組織の能力の最近のブログ記事

自らや他者の経験から学ぶことの重要性は、いたるところで強調されていますが、実際にやろうと思うと容易ではありません。特に、長年企業で経験を積み、高いポジションにいる方は、成功体験も多いわけで、自己否定に結びつくかもしれない学びへの抵抗が強いのは当然です。でも、それではいけないとも強く思っているはず。皆、ビジネス上の悩みを抱えているのですから。

 

グループ企業を数多く抱える某大手企業から、グループ企業に経営者としてこれから派遣される方、派遣後1年以内の方を対象とした研修を、先日お手伝いしました。受講者20名は30代から50代、派遣される企業の規模も業種も様々です。

 

これほど多様な受講者を、どうひとつのプログラムで学んでいただくか、なかなか難しいテーマです。そして、結局行きついたのは、相互の経験から学びあうというアプローチです。7人程度の3グループに分かれます。Aグループはこれから出向する方、BとCは既に出向されている方で、事業の関連性が近くなるような2グループに分けました。

 

各グループにはファシリテーター(講師)が入ります。非常に難易度の高いファシリテーションが要求されます。受講者は百戦錬磨揃いで、しかも事業は様々なのですから。理屈を振りかざす講師は、すぐに見抜かれ見下されてしまいます。講師自身が豊富な経験と豊かな人間性を持っていなければ、太刀打ちできません。講師には事前に、出向先企業の概要と各受講者の問題意識を記述してもらった提出課題を熟読して臨んでもらいましたが、何が出てくるかは蓋を開けてみなければわかりません。

 

受講者が持っている宝ものを引きだして、それらを相互に提供しあうこと、そしてそこに、少しの意見と新たな視点を付与することも講師には期待されます。考えただけで恐ろしくなるような役割です。

 

結果から言えば、三人の講師は見事にその役割を果たしました。何がうまかったのか。身近で観察していた私は、共通のやり方を見つけました。それが、「掘って、上げて、つなぐ」というプロセスです。

 

前日夜宿題としてレポートを課しました。Aグループの課題は、「就任後90日間で何を実行するか」、BとCは「事業戦略を実行するための3か年計画の骨子」です。それぞれ、いくつかのサブクエスションがあります。その宿題を順々にグループ内で発表してもらい意見交換していきます。事業内容の詳細を知らない他のメンバーもコメントできるような進行が必要で、発表中も受講者や講師から適宜質問が飛ぶことになります。発表者は予想外の質問に。思わず考え込んでしまうこともあります。これが「掘る」プロセスです。

 

これでメンバーは、どんどんミクロの世界に入りこんでいきます。居酒屋談義とは、酒の力を借りて掘っていくことで、ここでは講師の適切な裁きや突っ込みが酒の代わりを果たすともいえそうです。しかし、これだけでは居酒屋談義とそうかわりません。そこで「上げる」プロセスが必要になるわけです。

 

うまく掘られたことで、メンバー間で感情面も共有された状況(共感)を、講師が概念レベルに引き上げます。講師から、「それって、ようはこういうことですよね」というフレーズ聞かれます。帰納法のように、ミクロの世界をある概念に昇華します。さらに講師は、その概念を補強するような自らの体験を加えることもあります。

 

こうして、感情面だけでなく理性面でも共有することができます。理性で共有するには、概念レベルで共有しなければならないからです。ミクロでは全く異なる世界だと思っていたことが、概念化してみれば自分が置かれている状況と同じだと理解することができます。こうして「つなぐ」ことができるようになるのです。「つなる」ことで、他者へ真剣にアドバイスできるようになりますし、またアドバイスを真摯に受け入れることができるようになるのです。

 

このような「掘って、上げて、つなげる」プロセスがあってはじめて、他者や自分の経験から学ぶ回路が通じる、そういう光景が3つのグループから見えてきました。その結果、学びの連鎖が起こり、目を輝かせて時間を忘れての語り合いが続きます。それは、後ろから見ていても素晴らしい光景でした。そしてラップアップでは、クラス全体で各グループでの学びを共有。(かなりベテランの)大人の学びのひとつの理想型のように感じました。

 

人材開発部門がいくらいい研修を企画しても、事業部門がなかなか協力してくれないし、受講者も本気で研修に取り組んでくれず、ましてや業務で活かせない、そんな声をHRD担当者から聞くことがあります。

 

一方で、事業部門から人材開発部門に対してもっと研修への参加枠を増やしてほしい、こういうテーマの研修を企画して欲しい、との要望が絶えない企業もあります。

 

その違いは何なんでしょうか?私のこれまでの経験から、両社の違いを描いてみましょう。仮に前者をA社、後者をB社とします。

 

A社では、研修担当者がわりに頻繁に変わります。もちろん、どの担当者もいい研修プログラムを企画したいと張り切ります。それぞれ自分の思いを研修に込めて企画実施するのですが、最初はなかなかうまくいきません。その意図を事業部門と共有するのも、当初は難しいからです。頑張ってその研修を3年続けて、やっと事業部門との信頼関係もでき、満足度も高まった頃、その担当者は異動でいなくなってしまいます。もちろん後任に引き継ぐのですが、後任は後任で自分の思いを入れ込みたいので、プログラムは変化していきます。そうなると、出し手側の事業部門では、また意図を汲みかねる事態となります。

 

A社では「打ちあげ花火」のような目立つ研修を数年に一回はぶち上げるのですが、それを支援し続ける幹部もおらず、結局単発の花火で終ってしまいます。事業部門は、またか・・と思い、適当に付き合っておこうと思うようになるのです。

 

また、異動がなかったとしても景気が悪くなると真っ先に研修予算が削られ、今年は中止という事態も頻繁に起きます。つまり、じっくり時間をかけてその研修を組織に浸透させることが、A社ではなかなかできないのです。

 

 

B社は違います。B社では研修を10年単位で継続させることを、最初から想定しています。担当者の異動サイクルも概して長いようです。もちろん、10年間漫然と継続させるのではなく、毎年受講者や出し手である事業部門からのフィードバックを受け進化させていきます。そうなると、事業部門は研修の意図や効果を咀嚼し、どう活用してやろうかという意識になってきます。また、受講者のストックも増え、組織の中で口コミの評判も広がってきます。そうなると、未受講者は早く自分もその研修に参加したいと思うようになります。そうして受講した際には、後輩のために研修をもっといいものしたいとの思いで、非常に有益で建設的なフィードバックを返すようになります。その結果、研修の品質はどんどん良くなっていくのです。こうして組織の中にその研修が当たり前のものとして組み込まれていき、研修で学んで欲しいこと(スキルや意識など)が組織に浸透していくことになるのです。もちろん、景気が悪いからと簡単に研修を中止するようなことはありません。こういうことが当たり前になれば、事業部門としての組織の目的を達成するために、研修という場を手段としてうまく使おうと考えるようになり、人材開発部門に対して様々な研修要望を出すようになります。

 

この両社の違いはただひとつ、企業が研修をどの程度の時間軸で捉えようとしているかだけです。人が育つにも組織が変わるにも時間がかかることは誰もが理解しています。にもかかわらず、A社ではそのための手段を非常に短い時間軸でしか考えられなくなっている。それは、なぜなんでしょうか?

 

企業研修で、会計分野は定番中の定番です。思うに、20年前くらい前までは、必ずしもそうではなく、経理部門など特定部署向けか、選抜幹部候補者向けのプログラムだったような気がします。一体いつからそうなったんでしょうか?以下は勝手な私の推測です。

 

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1960年代から70年代にかけて、原価計算などの管理会計は製造業を中心に、盛んに研修が行われていた。QCサークルなどでの改善活動に欠かせなかったからだ。でも、営業などの非生産部門では全く会計には触れる必要はなかった。

 

その後、行き過ぎたQC活動の反動とコンピュータ化の進展に伴い、現場からQC活動は徐々に消えていった。それに伴い、管理会計の研修もされなくなった。

 

80年代半から始まったバブルは、一躍会計にスポットライトをあてることになった。財務会計の知識がなければ、資金運用(財テク)やM&Aの話題についていけなかったからだ。MBAホルダーが社内でも脚光を浴び、会計や財務の知識を駆使し社内を闊歩するようになる。一方、生産部門に陽はあたらず、管理会計どころではなかった。

 

そして90年代前半のバブル崩壊とその後長くつづく不景気が、さらに財務会計の重要性を高める。リストラを推進するためにはバランスシートを圧縮しなければならない。さらに、生産現場も開発現場も採算向上を強く迫られる。また、営業現場でもやはり営業効率や収益性という指標で絞られる。以前は、とにかく売れれば何でも良かったものが、「利益」の上がるものだけを売れと変わった。極めつけは、顧客の決算書を読み込んでコンサルテーションできなければ一流の営業マンではないとする企業まで現れた。

 

またこの頃から、管理職たるものPLBS、さらには目新しいキャッシュフローを理解できなければ失格といわれるようになった。以前は、いかに部下を管理するかだけを考えろといわれていたのに。

 

こうして突然、社長から新入社員まで全員財務三表が読めなければ失格という財務会計シンドロームにはまった。そうして、あの名()作が生まれた。「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」(山田真哉著)である。さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)
山田 真哉
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この本は、既存の会計本では難しすぎるとの読者の声に応えるべく書かれたという。これを読めば少しは会計の勉強になるのか、読んでいない私は知らない。でも、あれだけ類書も出るくらいヒットしたのだから、誰もが会計を勉強しなければならないというプレッシャーに恐怖していたことは想像に難くない。

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以上、ここまでは推測でした。

 

ところで、現在の日本企業の中で求められている会計の知識とは、財務三表を中心とする財務会計なのでしょうか。仕事で決算書を読む必要がある方は、それほど多くはないと思います。決算書は企業の通信簿なわけですから、それに関心を持つのは、それなりに責任あるレベルの方でしょう。生産現場や営業マン、あるいは小さな組織の管理者といった社員は、企業レベルの成績よりも、日々の仕事、つまりいったいどの製品を追加生産すべきなのか、顧客を絞るとすればどこを切るか、適正な商品発注量はどの程度か、アウトソースすべきかどうかといった、細かな意思決定のための数字の扱い方を求めているのではないでしょうか?専門的な用語でいえば「意思決定会計」あるいは「経済性分析」といわれる分野で、かつてのQCサークルでは盛んに勉強されていました。

 

ある大手製造業の役員は、若い頃徹底的に勉強させられたそうです。ところが自分たちより若い世代は、全然そういう知識がなく愕然としたそうです。なぜそれに気がついたかというと、ある英国企業を買収したからです。そこと研修内容をある程度揃えようと調べたところ、買った英国企業には多くのこの分野の研修プログラムが揃っているにも関わらず、自社には一切なかったのです。驚いたその役員は、まず役員向けに研修を実施、順番に下のレイヤーにも実施していったのです。

 

 

財務会計ももちろん重要ですが、一般のビジネスパーソンにとってより重要なのは、意思決定のための会計の知識であり、その基盤となる数字を使ったものの考え方です。財務会計の考え方に基づき意思決定すると間違ってしまうことは、実際のビジネスではたくさんあります。どうもそのことを知らない人(人材開発担当を筆頭に)が多すぎるように思います。そろそろ新しい歴史をつくる(ちょっと大げさですが)時期にきているのではないでしょうか。

創造性が必須の事業では、組織規模を拡大することは困難だという定説があります。創造性と組織は、水と油の関係だからです。しかし、それにチャレンジし成功しつつある企業があります。面白法人カヤックです。先日カヤックの柳澤社長の話を伺う機会がありました。

 

面白かったのは、組織戦略と事業戦略を明確に峻別し、その上で組織戦略を重視することを明言し、実行していることです。さらに、それらをシンボル的活動と実益的活動に分け、4象限に整理し、それらのバランスを常に意識して経営していることです。

 

そこには、面白法人カヤックという企業自体をブランディングするという強い意志がはたらいています。企業をブランディングするとは、常に面白企業を証明するような施策を(製品サービスではなく)外部にコミュニケーションし続ける必要があります。これは創造性の源となる優れた社員を引き続けることに効果があります。

 

さて、では規模拡大しながら創造性を失わない秘密は何でしょうか。ひとつは、

「つくる人を創る」というシンプルな経営理念を、浸透させることです。そのためには、多大な費用と時間をかけています。

 

ふたつめは、社員の職種をWebクリエイターの3種、プロデューサー、プログラマー、デザイナーに絞っていることです。バリューチェーンのほかの機能は、基本すべて外部パートナーに委ねる潔さが仕事の純度を高め、組織拡大に伴う創造性を必要としない内部コミュニケーションコストを増大させない仕組みができているのです。さらに、人事評価は三つの職種の中だけでなされます。創造性に関してもっともシビアに評価できるのは競争相手だからでしょう。

 

みっつめは、徹底した言葉へのこだわりです。先日糸井さんについてでも書きましたが、経営者が創造性豊かな人々を動かす(表現はわるいですが)力の源は、彼らの心に刺さる言葉を発することができるかどうかだと思います。人徳とか企業文化とか姿勢とか理念とかいろいろありますが、結局それらを伝えるのは言葉なのです。柳澤社長は、社内に発する場合でも、プロのコピーライターと相談しながらつくるそうです。

 

 

カヤック=柳澤社長は、これらをなんとなくやっているのではなく、狙ってやっているという印象を受けました。もしかしたら、そこが糸井さんとの違いかもしれません。

 

 

これから、どこまで創造性と組織規模拡大の両立が続くのか、非常に興味が湧いてきました。

 

 

美山荘やあさば、玉の湯などの質の高い日本旅館に泊まることは、最高のぜいたくのひとつだと思います。宿泊して夕食と朝食と食べるという機能面だけからみれば、バカげた贅沢だと思えなくもありません。しかし、そこで得られる経験は他では得難いものであり、だから不便なところであったり高額であったりしても、また行きたくなるのです。ひとことで表せば「おもてなし」の心が満ち溢れているのです。

 

ところで、User experienceの和訳として適切なのは「おもてなし」だと聞いたことがあります。User experienceを直訳すれば「使用者体験」ですが、それでは浅く表面的ですが、たしかにおもてなしとすれば、使用者すなわち顧客の心地よさ、満足感が表現できる気がします。

 

日本旅館という接客、サービス業と「おもてなし」という言葉で結びつくハードメーカーの筆頭は、ジョブズがつくったアップルではないでしょうか。メーカ-でありながらおもてなしの心に基づく体験を提供し続ける企業がアップルなのだと思います。古くはマウスやGUI、独特の美しいフォントや形やデザインなど、機能優先となりがちなIT分野で独自の美意識にこだわり続けたジョブズは、やはり天才の呼び名に値することは間違いありません。

 

User experienceの重要性は、もう何十年前から言われてきたことです。にもかかわらずそれを実践しビジネスとして成功する企業はわずかしかありません。アップル以外に思いつくのはバング&オルフセンやハーレーダビッドソンなどですが、あくまでニッチです。

 

古くは、ソニーのウォークマンも新たなUser experienceを提供しマスで成

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功した画期的な製品だと言われます。確かに私も初めてウォークマンを聴いたときの感動は鮮明に覚えています。その開発は、周囲の反対を押し切って盛田会長(当時)が実行させたそうです。

 

ジョブズが復帰した後、アップルはPCの顧客セグメントをデザイナーなどに絞り込みニッチで再建を進めました。そこで体力をつけ、iMacでマス向けに戻ってきました。なぜジョブズはマスマーケットにおいてUser experienceを切り口にした成功を収めることができたのか。

 

盛田氏もジョブズも創業者だったということは重要です。機能は計測し比較できますが、体験は計測も定量比較もできません。あくまで主観の世界です。高級旅館が規模拡大できない(しない)のは、この主観に大きく依存するからでしょう。反対に機能で勝負するビジネスホテルなどは、規模化が容易でありさらに競争力を高めます。

 

そう考えると、一人の天才が独裁してはじめて体験を切り口にしたマスへの勝負は実現可能だといえるのかもしれません。ただしここでの独裁とは、有無を言わせず強権発動で部下を従わせる独裁ではありません。それでは社員の本当の実力を引き出すことはできないでしょう。天才の「感覚」を汲み取り製品化できる優れた技術陣を持ち、かつ彼らをやる気にさせることにおいても天才でなければならないのです。

 

ソニーも創業者に近い大賀氏の後では、そういう意味でも成功を収めることができていません。しかし、そういう天才はそもそもどこにいるのか、またいつまでも天才でいられるのか、組織における意思決定の根本にもかかわる問題かもしれません。

 

とはいえ、「おもてなし」=User experienceは今後ますますその重要性を増すことでしょう。旅館に代表されるように、そこは日本人にとっては得意分野だと思います。しかし、大きな壁のひとつは、感性が主で技術が従というパラダイムへの転換が図りづらい点ではないでしょうか。


日本企業は自動車のように、機能の向上が体験の向上にも結びつく分野では成功を収めてきました。しかし、PCのように機能の向上が行きつくところまで行き、その向上が体験の向上には結びつかない分野では、行き詰っています。ガラケーは機能勝負できました(日本では)が、スマートホンは明らかに体験勝負の製品でしょう。そういった機能≠体験の分野でどうやって勝負するのか。

 

User experience、それは日本企業にとっては大きなチャンスであり、かつとても難しいチャレンジだと思います。これからもずっと模索しつづけるに値するテーマでしょう。

 

前回、映画「綴方教室」について書きましたが、その映画で戦前の職人の不安定なくらしと勤め人との違いがよく理解できました。

 

映画の終盤、貧しさゆえ芸者に売られそうになった主人子正子ですが、フリーのブリキ職人である父は工場の常雇いの職工となり給料をもらう身分になったことから、その危機を脱します。また小学校を卒業した正子も、女工として給料をもらえる身分となり明るい未来が開けていく、そんなエンディングでした。

 

当時会社の社員となることは、貧乏を脱して生活を安定させるための特効薬だったのです。さらに終戦後の労働争議、高度成長を経て、終身雇用は日本的経営の中核と言われるようになりました。

 

しかし、バブル崩壊後は終身雇用崩壊も引き起こしました。リストラの嵐が吹き荒れ、大企業の正社員であっても退職を迫られるような事態となったのです。それを促すかのように、終身雇用は日本企業のグローバル競争の足かせとなるとの論調が強まり、それを理由にトヨタの社債が格下げされるほどでした。

 

ところが、多くの大企業は終身雇用の看板を下ろすことはしませんでした。代わりに終身雇用をなんとか守るため、正社員の採用を絞り込み、非正規労働者の比率をどんどん高めていきます。もともと終身雇用を維持していたのは大企業の男性社員だけで、全労働人口の8.8%に過ぎないとのデータもありますが、さらに狭き門となったのです。

 

その結果、終身雇用で守られるであろう大企業の少ない正社員の椅子を目指して、新卒学生の悲惨な「就活」が繰り広げられることになりました。それは、リーマンショック、震災を経て、ますます過激になっているようです。(まるで正子の時代に戻ったかのごとく)

 

ここで素朴な問いです。現在及び将来において、大企業はやはり終身雇用の看板を外さないほうがメリットは大きいのか?終身雇用ではグローバル競争に勝っていけないのか?正社員を絞ることは競争上得策なのか?新卒社員は、新卒で大企業に就職したほうが長期的にもメリットが大きいのか?

 

私の個人的経験からは、会社にとって終身雇用のメリットは依然大きいと感じています。その会社の価値観を共有したり、社内のネットワークを構築し、それによって効率的かつ効果的な仕事をするには、絶対終身雇用のほうが有利です。日本企業がボトムアップ力に優れているのは、終身雇用と深く関係しているでしょう。

 

もちろん多く議論されているように弊害も大きい。環境変化に弱い、イノベーションが生まれにくいなどなど。しかしそれらは、トップダウンの弱さ、もう少し言えば経営層の質の低さにあると思います。つまり上記弊害は終身雇用故ではなく、経営層の質の問題だと考えます。もちろん、終身雇用ゆえ神輿に乗る調整能力に長けた経営者がいいのだとの意見もあるでしょう。でも果たして本当にそうでしょうか?

 

トップダウンと終身雇用は併存できないのでしょうか?会社組織の問題は、どうしても扱いやすいテーマ(採用絞り込み、組織再編など)や制度論に行きがちです。でも、本丸は経営層の意識や能力の問題ではないでしょうか。とはいえ誰も手をつけられない。結局そこに手がつけられるのは日産やJALのように破綻に直面した場合だけになりがち・・。

 

そろそろ新しい日本的経営のモデルを見つけなければならないでしょう。もうお手本となるモデルはありません。試行錯誤を繰り返してでも自ら見つけなければなりません。企業も政府も同じ、もう残された時間はあまり残っていない気がします。

先週金曜夜、何気なくNHK(総合)にチャンネルを合わしたら、面白いドキュメンタリー番組をやっており、釘づけになって観ました。

 

 「こうして8人が選ばれた」

就活人気の中堅企業の最終内定まで、1000人に及ぶ学生から8名を選び抜くプロセスに完全密着~

 

中堅企業の採用活動を追ったドキュメンタリーですが、その企業がユニークなのは、社長と副社長が全ての面接を行うことです。もちろん、会社説明会でも社長が語ります。

 

面接中の学生が社長に、なぜ御社では全て社長が面接するのかと、質問します。当然の疑問です。社長の回答がよかった!

「私は、将来の社長を探しているのです。その仕事を他の誰かに任せられますか?」

こんな言葉を聞いたら、学生はイチコロでしょう。でも、至極まっとうな考え方だと感心しました。全くその通りです。我社は人が財産です、だから「人材」ではなく、「人財」と呼ぶのです、といいながら、人を大切にしていない会社が如何に多いことか。呼称なんかではなく、社長自身の行動で示さない限り、信用すべきではありません。

 

こんな会社ですから、びっくりするような優秀な学生が集まります。面接風景を観ただけでわかります。社長が誰を採りたいのかもわかります。

 

でも、悩んだ挙句内定を出したそうした学生にも、断わられます。それを聞いたときの社長の落胆、よくわかります。

 

震災の影響で大手の採用活動が、例年に比べて大幅に遅くなりました。中堅企業が内定を出しても、その後に始まる大手に取られてしまうのです。

 

内定許諾の段階になって、「私は結婚して家庭を持ちたいのです。御社の給与で家庭を持てるでしょうか」と不安を募らせる学生もいました。(彼は最終的に残りましたが)

 

学生の気持ちもわからないでもありません。でも、内定をもらい、内定者全員が役員全員と顔合わせするセレモニーの直後、社長に断りを入れる学生がいたのには驚きました。

 

結局残った内定者は、中国からの留学生や女性が目立ちました。それが現実なのでしょうか。終身雇用が崩れる現在、大手から中小、中小から大手といった双方向のキャリアの流れができないと、日本は立ちいかなくなるでしょう。

 

私自身は、新卒で大企業に入り、その後どんどん、小さな組織に移ってきました。日本の大企業でしか、若いうちに学べないことが多いのは確実です。一方、若いうちにたくさんの経験が積めるのは、間違いなく小さい組織です。そこで経験を積んで、大組織でその能力を活かすという道も、少しずつではありますができてきています。その流れは、さらに大きくなっていくと思います。そのためには、社員だけでなく、経営者の意識変革も重要です。

 

この番組に登場した社長、こんな本気の経営者がもっと増えれば、確実にその流れが大きくなっていくに違いありません。

長年、企業の人材育成のお手伝いを手掛けていると、人材育成の目的にも様々あることを実感します。企業が主体的に社員の人材育成を行う目的は、以下の三つに集約されるのではないでしょうか。

 

①「組織」を効果的にワークさせるため

いうまでもなく企業は組織で動きます。いくら個人の力が強くても、組織の力が強くなければ成果はでません。そのためには、社員のベクトルを会社のとアラインさせる必要があります。さらに、組織を適切の運営するマネジメントが必要です。それを中間で担うのがマネジャーです。ここでのマネジャーとは、必ずしも役職ではありません。マネジメントを担う人です。ではマネジメントとは何か?一人ではできないことを集団で実現することです。それがそもそも組織の目的なのですから、組織構成員は全員マネジャーといってもくらいです。そういう観点での教育を行うわけです。

 

②機能としての能力を向上させるため

組織とは機能の集まりということもできます。生産機能、販売機能、管理機能などなど。そして、その機能を担うのも社員ひとりひとりです。機能としての能力を高めるために、若手は先輩や上司といった機能面の師匠から学びます。いわゆるOJTです。しかし、現在問題があります。環境変化が激しく、必ずしも身近に師匠がいるとは限らないのです。あるいは、見かけは師匠だが実はもう使えないスキルしか持っていないのかもしれない。こういう場合は、現在必要なスキルや技術を持つ人(それは社外にしかいないかもしれません)から、日常業務とは別に学ばなければ修得できません。OJTではない、意図を持った仕掛けが不可欠になりつつあります。

 

③ビジネスパーソン(社会人)としての能力を向上させるため

自覚しているかどうかは別として、日本社会における企業は人格鍛錬の場所であったことは確かです。家庭や学校よりもはるかに仕事で人は鍛えられます。会社は一義的にはビジネスパーソンとしての鍛錬の場ですが、結果的に人間としての鍛錬の場にもなっていたことでしょう。人間的に鍛えられた社員のほうが機能要素としても、組織要素としても成果を出せることは間違いありません。ステークホルダーから助けられやすいからでもあります。だから、企業はこの面からの育成にも力を入れてきたのです。そのためにはOJTすなわち日常業務の中での教育が不可欠です。しかし、教育する側の余裕がなくなってきており、教育力の低下が問題となっています。

 

話は少しそれますが、非正規雇用の比率が高まるということは、極端に言えばこうした鍛錬の場を経ていない国民が増えるということです。教育が大切な15歳から24歳の男性労働者に占める非正規雇用の率は、1990年の20%から2011年は49.1%へと急増しています。この面での企業の教育力低下のみならず、そもそもカバレッジがこれだけ極端に下がっているのは、社会の大きな構造的問題でしょう。

昨日ある企業の幹部候補者向け研修の一環として、 ㈱経営共創基盤の田中、斉藤両マネジングディレクターに「買収先マネジメント」のテーマで講演していただきました。お二人は、産業再生機構時代含め、多くの企業の再生の最前線で活躍されています。


今や買収先マネジメントは、多くの日本企業にとっても当たり前のことになっています。受講者の多くは、近い将来買収した会社や事業投資先へ経営陣として派遣され、そこでの事業再生にも取組むことになるでしょう。

 

実体験に基づく非常に興味深いお話ばかりでした。最後の質疑応答は、受講者も体験豊富なため鋭い質問が多く、とても実りのあるものでした。

 

講演の中で、こんなフレーズがありました。

 

「よい会社とは、当たり前のことが、当たり前にできる会社

 ふつうの会社とは、当たり前のことが、うまくできない会社」

 

そこでこんな質問がでました。

「では、当たり前のことが当たり前にできる会社よい会社とは、どんな会社ですか?」

 

だめになった会社に数多く接してきた講師にとって、意表を突く質問だったようです。だめになる会社の共通項を知れば、回答に近づくかもしれないと前置きし、こう答えました。

 

「だめになる会社はことごとく、内輪の論理と過去からの継続性に縛られている」

 

つまり、内輪と過去の呪縛により、「当り前」のことがわからなくなってしまうというのです。「社内の常識は社外の非常識」というわけです。これは、人間心理の本質的問題でしょう。組織という環境への適応力が高ければ高いほど、そうなります。

 

逆にいえば、「よい会社」は、それらの呪縛にとらわれない柔軟性を持っているのでしょう。自己否定する力です。ちなみにお二人の会社では、良い情報を上げた人よりも悪い情報を上げた人を評価するようにしているそうです。

 

さらに、「当り前」がわかったとしても、「当たり前にできる」とは限りません。再生の処方箋は難しいことではなく、どんな本にも書いてあるようなことだ、との講師の発言に対して、ではなぜ既存の経営者はそんな自明なことができないのか?との質問もありました。これも本質を突いています。ゴーン社長が来る前の日産社内にも、後にゴーン社長が実行する再生プランとほぼ同じ内容の再生計画があったといいます。でも、自分たちでは実行できなかったのです。

 

こういった人間集団の弱さに対して、同じ人間としてどう対処していくのかが、再生マネジメントのポイントなのかもしれません。

 

「当り前」を常に修正し、それを「当り前」に実行する、そういう当たり前の経営が、実は一番難しいことを、多くの破たん企業の内部でもがいてきたお二人は実感しておられました。

ある企業の人材開発担当の方によると、その企業の研修ではどんなプログラムをやっても最後は「コミュニケーションが大事だ」という結論になるそうです。それはそうでしょうが、それでは人間は生きていくためには水が必要だと結論するに等しいでしょう。そこで思考がストップしてしまいかねせん。

 

そもそも自社におけるコミュニケーションとは何を指し、何をコミュニケートしたいのか、なぜそれができないのか、そもそもなぜそれがないとどう困るのか、などなど掘り下げるべき課題はたくさんあります。それらを徹底的に掘り下げたうえで、自社にふさわしい施策をつくり上げるべきでしょう。

 

しかし、えてして「コミュニケーション研修」を売りにしている研修会社などのトークになびいてしまうことも多いのではないでしょうか。研修会社を「使っている」ようで「使われている」ことはないでしょうか?

 

ところで、そこまで大切なコミュニケーション。言うまでもありませんが研修で問題が解決するはずもありません。慶應ビジネススクールの清水勝彦教授の近著「戦略と実行」にこんなフレーズがありました。

 

こうして考えてみると、実行を妨げる様々な要因の底辺に横たわるのは、そもそもの戦略の実行に関する「誤った前提」と、「社内のコミュニケーションの不足」からなる誤解、納得感の欠如という、言われてみれば当たり前、しかしながら、組織のどこにも責任者がいるわけでも、できているかどうかを誰が見ているわけでもない状況です。「戦略の実行」を考えたときに、組織全体を見渡してコミュニケーションがどうあるべきかについての視点を経営者や部門長が持たなければ、「木を見て森を見ず」「すごい素振りをするサッカー選手」になってしまうのです。コミュニケーションが制度と人間をつなぎ合わせえるのです。

 

「コミュニケーションが制度と人間をつなぎ合わせる」のであれば、はやり人事、人材開発が全社的なコミュニケーションのあり方や現状、その効果性向上に責任を負うべきではないでしょうか。少なくとも、その任を負うのにもっとも有利なポジションにいると思います。


もしそうだとして、そこで大事なのは、個人のコミュニケーション・スキルといった議論に矮小化しないことです。追求すべきは個人ではなく組織のコミュニケーション能力です。では組織におけるコミュニケーションとは何か?清水教授はこういいます。

 

組織におけるコミュニケーションとは、単に論理的なメッセージや結論を伝えるだけでなく、感情、気持ち、あるいは人間性までを伝え、共有、共感を作り出す力なのです。

 

そう考えるとやるべきことも見えてきます。個人と組織、また制度やプロセスといったハードとスキルや意識といったソフト、など包括的な視点を持って推進する主体が必要です。それを人材開発部門が担うという覚悟を持っているかどうかによって、最初にあげた「コミュニケーションが大事」だという結論に対して真摯に向かい合うことができるのではないでしょうか。 

4822248453戦略と実行―組織的コミュニケーションとは何か
清水 勝彦
日経BP社 2011-03-24

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