文化と芸術: 2011年9月アーカイブ

昭和13年山本嘉次郎監督作品のこの映画は、主演の高峰秀子と原作の豊田正子との不思議な縁を感じさせます。当時13歳だった高峰と15歳だった豊田、若くして人気者となったふたり。奇しくも二人は昨年12月、相次いで亡くなりました。


原作は、東京下町の貧しい一家の長女正子を中心とした物語です。家族は貧しさゆえ窮地に陥ったりしますが、威張っているものの気の弱い父と気丈な母、無邪気な二人の弟とともに、ひっそり暮らしているのです。


映画では、高峰演ずる6年生の正子は、小学校で綴方(作文)がとても上手だと先生に褒められます。その後、つらいことがあっても綴方をひた向きに書き続けることで、明るさを保っていきます。大好きなその先生は、その後も正子を支えます。


一方、現実の高峰は5歳から子役として脚光を浴び小学校すらまともに通えませんでした。そんな彼女の楽しみは、ファンやスタッフからもらった絵本や雑誌などを見て、ひとり字を覚えることだったそうです。しかも育ての母親は、高峰を金づるとしか見ていない。夜中に布団の中でこっそり本を読んでいると、それを見つけた養母は、「字の読めない私へのあてつけか!」と怒鳴り、本を破って捨てたそうです。

 

貧乏だが優しい家族や先生に恵まれた豊田、おカネはあるが不幸な家庭で学校にも行けない高峰、同年代でありながら対照的な二人だったことで

綴方教室.jpgしょう。映画化の際撮影所を訪れた豊田に高峰が女工を見下した発言をしたと豊田が書いたことの反発した高峰が、内容証明でそれに反論する騒ぎもあったそうです。末恐ろしいふたり・・。

 

その後、ご存知の通り高峰は名作「二十四の瞳」で、先生を演じました。「綴方教室」で先生の愛情をいっぱい受けた正子を演じた小学校にも通えなかった高峰にとって、特別な役ではなかったかと想像します。この役で、女優の名声を確かなものにしました。

 

ところで、書籍「綴方教室」はベストセラーになりましたが、豊田は貧乏生活から抜け出せたわけではありません。その本の著作権者は豊田ではなく、あの先生のものになっており、豊田には一銭も印税は入ってこなかったからです。何ということでしょう。


小学校を卒業し女工になっていた豊田は、その後も創作を続けます。空襲で弟を失い、戦後は共産党に入党。文化大革命時の中国に渡り苦労したようです。夫からは捨てられ、帰国後もほそぼそと宝飾店で働きながら、創作を続けました。あるエッセーに、共産党は貧乏人の味方だと思っていたがそうではなかったと、書いたそうです。

 

幸せな結婚生活を送り早くに女優を引退、その後エッセイストとしても活躍した高峰、創作を続けながら貧乏と戦い続けた豊田、その二人は昨年12月に相次いで亡くなりました。何が二人を分けたのでしょうか。昭和の歴史がここでもひとつ幕を閉じた。そんなことを感じた映画「綴方教室」でした。

このアーカイブについて

このページには、2011年9月以降に書かれたブログ記事のうち文化と芸術カテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブは文化と芸術: 2011年7月です。

次のアーカイブは文化と芸術: 2011年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1