできなければ一流の営業マンではないとする企業まで現れた。

 

またこの頃から、管理職たるものPLBS、さらには目新しいキャッシュフローを理解できなければ失格といわれるようになった。以前は、いかに部下を管理するかだけを考えろといわれていたのに。

 

こうして突然、社長から新入社員まで全員財務三表が読めなければ失格という財務会計シンドロームにはまった。そうして、あの名()作が生まれた。「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」(山田真哉著)である。さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)
山田 真哉
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この本は、既存の会計本では難しすぎるとの読者の声に応えるべく書かれたという。これを読めば少しは会計の勉強になるのか、読んでいない私は知らない。でも、あれだけ類書も出るくらいヒットしたのだから、誰もが会計を勉強しなければならないというプレッシャーに恐怖していたことは想像に難くない。

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以上、ここまでは推測でした。

 

ところで、現在の日本企業の中で求められている会計の知識とは、財務三表を中心とする財務会計なのでしょうか。仕事で決算書を読む必要がある方は、それほど多くはないと思います。決算書は企業の通信簿なわけですから、それに関心を持つのは、それなりに責任あるレベルの方でしょう。生産現場や営業マン、あるいは小さな組織の管理者といった社員は、企業レベルの成績よりも、日々の仕事、つまりいったいどの製品を追加生産すべきなのか、顧客を絞るとすればどこを切るか、適正な商品発注量はどの程度か、アウトソースすべきかどうかといった、細かな意思決定のための数字の扱い方を求めているのではないでしょうか?専門的な用語でいえば「意思決定会計」あるいは「経済性分析」といわれる分野で、かつてのQCサークルでは盛んに勉強されていました。

 

ある大手製造業の役員は、若い頃徹底的に勉強させられたそうです。ところが自分たちより若い世代は、全然そういう知識がなく愕然としたそうです。なぜそれに気がついたかというと、ある英国企業を買収したからです。そこと研修内容をある程度揃えようと調べたところ、買った英国企業には多くのこの分野の研修プログラムが揃っているにも関わらず、自社には一切なかったのです。驚いたその役員は、まず役員向けに研修を実施、順番に下のレイヤーにも実施していったのです。

 

 

財務会計ももちろん重要ですが、一般のビジネスパーソンにとってより重要なのは、意思決定のための会計の知識であり、その基盤となる数字を使ったものの考え方です。財務会計の考え方に基づき意思決定すると間違ってしまうことは、実際のビジネスではたくさんあります。どうもそのことを知らない人(人材開発担当を筆頭に)が多すぎるように思います。そろそろ新しい歴史をつくる(ちょっと大げさですが)時期にきているのではないでしょうか。

創造性が必須の事業では、組織規模を拡大することは困難だという定説があります。創造性と組織は、水と油の関係だからです。しかし、それにチャレンジし成功しつつある企業があります。面白法人カヤックです。先日カヤックの柳澤社長の話を伺う機会がありました。

 

面白かったのは、組織戦略と事業戦略を明確に峻別し、その上で組織戦略を重視することを明言し、実行していることです。さらに、それらをシンボル的活動と実益的活動に分け、4象限に整理し、それらのバランスを常に意識して経営していることです。

 

そこには、面白法人カヤックという企業自体をブランディングするという強い意志がはたらいています。企業をブランディングするとは、常に面白企業を証明するような施策を(製品サービスではなく)外部にコミュニケーションし続ける必要があります。これは創造性の源となる優れた社員を引き続けることに効果があります。

 

さて、では規模拡大しながら創造性を失わない秘密は何でしょうか。ひとつは、

「つくる人を創る」というシンプルな経営理念を、浸透させることです。そのためには、多大な費用と時間をかけています。

 

ふたつめは、社員の職種をWebクリエイターの3種、プロデューサー、プログラマー、デザイナーに絞っていることです。バリューチェーンのほかの機能は、基本すべて外部パートナーに委ねる潔さが仕事の純度を高め、組織拡大に伴う創造性を必要としない内部コミュニケーションコストを増大させない仕組みができているのです。さらに、人事評価は三つの職種の中だけでなされます。創造性に関してもっともシビアに評価できるのは競争相手だからでしょう。

 

みっつめは、徹底した言葉へのこだわりです。先日糸井さんについてでも書きましたが、経営者が創造性豊かな人々を動かす(表現はわるいですが)力の源は、彼らの心に刺さる言葉を発することができるかどうかだと思います。人徳とか企業文化とか姿勢とか理念とかいろいろありますが、結局それらを伝えるのは言葉なのです。柳澤社長は、社内に発する場合でも、プロのコピーライターと相談しながらつくるそうです。

 

 

カヤック=柳澤社長は、これらをなんとなくやっているのではなく、狙ってやっているという印象を受けました。もしかしたら、そこが糸井さんとの違いかもしれません。

 

 

これから、どこまで創造性と組織規模拡大の両立が続くのか、非常に興味が湧いてきました。

 

TPP交渉への参加をめぐり、政治家や官僚、マスコミ、各種業界団体の発信が目立ってきています。これまで、何度見てきた光景でしょうか。またかという気がします。つまり、日本の国のかたちを左右するような非常に重要なテーマにもかかわらず、その議論のプロセスが見えない、あるいはあえて見えなくしているとしか思えない風景が、毎度繰り広げられているからです。日本のこと、この分野の人々には、議論の作法を心得ているとは思えません。

 

 

今議論すべきは、「TPP交渉へ参加すべきかどうか」のはずです。TPPとは自由貿易を促進することが大目的なのですから、自由貿易を推進する立場の日本は、当然原則としてTPPを支持すべきです。

 

ただし、それは国益にかなうとの条件つきです。したがって、国益にかなわない、つまりデメリットのほうが大きくなる蓋然性が明らかに高ければ、交渉に参加すべきではありません。しかし交渉反対派は、それを国民に納得させなければなりません。そのためには、以下の1)か2)を証明する必要があります。

 

1)TPP交渉に参加することはすなわち国益を損ねることである。なぜなら、TPPによって、現在の日本の状況より良くなる可能性はまったくないからだ。(それだけ現在は理想的な状況である)

2)交渉に参加した場合、日本政府の交渉力は劣るので、最終的には必ず悪い条件をのまされるに違いない

 

これを証明するのは至難の業です。

 

逆に交渉推進派は、メリットを国民に納得させる必要はありません。なぜなら交渉参加すなわちTPP締結ではないからです。国益に叶う可能性が少しでもあるのであれば、その機会から逃げることこそ機会損失を発生させるわけですから、即国益に叶わない行為とみなされます。

 

交渉推進派が、早めに参加すれば日本に有利な規則がつくれるとか、中国への対抗軸をつくれるとか、いい加減な推測に基づく交渉参加理由を言い出すもだから、おかしな議論となってしまうのです。推進派が主張すべきは、堂々と国益を追求する機会に参加するのだということでしょう。

 

 

とはいえ、彼らも国益とは何かの意見集約できていないのですから、腰が引けてしまうのも、むべなるかな・・、ですが。

 

日本は現状のままでいいと思っているひとはいないでしょう。黒船が来ないと変われないのは日本民族の性なのですから、TPP交渉参加という状況に自らを追い込んだ上で、本気で国益議論を、たとえ日本が分裂の危機にさらされようが、これからの日本のかたちを決めていくべきだと私は考えます。江戸城は無血開城されました。日本人は賢明な民族なのです。

先週の日経夕刊「人間発見」は糸井重里さんでした。糸井さんといえば、かつてコピーライターとして一世を風靡し樋口可南子と結婚した、いかにも「業界の人」のイメージでした。教育TVで彼が司会をしていた番組

itoi.jpgYOUは、けっこう面白く観ていましたが。

 

その後あまり名前を聞かなくなりました。時代はコピーライターから、佐藤可士和に代表されるデザイナーやアートディレクターに移っていたようです。時々サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の話題はちらほらと耳に入ってきましたが、こんなことをやっていたとは全然知りませんでした。最初、日経で糸井が採りあげられるのは意外だと感じましたが、読んでみれば全然意外ではありません。今の経営に役立つ言葉が、バシバシ語られているのです。

 

食べると太る食べ物があるとします。やめさせるのに「太るぞ」と脅しますか。でもおいしいんですよ。僕なら「油が少なくても、もっとおいしいもの」を薦めたい。価値を増やすとはそういうことです。原発を巡る震災後の言葉を見ていると、特にそう感じます。

 

糸井さんは、言葉を非常に大切にする人だとよくわかります。政治家も経営者も本当は言葉で人々を動かすプロであるべきです。それに気づかせてくれました。

 

まだ誰も見ていないものを商品の内側から掘り出すには、形や性能だけを見ていてはだめ。知識を総動員し、脳と目と耳をフルに使う。楽しいですよ。

 

商品のコピーを考えるときの言葉ですが、似たようなことをスティーブ・ジョブズが言っていました。

「デザインとは外観のことだと思う人もいる。本当はもっと深いもの、その製品がどのようにはたらくかということなんだ。いいデザインをしようと思えば、まず『真に理解する』必要がある。」

 

デザインとコピーの違いこそあれ、いずれも本質を見極めることの重要性とその難しさを語っています。でもそれはきっとものすごく楽しい作業で、決して他の人にやらせたくないに違いありません。

 

「みんな」がこう思うからお前もこう思え、ではない。「私」が責任を持つ。だからだから何でも言える。(中略)商品と自分の関係を考え、「私」というフィルターを通さない言葉は書けないと感じ、実際そうしてきました。

 

本当に多くの人々に受け入れられるのは、「みんなそうだから」ではなく、「私がそう思うからそうなんだ」という強い信念なのです。責任を他者に負わせる人の言葉は、本質的には人々には届かない。しかし、世の中は糸井さんの望まない方向にどんどん流れていき、生きづらくなっていく。

 

企業に説明責任が生まれ、採用した案が「一番いい」と説明できなければならなくなったためです。売り上げへの貢献、評判、アンケート。広告効果の「見える化」です。責任者は「言い訳できるもの」を選ぶ。

 

世の中はエビデンスだ、説明責任だと、逆に向いている。だから、政務官が記者の言葉にしたがって、浄化された原発排水を飲む羽目になる、こんな滑稽なことが起きるのです。

 

説明後はゲタを預け、知らないところで採点される。話し合って一緒に良くしましょう、では通じない。(中略)提案の「弱点」を埋めるほど、自分の仕事ではなくなっていく。

 

人材開発の世界でも、全く同じことが起きているのではないでしょうか。糸井さんはそんな世界がいやになり、しばらく釣りばかりしたのち、ネットに出会い、97年「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げたのです。

 

頼まれ仕事ではないものづくりの面白さを知りました。企業の広告は100万人単位で考えた。お金もかけ、しかけは大きい。でも霧のような100万人より、わざわざ「ほぼ日」を読みに来てくれる3万人が僕にとってうれしいんだとわかりました。言葉が届き、うれしそうに笑っている様子が目に浮かぶんです。自分の仕事を見ていてくれる人がいる。そのことの意味が初めて、泣きたいくらいにわかりました。

 

大きな霧を選ぶのか、それともたとえ小さくてもそこに実在する確かなものを選ぶのか、大きな分かれ目でしょう。しかし時代は、後者の価値が高まる方向に動いているように思います。そして、糸井さんも社員40人、売上20億円超の会社の社長になりました。

 

「管理」を中心に動くようになったら寿命ですね。ものを生む力や熱がなくなった証拠ですから。(中略)計画を立てると、計画の奴隷になってしまい「何がしたかったのか」という動機が消えてしまう。

 

徹底的に自分の言葉にこだわり続けた末、知らない間に新しい経営の姿を創りだしていたのかもしれません。そして会社が提供する価値をこう説明します。

 

消費は恋愛に似ています。どちらも矛盾があり、喜びがある、生きることそのもの。不要だからと削っていくと、魂も小さくなる。消費の喜びは、ものと心の掛け算にあります。(中略)大量生産、大量販売に豊かさはない。再現できないもの、人の思い、丁寧な仕事、長い時間や歴史、ものに込めた世界観。それが価値なんです。

 

様々な企業が自社の提供する価値を定義しようと悪戦苦闘していますが、なかなかうまくいきません。でも言葉のプロである糸井さんは、ものすごくわかりやすくそれを適確に説明しています。言葉に徹底的こだわるということは、徹底的に見て感じて、そして考えるということなのです。これからの経営者のモデルになりそうです。(既にスティーブ・ジョブズが示していたのかもしれませんが)

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