2013年9月アーカイブ

2020年オリンピック東京開催が決まりました。私自身、正直それほど東京で開催したいとは思っていませんでした。東京でやるより、東洋と西洋の架け橋、あるいはイスラム圏初という、イスタンブールで開催することの意義のほうが、遥かに大きいと思っていたからです。他にも、バブル時代の建設ラッシュや浮かれ気分に嫌気がさしたため、その再来となりうるオリオンピック開催には、躊躇があったのです。

 

しかし、蓋を空けてみれば東京で決定。決まったからには、ポジティブに受けとめようと思います。

 

今朝、KBS小幡准教授の「五輪招致に学ぶ日本企業の『勝ち方』」というコラムを見つけました。特に共感したのは以下の部分です。

 

 私はこれから、東京五輪が開催される2020年に向けて、世界で爆発的な「日本ブーム」が起きると考えています。(中略)

 

このような日本文化の広がりを背景に、2020年の東京五輪を機に起きる日本ブームは、ライフスタイルブームになると思います。過去2度のブームとは異なり、神秘的で謎の極東の国が世界を驚かせるのではなく、「エキゾティシズム」をベースとしたものでもなく、世界の王道としての日本の登場です。

 イタリアの陽気さ、フランスの伝統と格式、そしてドイツ流の質実剛健な実用的合理性、これらを併せ持った日本の文化、さらにそれらを超える柔軟性と革新性。これらを反映した日本のライフスタイルが世界を席巻するのです。

「日本ブーム」と書いていますが、言いたいのはブームではなく、日本スタイルが世界で認知され一つの目指すべきモデルとなるということだと思います。そのきっかけが東京オリンピック。私もそこに共感します。

 

昨晩のあるTV番組で、日本のシャワートイレや和包丁が海外で(まだ一部の人たちに過ぎませんが)、圧倒的支持を受けていると報道されていました。これまでも、新旧問わず日本製のホンモノを絶賛する外国人は、EUを中心にいっぱいいました。多くは富裕層だったと思います。それが途上国の所得レベル向上に伴って、拡大しているのだと思います。

 

日本人が当たり前だと思っているモノやコトが、意外に海外では当たり前でないことはたくさんあります。旅館やコンビニ、お弁当なんかもそうかもしれません。アップルがiPhoneを開発しなければ、ガラケーがグルーバルスタンダードになったかも。(それはちょっときついか)

 

当たり前だから海外にアピールしない、だからせいぜいエキゾチズムで終ってしまう。でも、もしかしたらそこには世界で通用する普遍性があるのかもしれない。

 

 

そんなことを大正時代から考えていた人がいます。柳宗悦です。彼は、西洋最先端の潮流を追うことなく、東洋的とみた性質を究める方向に進んで行きました。そして、西洋と東洋の相互扶助が成り立つためには、東洋が西洋に対して存在理由を示すことができなければならない。したがって、「各々が自己の主義性格を固守」し「真実の泉が迸る究極の根源まで自己を深く掘り下げてゆく」ことが重要である、と考えます。そこから、民芸を発見していきます。

 

民芸には日本文化の個性が凝縮されています。無名職工の無作為による美こそが日本文化ともいえる。彼はこういいます。

 

「美は自然を征服するときにあるのではなく、自然に忠実なる時にある。すべては、作為から放たれねばならぬ」

 

近代的「小我」的個人主義から脱却し、無心となって、そこに自然がより多く働くようにしなければならない。自己を寂滅し、他力に徹すれば徹するほど、人は「自然の加護」を受け。そこから優れた芸術を生み出すことができるはずと、柳は考えた。(出所:「柳宗悦」中里真理著 岩波新書)

 

 

芸術や美を「優れた製品・サービス」と置き換えれば、現在の日本企業にも十分通用すると思いませんか。

 

日本企業の強みは社員にある、ということはもはや常識です。考えが浸透したとき社員が成果を出すスピードとそのクオリティは、どこの国の企業にも負けません。そこでは、小我的個人主義は存在しません。寂滅しています。皆無名の一職工に徹するから、集団としての力が発揮されるのです。

 

もちろん欠点もあります。それを補うのが西洋的な思考です。だから相互扶助が必要なのです。そのためにも、我々は「自己を深く掘り下げていく」こと、すなわち他者の追随をするのではなく、日本本来の力を究める努力を続けるべきなのです。

 

そういったことを、日本人自身にわからせてくれるきっかけとして、2020年オリンピックは時機を得たものなのかもしれません。

 

柳宗悦――「複合の美」の思想 (岩波新書)
中見 真理
4004314356

ベネズエラ発の子供のための音楽教育「エル・システマ」 は、「楽器で世界を変える」のスローガンのもと、世界中に広まりつつあります。貧しい子供たちも、合奏することで規律や他者への尊敬、自己肯定感、協調などを学び、積極的な人生を歩めるようになるそうです。(来月、日本でも演奏会があります)


ところで、25年間も弦楽四重奏団(フーガ弦楽四重奏団)として活躍してきた成熟したプロの音楽家4人の関係性の波紋を描いたのが本作品「 25年目の弦楽四重奏」です。最年長で支柱となっているピーター(クリストファー・ウォーケン)の病気をきっかけに、微妙にハーモニーが狂っていく。しかし、ずれてしまった関係を再び取り戻すのも、合奏だったようです。明確には語られていませんが、引退を告げる素晴らしい演奏会で映画は幕を閉じます。

25nennme.jpg

 

子供たちを成長させ結びつける合奏も、プロの演奏家となればそう単純でもない。能力と生活、感情などが複雑に絡み合うのですから当然です。

 

映画の中で、音楽大学の教授も務めるピーターが、上手くないクラスメイトの演奏を罵倒する学生を諌める意味でこんな話をします。

 

「私が学生のころ、パブロ・カザルスの前で演奏する機会があった。緊張しまくった私は、最悪な演奏をしてしまった。それを聞いたカザルスは、素晴らしと誉めもう一曲弾いてほしいという。さらに緊張した私は、もっとひどい演奏。でも彼は、再び素晴らしいと誉めた。私は彼の不誠実な対応に落ち込むと同時に彼を恨んだ。本当にひどい演奏だったのだから。時を経て、私はプロの演奏家となり彼とも同じ舞台に立つようになった。親しくなったある晩、バーでおもいきって彼に聞いてみた。なんであの時私を誉めたのか。すると彼はチェロを出して弾きだし、言った。あの日君は、こんな風にダイナミックに弾いていた。私にとっては、斬新で大いなる発見があったんだ。私はそれでも尋ねた。そういう部分もあったかもしれないが、でも他は最低の演奏だったでしょう?彼は言った。下手なところをあげつらって批判するようなことは、程度の低い輩に任せておけばいい。君には、私を刺激するところがあったのだ、それで十分だろ」(うろ覚えなので、不正確ですが)

 

このピーターの言葉、学生の心に残ったことでしょう。私の心にも刺さりました。自分は程度の低い輩になっていないだろうかと。

 

弦楽四重奏団もピーターの引退話をきっかけに、それまでの均衡が崩れ、お互いの欠点を攻撃しあうようになってしまったのです。ピーターは他のメンバーに上記の話を語ったわけではありませんが、私にはこの合奏団に対しての言葉のようにも、さらにはすべての人間に対する言葉にも聞こえたのです。

 

メンバー間で殴り合いとなった場面で、ピーターはこう一喝します。「音楽に敬意を払え!」

そこから関係性がまた動いたように思います。

 

全員が共有しているはずの「音楽への敬意」を全てに優先すべきであり、そのためには我欲や邪念や煩悩をいったん横に置き、他者の素晴らしい点を活かすことに集中する。それをピーターはメンバー達に思い起こさせたのではないでしょうか。最後の演奏会の場面では、新しい関係ができあがり、新しい音が奏でられたに違いありません。

 

時間の芸術である音楽は、時間に抗えない人生と重なる部分が多いように感じます。だから人は音楽から多くのことを学ぶことができるのでしょう。

 

 

おまけ:エル・システマについての翻訳書(友人が翻訳しています)が最近出版されました。

世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ: エル・システマの奇跡
トリシア タンストール Tricia Tunstall
4492443991

 

このアーカイブについて

このページには、2013年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年8月です。

次のアーカイブは2013年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1