2017年5月アーカイブ

学ぶこと/教えること

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今朝の朝日新聞「折々の言葉」に以下が記されていました。

 

わかりやすさというものは、親切なように見えて、実は非常に不親切なことなのかもしれません。(千宗屋)

 

また、毎回楽しみにしていた、日経ビジネスでの連載「トヨタ方式を作った男たち」が、今週号で終了となりました。

 

他にも最近読んだものに中に、「学ぶこと/教えること」に関して感銘を受けたものがいくつかあったので、備忘録的に転記しておこうと思います。

(「教える」という表現は適切ではなく、「導く」「治す」「同道する」「育てる」「提示する」など様々な意味が含まれますが、それらを同じかたまりと捉え、便宜上「教えること」としました)

 

 

●学ぶということ

確かに合理的な考えからすると修業は無駄である。でもこの無駄が大切なのだ。毎日同じ仕事をやり親方に同じことで怒られる、己の駄目さを認識する。世の中の底辺を見る。親方は自分をどう思っているのか?世間は自分をどう見ているのか?毎日思考の繰り返し。(中略)熟成されることにより人への優しさを覚えるのだ。気を使える人間になるのだ。気を使えるということは状況判断が的確に行えるようになるということ。客に対しても何を求めているかわかるようになるのだ。人間を見る目を養うことになるのだ。(立川志らく)

 

林によれば、大野も鈴村も現場でメモを取らなかった。頭の中に映像として記憶し、カイゼン後の現場と照合して、さらなる改善を指摘していく。メモを取って満足し、とことん考え抜くことを疎かにするな、という戒めがそこに込められている。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.44」)

 

求められるのは、いわゆる知識ではない。困って苦しんで考え抜いた末に出てくる知恵である。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.50」)

 

毎日現場に来て考える。「昨日と同じことをやっていていいのか」そう自らに問う。自分なりにムダを省く。進化、成長はそういう態度からしか生まれない。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.54」)

 

●教えるということ

トヨタ生産方式の指導とは上から目線で講義することではない。人間と人間の間に信頼感を醸成することだ。お互いを認め、気脈が通じなければ成り立たない。

 

生産調査室の人間のモチベーションとは、もちろん目的は原価低減だったけれど、相手の喜ぶ顔が見たいというその一心だった。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.44」)

 

指導員に必要なものは何よりも観察力だ。(中略)ただし、この時にパターン化された公式があるわけではない。解決策は現場の数だけある。同じ答えは解決のヒントにはなるけれど、そっくりそのまま他に援用しようとする態度は間違っている。(中略)何よりも大事なことは導き出した解決策を「そのまま教えない」ことだ。伝授するのではなく、現場の人間が思いついたように答えを引き出す。(中略)簡単に答えを教えたら身に付かない。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.49」)

 

情報を伝えることでもなく、問題の解答を導き出すことでもない。部下に課題を与えながら、自分自身もまた同じ課題を解くことだ。そばにいて見届けて、同じ苦労をする。部下と同じ立場に身を置くことだ。

 

常に考えることを求め、決して褒めることをしなかった。「褒めるという行為は相手を馬鹿にしている」と大野は言った。自分ができることをお前にしてはよくやった、と思うから褒めるのだと。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.53」)

 

 

サブちゃんと客席のやり取りには垣根がない。年齢や性別、職業や身分など一切の区別がなく、人と人とが水平にぶつかり合っていた、『俺はこれまで何をしてきたんだ』と恥じ入った。自分の中に無意識なエリート意識があって『上から目線』で仕事をしてきた、批評家や業界人の目ばかり気にして脚本を書いていた。テレビドラマは大衆のものだ。『地べた目線』でドラマを書くぞと心に決めた。(倉本聰 「私の履歴書」)

 

必要なのは距離を保って共感することだ。愛情や友情を感じる必要はない。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.54」)

 

患者の苦悩に寄り添い、深く「関与」しつつ、一方で、その表情や行動、患者を取り巻く状況に対しては冷静で客観的な「観察」を怠らない。

 

1960年代までの心理療法は、治療者は患者を善導するという言い方をしていたんです。医師が患者を教え導くなんて非常にパターナリスティック、父権的ですね。(中略)治療者のパッションが時に患者にとっては有害な場合がある。(中略)そこで、今では当たり前のことですが、主体は治療者でなく患者であるという方向にだんだん視点が移っていったんです。(「セラピスト」P232最相葉月著)

セラピスト (新潮文庫 さ 53-7)
最相 葉月
4101482276

 

 

 

茶人も落語家もトヨタ生産方式指導員も脚本家も心理療法士も、みな同じことを言っています。ここに、非常に日本的な「学びのかたち」があるように感じました。

4295000922ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも 行き詰まりを感じているなら、 不便をとり入れてみてはどうですか? ~不便益という発想(しごとのわ)
川上浩司
インプレス 2017-03-16

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私が稽古に通う矢来能楽堂のトイレ(大の方)には、こんな張り紙がしてあります。「このトイレは自動ではないので、必ず流して下さい。」

 

近頃のトイレは立ち上がると同時に自動で流してくれるので、それに慣れた方がつい手動で流さずに、そのまま立ち去ってしまう事故が頻発したからなのでしょう。私のオフィスのトイレもその機能がついていますが、勝手に流されることに反発して、その機能をオフにしました。なんとなく、主体性を否定されたような気がしたのです。

 

これは便利な機能が必ずしも益ではなく、不益にさせる例だと思います。便利=益とはいえないこともあり、逆に言えば不便=益ということもありえます。それを扱ったのが本書です。(不・便益ではなく、不便・益です、念のため)

 

こういった発想は楽しいですし、役に立ちます。ついつい、楽(らく)=便利=益ということを前提に暮らしや仕事をしていますが、本当にそうか?と疑うことは大事ですね。

 

本書にも記載ありますが、自動車のナビ、これは本当に便利ですが、おかげで道を覚えなくなってしまいました。かつてナビがなかった頃は、知らない土地では地図を片手にいろいろ考えイメージしながら運転していたので、一度通った道はしっかり頭に刻まれたものです。今では、何度通っても、ナビなしでは不安です。

 

機械による人間の能力の拡張機能は、便利ではありますが、それへの依存を高め、人間本来が持っている能力を低下させてしまいます。PCのおかげで漢字が書けなくなったのも同じこと。便利=楽ではありますが、本当に益かどうかよくわかりません。

 

荒川修作+マドリン・ギンズによる三鷹天命反転住宅という住宅があります。HPからのその説明の一部を転記します。

 

私たち一人一人の身体はすべて異なっており、日々変化するものでもあります。与えられた環境・条件をあたりまえと思わずにちょっと過ごしてみるだけで、今まで不可能と思われていたことが可能になるかもしれない=天命反転が可能になる、ということでもあります。荒川修作+マドリン・ギンズは「天命反転」の実践を成し遂げた人物として、ヘレン・ケラーを作品を制作する上でのモデルとしています。

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簡単に言えば、ユニバーサルデザインの正反対のコンセプト。段差や階段などをなくしたユニバーサルデザインの住宅に住むのは確かに楽かもしれませんが、その結果人間が本来持っていた生命力を喪失させてしまうのでは、との主張が根底にあるのだと思います。だから三鷹天命反転住宅には、フラットですべすべした床は一切ありません。何度か入ったことがありますが、室内を歩くのに一苦労するものの、不思議なわくわく感と活力が湧いてくる気がしました。三鷹天命反転住宅は、不便な益を追求したものと言えます。

 

私は冬には薪ストーブを使っていますが、おいしく焼き芋を焼いたりシチューをいれた鍋を温めておけるという便利さはありますが、それ以上に不便な点のほうが大きいと感じます。特に最初に火を熾すときは、本当に大変ですし時間もかかります。軟弱な私は薪を束で買っていますが、決して安くはありません。明らかに灯油やガスストーブの方が、便利で楽でしかも安いです。でも、やっぱり薪ストーブが好きです。

 

本書に、不便益の条件として以下三点が挙げられています。

 ・習熟を許す

 ・主体性を持たせる

 ・スキル低下を防ぐ

 

薪ストーブで火を熾し、うまく燃やし続けるにはそれなりのテクニックが必要です。毎回試行錯誤していますが、少しずつ習熟している実感はあります。自動的に温かくなるエアコンなどの暖房器具は全てお任せであり、私に主体性はありません。薪ストーブでは自己責任であり、主体性を問われます。人類の根本にあるはずの、「火」に対するセンシビリティーというか扱いの感覚というスキルの低下を防いでいると言ったらちょっと大げさですが、そんな実感はあります。


便利さが加速する現代、あえて不便の益を追求することはとても意味があることだと思います。

 

自分が漠然と感じていたことを、スパッと整理して提示してくれることは、読書の醍醐味のひとつです。新しい視点を獲得することが、なにより私にとっての「益」なのだと思いました。


なお、本書と合わせて隣接分野である「仕掛学」を読むといっそう楽しめます。

仕掛学仕掛学
松村 真宏

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