日経ビジネスに連載されているときから熟読していた野地秩嘉著「トヨタ物語」の単行本を、読みました。力作です。著書はトヨタ公認のもと7年間に渡って取材を続けたそうです。OBや作業者の声がたくさん盛り込まれており、非常にリアリティがあります。

 

トヨタ生産方式の本質、どのように出来上がったのか、なぜ可能だったのか、がよく理解できます。


ケンタッキー工場(トヨタ初の海外単独工場)立上げ当初、ラインを15時間止めた米国人現場リーダーは、翌朝張工場長のところに出向くよう指示されます。クビになると思い一睡もできなかった。翌朝張さんのオフィスへ。(ここから引用)

 

「ラインが止まったこと、私がした処置について、いろいろ聞かれました。

話が終わり、いよいよ解雇を宣告されるのだなと思った瞬間、彼は私の手を強く握って、そうして、頭を下げるのです。

『ポールさん、うちの工場はできたばかりで大変な時期です。15時間、つらかったでしょうね。おかげさまで復旧しました。ありがとう。これからもあなたたちにはずっと助けてもらわなくてはなりません』

私は思わず泣いてしまいました。」(中略)

「トヨタ生産方式とは考える人間を作るシステムです。」と付け足した。

「考えることを楽しいと思う作業者には向いている。現場でカイゼンできることはアメリカの作業者にはなかった経験だからだ。ただし、時間を切り売りするだけの作業者には適応できないだろう。これまでの生産方式は、人間に考えなくてもいい、手や身体を動かしておけばいいというシステムでした。しかし、オーノさんは考えて仕事をしろと言ったわけです。それがこのシステムの特徴です」

 

プロローグに書かれた、このアメリカ人作業者(1988年のケンタッキー工場操業開始時から働き続けている定年間近の60歳)の発言に、本質が語られていると思います。

 

トヨタは、戦後アメリカのビッグ3が日本市場に本格参入したら潰れると本気で危機感を抱いていました。だから、ビッグ3に対して極小のトヨタが生き残るために、必死で様々な工夫をしてきました。そのひとつが、このトヨタ生産方式。物量でも資金力でも規模でも圧倒的に劣るトヨタが生き残るには、人の知恵を最大限引き出すしかないと考えたのです。

 

そうして一定の成功を収めたトヨタですが、そのやり方を果たして本場であるアメリカや他の国々に移植できるか、大きな賭けだったことでしょう。経営学の理論でいえば、現地のやり方に適応するほうが賢明だったかもしれません。しかし。トヨタ生産方式の本質にある人間観は、世界共通だと考えたのでしょう。あえて適応しない道を選びました。NUMMI最初のトップだった池渕氏はこう語っています。

「人間は自由度を与えると、仕事をしたくなるんですよ。トヨタ生産方式は強制ではなく、自由を与えるものです。だから生産性が向上したんですよ。」

 

トヨタ生産方式は革命だと言われますが、本当にそうだと思います。トヨタ以外に、世界に通用するモデルを築いた日本企業はあるでしょうか。他にはセブンイレブンくらいしか思い浮かびません。オリジナルなやり方で国内で成功を収めても、海外では現地に適応してしまうケースが多いのではないでしょうか。経営陣のリーダーシップの問題なのかもしれません。トヨタやセブンに続く日本発の真の改革者が登場することを期待します。


トヨタ物語
野地秩嘉
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NHKの「サラメシ」っていう番組、面白いですね。日本にはいろんな仕事があって、いろんな職場がある。そこにはいろんな人々がはたらいていて、当然ランチを取る。ランチに注目することで、いろんなことが見えてくる。

随分古い回で恐縮ですが、すごくいい話がありました。記憶を頼りに書き起こしてみます。



東大阪市にある中小企業経営者三代目Mさんは、父親から会社を継いだものの社員の確保に苦労していた。典型的な町工場に来てくれる若者なんていない。


6年前のこと、知り合いの経営者から技能実習生制度を活用してベトナムから若者を採用できることを聞いた。日本人の半分以下の給料で、真面目にどんな仕事に取り組んでくれるらしい。Mさんは早速制度を活用し、20代前半のベトナム男性三人を採用した。確かに彼らは、日本人の若者が嫌がる単純作業を黙々とこなしてくれる。Mさんは安い労働力を確保でき、また彼らは日本でお金を稼ぎいずれ母国で家でも建てるのだろうと考えると、素晴らしい制度だと思ったものだ。


しかし、半年が経過したある日、三人は突然Mさんに食ってかかった。リーダー格の青年は、片言の日本語でこう訴えた。「この会社潰れる。僕たちはバカじゃない。」Mさんは、最初何を訴えているのか理解できなかった。彼らは満足していると思っていたからだ。しかし、うすうす彼らの不満を感じとっていた経理を務めるMさんの妻は、涙が止まらなかったという。


やっとMさんは気づく。自分はなんてひどい仕打ちをしてきたんだと。三人は日本で技術を身に付けて、母国の発展に役立とうと大決心して日本にきたのだ。なのに自分は、彼らを安い労働力としか考えていなかった。ヒトとは思っていなかったのかもしれないと。それからMさんは、三人に難しい作業も教え任せるようにしていった。妻は週に三回は彼らのためにまかないを始め、皆で一緒に昼食を取るようにした。彼らに喜んでもらうように、ベトナム料理も勉強した。職場の雰囲気はよくなり、彼らの習熟度もどんどん上がっていった。やがて彼らは実習期間を終えベトナムに帰っていった。Mさんは、その後もベトナムから実習生を招き続けている。


仕事を拡大していったMさんは、昨年ベトナムに工場を設立した。現地で中心となっているのは、あの「この会社はつぶれる」といった一期生たちだ。


ここからいろんなことが見えてきます。

 ・労働者を機械とみるか、ヒトをみるか。ヒトをみたほうが生産性は高まる

 ・一般に日本の会社は労働者をヒトとみるが、途上国からの労働者は機械と見なす傾向がある

 ・小さな職場は「生産の場」でもあり、ヒトとヒトが関わりあう場であり「共同体」

 ・共同体では、食事という生きるために最も重要なことを共ににすることで結束が高まる

 ・共同体では、「育てる」ことが必須の機能であり、育てられたヒトがやがて共同体を支えるという循環が起きる

 ・しかし日本をはじめ先進国では、共同体の破壊が進んでいる。かつては日本では会社が共同体の役割を担ってきたが、それも弱まっている。もし人間にとって共同体が必要だとすれば、今後何がその役割を担っていけるのか


よく一体感があるという表現を使いますが、一体感とはどのようなものなんでしょうか?今朝の日経に、認知行動療法研修開発センターの大野裕さんの講演に関するこんなコラムが載っていました。

 

(前略)話し始めてしばらくは緊張が続き、ろれつがうまく回っていないように感じる。ところが、不思議なことに、しばらく話していると次第に緊張が解けてくる。さらに、聴衆がうなずきながら聴いているのは目に入ってくると、次第に高揚感のようなものが湧いてくる。聴衆と一体になったような不思議な感覚だ。そうするとしれまでの落ち込みや緊張はどこかに消え去って、表情は穏やかになり自然と笑顔になってくる。まさに人の存在の力を感じる瞬間で、聴衆に話させてもらったという思いを強く持つ。(後略)

 

 

すごくよくわかります。さすがに認知科学の専門家、すごくご自分や周囲の状況を客観的に把握し描写されています。私も同じような感覚を抱くことがありますが、それをうまく表現できませんでした。

 

最初、緊張のあまり自分自身は「閉じた」状態になっています。聴衆も同様に「こいつ何を話すんだろう」とやや不安な状態。自分もその聴衆の不安感を受けとめるので、相乗効果となってますますうまく話せなくなります。こうなるとバッドサイクルに入ります。

 

ところが、必死で話すうちに「うまく話そう」とか「聴衆はどう感じているんだろうか」とかの意識が飛んでいきます。とにかく話すのに精一杯で、意識する余裕もなくなる。無意識が自分を支配するようになると、余計なことを考えなくなり話に専念できるようになる。すると、少しずつ聴衆の心も「開いて」くる。それを自分も感じることができるようになる。すると自分も心を「開」けるようになる。そうなれば、心と心が通じ合い一体感を得ることができるのではないか。今度はグッドサイクルが回りはじめます。「聴衆に話させてもらった」という感覚は、自分自身と聴衆の相互関係が活発になり、聴衆から言葉を引っ張りだしてもらうような感覚です。

 

西田哲学に「主客合一」という言葉があります。自分と対象が分離されていない状態ということでしょうか。近代科学の二元論とは異なる世界観によるもので、この講演時の一体感がそれなのかもしれません。

 

この「主客合一」(とりあえずそう呼びます)に入ると、自己と他者が同じ水の中に入っており、その中で自己と他者それぞれが溶け出し混じりあうイメージになります。あるいは、自分の呼吸と他者の呼吸が連動しており、いかようにもその場をコントロールできるように思えてきます。舞台に立つ卓越した芸術家は、まさにこの状況をすぐにつくりあげることができるのではないでしょうか。この感覚を一度でも味わうと、どんな苦労にも耐えてまた味わおうと思えるに違いありません。

 

研修の場面でもいま述べたような状態を何度も、客観的(つまり当事者ではないオブザーバーとして)に感じてきました。講師と受講者が見えない糸で繋がって、その「場」を全員でつくりあげているイメージです。

 

そういう場を観察すると、ヒトは近代科学で定義されるような「独立した個人」ではない、もっと相互依存する開かれた存在だと感じます。「人間」という単語が、「人」と「間」の二文字でできているのは的を射ています。「ヒト」は、人と人との相互関係があって初めて「人間」になるのです。日本人はそのことを古来より知っていた。考えてみれば、「個人」の概念が伝わったのは明治維新後であり、まだほんの150年しか経っていません。近代科学の二元論だけを依拠するのは止めた方がよさそうです。

一流の人が人生を振り返ってかくものは、本当に面白い。(その反対がサラリーマン社長や世襲政治家の「私の履歴書」)小三治師匠の落語は味わいがあって大好きだが、この連載も含蓄があります。(朝日新聞朝刊連載)

 

昨日は小さん師匠に弟子入りしたばかりの頃の話。小さんのうちでは、最初に「道灌」を学ぶ。面白くない話らしい。まず師匠がやる。するとすごく面白い。でも自分がやると、全然面白くない。そのギャップをどう埋めるかが、最初のテーマ。なるほど、自らの位置を知り、ゴールも知る。そして、必死で考える。もちろん師匠は教えてくれない。素晴らしい新人導入です。

 

前座から二つ目に上がり、初めて師匠に聞いてもらったのが「長短」。自信はあったが、黙って腕組みをして俯いて聞いていた師匠が、終わったあとの第一声が、「お前の話は面白くねえな」。すっと、立ち上がり床屋へ行ってしまった。一刀両断。全身に電極を当てられビリビリってやられた感じだったそうです。その時を振り返って、小三治は言います。

 

「あとになれば小さん師匠の気持ちはよくわかります。ほんとに面白くなかったんでしょう。でも全否定されて、考え込みましたよね。面白いっていうのは、どういうことなんだろう。笑うことか?でも人情話もあるんだから、人の心を感動させることか?日常の何でもないことを何でもないこととして表現することでも、人は面白いって思ったりするんだろうか?、とか。あの一言がすべての始まりです・・・・、と今思い至ると涙が出てきますねえ。よくあの時小さんは私をそう言い表してくれた。こう言えばこいつは一人前になるぞ、なんて思ってもいないんですよ。そんな腹案、何にもない。だからこそ、重たいんですよね。」

 

どうですか?素晴らしい人材育成ですね。師匠も弟子も本気で向き合っている。

師匠にしてみれば、どの弟子に対して同じように接しているのでしょう。なだめすかして育てるなんて考えてもいない。そんなことで育てても、どうせダメな奴はダメだと割り切っている。だから本心しか言わない。弟子もそれをよくわかっている。だから、自分自身で考え抜くしかない。こういう厳しい環境の中で育ってきた噺家だけが、本当の噺家だとの合意が双方にある。部下の顔色をうかがいながら、「部下育成」しているいまどきの上司とはまったく違います。(師匠としても弟子への愛情があった上で切って捨てるのであり、師匠もつらかっただろう。後年小三治もその立場になってそれに気付いたのだと思う)

 

しかし、小三治の兄弟弟子だった談志は、いろいろあって小さんのいえを飛びだし、立川流を起こします。そこでの、弟子への対応は小さんとは全く異なるものでした。(そのあたりは、談春著「赤めだか」に詳しい)その立川流からは、談春はじめ素晴らしい弟子がたくさん育っています。やはり、時代というべきでしょうか。

赤めだか
立川 談春
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今日の回、「グサリと来た笑子の一言」も素晴らしい落語のような話ですが、また今度。

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ファシズム初期の兆候

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 昨日、伊藤塾の伊藤真塾長の講演を聴く機会がありました。とても熱い方で、緻密な論理とともに想いがビシビシと伝わってきました。お話の中で紹介していただいた「ファシズム初期の兆候」が大変興味深かったので、ここに記録しておきます。それは、アメリカにあるホロコースト博物館の研究者が、世界中の過去の様々なファシズムを研究してまとめたものだそうです。

 

 

・強力で継続的なナショナリズム

・人権の軽視

・団結の目的のため敵国を設定

・軍事優先(軍隊の優越性)

・はびこる性差別

・マスメディアのコントロール

・安全保障強化への異常な執着

・宗教と政治の一体化

・企業の力の保護

・抑圧される労働者

・知性や芸術の軽視

・刑罰強化への執着

・身びいきの蔓延や腐敗(汚職)

・詐欺的な選挙



ファシズムは遠い昔の出来事だったと思っていましたが、案外そうでもないかもしれません。



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一昨日は大雨の総選挙投票日。見るに堪えられない日本の政治状況と大雨が相まって憂鬱な一日になりそうでしたが、幸いそうならずにすみました。

 

ベネズエラ発の音楽運動である「エルシステマ」のフェスティバルにいったからです。エルシステマのモットーは、「奏で、歌い、そして困難を乗り越えろ」。10/22のガラコンサートでは、相馬子どもコーラス、ベネズエラのヴォーカル・アンサンブルグループである「ララ・ソモス」、そして井上道義指揮フェローオーケストラの三部構成でした。

 

相馬子どもコーラスの子供たちの歌は、ラッキイ池田による振付も効果的で驚くほどの完成度。また東京ホワイトハンドコーラスとも共演。東京ホワイトハンドコーラスは6月に結成したばかりで、今回初お披露目。ホワイトハンドコーラスとは、ベネズエラで22年前に誕生した聴覚障害者や自閉症などの困難を抱えた子供の参加を重視した合唱団です。白い手袋をしたパフォーマンス(手歌)を行うことからそう呼ばれています。耳が聞こえない子供だって合唱を楽しみたいはず、そういうことから始まったのだと思います。

 

今回は10数人の子供を中心とした公演でした。相馬子どもコーラスの歌に合わせて白い手袋をつけた手で、歌を表現します。(手の動き/サインマイムは子供たちも一緒になって考えたそうです。)耳が聞こえないため、耳の聞こえる指揮者が歌に合わせて白手袋でパフォーマンスし、それを子供たちが見て同期するように動かすわけです。ベネズエラからホワイトハンドコーラスの指揮者がわざわざ来て指揮しました。中には落ち着きがなく、なかなか合わせられない男の子もおり、後ろで演技する(多分)お母さんが手を焼いていましたが、なんとかやり遂げました。そういう子であっても仲間と一緒にコーラスに参加できることの価値はとても大きいと思います。人間は仲間と協働することに喜びを感じる動物であり、協働するための最も重要な能力は言葉を聞いて発声することです。しかし、生まれながらうまく発声できない子供には、協働することがなかなかできません。ましてや、みんなで音楽に合わせて歌うことなど不可能だと思われていたでしょう。でも、それを「乗り越える」ことを、エルシステマは可能にしたのです。素晴らしいことです。本当に子どもたちは楽しそうでした。

 

第二部のララ・ソモスは、視覚障害者と聴覚障害者それぞれ6人くらいからなる大人の楽団です。聴覚障害者はホワイトハンドコーラスのメンバーでもあります。視覚障害者の歌う歌に合わせてホワイトハンドが動きで歌詞を表現する。視覚障害者と聴覚障害者の双方に指揮者がいます。コーラス(歌)の指揮者は普通の指揮をしますが、視覚障害者の歌手にはそれが見えません。歌い手たちは軽く手をつないでおり、その中の一人は多分目が見えるのでしょう、指揮に合わせて両手のひらを軽く動かしサインを送っていました。それが歌いはじめの合図なのでしょう。歌いはじめれば、後は耳が聞こえるので全く問題ない。目が見えないことで、聴覚が研ぎ澄まされるのでしょう。素晴らしハーモニーでした。この日のために準備してきたであろう「上を向いて歩こう」は絶品でした。

 

ホワイトハンドの指揮者は、コーラスの音に合わせて白手袋での指揮をします。彼ら彼女らの表現力も素晴らしい。歌詞の意味は分かりませんでしたが、手と腕で世界を表現していました。やはり耳が聞こえないことで、健常者以上の表現力が身に付くのかもしれません。視覚障害者と聴覚障害者のコーラス団なんて想像もできませんでしたが、潜在能力を活かしあうことで高いレベルの芸術表現ができることを実証。ハンディキャップを新たな能力を発揮するための機会にしうるのです。

 

第三部では、ベルリンフィル、コントラバス奏者のエディクソン・ルイスも共演。彼は17歳でベルリンフィルのオーディションの合格したエルシステマのOBです。最後は、相馬子どもコーラス、東京ホワイトハンドコーラス、ララ・ソモス、フェローオーケストラの全出演者で、ベネズエラの第二の国歌と言われている歌を大合唱。エディクソン・ルイスも相馬の子供たちのバックを楽しそうに務めていました。

 

パラリンピックの浸透により、日本でも徐々にハンディキャップを「活かす」という考えが広がってきていますが、音楽のフィールドでそれを実現しつつあるエルシステマ・ジャパンの活動をこれからも応援していきたいと思います。

 

今晩は選挙一色のTVを観たくないなと思いながら、東京芸術劇場を後にしました。

「組織」を考える

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近頃またまた日本組織の不祥事や失敗が頻発しています。日産、神戸製鋼といった日本を代表する企業で「インチキ」が行われてきたとのこと。いずればれるとわかっているのになぜ?不思議です。また、希望の党の小池代表。「さらさら受け入れる気などない。排除する」との発言。実際そうだとしても、その発言が生まれたばかりの党組織や有権者に与える影響をどう考えたのか。どちらの例にしても、適切な組織マネジメントができないから起きた事象だと思います。

 

「組織」という言葉はとても多義的であり、簡単には説明できませんが、私が一番ピンとくるのは、こんな定義です。

 

複数の個人が相互関係を結ぶと同時に、それがまた個人を変化させる絶え間ない循環過程

 

つまり、組織図のような静態的なモノではなく、常に変化し続ける「状態」だという理解です。また単なる個の「集合」ではない組織であるからには、共通の目的と協調の意志とコミュニケーションが必要です。言い方を変えれば、皆の求心力となる「神話(物語)」が必要です。人類は150人くらいまでなら、リーダーが全員の顔を覚えられ影響力を直接行使することができるそうです。しかし、それを超える組織となるためには、共通の「神話」が必要です。さらには、構成する個人が常に情報交換を行う開かれた認知システムを持ってなければ相互関係を結べません。

 

このように組織を捉えると、トップダウンで組織を動かすことがいかに難しいかイメージできます。かつての軍隊組織であれば、トップダウンの組織運営が機能しましたが、その軍隊も不確実性が高いテロとの戦いではもう機能しないそうです。軍隊ですら機能しないのであれば、なおさら企業組織では無理です。

 

しかし、ほとんどのビジネスパーソンの頭の中では、旧式軍隊の組織がいまだに会社組織の中でも無意識にイメージされているのではないでしょうか。例えば、上司の指示で部下は動くのが当たり前と考えるように。経営学は戦略論も組織論も軍隊を参考に始まっているので、無理ないかもしれませんが、軍隊は例外的組織であり、現実は大きく異なります。

 

自転車の運転と自動車の運転の違いに近いでしょうか。自転車に乗れるからといって、すぐには自動車の運転はできない。とはいえ、見よう見まねでとりあえず自動車を動かせるようにはなるかもしれません。しかし、不安ですね。なぜ自動車は動くのか、どこをどう動かせばどう作用するのか、どんなリスクがあるのか、といった知識を知っておいたほうがいい。だから免許制度がある。

 

軍隊組織は自転車の運転のようにシンプルです。規律を強制することで、刺激と反応が直結するからです。しかし、現代の企業組織はもっと複雑です。刺激と反応の関係もよく見えない。

 

大きさに関わらずリーダーとは、「組織」という自動車の運転手。考えてみれば恐ろしいことです。自動車が動く理屈も知らず、教官に同乗してもらっての試験運転もせず、いきなり自己流で高速道路を運転するようなもの。猛スピードで、突然現れる他の車や障害物や道路規制あるいは故障などの突発事態に、瞬間的に自らの判断で操作できるような準備が必要です。しかも、かつては広々と見えた道路も、今では窮屈で運転技術も以前より高いものが求められるようになりました。

 

個人の集合体が組織になるわけですが、単純合計ではない。単なる個人と、組織に属する個人では、自ずと性格が異なります。(呑み屋にいけば観察できます)また、組織自体がまるで人間のような行動をとることもあります。(企業の暴走と構成員の暴走は別物です)

 

日本人は集団主義的だから組織での戦いには強い、という神話がありましたが、もうあまり信じる者はいない。今、あらためて「組織」が生成し行動するロジックと、それを踏まえた適切な運営手法について、深く考えてみる必要がありそうです。

総選挙報道を見ていると、日本政治も来るところまできたかと嘆息してしまいます。国会議員の多くは国家よりも自分が大事と考えていることが、毎日明るみに出ています。ただ、国会議員を嘆くことは、国民を嘆くこととほぼ同義。日本国民は、みみっちくて気の短い自分のこと目先のことしか考えていない人々の集団なのでしょうか。私もその一人であることを認めざるを得ません。

 

熟議がもともと苦手。他人の意見にすぐ左右される。問題があれば、手っ取り早くすぐに解決する結論が欲しくてたまらない。未解決の状況に耐えられない。

(本質的に解決されなくても、「XXX会議」「YYY革命」というものを立ちあげれば解決した気になる)

 

企業研修の場面でもしばしばみられる光景です。「で、答えはなんですか?」経営に正解はないと何度言っても、「じゃあ、先生の考える結論を教えてください。」問題を最短時間で解くことを求められたこれまでの人生、いきなり正解はないと言われても困ってしまう。とりあえず、すっきりすればそれで満足。

 

ここで受講者が望むような速最短で問題解決できる能力を、「ポジティブ・ケイパビリティ」といいます。特に近年、この能力開発に焦点があてられています。

 

それに対する「ネガティブ・ケイパビリティ」とは何でしょうか?本書によると、

不確かさの中で事態や情況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいられる能力。

 

以前私は「知的強靭さ」と表現しましたが、似ています。

 

手っ取り早い結論にすぐ飛びついて自分の心理的不安定さを解消するのではなく、そこを耐え、立ち止まってより本質を追求しようとすることができる能力です。この力によって、詩人キーツは本質に近づくことができたのですし、著者は精神科医として患者に向き合うことができたのだそうです。

 

道端に咲く花を見ても何も感じない人もいれば、その花の美しさに感動し詩や絵画で表現できる芸術家もいる。その病気を治癒することができないとわかって受診を拒否する医者もいれば、患者に共感し寄り添い続けることでいい影響を与えることのできる医者もいる。

 

人の判断は、ほとんどが過去の経験や知識に基づきます。つまり自分の持つ小さなフィルターを通してしかものを見て、そして判断せざるを得ません。そして結論を急げば急ぐほど、そのフィルターは小さくなりものが見えなくなります。問題も単純化せざるを得ない。短期的にはそれでもいい。(コンサルタントはその道のプロです)

 

しかし、人間が生きていくということは、単に問題を次々に解決し続けることではない。問題に直面したときに安易に判断せず、場合によっては問題と共存し時間を経ることで適応していくことも大切です。そこで必要なのがネガティブ・ケイパビリティです。

 

不確かさの中で、それから逃れることとは違います。かつてバブル崩壊直後、銀行の不良債権が積み上がっても、いずれ地価は上昇するだろうと高をくくって手を打たなかった銀行。これは、不確かさから逃れる態度です。一方、不確かさや曖昧さに正面から向き合うということは、心理的にはダメージがあるとしても地道に不良債権処理を進めることです。前者は、本当に地価が再上昇すると予測したのではなく、不良債権処理という後ろ向きな仕事をしたくないと思うが故の、希望的観測に基づいていたのは明らかです。それよりも、勇気を持って問題を正面から受け止め向き合うことが、適切な道であったことは歴史が証明しています。

 

これからますます不確実性が高まる世の中になっていきます。過去の知識に基づくポジティブ・ケイパビリティ―の威力はどんどん低下していく一方で、ネガティブ・ケイパビリティの必要性は高まる。

 

ネガティブ・ケイパビリティは、寛容とも近い概念です。拙速に敵味方、善悪、損得を判断し選別することの正反対です。たとえ異なる意見であっても、熟議し共通点を見つけて歩み寄る、それこそが「日本的美徳」だったのではないでしょうか。不寛容は日本だけでなく、世界中に渦巻いています。溜息がでます。

4022630582ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
帚木蓬生
朝日新聞出版 2017-04-10

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ここのところ、「働き方改革」のスローガンのもとに、長時間労働がやり玉に挙げられています。電通の事件のインパクトが大きいのでしょう。法定時間を超える労働を、会社が指示してさせたのであれば明らかに犯罪です。しかし、社員が自主的に長時間労働をした場合も、会社が罰せられるべきなのでしょうか。

 

社員が自主的に長時間労働をするには、いくつかの理由が考えられます。

1)上司から与えられた成果を決められた期限までに出すには、長時間労働せざるを得ない

2)仕事に夢中になり、つい長時間労働してしまった

3)なんとなく早く帰りづらい雰囲気。早く帰るとやる気がないと思われてしまいそう。

4)早く帰ってもつまらないから会社にいる

 

1)のケースでは、会社や上司の配慮が必要です。まさにマネジメントの問題であり、会社の問題です。2)のケースでは、社員に好きにさせるべきだと私は考えます。社員が成長するとてもいい機会ですから。4)は論外。3)のケースが最も多いのではないでしょうか。この状態を解消するために、22時に全館消灯したりする。

 

では、なぜ本当は帰りたいのに帰れないのでしょうか。今どき、労働時間で部下のやる気を測り、それを評価に結び付ける管理職がいるとは思えません。

 

部下はこう考えます。「上司は私が早く帰るのを見て、私は仕事に対する意欲が低いから早く帰ると考えるに違いない。意欲がないから帰るのではないが、そうは考えないだろう。だったら、意欲がないと思われたくないから、まだ会社にいよう。先輩たちも遅くまで仕事を頑張っているのだし」

 

先輩たちもきっとこの部下と同じことを考えているに違いない。上司も同じ考えで帰らないかもしれません。つまり、誰も早く考えることと意欲がないことは同じではないとわかってながら、結果として全員が他の人はそう考えているに違いないと想像し皆帰らない。

 

このように相手の行動から「相手の意図」を推し量る性質が人間にはあるために起きる認知の間違いを、「帰属の基本的エラー」といいます。こういった認知の間違いで日本人の集団主義が形成されているとも言えそうです。

 

 

新入社員のAさんが、定時に真っ先に帰ったとします。五年目のBさんは羨ましいとは思うものの、Aさんは意欲がないとは思っていません。もしかしたら、明日は自分が定時に帰ろうと思うかもしれません。しかし、Bさんは皮肉交じりに他の社員に言います。「A君はいいよな。新人のうちくらいしか定時には帰れないのだから・・・。」

 

そう言っておかなければ、今度は他の人から自分が困ったやつだと思われてしまうのではと、漠然と怖れるからです。自分は早く帰ることはいいことだと思っているが、他の社員はそうは思っていないと思うから。

 

仮にBさんがAさんから、早く帰ってもいいかとの相談を受けたとします。Bさんは、こういうでしょう。「気にすることはないよ。俺だって課長に仕事より大事なことがありますって啖呵をきって、早く帰ったこともあるよ。」多分Bさん以外であっても同じように応えるでしょう。こうして、誰も望んでいない長時間労働の職場が出来上がります。

 

これは、日本の職場が閉鎖社会だから起きるのだと思います。閉鎖社会では、お互いに無意識に監視しあってしまうため「王様は裸だ」と誰も言えないのです。そう言えるのは、その社会に属していない「子供」だけです。そう考えれば、働き方改革でまずやらなければならないのは、従業員の多様性と流動性を高めることだと考えます。

 

では、なぜそもそも皆が「早く帰る=意欲がない」との前提を積極的ではないとはいえ共有しているのでしょうか。(これは勤勉さを貴ぶ性向とは異なると思います。)この集団的主観ともいえるものに対して、それに逆らうと損するので、とりあえずそれに従っておこうという判断するのでしょう。

 

かつて日本社会において、国をあげて自分を殺してまで労働することが促進された時代がありました。第二次世界大戦中です。いうまでもなく戦中は兵器を増産し戦争に勝つために、全国民が動員されたものです。そしてそこでは精神論が幅を利かす。(高度成長期もその傾向があったかもしれませんが、私はよくわかりません。戦中の記憶を前向きに活用したのかもしれません)いずれにしろ、戦中の記憶が今にまで影響しているとすれば、ちょっと恐ろしい気もします。

 

 我々日本人は、すぐに対症療法に走りがちです。現象が起きる原因、関係性を冷静に把握し、本質的解決策を実行する体質に、そろそろ変わりたいものです。

金沢訪問

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先週の土日で、金沢に遊びにいってきました。初めての訪問でしたが、予想以上に面白かったです。

 

金沢21世紀美術館を訪ねることが主目的でした。約10年前に開館した話題の現代美術専門の美術館です。街に開かれた美術館としても有名です。建築自体もそのコンセプトを体現しており、美術館特有の重厚さと正反対で、今にも空中に浮かんでしまいそうな白いUFOのような形。周囲は360度透明なガラス張り、外から中がよく見えます。

 

驚いたのは客の多さと客層です。いくら連休とはいえ、特別な企画展をやっているわけでもないのに、入場に30分以上並びました。並んでいるお客さんは、ほとんどが20代から30代くらいの「若者」か、小さな子供のいる家族連れです。東京の美術館では、いつ行っても団塊世代の集団に圧倒されるのですが、全く異なる雰囲気。しかも、私たちのような観光客とおぼしき人は多くはなく、ほとんどが地元の人たちのようです。地元の手近な遊園地というイメージでしょうか。

 

そもそも伝統工芸のイメージが強い金沢で、現代美術がここまで浸透していることがすごいことです。開館当初は、地元工芸家との間で軋轢もあったようです。現代美術館であれば、自分たち「現代」に活動でしている工芸作家の作品を展示できるとの期待もあったようで、思い違いもあったとか。しかし、あえて伝統工芸の街に現代美術館を建てると決断した、当時の市長の洞察力は大したものだと思います。沈滞する工芸への刺激も期待してのことだったのでしょう。美術館の努力もあり、今では工芸作家との連携も図られつつあるようです。

 

たまたま乗ったタクシーの運転手はこう言っていました。「21世紀美術館には、作品はあんまりないよ。古いいいものをも見たいなら、近くの県立美術館に行くといい。それから、すぐ隣の能楽博物館にも是非寄ってみて。こっちには全然客が来ないと、そこの職員が嘆いていたから。」

 

やはり地元では21世紀美術館をよく思っていない一定の層がいるみたい。また、私が能には興味があると言うと、

「そう、私はこう見えて能楽師なんですよ。」と言うではないか。なんで能楽師が運転手をやっているかはあえて聞きませんでしたが、文化レベルの高い街なんだと感心しました。


ところで、土曜の昼前に金沢駅についてすぐ、バスで「ひがし茶屋街」を訪れました。金沢の観光写真では必ず使われる街です。小さなエリアに多くの観光客が集中しテーマパークのようでしたが、ちょっと路地を入るとお茶屋さんらしき古い建物があり風情があります。壁に「金沢おどり」のポスターが貼られていました。見ると今日の13時と16時にも公演があるじゃないですか。91518日の四日間が会期です。金沢おどりとは、ひがし・にし・主計町の3茶屋街合同で、芸子さんが普段磨いている芸を大きなホールで一般の方にも披露する機会です。数年前京都祇園で「都おどり」を見たこともあって、急遽16時の回を観にいくことにしました。

 

バス渋滞のため、会場の県立音楽堂邦楽ホールには10分遅れで到着。入口で一番安い自由席を購入しようとしたところ、同じ値段指定席にしてくれました。いい席に空席が多いとみっともないからということで。でも、入ってみるとほぼ9割方は埋まっています。

 

失礼ながら、この規模の地方都市でどの程度の芸子さんがいるのかと思っていたのですが、驚きました。皆、芸のレベルが高い。都おどりでは、一部学芸会かという出演者もいましたが、金沢では全く違いました。これだけの芸を磨いている芸子さんが多数いるということは、それだけそれにお金を払う旦那衆がいるということです。

 

途中の休憩時には、ロビーが地元名士たちの社交場となっていました。着物の男女も多く、皆知り合いみたいです。カジュアルな恰好の私たちは、場違いだったことは否めません。でも、そこにいる人々を観察するだけで興味深い。地元に花街が根付いていることが見て取れます。金沢では、経済に占める東京などの大資本の割合が比較的低く、地元資本が強いそうです。老舗の商店やニッチで強い中小企業が元気で、経済が金沢の中でほぼ完結できるらしい。江戸時代の藩はどこもきっとそうだったのでしょうが、金沢はまだその気風が残っているのでしょう。

 

古いものを大事にしつつ、現代美術のような新しいものを取りいれる(軋轢はあっても)寛容さも持っている。決して外に向けてのショーケースではなく、そこで実際に生活も経済も完結できる。京都とはまた少し異なる優れたモデルだと思います。ちなみに金沢の人は「小京都」と言われることを嫌うそうです。「あちらは公家ですが、うちは武家ですから」と。

 

料理もおいしかったですし、蟹の美味しいシーズンにまた行ってみたいです。

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