昨晩、和泉流狂言「狐塚」を観ました。(国立能楽堂の企画で、先月は同じ狐塚を大蔵流で観ました。ストーリーはほぼ同じですが、設定が微妙に異なりました)
簡単にストーリーを説明するとこうです。
今年は豊作。狐塚にある田を群鳥に荒らされては大変と、主人は太郎冠者に田にいて鳥を払うことを命じます。やがて真っ暗闇になり、一人っきりの太郎冠者はだんだん不安になります。狐塚というくらいで、そのあたりは狐が人間を化かすと評判だからです。
次郎冠者はひとりで番をする太郎冠者のことが心配になり、様子をみにいきました。真っ暗やみなので、「ほーい、ほーい」と呼びかけます。その声を聞いた太郎冠者は、いよいよ狐が化かしにきたと思い込み、恐ろしさのあまり、招くふりをして捕え縛り上げます。次に、主人も心配になり来ますが、同じように縛りあげられてしまいます。
恐ろしさのあまり二人とも狐だと信じ込んだ太郎冠者ですが、やがて二人の反撃をうける・・・という話です。
いたってシンプルな話ですが、人間の本質を的確に描いているといえるでしょう。人間は想像しなくてはいられない生き物です。だから、一人ぼっちでしかも真っ暗で心細いと、すべてが悪い方に想像してしまうのです。防衛本能がはたらくのかもしれません。
そうなると合理的な判断はできなくなります。様子を見にきた太郎冠者と主人の姿が本人そのものに見ても、よくぞそこまで化けたものだと、逆に警戒心を高めてしまいます。
こういうこと、よく聞きませんか?私がすぐ思いついたのは、自分が三顧の礼で連れてきた後任の社長を、二人続けてクビにして、自分が社長に復帰した某社の創業者二代目です。彼はひとり暗闇を心の中に抱え、不安でしかたがないのでしょう。だから、自分が連れてきた後任社長が狐に見えて、自分を騙しているのではと思いこんでしまう。外から来た社長は、誠意をもってその二代目と話し合ったかもしれません。でも、誠意を示されればされるほど、「うまく化けた」とますます警戒心を高めてしまう。
こういうことは、この会社のみならず、いたるところで起きているのではないでしょうか。
室町時代から人間の本質はまったく変わっていない。よくぞ、600年も前の狂言作者は、そうした人間の本質をシャープに切り取ったものだと、あらためて感心します。すごいもんですねえ。
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