文化と芸術: 2012年5月アーカイブ

先日98歳で亡くなった批評家吉田秀和氏について、クラシック音楽にそれほど傾倒しているわけではない私はあまりよく知りません。

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時々FMラジオのクラシック音楽番組で、その絞り出すような声を聞きましたが、恥ずかしながらその内容をあまり把握できなかったと思います。また、数年前まで朝日新聞に連載していたコラムを時々目にしていましたが、その一本筋の通った格調高く折り目正しい文章を咀嚼できてはいなかったようです。従って、その偉大さについては全くの無知といえます。

 

今回もこれまでの多くの賢人についてと同様、新聞などに寄せられた追悼文によってその偉大さを知ることになりました。

 

昨日の朝日新聞朝刊に載っていた丸谷才一の追悼文には、驚きました。辛口で評判の彼が「われわれは彼によって創られた」とまで書いているのですから。

 

批評家は二つのことをしなければならない。第一にすぐれた批評文を書くこと。そして第二に文化的風土を準備すること。この二つを行ってはじめて完全な批評家となる。

 

 

この文章自体にも驚きました。第二については考えたこともありませんでした。でも確かにそうですね。批評家は自ら作品(小説や音楽、絵画などの)を創造することもなく、ある意味傍観者として批評だけしていればいいのだから・・、といった醒めた見方をすることもなくはなかった。でも、その方向で主体者となるのではなく、「文化的風土を準備する」という方向で主体者になりうるのであり、また本物の批評家はそういう行動を取る者なのだと、丸谷は指摘しているわけです。そして、まさに吉田がそうだった。

 

吉田秀和はこの両面を備えていた。たとえば桐朋学園音楽科一つとっても、彼に存在がなければ小澤征爾も東京クワルテットも(中略)。

 

これは桐朋とは関係ないが、武満徹の場合にしたってそうだ。(中略)それから逸してはならないのはベルリン・オペラの招聘。彼が本場の本物のオペラをまるごと連れてくることによって、日本人はオペラという豪奢な美の様式を現実に体験した。

 

他にも多くの「文化的風土の準備」実績が語られています。驚くばかりの貢献です。全然知りませんでした。

 

戦後日本の音楽は吉田秀和の作品である。もし彼がいなかったら、我々の音楽文化はずっと貧しく低いものになっていただろう。(中略)われわれクラシック音楽の愛好者は彼によって創られた。

 

文化的風土形成に大きな貢献をするということは、他のどんな偉人と比べてもそん色ないことだと思います。ただ、あくまで「準備」のために、丸谷のような才人には崇拝すらされているのでしょうが、私のような一般人にとってはあまり目立つ存在にはなりません。それが、なんとも口惜しく、かつカッコいいですね。

 

第一のことだけで満足する批評家であれば、高齢にもかかわらずわざわざラジオ放送を通じてじかに語りかけたりしなかったでしょう。また、わざわざ一般新聞にコラムを連載し続けることもなかったと思います。吉田は、第二の役割を死ぬまで担おうとし、そして人生を全うしたのでしょう。

 

「われわれは彼によって創られた」

これ以上の賞賛と感謝の言葉はありえません。自分の無知を恥じると同時に、心より哀悼の意を表します。



昨日、100歳の新藤兼人監督が亡くなりました。戦前戦中の日本や世界を深く知り、その経験を踏まえて現在の日本を築いてきた方がまたいなくなってしまいました。精神の継承が大きな課題となってきています。

 

高校一年生の時の自分なんて、滅多に思い出しませんし思い出したくもありません。恥ずかしいことばかりで・・・。

 

サザンオールスターズの原由子さんが、毎週金曜朝日新聞の夕刊に「あじわい 夕陽新聞」というエッセーを連載しています。先週は、再結成したビーチ・ボーイズをとりあげていました。その回のタイトルは、「ビーチ・ボーイズとジャパン・ジャム」

 

んんん~ん、ジャパン・ジャム!?あのジャパン・ジャムか?読んでみると、やはりそうでした。引用します。

 

ブライアン参加のビーチ・ボーイズが来日するのはなんと33年ぶりだそうです。その33年前のライブというのが、19798月に江の島で行われたジャパン・ジャム。光栄なことに私たちサザンオールスターズも出演させて頂きました。

今思えば前座とは言え、ビーチ・ボーイズと同じステージに立たせて頂いたなんて夢のようです。(中略)会場には横須賀から米兵が大勢来ていて大盛り上がりでした。私たちははっぴ姿で「勝手にシンドバットなどを演奏。(中略)ビーチ・ボーイズの演奏はもちろん最高!クライマックスの「ファン・ファン・ファン」の時にはちょうど江の島の向こう側に夕日が沈み、幻想的で忘れられないシーンでした。

 

 

そうです。その場に、高校生一年生の私もいたのです。すっかり忘れていた記憶が一瞬にして蘇ってきました。悪友三人と愛知の田舎から夜行電車に揺られて上京。早朝4時くらいに東京駅に到着。行くところもないので、皇居前広場まで歩きベンチで休んでいました。すると、自転車の警察官に、家出少年と思われたのか職務質問を受けました。もちろん初めての経験。

 

それほど我々はビーチ・ボーイズのファンでもなかったのですが、なぜわざわざ江の島まで野外コンサートを観にいったのかよく覚えていません。出演バンドのひとつ、ハートのほうがどちらかといえば興味があったとのかも。アンとナンシーのウィルソン姉妹を中心としたバン

japanjam.jpgド。サザンはもちろん知ってけど、ふーん出てるんだ、という程度の印象。はっぴを着た桑田が走り回って歌う姿に、なんだか日本代表として頑張っているんだ、という今思えばさめて観ていたように思います。

 

とにかく印象に残っているのは、強烈な日射しの下、ビールを大量に飲んで盛り上がっている多くの米兵たち。近寄ったら殴られそうで、遠巻きに見てました。そうか、横須賀から来ていたんだね。そんなことも知りませんでした。水着姿の女性も多く、高校一年生にはちと刺激的だったかも。

 

そうそう、夜行電車で東京迄来たと書きましたが、でもグリーン席でした。なら新幹線で行けばよかったのに・・。当時は新幹線に乗るなんて贅沢極まりないと思い込んでいたようです。高校生は夜行でいくべし。でも、7,8時間も普通の座席に座り続けるのはしんどい。じゃあ、夜行のグリーン席で行こう、ということになったみたい。金額は新幹線と同じか、多少高かったかも。ほんとにバカですねえ。

 

原さんと同じように、江の島の向こうの夕日は印象深く覚えています。幻想的というよりも、なんでこんなところに自分はいるんだろう、と不思議な気持ちだった。まだ、幻想的とか美しいとか考えるほど成熟していなかったのかもしれません。

 

それほど好きでもなかったサザンですが、舞台でのガンバリに何となく共感したのか、その後好きになったようです。高校2年生になると大学受験の模試をいくつか受けるようになったのですが、志望大学に「青山学院大学」と書いていました。単にサザンが通った大学だったからでしょう。実際には受験しませんでしたが。バカですねえ、ほんとに。

 

PS.上の写真は、ネット見つけた当日の航空写真(PAメーカーの広告)。こんなに大規模だったとは、33年たって初めて知りました。無知!

それから、当日の演奏曲も調べられる。なんと便利な。

西荻窪は不思議な街です。中央線沿線特有のゆるーい雰囲気と、ちょっとだけ文化の香りがする、私にとってふらふらするのに最適な街です。西荻在住で食に関する手だれのエッセイスト平松洋子さんには、もう何度も道

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や店ですれ違ったことがありますが、昨日地元NPO主催の彼女のトークショーがあったので聴きにいってきました。同じく地元ライターの北尾トロさんとのジョイントトークです。

 

場所も西荻の文化拠点?こけし屋です。地元ならではのリラックスした雰囲気の中で、楽しい話がたくさん聞けました。その中のひとつ、トロさんが平松さんに、エッセーを書くときには、最初にぜんたいの流れや落とし所をある程度決めて書き始めるのかと質問しました。私も、作家が創造するプロセスに興味があったので、つい前のめりになり回答を待ちました。

 

「最初に大筋を決めてしまうようなことは、ほとんどありません。時にはそういうこともありますが、当社比でうまくいかないことが多いです。ゴールに向かって書いていくと、どうしてもそれにはめようとしてしまい、面白くないものになってしまうようです。何となく書き始める中で、次々思いついていくことが自分でも楽しいんです」

 

という回答でした。平松さんに限らず日本人作家のエッセーの多くは、構築的ではないと感じていましたが、やはりそうなんですね。枕草子にしろ方丈記にしろそうですから。何となく思いついたことを、つらつらと書き連ねる中で、なんともいえないその人の個性が浮かび上がってくる、その風情を読み手も楽しんでいるような気がします。構築された雰囲気を感じるエッセーは、何となく肩に力が入ってしまうようにも思えます。もちろん、そういう書き方をした名作もたくさんあります。

 

MECEを気にしたビジネス文書の類に日々接しているビジネスパーソンにとって、そのつらつら感が心地いいのです。

 

そこで思いだしたのが建築。日本の古くからの建築の特徴は、増築にあるそうです。家族構成が変わったり、志向に変化が出たりしたときに、どんどん増改築していって変化させていくところに、日本に建築の面白さがあります。加藤周一はこう書いています。

 

全体の分割ではなく、部分から始めて全体に到る積み重ねの強い習慣であるかもしれない。別の言葉でいえば、「建増し」主義。建増しは、必要に応じて部屋をつないでゆく。その結果建物全体がどういう形をとるかは作者の第一義的な関心ではない。

 

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桂離宮の美しさは、建増しによってうまれた、複雑なだけではない優美で調和的な全体にもあると書いています。ドストエフスキーの小説の対極にありものと言えるでしょう。

 

平松さんの話から、桂離宮にまで飛んでしまいましたが、日本人の創造性の源は、全体を構築的観点から分割することにあるのではなく、部分の積み重ね、建増しにありそうだと、あらためて思い至ったわけです。

 

日曜の夕方のゆるーい西荻の街は、つらつらと想像を膨らませてくれました。

 

 

PS.5時からこけし屋2階で始まるトークショーを、一階喫茶コーナーでコーヒー飲みながら待っていたところ、すぐ隣の席に平松、北尾両氏が坐り、打合せを始めました。この雰囲気が西荻です。

れほどの名作がなぜボストンにあるのか?と誰もが思ってしまうような展覧会でした。明治維新のどさくさにまぎれて御雇外国人(フェノロサとビゲローら)がカネにいとめをつけずに買い漁ってのだろう、とい

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うのは大間違いで、当時日本人が評価していなかった美術品をボストンに避難させたというのが本当のようです。

 

特に、仏画には素晴らしい作品が数多く展示されていました。平安時代の絵師の技術の高さと想像力の豊かさに、ただただ感動しました。色も思っ

た以上に鮮やかに残っています。これらが、当時廃仏毀釈運動の中でゴミ同然に扱われていたなんて・・・。奈良の東福寺五重の塔が25円で売りに出されたそうです。25円は薪の値段だったのでしょう。なんて日本人は愚かなのでしょう。

 

さらに、絵巻物も素晴らしい。「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」が里帰り。あまりの人の多さに、詳しくは観ることができませんでしたが、登場人物の表情の豊かさ、色の鮮やかさ、スピード感など、絵巻物の頂点にあると言ってもいい出来栄えです。燃えさかる炎が生き物のように描かれ、観るものの神経をかき混ぜます。

 

たまたま博物館本館で、国内にあり国宝となっている「平治物語絵巻 六波羅行幸巻」が展示されてい

平治 国内.jpgました。こちらはゆっくり観ることができましたが、ボストンの作品のうが明らかに優れていました。保存状態もあまりよくなく色も薄れています。ちょっと複雑な感じ・・・。

 

それから、光琳の「松島図屏風」が、やっぱり凄い。松島は横からの視点で描き、うねる波は斜め上や真上からの視点で描き、それを一隻の屏風の封じ込めている。それをセザンヌやピカソが真似たのでは、と思わせるくらい独創的な構図です。さらに、波がまるで生き物のように生気を持って描写されています。とてもモダンで魅力的な作品です。

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最後は、曽我蕭白です。まさに鬼才。融通無碍な筆法は、観る私たちの心までを自由に解放してくれるように感じました。スケールの大きな人だったのでしょう。

 

 

それにつけても明治の日本人は、西洋に憧れるあまりか自分達が持っている美的世界観を忘れてしまったことは、本当に残念なことでした。逆にフェノロサのような西洋人のほうが日本の美を理解し保存に努めてくれたのは、ありがたいことであり、幸いでした。

 

でも、その日本人の特性は今もあまり変わっていないようにも思えます。たとえば、JAPANと英語で表記される漆は、現在どれだけの家庭で日常に使われているでしょうか?これほど美的にも機能的にも優れた素材はありません。せめてお椀だけにでも身近に使いたいものです。

 

以前輪島を訪れたとき、当地では小学校に入学した子供に、町から漆塗りのお椀が贈られると聞きました。子供用とはいえ、なかなか大したものでした。子供は卒業するまで、それを給食で使い続けるのです。いい話だと思った反面、輪島ですらそうでもしないと子供が漆を日常で使わないのだということに気付き、少し悲しくなってしまいました。(ちなみに、送られる漆塗りのお椀をお土産に買ってかえりました)

 

そんなことも思い出した、日本美術の一級品を一堂に会した素晴らしい美術展でした。

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