2014年4月アーカイブ

年齢を重ねるということは、経験やそれに付随する知識が蓄積されていくということです。実際に記憶していることはそれほど多くはありません(特に最近・・)が、いつか必要な時に必要な引き出しの中から出てくるものに違いないと、かすかな期待もしています。だから、読んでそのまま忘れてしまうような本も、せっせと読む。

 

しかしそういった煮こごりのような知識が、足枷になることも徐々に増えてきます。思い込み、(勝手な)常識、前提などなどが、新しい思考を妨害するのです。これはどんな人にも等しく訪れる落とし穴に違いありません。だから、それが当然だと認識し、意図的に予防を図る必要がある。成功体験が多ければ多いほど、意識したほうがいいでしょう。

 

日経ビジネス4/7号の「澤田秀雄氏の経営教室(第一回)」に、澤田氏がその方法について書いていました。ちょっと長いですが引用します。

 

人間は知らないうちに自分の思考に枠をはめてしまうので、視線も興味があることにしか行きません。その枠を外さなくては、新しいものは見えてきません。

そのためにはまず、世の中にはいろいろな考え方の人がいるということと、自分には物事の一面しか見えていないということを絶えず意識する必要があります。そのうえで、同じ物事をどういう角度で見ているのか、他の人の意見を聞くことで思考の枠が外れていく。

 

自分の思考やものの見方を認識するために他人を鏡として使用するということでしょう。鏡に映った自分の姿に目を背けるのでなく正視し、主体的に修正を試みる。また、澤田氏はもう一つの方法にも言及しています。

 

思考の枠を外すもうひとつの手段は、数字を見ることです。(中略)数字はウソをつかないので、余計な「常識」が入り込む隙がありません。

 

かつてダイエーの中内社長は、店舗を巡回して細かいことまで指示を出していったそうです。しかも、それがことごとく的を射ていた。対照的に、セブンイレブン・ジャパンの鈴木社長は、店舗に足を踏み入れずPOSデータだけで指示を飛ばしていた。こちらも、驚くほど的確な指示だったそうです。鈴木氏はこう言っていました。店舗を巡回すると余計な情報がたくさん入り込んできて本質が見えなくなる、だからウソをつかない数字だけで判断する。中内氏も鈴木氏も、自分の得意な方法で本質に迫っていたのです。正解はありません。

 

さて、他人の意見にしろ数字にしろ、いかに主観を取り除き客観的にものごとを見るかが重要なのでしょう。しかし、人間は感情の動物であり、それを排除することは非常に難しい。それは、ある意味「個」を捨てることです。一方で、今ほど明確な「個」を確立することが求められている時代はありません。個を確立しつつ個を捨てる、そんな難しいことに挑戦し続けることが一生のテーマなのかもしれません。

もし自分の子供がお店で万引きしているところを捕まって呼び出されたとしたら、開口一番まずは謝らせることが当たり前のことだと思っていました。しかし、最近はそうではないようです。

 

ある警備関連企業を経営している方からうかがったのですが、呼び出された親はこういうそうです。

「本当にうちの子が万引きしたんですか?」

「その証拠はあるんですか?」

「子供が万引きできてしまうような店の管理に問題があるんじゃないですか?」

 

また、こう自分の子供を叱った親もいるそうです。

「見つかるとは、なんて馬鹿なんだ。やるなら見つからないようにやりなさい!」

 

この親は極端としても、先の質問を繰り出す親は珍しくもなく、最初に子供に謝らせる親のほうが珍しいそうです。現場に詳しい方のお話だけに、これには驚愕しました。

これがビジネス上の取引であれば、おかしくはないかもしれません。自分の非を認める前に事実確認をする。そして、その事象が起きた背景に何かあったのではと推測をする。つまり、合理的に論証を進め、判断するわけです。

 

しかし、お店が子供を万引き犯に仕立ても何もいいことはありません。そんな状況で、親が論証を進める必要があるとは思えません。子供、ひいては自分の不利益を最小化すべく、苦し紛れのロジックを組み立てているのでしょう。つまり、最大限に損を減らすことに絶対の価値をおいていると考えられます。

 

もっとすごい事実があります。近年万引きは急増傾向にあり、特に高齢者が増えているそうです。万引き急増に手を焼いたある小売業者は、万引き犯を捕まえることを止めてほしいと、警備会社に頼んだそうです。おかしいですよね。言われたほうも耳を疑い、なぜなのか質問したところ、こんな回答だったそうです。

「万引きで捕まった人の家族から、その後何度もクレームの電話がかかってきて仕事にならない。だから、もう捕まえないでほしい」

それでも、万引きを見逃したらお店の損失が増えてしまうのではないかと聞き返すと、

「確かに損はでるが、全体の売上の数%で大した金額ではない。クレームに対応するコストのほうが遥かに大きいのだ。だから全店そういう方針でのぞむことになった」

 

これにはあきれて言葉が出なかったそうです。確かに損得で考えたら、そのほうが得かもしれません。しかし、ほんの出来心でやってしまった万引きを咎められず、常習化してしまったら、その子はどのような大人になるのでしょうか。そこまで心配する必要は、その小売業者にはないのでしょうか?

 

万引きする子供、その親、そして万引きされる小売業者。すべてが、損得だけの世界で生きている。倫理感も社会的公正も、周囲への敬意も、他人に迷惑をかけないとの戒めも損得の前では重要ではないかのようです。

 

ビジネスパーソンに合理性や損得計算などを教育することにもかかわっている私としては、何とも情けない気がしています。大企業の経営者に至っても、自分や自社の損得だけで意思決定しているのではないかと疑う事象を目にすることがあります。非常に短期的、単視眼、目先の利益を拡大することも大事ですが、それは結果であって目的ではないはず。尻尾に振り回されている犬のようです。

 

では、損得だけでなく何をよりどころにして意思決定をしていけばいいのか?この問いは重いです。経営幹部教育のお手伝いもしていますが、そのクラスになるとビジネススキルなどはほとんど対象となりません。ある企業では、リベラルアーツ(教養)をプログラムの中心に据えています。では、教養が経営の意思決定にどのような役割を果たすのか?難しいテーマです。

 

「あなたを抱きしめる日まで」あらすじ

フィロミナ.jpg

その日、フィロミナは、50年間かくし続けてきた秘密を娘のジェーンに打ち明けた。それは1952年、アイルランド。10代で未婚のまま妊娠したフィロミナは家を追い出され、修道院に入れられる。そこでは同じ境遇の少女たちが、保護と引き換えにタダ働きさせられていた。フィロミナは男の子を出産、アンソニーと名付けるが、面会は11時間しか許されない。そして修道院は、3歳になったアンソニーを金銭と引き換えに養子に出してしまう。以来わが子のことを一瞬たりとも忘れたことのない母のために、ジェーンは元ジャーナリストのマーティンに話を持ちかける。愛する息子にひと目会いたいフィロミナと、その記事に再起をかけたマーティン、全く別の世界に住む二人の旅が始まる──。

 

●感想

本作は失業した元エリートジャーナリストであるマーティンの、心の再生物語として観ました。彼とフィロミナは正反対といっていいほど境遇が異なります。彼は当初、まじめなカソリック教徒で下層階級出身の彼女を見下していたようでした。彼女の読む大衆ロマンス小説すら蔑視していました。

 

オックスフォード卒BBC記者として出世した彼は、政治スキャンダル絡みで失職していました。プライドと皮肉癖はそれでも抜けません。そんな彼が馬鹿にしていた大衆紙の三面記事の仕事を引き受けたことから、この物語が始まりました。当初は、少しだけプライドを捨ててもお金が必要だったのでしょう。それまでの彼は、「理にかなった言動をとる」、「有名になること」、「リッチに暮らすこと」が生きる座標軸だったと思われます。

 

すべての謎が解けた後、自分の価値観やそれに従ってきたこれまでの人生を守りたいがために、かたくなにアンソニーの消息を隠し続けてきた老シスターに対して、マーティンは怒りをぶつけます。しかし、フィロミナは毅然と赦すのです。そんな彼女に、「なぜ赦すのだ」と詰め寄る彼にこう言います。「赦すのは、責めることよりも何倍も勇気がいることなのよ」 その言葉に、彼はこれまでの自分の生き方を見直すきっかけをつかんだ、まさに気づきを得たのです。

 

それまで記事発表に抵抗していた彼女をどうやって説得しようか悩んでいた彼は、一転してこの記事の発表を止めようと言います。ところが、個人的なことだからと拒否していた彼女も一転、「みんなに知って欲しい」というのです。勇気をもって赦したことで、「小さな」自分自身の生活や評判なんかよりも、重大な「歴史の恥部」を広く世界に示すことで、少しでも世の中のために役立ちたいとの「大きな」器量を得たのだと思います。

 

そんなフィロミナをマーティンは眩しく見たのではないでしょうか。人間の評価は何で決まるのか。最後のシーンでは、彼女の「(大衆小説を)読み終わったからあげようか」との無邪気な厚意に対して、「ありがとう。読んでみるよ」とうれしそうに答えます。これが彼の再生を表しています。

このアーカイブについて

このページには、2014年4月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2014年3月です。

次のアーカイブは2014年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1