2012年5月アーカイブ

先日98歳で亡くなった批評家吉田秀和氏について、クラシック音楽にそれほど傾倒しているわけではない私はあまりよく知りません。

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時々FMラジオのクラシック音楽番組で、その絞り出すような声を聞きましたが、恥ずかしながらその内容をあまり把握できなかったと思います。また、数年前まで朝日新聞に連載していたコラムを時々目にしていましたが、その一本筋の通った格調高く折り目正しい文章を咀嚼できてはいなかったようです。従って、その偉大さについては全くの無知といえます。

 

今回もこれまでの多くの賢人についてと同様、新聞などに寄せられた追悼文によってその偉大さを知ることになりました。

 

昨日の朝日新聞朝刊に載っていた丸谷才一の追悼文には、驚きました。辛口で評判の彼が「われわれは彼によって創られた」とまで書いているのですから。

 

批評家は二つのことをしなければならない。第一にすぐれた批評文を書くこと。そして第二に文化的風土を準備すること。この二つを行ってはじめて完全な批評家となる。

 

 

この文章自体にも驚きました。第二については考えたこともありませんでした。でも確かにそうですね。批評家は自ら作品(小説や音楽、絵画などの)を創造することもなく、ある意味傍観者として批評だけしていればいいのだから・・、といった醒めた見方をすることもなくはなかった。でも、その方向で主体者となるのではなく、「文化的風土を準備する」という方向で主体者になりうるのであり、また本物の批評家はそういう行動を取る者なのだと、丸谷は指摘しているわけです。そして、まさに吉田がそうだった。

 

吉田秀和はこの両面を備えていた。たとえば桐朋学園音楽科一つとっても、彼に存在がなければ小澤征爾も東京クワルテットも(中略)。

 

これは桐朋とは関係ないが、武満徹の場合にしたってそうだ。(中略)それから逸してはならないのはベルリン・オペラの招聘。彼が本場の本物のオペラをまるごと連れてくることによって、日本人はオペラという豪奢な美の様式を現実に体験した。

 

他にも多くの「文化的風土の準備」実績が語られています。驚くばかりの貢献です。全然知りませんでした。

 

戦後日本の音楽は吉田秀和の作品である。もし彼がいなかったら、我々の音楽文化はずっと貧しく低いものになっていただろう。(中略)われわれクラシック音楽の愛好者は彼によって創られた。

 

文化的風土形成に大きな貢献をするということは、他のどんな偉人と比べてもそん色ないことだと思います。ただ、あくまで「準備」のために、丸谷のような才人には崇拝すらされているのでしょうが、私のような一般人にとってはあまり目立つ存在にはなりません。それが、なんとも口惜しく、かつカッコいいですね。

 

第一のことだけで満足する批評家であれば、高齢にもかかわらずわざわざラジオ放送を通じてじかに語りかけたりしなかったでしょう。また、わざわざ一般新聞にコラムを連載し続けることもなかったと思います。吉田は、第二の役割を死ぬまで担おうとし、そして人生を全うしたのでしょう。

 

「われわれは彼によって創られた」

これ以上の賞賛と感謝の言葉はありえません。自分の無知を恥じると同時に、心より哀悼の意を表します。



昨日、100歳の新藤兼人監督が亡くなりました。戦前戦中の日本や世界を深く知り、その経験を踏まえて現在の日本を築いてきた方がまたいなくなってしまいました。精神の継承が大きな課題となってきています。

 

ブリコラージュとは、フランス語で「手仕事」とか「器用仕事」とかの意味だそうです。設計図や理論に基づいてする製作の反対の意味です。

 

フランスの文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロースは端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、それを「ブリコラージュ」と呼びました。人類の普遍的な知の一つとしてそれを位置付けたのです。彼は、ブリコラージュを「野生の思考」とし、その反対を「栽培の思考」とよびました。人類は野生の思考から栽培の思考へと進化していくことが、半ば常識とされていた時代の風潮に一石を投じたのです。

 

ものづくりにおいては手仕事では追いつかないでしょうが、知の分野においてはブリコラージュが大きな力を今も持っていると思います。ストロースは、未開の人々が、その辺に落ちているモノを拾ってきてそれを貯めておき、何かの拍子に思い出したようにそれらを出してきて、必要なモノをつくり上げる姿に、野生の思考を着想したそうです。それは人間の脳のはたらきそのものではないでしょうか。様々な知識や情報を、意識するしないに関わらず記憶にとどめ、ふとした時にそれらが蘇って役に立つ、そういう経験は、誰にもあるでしょう。

 

雑学王とは、こういうストックが多い人を指すのでしょう。ただ、記憶にとどめておき、それを引き出せるだけでは、それほどの価値は生みません、雑学王がそうであるように。価値の源泉は、必要な時に必要なものを引き出して、他のものと組み合せることを思いつくことにあります。未開の人々も、がらくた集めをしたいのではなく、組み合せて使うときを待つために拾うのです。

 

さて、この「組み合せを思いつく」という能力はどうすれば磨かれるのでしょうか。落ちているモノを、これは何かに使えないだろうかと常に意識して見続けることがひとつ。これには時間的余裕が必要で、成果をすぐに求められると機能しません。辛抱強さが必要です。もうひとつは既存の枠組みや常識をはずして考える癖をつけることです。こっちは発散する思考が必要です。

 

 

今月15日になくなった樫尾俊夫氏(カシオ計算機名誉会長)は、「『必要は発明の母』は昔の警句で『発明は必要の母』であるべきだ。 ユーザー

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がまだ必要性を感じていないものを示して、必要だと感じさせるような 発明をしなければならない」 と常々語っていたそうです。必要から生まれる発明は、「栽培の思考」、必要を生み出す発明は「野生の思考」と言えるかもしれません。

 

見えるゴールに最短で到達するには、合理性に基づいた栽培の思考が有効でしょう。しかし、まだ誰の目にも見えないゴールに到達するにはその方法では無理です。一見すると無駄なブリコラージュを辛抱強く続けられ、しかも凝り固まった眼鏡で見ず既成の枠に依存しない、そんな野生の思考を持った人や組織が必要を生みだす発明ができるのでしょう。

 

それを可能にするのは、やはり強烈なリーダーの存在しかないのでしょうか。あるいは、強烈なリーダーが輩出される組織の仕組み。

 

ブリコラージュ自体は、日本人の特性や感性に合致していると思います。それを促すことができる組織をいかにつくるかが、大きな課題なのでしょう。

高校一年生の時の自分なんて、滅多に思い出しませんし思い出したくもありません。恥ずかしいことばかりで・・・。

 

サザンオールスターズの原由子さんが、毎週金曜朝日新聞の夕刊に「あじわい 夕陽新聞」というエッセーを連載しています。先週は、再結成したビーチ・ボーイズをとりあげていました。その回のタイトルは、「ビーチ・ボーイズとジャパン・ジャム」

 

んんん~ん、ジャパン・ジャム!?あのジャパン・ジャムか?読んでみると、やはりそうでした。引用します。

 

ブライアン参加のビーチ・ボーイズが来日するのはなんと33年ぶりだそうです。その33年前のライブというのが、19798月に江の島で行われたジャパン・ジャム。光栄なことに私たちサザンオールスターズも出演させて頂きました。

今思えば前座とは言え、ビーチ・ボーイズと同じステージに立たせて頂いたなんて夢のようです。(中略)会場には横須賀から米兵が大勢来ていて大盛り上がりでした。私たちははっぴ姿で「勝手にシンドバットなどを演奏。(中略)ビーチ・ボーイズの演奏はもちろん最高!クライマックスの「ファン・ファン・ファン」の時にはちょうど江の島の向こう側に夕日が沈み、幻想的で忘れられないシーンでした。

 

 

そうです。その場に、高校生一年生の私もいたのです。すっかり忘れていた記憶が一瞬にして蘇ってきました。悪友三人と愛知の田舎から夜行電車に揺られて上京。早朝4時くらいに東京駅に到着。行くところもないので、皇居前広場まで歩きベンチで休んでいました。すると、自転車の警察官に、家出少年と思われたのか職務質問を受けました。もちろん初めての経験。

 

それほど我々はビーチ・ボーイズのファンでもなかったのですが、なぜわざわざ江の島まで野外コンサートを観にいったのかよく覚えていません。出演バンドのひとつ、ハートのほうがどちらかといえば興味があったとのかも。アンとナンシーのウィルソン姉妹を中心としたバン

japanjam.jpgド。サザンはもちろん知ってけど、ふーん出てるんだ、という程度の印象。はっぴを着た桑田が走り回って歌う姿に、なんだか日本代表として頑張っているんだ、という今思えばさめて観ていたように思います。

 

とにかく印象に残っているのは、強烈な日射しの下、ビールを大量に飲んで盛り上がっている多くの米兵たち。近寄ったら殴られそうで、遠巻きに見てました。そうか、横須賀から来ていたんだね。そんなことも知りませんでした。水着姿の女性も多く、高校一年生にはちと刺激的だったかも。

 

そうそう、夜行電車で東京迄来たと書きましたが、でもグリーン席でした。なら新幹線で行けばよかったのに・・。当時は新幹線に乗るなんて贅沢極まりないと思い込んでいたようです。高校生は夜行でいくべし。でも、7,8時間も普通の座席に座り続けるのはしんどい。じゃあ、夜行のグリーン席で行こう、ということになったみたい。金額は新幹線と同じか、多少高かったかも。ほんとにバカですねえ。

 

原さんと同じように、江の島の向こうの夕日は印象深く覚えています。幻想的というよりも、なんでこんなところに自分はいるんだろう、と不思議な気持ちだった。まだ、幻想的とか美しいとか考えるほど成熟していなかったのかもしれません。

 

それほど好きでもなかったサザンですが、舞台でのガンバリに何となく共感したのか、その後好きになったようです。高校2年生になると大学受験の模試をいくつか受けるようになったのですが、志望大学に「青山学院大学」と書いていました。単にサザンが通った大学だったからでしょう。実際には受験しませんでしたが。バカですねえ、ほんとに。

 

PS.上の写真は、ネット見つけた当日の航空写真(PAメーカーの広告)。こんなに大規模だったとは、33年たって初めて知りました。無知!

それから、当日の演奏曲も調べられる。なんと便利な。

個人レベルでは当たり前だと思うことが、組織(集団)では当たり前ではなくなる。こういう経験は誰もがお持ちではないでしょうか。

 

ソニーやパナソニックが薄型TVの販売不振を主要因として、前代未聞の大赤字を計上した事実は、その典型事例かもしれません。

 

エコポイントとデジタル化効果で、薄型TVが飛びように売れていたのは、ほんの1,2年前のことです。どちらの効果も期限が明確であり、終了後はその反動で需要が落ち込むことは、子供でも予想できたことでしょう。なのに、生産調整がかけられなかった。優秀な経営陣が揃っている両社で、なぜそんなことになってしまったのか。不思議ですね。

 

今朝の朝日新聞で、一橋大学の沼上幹教授がそれをとりあげています。

 

例えば117月を境にテレビを大幅減産して、テレビ部門の人員を他の事業所に配置転換したり、リストラしたりする、という厳しい意思決定は簡単ではない。どれほど厳しい予想数値が事前に出ていようと、実際に血の流れる意思決定を単なる「予想」に基づいて行うのは、二の足を踏まざるを得ないのだ。(中略)「これほど売れているのに、なぜそのような後ろ向きのことを言うのか」と批判的になる人も出てくるだろう。(中略)組織が大規模で、合議的な意思決定を行う傾向の強い会社ほど、意思決定の遅れが深刻化する可能性がある。

 

これが人間のリアリティーだと思います。慣性で動いているものを止めるには思いもよらない力が必要です。もし止めたことで損害が発生したら、その当事者への責任追及は熾烈となります。一方、止めなかったことで損害が発生(今回のケース)しても、慣性を維持するという「空気」を共有した人々は同罪であり、それはすなわち誰も責任を取れない、取らないことになるでしょう。だって悪いのは「空気」なんですから、「仕方がない」。これが日本の組織の意思決定です。

 

原発の安全神話もこれと同じメカニズムです。「だって、もう何十年も大きな事故もなく稼働しているじゃないか」原発のケースは低そうな確率の問題でしたが、薄型TVの問題はかなり高い蓋然性でした。それでも動けない。

 

その根幹には日本人特有の言霊信仰があると考えます。言葉に出した時点でそれが実現するという信仰です。「縁起でもない。そんなことを口にするな」というやつ。誰も望んでいないことは口にしてはいけない。だから神話となる。

 

ちょうど昨日の日経朝刊にその逆を示す記事がありました。ギリシャ危機に関するIMFの対応の記事です。

 

 

「テール・リスクを考えて準備を始めた」。複数のIMF筋がこう明かす。「テール・リスク」とは、確率分布曲線が細るしっぽ部分になぞらえ「想定外」のリスクを示す時に使う。確率は低いものの、いざ発生すれば国際的に大損失が発生する事態。つまりギリシャのユーロ離脱という衝撃をIMFが視野に入れ始めたことを意味する。ある幹部は、「考えたくないが、債権者としては当然の準備」として、ギリシャの債務返済の一時猶予宣言まで見据えた危機シナリオを打ち明けた。

 

テールであろうとなかろうと、言霊を乗り越えてリスクと真剣に向かいあう勇気を日本の組織(政府も含めて)が持てるかどうか、これがこれからの日本経済および社会を大きく左右することになるでしょう。「先のばし」は高度成長の時にしか通用しないのですから。

 

必要なのは、ぶれない軸と覚悟、そして勇気です。

日本人は論理思考力が低いと言われます。それはなぜなんでしょうか。

 

論理思考の代表的なもののひとつに因果関係を読み解く力があります。ある現象を結果とみて、その原因は何かを推測することです。因果関係を把握できれば、原因に何らかの手を加えることで、結果を好ましいものに変えることができます。この考え方には、二つの前提がありそうです。

 

ひとつは、人間は現象を管理(コントロール)できるということ。もう一つは、自分以外の他者は、自分に対してダメージを与えるかもしれないので、先手を打つ必要があるということ。

 

でも、それでは社会が殺伐としそうです。人々がばらばらになってしまいそうです。論理思考を重視する欧米では、上記前提を認めたうえで、唯一神への信仰を共有することで結合を図ったり、あるいは契約を結ぶことで安心を得るという社会的仕掛けができていると思われます。

 

一方、農耕社会であった日本では、共同体意識が強く、疑うことは好ましいものではなかったことでしょう。また、自然を畏怖していたため、コントロールできるという考えは育たなかった。従って、先のふたつの前提を認めてこなかったわけで、そこに論理思考の入り込む余地は小さかったのだと思います。当然神も契約も力を持たず、あるのは非合理な「世間」や「空気」。


仏教の世界では、「考える」こととは邪推することと同義であり、好ましいことではにないと聞いたことがあります。「小人閑居して不善をなす」という言葉があります。小さい人間は暇を持て余すと、とかく悪事に走るという意味でしょうが、私は、「(普通の人間は」考える余裕があると、どんどん悪い方に考えてしまい、その結果自他ともに好ましくない行いをしてしまう」と解釈しています。そう、考え過ぎてもろくなことはない。これは現在の日本においても通用する考え方だと、体験からもそう思います。

 

 

そう考えると、日本人が論理思考が苦手なのは当然でしょう。しかし、日本人と異なる背景を持った人々と関わっていくには、そうも言っておられません。それが現在です。でも日本社会のつくりが変わっていない以上、国内で論理思考を振りかざすことは危険でもあります。求められてはいるが、それを中心に考えても難しい。

 


「考える」べきか「考えざる」べきか、現代のわれわれ日本人はこうした矛盾の中で生きていかなければならいのです。でもそもそも日本人が考える人生とは、そういう複雑で矛盾に満ちたものなんでしょう。

西荻窪は不思議な街です。中央線沿線特有のゆるーい雰囲気と、ちょっとだけ文化の香りがする、私にとってふらふらするのに最適な街です。西荻在住で食に関する手だれのエッセイスト平松洋子さんには、もう何度も道

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や店ですれ違ったことがありますが、昨日地元NPO主催の彼女のトークショーがあったので聴きにいってきました。同じく地元ライターの北尾トロさんとのジョイントトークです。

 

場所も西荻の文化拠点?こけし屋です。地元ならではのリラックスした雰囲気の中で、楽しい話がたくさん聞けました。その中のひとつ、トロさんが平松さんに、エッセーを書くときには、最初にぜんたいの流れや落とし所をある程度決めて書き始めるのかと質問しました。私も、作家が創造するプロセスに興味があったので、つい前のめりになり回答を待ちました。

 

「最初に大筋を決めてしまうようなことは、ほとんどありません。時にはそういうこともありますが、当社比でうまくいかないことが多いです。ゴールに向かって書いていくと、どうしてもそれにはめようとしてしまい、面白くないものになってしまうようです。何となく書き始める中で、次々思いついていくことが自分でも楽しいんです」

 

という回答でした。平松さんに限らず日本人作家のエッセーの多くは、構築的ではないと感じていましたが、やはりそうなんですね。枕草子にしろ方丈記にしろそうですから。何となく思いついたことを、つらつらと書き連ねる中で、なんともいえないその人の個性が浮かび上がってくる、その風情を読み手も楽しんでいるような気がします。構築された雰囲気を感じるエッセーは、何となく肩に力が入ってしまうようにも思えます。もちろん、そういう書き方をした名作もたくさんあります。

 

MECEを気にしたビジネス文書の類に日々接しているビジネスパーソンにとって、そのつらつら感が心地いいのです。

 

そこで思いだしたのが建築。日本の古くからの建築の特徴は、増築にあるそうです。家族構成が変わったり、志向に変化が出たりしたときに、どんどん増改築していって変化させていくところに、日本に建築の面白さがあります。加藤周一はこう書いています。

 

全体の分割ではなく、部分から始めて全体に到る積み重ねの強い習慣であるかもしれない。別の言葉でいえば、「建増し」主義。建増しは、必要に応じて部屋をつないでゆく。その結果建物全体がどういう形をとるかは作者の第一義的な関心ではない。

 

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桂離宮の美しさは、建増しによってうまれた、複雑なだけではない優美で調和的な全体にもあると書いています。ドストエフスキーの小説の対極にありものと言えるでしょう。

 

平松さんの話から、桂離宮にまで飛んでしまいましたが、日本人の創造性の源は、全体を構築的観点から分割することにあるのではなく、部分の積み重ね、建増しにありそうだと、あらためて思い至ったわけです。

 

日曜の夕方のゆるーい西荻の街は、つらつらと想像を膨らませてくれました。

 

 

PS.5時からこけし屋2階で始まるトークショーを、一階喫茶コーナーでコーヒー飲みながら待っていたところ、すぐ隣の席に平松、北尾両氏が坐り、打合せを始めました。この雰囲気が西荻です。

れほどの名作がなぜボストンにあるのか?と誰もが思ってしまうような展覧会でした。明治維新のどさくさにまぎれて御雇外国人(フェノロサとビゲローら)がカネにいとめをつけずに買い漁ってのだろう、とい

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うのは大間違いで、当時日本人が評価していなかった美術品をボストンに避難させたというのが本当のようです。

 

特に、仏画には素晴らしい作品が数多く展示されていました。平安時代の絵師の技術の高さと想像力の豊かさに、ただただ感動しました。色も思っ

た以上に鮮やかに残っています。これらが、当時廃仏毀釈運動の中でゴミ同然に扱われていたなんて・・・。奈良の東福寺五重の塔が25円で売りに出されたそうです。25円は薪の値段だったのでしょう。なんて日本人は愚かなのでしょう。

 

さらに、絵巻物も素晴らしい。「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」が里帰り。あまりの人の多さに、詳しくは観ることができませんでしたが、登場人物の表情の豊かさ、色の鮮やかさ、スピード感など、絵巻物の頂点にあると言ってもいい出来栄えです。燃えさかる炎が生き物のように描かれ、観るものの神経をかき混ぜます。

 

たまたま博物館本館で、国内にあり国宝となっている「平治物語絵巻 六波羅行幸巻」が展示されてい

平治 国内.jpgました。こちらはゆっくり観ることができましたが、ボストンの作品のうが明らかに優れていました。保存状態もあまりよくなく色も薄れています。ちょっと複雑な感じ・・・。

 

それから、光琳の「松島図屏風」が、やっぱり凄い。松島は横からの視点で描き、うねる波は斜め上や真上からの視点で描き、それを一隻の屏風の封じ込めている。それをセザンヌやピカソが真似たのでは、と思わせるくらい独創的な構図です。さらに、波がまるで生き物のように生気を持って描写されています。とてもモダンで魅力的な作品です。

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最後は、曽我蕭白です。まさに鬼才。融通無碍な筆法は、観る私たちの心までを自由に解放してくれるように感じました。スケールの大きな人だったのでしょう。

 

 

それにつけても明治の日本人は、西洋に憧れるあまりか自分達が持っている美的世界観を忘れてしまったことは、本当に残念なことでした。逆にフェノロサのような西洋人のほうが日本の美を理解し保存に努めてくれたのは、ありがたいことであり、幸いでした。

 

でも、その日本人の特性は今もあまり変わっていないようにも思えます。たとえば、JAPANと英語で表記される漆は、現在どれだけの家庭で日常に使われているでしょうか?これほど美的にも機能的にも優れた素材はありません。せめてお椀だけにでも身近に使いたいものです。

 

以前輪島を訪れたとき、当地では小学校に入学した子供に、町から漆塗りのお椀が贈られると聞きました。子供用とはいえ、なかなか大したものでした。子供は卒業するまで、それを給食で使い続けるのです。いい話だと思った反面、輪島ですらそうでもしないと子供が漆を日常で使わないのだということに気付き、少し悲しくなってしまいました。(ちなみに、送られる漆塗りのお椀をお土産に買ってかえりました)

 

そんなことも思い出した、日本美術の一級品を一堂に会した素晴らしい美術展でした。

経営者がぶれないことは、強い企業のもっとも大きな条件だと思います。経営者がぶれないということは、辛抱強い経営ができるということです。その典型はジョブズのアップルとベソスのアマゾンが双璧でしょう。ジョブズ亡きあとベソスに注目せざるをえません。

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利益が出るまで辛抱強く投資を続けるのは、創業期からの遺伝子のように見えます。ベソスが辛抱強いのは、競合には目もくれずひたすら顧客を起点にしているからだと考えられます。一般に、顧客ではなく競合を意識した経営では、経営環境のわずかな変化に対応して素早く動こうとする競合に遅れまいと、さらに迅速に行動しようとつとめます。こうした動きの連鎖の結果、企業行動の振幅はどんどん大きくなっていきます。IT業界ならなおさらです。しかし、その結果膨れあがる在庫の山に埋もれるようなことになってしまいます。横並び意識の強い日本企業では、もう何十年もその繰り返し。

 

一方、顧客起点で、顧客からの高い評価を獲得すべく新事業を構築するには、長い時間が必要です。もちろん先行企業の後追いであれば、それほど時間は必要としません。ただもしそうなら、顧客を見ずに競合を見る経営ということになります。つまり、顧客中心主義とイノベーション(先駆者)と辛抱強さはつながっているのです。

 

でも辛抱はそう簡単ではありません。つい早めに諦めたくもなります。撤退の意思決定を迅速にすることも時には必要ですが、顧客のことをどれだけ考えて経営しているのかと疑問に思うことがあります。 

ベソスは、こう述べています。(「日経ビジネス」12/4/30号より)

 

新事業を始める際には、私たちは経験が不足しています。その費用を顧客に払わせるようなことをしてはならない。初めて何かする時には、必ず授業料を払わねばならないのです。未経験でわからないことがあるから我々は学習する。学習期間は投資期間です。うまくできるようになったら、投下資本利益が向上し、その投資は利益を生むものに化けます。

 

これは、日本企業の経営者の言葉のように思えませんか。短期志向の株主の多いアメリカで、ひたすら学習する期間を持ち続けることは、容易ではありません。長期的視野による経営は、日本企業の代名詞だったのですが、今やそうではないようです。

 

 

もうひとつ、辛抱強い経営ができるのは、自らの判断、洞察力に自信があるからでしょう。ベソスは、電子書籍に関連して以下のようにコメントしています。

 

私が言えるのは、常に読者と著者に協調すべきだということです。これは書籍ビジネスに携わる全ての人へのアドバイスでもあります。(中略)なぜなら、立場が保証されているのは、この両者だけだからです。この単純な事実を出版業界の人たちが忘れているのではないかという気がします。アマゾンを含め、他の全員は中間業者。そして、我々は中間にいる権利を勝ち取らなければなりません。

 

(広い意味での)業界構造をこのようにシンプルに捉えて、本質に真正面から向かい合い構想することのできるベソスは、やはり卓越した経営者だと思います。この思考はジョブズに似ています。

 

自信がない経営者は、顧客よりも競合に目がいき、辛抱強さよりも目先の対応に終始し、「君子豹変す」を都合よく使う。ベソスやジョブズは、その対極にいます。

 

かつての日本企業は、経営者の力というよりもシステムによって辛抱強さが担保されていたように思います。そのシステムが崩れつつある現在、経営者の力量でそれを保つことが必要になっています。ベソスやジョブズにはなれなくても、彼らから学ぶことは大きいと思います。

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