文化と芸術: 2010年1月アーカイブ

恥ずかしながら、先日初めてシルク・ドゥ・ソレイユ(コルテオ)を観ました。競争のない新たな市場空間を創造する「ブルーオーシャン戦略」の代表例であることは、本で読んで知っていましたが、観てはいなかったのです。

シルク.jpg 

物語調のサーカスくらいに思っていましたが、そんな簡単に言葉で置き換えられるようなものではありませんでした。確かにブルーオーシャンです。

 

一流のサーカスでも、一流の芝居でも、一流のミュージカルでもない、それはまさしく「シルク・ドゥ・ソレイユ」でした。

 

 

        ただ、高度なスキル(オリンピック選手クラスだそうです)をアクロバティックに披露するのではなく、舞台に立つ出演者全員のハーモニーの中で見せる

        技術に驚き興奮するだけでなく、それに観る側の想像力を融合して楽しむことができる。たとえば、トランポリンの演技ではあるものの、ベッドにトランポリンを組み込み、子供時代の遊びを想起させる

        多くの演目が、ある道化師の夢と再現という、大まかなストーリーに沿って、次々展開されるため、さらに全体の大きな物語を想像しながら演技を楽しむことができる

        楽団による生演奏と、演技が一体となって進行する。背景としての音楽というよりも、音楽が演技の一部を構成。その意味では、オペラや近い。

 

サーカスやミュージカルの比較でいうと、

既存のサーカスが、技で驚かすのに対して、技で観客とコミュニケーションする。

既存のミュージカルやオペラ、芝居が、台詞や歌による言語も使って表現するのに対して、研ぎ澄まされた肉体と、それを完璧にコントロールする技術だけで表現する。

 

 

課題設定の重要性を痛感します。

これまではあるレールの上で、課題解決(技を磨くなど)を追求してきたのでしょうが、そもそも課題そのものを変えてしまったのです。楽しさや興奮をいくら追及し、競争してもおのずと限界があります。フィールドを、パフォーマンスの知的洗練度と芸術性に設定し直したのが、シルクです。そこがブルーオーシャンでした。

 

また、フィギュアスケートの採点ではないですが、肉体を駆使したパフォーマンスでは、スキルと芸術性は独立した価値として扱われてきたように思います。芸術性を高めるには、技術の難易度を下げようかと発想します。しかし、シルクはスキルと芸術性の両立があって初めて観客を感動させることができると考えているようです。

 

そういう意味でいえば、トレードオフを解決したともいえそうです。価格と品質のトレードオフを実現したかつてのトヨタのように。ただ、トヨタと違うのは、トヨタがそれによって既存市場の中でシェアを奪ったのに対して、シルクは新しい市場空間を創造したことです。サーカスやミュージカルの顧客を奪ったのではありません。それまでサーカスやミュージカルに関心を示していなかった人々をひきつけたのですから。

 

物語や想像力の重要性、課題設定の巧拙、市場創造、トレードオフなど、いろいろなことも考えさせてくれた、素晴らしいパフォーマンスでした。

 

あらゆる分野の一流が結集すると、まだまだ凄いことができるのですね。

昨晩、加藤健一事務所による「シャドーランズ」を観ました。正月から、人間の死と愛をテーマとした重い芝居でした。

 

いろいろ考えさせられましたが、二つの台詞(うろ憶えです)が印象に残っています。背景には、カソリックの教義があるようです。

 

 

「元来、人間は石のようなものだ。神がノミで削りながら、完成させていく。だから、痛いのは当たり前だ」

 

「苦労は買ってでもしろ」と日本でも言いますが、それと表面的には同じような意味でしょうか。ただ、映像をイメージさせるこの台詞には、説得力があります。死ぬまで完成はしないのでしょうが、少なくとも少しずつは完成に近づきたいものです。そう思わされました。

 

また、痛みの積極的な意味合いを気づかせてくれます。今の世の中、痛みを抱えない人はいないでしょう。痛みをポジティブなものにするか、ネガティブなものにするかは、その人次第です。勇気を与えてくれる言葉です。

 

 

「神に祈るから神が願いを叶えてくれるのではない。それなら、神が取引をしていることになる。祈ることによって、自分が変わるから願いが叶うのだ」

 

他力による自力とでもいえるでしょうか。以前、「われは木偶なり」という言葉について書いたことがありますが、それにも通じるものだと思います。祈るという謙虚な行為が、邪念を振り払い本来の自分に立ち返らせてくれるのでしょう。

 

これを読んでおられる方は、そんなの当たり前だ。あえて書くほどのこともないだろう、と感じていらっしゃるかもしれません。それは当然です。私は、昨晩観た芝居を思い浮かべながら書いているわけで、そのコンテクストをあなたと共有できるとは思えません。言い方を変えれば、演劇の力が、強い説得力の源泉にあるのです。

 

 

ところで、組織文化を変えることは非常に難しいことです。変えることの必要性をどれだけ合理的に説明されて、頭で理解したところで一人一人のマインドセットはなかなか変わりません。

 

合理性ではない物語や演劇の力が、企業変革や組織開発には欠かせないことを、あらためて確認した思いです。(ちょうど組織文化変革について考えていたので・・・)

 

シャドーランズ.jpg

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