「リアル」とは

| | コメント(0) | トラックバック(0)

「リアル」とか「リアリティ」という言葉は、何を意味するのでしょうか?自分の眼に見えたものそのものが「リアル」なのだと、笑い飛ばされそうですが、本当にそうでしょうか?

 

カエサルが、「人は見たいものしか見えない」といったらしいですが、その通りだと思います。見えたからといってそれがリアルとは言えないですし、見えないものにリアルが宿ることもある。つまり、厳密に言えば、人は眼(網膜)で見るのではなく脳で見るのです。(これには最近の脳科学の研究で、様々な検証がなされています。)

 

先日、能「放下僧」を観ました。兄弟による父殺しの犯人への仇討ちがテーマです。路上で面白おかしく歌や踊りを披露する大道芸人(放下)に化けて、諸国を歩きまわり、やっとのことで仇を見つけます。兄弟はコミカルに謡い踊りながら、陣笠を深くかぶり用心する仇に少しずつ近づきます。コミカルな謡や踊りとかたき討ちがせまる緊張感のコントラストが、否応にも見物(観客)の気分を高めます。黒澤明の映画のようです。

 

しかしその瞬間、仇は陣笠をその場に置いて、ゆっくり舞台から去っていきました。慣れない見物は、きっと仇が気付いてこっそり逃げたと思ったかもしれません。

 

そして、残った陣笠に近づいた兄弟は、本当に一瞬の動きで置かれた陣笠の辺りに斬りこみました。殺気が感じられました。斬られる仇は実際にはそこにはいません。しかし、陣笠が仇の象徴となり置かれ、兄弟は「リアル」にはいないが、そこにいる(はずの)仇を斬り捨てたのでした。私には、ものすごいリアリティを感じました。斬り捨てられた仇の姿が見えたのです。

 

もし、普通の芝居のように仇役の役者がそのまま舞台に残り斬殺されたとしたら、どう見物には見えたでしょうか?斬られ断末魔の声をあげる役者にリアリティを感ずるでしょうか。多分、あまり感じないと思います。これが能独特の引き算の表現です。

 

能は、人は脳で観ることを熟知してつくられています。だからシンプルなのにリアルなのです。

 

芸術の多くは、つくり手の想いや感情、美意識を、何らかの媒体を使って「形」にします。絵画や彫刻であったり詩であったり演劇であったり。いわば膨大な想いを圧縮して、鑑賞者に届けるわけです。鑑賞者はそれを自分の脳の中で解凍して、つくり手の想いを受容する。こうしたコミュニケーションが、つくり手と鑑賞者の間でなされるのです。

 

このような関係性は芸術だけに限りません。人と人との間には、常にこの圧縮-解凍が繰り返されています。「リアル」とは、圧縮-解凍のプロセスで再現されることに対して捧げられる評価なのかもしれません。

 

リアルを感じるには、それなりの能力が必要だとも言えます。

現在ほど想像力の重要性が高いにも関わらず、それが理解されていない時代はないのではなあいかと思います。技術の進歩とは、人間が想像力を持たなくても生きられるようにするためにあるかのようです。技術の進歩が想像力を失わせ、そのためさらに技術が進歩していくというサイクル。

 

現在来日中のスピルバーグ監督が、映像クリエイターを目指す若者向けトークセッションで、「想像力はオンラインで買えるものではなく、皆が持っているものだ。想像力に対して心を開き、そこから物語が浮かんだら、それを書き留めて欲しい」と助言したそうです。

 

これは創る側だけでなく、観る側にも響くメッセージだと思います。

 

ところで、昨日、能「西行櫻」を観ました。言うまでもなく能は、観る者の想像力を必要とします。それがなければ、板の上でおかしな面をつけた老人が、よろよろ動いているとしか感じないでしょう。しかし、想像力によって、舞台はいか様にも変化します。

 

最後の場面です。

 

夜が明け初める頃、西行の夢も醒めつつあります。そして、西行とまみえた老櫻の精(シテ)は夜明けとともに消えていきます。

 

シテ  「花の影より。明け初めて。

地謡  「鐘をも待たぬ別こそあれ。別こそあれ。別こそあれ。

シテ  「待てしばし待てしばし 夜はまだ深きぞ。

地謡   「白むは花の影なりけり。よそはまだ小倉の山陰にのこる夜桜の。花の枕の。

シテ  「夢は覚めにけり。

地謡  「夢は覚めにけり嵐も雪も散り敷くや。花を踏んでは同じく惜む少年の春の夜は明けにけりや翁さびて跡もなし翁さびて跡もなし。

 

 

老櫻の精は、嵐や雪によって散ったかのような一面の櫻の花びらの上を、ゆっくり惜しみつつ歩きながら少しずつ透明になり、最後は消えてみえなくなる。その歩き消えゆく姿に、老櫻の精がまだ少年だった頃の姿が重なる。

 

このラストシーン、私にはそう観えました。観る人によって、きっとそれは異なることでしょう。しかし、確かに私にはそう観えた。

 

数十年の時間がそこに一瞬照射される。人間の無常観を見事に表現している傑作だと思います。演者の力はもちろんですが、言葉の力もすごい。


本当の芸術作品は、観る者になんらかのメッセージを直接与えるのではなく、間接的な刺激を与えることで観る者の内面にあるものを浮き上がらせるのだと思います。スピルバーグ監督が言った「想像力は皆が持っているものだ」との意味は、そういうことなのかもしれません。

 

しかし、日々の雑事にまみれて、人は内面の何か(想像力と呼んでもいいかもしれません)を認識することも発露することもできなくなってしまっている。だから、ときどきそれを解放することが必要なのだと思います。私にとっては、それが能や芸術作品に触れることなのでしょう。

 

文化主義の帰趨

| | コメント(0) | トラックバック(0)

夏目漱石の小説を読むと、明治末期から大正初めの若い世代は、とてつもなく教養に富み、深くものを考えているように感じます。そういった知性的な人びとによって、大正デモクラシーは推進されたのでしょう。

 

しかし、大正デモクラシーと昭和初めの全体主義は隣接しています、というよりも重複しています。これは不思議でした。なぜ、知性や教養が盛り上がっていく時期に、同時に軍国主義が芽生え、やがてそれ一色に染まってしまうのか?そんな疑問を抱いきながら、昨日ある哲学の勉強会に参加しました。ぼんやりですが、その答えが見えた気がします。

 

 

1904年の日露戦争に勝った日本は、一等国として恥ずかしくない教養を身に付けることが奨励される雰囲気でした。その最前衛たる大学生や旧制高校生は、あきらかなエリート。そうしたエリートは、大衆に交わるべきではなく知の城に「籠城」すべきと考えられていました。

「第一高等中学校の生徒は、・・・日本を指揮すべき人びとなれば、俗世の大衆凡下との接触を断ち寄宿舎に拠りて真の指導者としての規律・倫理を身に付けるべし」(明治19/1886年 木下康次一高校長)

 

明治末期になると、より社会性を重視する方向も出てきます。その代表が、同じく一高校長も務めたクリスチャンでもある新渡戸稲造です。

「籠城主義もいいが、それは手段であって目的ではない。寄宿舎の窓を開いてもっと世の中に接し、社会的観念を養成して実社会に活動できる素地をつくれ」(明治39/1906)

 

世界にも目を向けた新渡戸の考えは、「修養主義」「人格主義」と呼ばれました。戦後の教育基本法にも、その思想が引き継がれたそうです。

 

その後、世界は第一次世界大戦(1914-1919年)による大きな影響を受けます。欧州での戦火により日本は戦争景気に突入。まさにバブル。しかし、戦争終結後の反動はその分大きく、日本は一転大不況へ。さらに、1923年には関東大震災、1927年には世界大恐慌。戦争景気で供給力が大幅に増強された日本経済は、そのはけ口として、大陸への侵攻を目指すことが期待されるようになります。そして満州事変が起こります。(昭和6/1931年)

 

一方、第一次世界大戦後の社会改造の要求に伴う世界的な不安によって、日本においても1919-1920年に思想動乱の絶頂がもたらされます。そこから、生活の根本の見直しが生じ、精神のあり方として文化への態度が重視されるようになりました。(「文化住宅」は1921年からつくられました)

 

この頃の思想は、「文化主義」と呼ばれ、和辻哲郎、吉野作造、阿部次郎といった今日でも有名な方々が盛んに発信しました。文化主義とは、文化の向上・発達、文化価値の実現を人間生活の最高目的とする立場・主張であり、ドイツの新カント学派の影響を受けています。

 

文化主義を説明する際には、以下の表現が使われることが多いようです。

批判主義的、反原理主義的、反理念優越性、反自然主義的、理性主義的、普遍主義的、目的性、価値性、人格主義、人道主義、自由主義、歴史性、統合性、全体性、反独占主義、反軍国主義

 

こうした、文化主義のいわばエリートから大衆への啓蒙の流れとともに、大衆からの自発的な展開も時を同じくして広まっていきます。大正初めには、早くもカフェ文化が始まり、1915年には日本橋三越開店、1919年には宝塚音楽歌劇学校が開校、1920年代に入ると大正デモクラシーの波に乗って、モボ・モガが街を闊歩するようになります。

 

このようにエリート発と大衆発のふたつの流れが文化主義にはありました。しかし、前者つまりエリート発の文化主義は、政府によって弾圧されていきます。1909年(明治42)には、反共産/社会主義の観点から新聞紙法が成立し、新聞統制が始まります。1911年には大逆事件、社会主義者幸徳秋水が明治天皇暗殺を謀ったとの捏造で死刑に処せられました。また、1919年には新聞言論統制が強化され、1930(昭和5)には、治安維持法違反で三木清が逮捕、いよいよ社会主義者ではない文化主義者まで拘束されていきます。

 

1932年には青年将校が5.15事件を引き起こし、犬養首相を殺害。1935年(昭和10年)には天皇機関説が排撃され、国体明徴声明がなされました。あとは敗戦までまっしぐらです。5.15事件の裁判では、多くの国民が加害者たる青年将校たちに同情的だったそうです。政党政治への失望と昭和恐慌による農村の疲弊が、大衆の既存体制への攻撃を促し軍部を支持するようになっていきます。

 

エリート発の文化主義は、格差が急速に広がる日本社会の中で、理想主義的で無力な存在だと失望されていったのではないでしょうか。政府の弾圧がそれに拍車をかけた。一方の大衆発の文化主義は、それほどは弾圧されず、文化主義自体は衰えても大衆は力を蓄えていきました。その力を、軍部と政治が、ポピュリズムを実行するための対象としてうまく利用していったようです。賢い文化的エリートが唱える文化主義は弾圧し、大衆の文化主義はうまく育て国家の意図通りに動くように飼いならし動員する。非常に賢い行動だと思わずにはいられません。

 

こうして、大正デモクラシーのもと花開いた文化主義が、見事にわずか15年の間に国家主義/軍国主義を導いたのです。バブルとその崩壊、不況、大地震、格差社会、政党政治の劣化・・・、なんだか現在の状況と似ているようで、薄気味悪くなります。

森友問題に付随する財務省の決裁文書書き換えは、いよいよここまで来たのかと思わざるをえません。官僚が決裁文書(しかも国会に提出する)を書き換える、いや改竄するのは、銀行員がお客さんから預かったお金をちょろまかすのと同じことです。まともな銀行員であれば、どんな指示があろうとも絶対できません。そういったことが財務官僚で起きたことは、官僚がまともでなくなったか、犯罪行為をせよとの指示が上司からあり、それを断れないような組織の規律に成り果てたのか。どちらにしても、「常識は壊れた」と遺書を残した近畿財務局職員の言うとおりなのでしょう。

 

これまでも政治家による行政の介入はいろいろあったでしょう。今回の問題がそれらと異なるのは、官邸に権力が集中している構造で起きたということです。私見ですが、日本人は権力集中した組織構造をマネージするのが、極端に苦手です。戦中、戦前の軍隊がそうです。朝廷と幕府が権力を分担させてきたのも、権力集中すると安定しないという知恵があったからなのかもしれません。(正確にいえば、朝廷の権威VS幕府の権力ですが)

 

戦後はその反省から、三権分立を憲法で定めたわけですし、また実態では官僚機構と政治家と経済界が拮抗することで社会が安定する仕組みを整えてきた。

 

大部分が日本人集団によって構成される日本企業も同じです。従来の日本企業では、御神輿経営とも呼ばれ、社長は御神輿に担がれる役であり、実質的な権力は持たなかった。実質的な力を持っていたのは、ミドルであり現場だったのです。社長は権威を持ち、ミドルと現場が権限を持ち、年功序列によって分配は高齢者が厚く得る。このような、力の分散と拮抗の仕組みが、日本組織を安定させてきたと言えるでしょう。

 

しかし、弱点は急速な変化対応ができないことだった。対応できなかった日産は、ルノーに買収されることでガバナンスを変えた。日本人が大部分を占める組織と、欧州によるガバナンスは、美しく融合したかにみえましたが・・・。ゴーンCEOによるトップダウンも機能しているように見えましたが、まだ断定するには早い気がします。

 

日産はガバナンスを変更しましたが、それもなく手法だけ取り入れて失敗した企業がいかに多いことか。

 

やはり日本の組織では、権力集中しないで拮抗させる、あるいは力を分散させることで、皆に「花を持たす」平等精神のようなものが必要だと感じます。一人がすべてを握ってしまうのでは、日本組織の長所は活かされない。ほおっておくと、日本人は慮ることや忖度が得意なので、すぐ上をみて仕事するようになってしまう。そうなると、かならず組織能力は劣化します。

 

政府にしろ企業にしろ、自らの体型を自覚しないまま借り物の衣装を着たがために、転んでしまわなければいいのですが。

本当の教育

| | コメント(0) | トラックバック(0)

たまたま、東北大学 川島隆太 加齢医学研究所所長による、こんな文章を見つけました。http://www2.he.tohoku.ac.jp/center/syokou/pdf/syoko41.pdf

どれも、心に刺さります。

 

 

●戦後の教育システムは、物言わぬ羊をつくることを目的とした

十数年前、名は伏すが、偶然、一人の旧帝国大学名誉教授と懇談する機会を得た。その方は、戦後、GHQと共に日本の新しい教育システムを構築することに携わってきたと言っていた。そして、「私たちが目指した我が国の教育の目標は、90%の国民が物言わぬ羊となることである。それが治安の観点からは安定性に優れ、経済の観点からは最も効率の良い社会を作ることに繋がる。見たまえ、私たちの壮大な社会実験は見事に成功を収めた。」と、我が耳を疑う言葉を吐いた。これらが妄言か戯言か、今では確かめるすべはない。

 

●グローバル化とは、自分の居場所を全ての場所につくることができること

グローバル化とは、外国語という道具を持つことではなく、己が何者であるかを熟知し、それを他者に表現する言葉を持つことである。正確に己を知ることによってのみ、外国人を含む全ての他者を理解することが可能となり、己の姿を表現し他者に伝えることによってのみ、自分の居場所を全ての場所に作ることができる。

 

己の姿を表す主体的な座標は誰もが知覚している。しかし、それだけでは己を正確に知ることになはならない。異なった座標を持つ他者の集合体である社会が形成する統合的な座標の中で、己の相対的な位置を知覚することが、己の真の姿を知ることに他ならない。均質な集団によって形成される小さな閉ざされた社会しか知らなければ、その小さな空間の中にしか己を表現できない。

 

 

●おっちょこちょいの、新しものずき

新しい技術が開発されると、その効果も見極めぬまま、我先に導入したがる性癖が特に強い日本人は、インタネットを駆使した教育システムの導入を、初等教育から高等教育の現場まで推し進めようとしている。しかし、我々の脳機能計測実験は、インタネット空間での知的活動と、実空間での同等の知的活動では、結果観察されるヒトの脳活動は等価ではないことを示している。コミュニケーション活動に関しても同様である。一昨年報道された韓国での特区を利用した初等・中等教育のIT化の失敗は、我々の脳計測実験結果からは当然のことに思える。

インタネット空間を利用した教育では、運よく知識を得られたとしても、教員の魂を食らい、己の魂を成長させることはできない。

日経ビジネスに連載されているときから熟読していた野地秩嘉著「トヨタ物語」の単行本を、読みました。力作です。著書はトヨタ公認のもと7年間に渡って取材を続けたそうです。OBや作業者の声がたくさん盛り込まれており、非常にリアリティがあります。

 

トヨタ生産方式の本質、どのように出来上がったのか、なぜ可能だったのか、がよく理解できます。


ケンタッキー工場(トヨタ初の海外単独工場)立上げ当初、ラインを15時間止めた米国人現場リーダーは、翌朝張工場長のところに出向くよう指示されます。クビになると思い一睡もできなかった。翌朝張さんのオフィスへ。(ここから引用)

 

「ラインが止まったこと、私がした処置について、いろいろ聞かれました。

話が終わり、いよいよ解雇を宣告されるのだなと思った瞬間、彼は私の手を強く握って、そうして、頭を下げるのです。

『ポールさん、うちの工場はできたばかりで大変な時期です。15時間、つらかったでしょうね。おかげさまで復旧しました。ありがとう。これからもあなたたちにはずっと助けてもらわなくてはなりません』

私は思わず泣いてしまいました。」(中略)

「トヨタ生産方式とは考える人間を作るシステムです。」と付け足した。

「考えることを楽しいと思う作業者には向いている。現場でカイゼンできることはアメリカの作業者にはなかった経験だからだ。ただし、時間を切り売りするだけの作業者には適応できないだろう。これまでの生産方式は、人間に考えなくてもいい、手や身体を動かしておけばいいというシステムでした。しかし、オーノさんは考えて仕事をしろと言ったわけです。それがこのシステムの特徴です」

 

プロローグに書かれた、このアメリカ人作業者(1988年のケンタッキー工場操業開始時から働き続けている定年間近の60歳)の発言に、本質が語られていると思います。

 

トヨタは、戦後アメリカのビッグ3が日本市場に本格参入したら潰れると本気で危機感を抱いていました。だから、ビッグ3に対して極小のトヨタが生き残るために、必死で様々な工夫をしてきました。そのひとつが、このトヨタ生産方式。物量でも資金力でも規模でも圧倒的に劣るトヨタが生き残るには、人の知恵を最大限引き出すしかないと考えたのです。

 

そうして一定の成功を収めたトヨタですが、そのやり方を果たして本場であるアメリカや他の国々に移植できるか、大きな賭けだったことでしょう。経営学の理論でいえば、現地のやり方に適応するほうが賢明だったかもしれません。しかし。トヨタ生産方式の本質にある人間観は、世界共通だと考えたのでしょう。あえて適応しない道を選びました。NUMMI最初のトップだった池渕氏はこう語っています。

「人間は自由度を与えると、仕事をしたくなるんですよ。トヨタ生産方式は強制ではなく、自由を与えるものです。だから生産性が向上したんですよ。」

 

トヨタ生産方式は革命だと言われますが、本当にそうだと思います。トヨタ以外に、世界に通用するモデルを築いた日本企業はあるでしょうか。他にはセブンイレブンくらいしか思い浮かびません。オリジナルなやり方で国内で成功を収めても、海外では現地に適応してしまうケースが多いのではないでしょうか。経営陣のリーダーシップの問題なのかもしれません。トヨタやセブンに続く日本発の真の改革者が登場することを期待します。


トヨタ物語
野地秩嘉
B0797PKLQF
NHKの「サラメシ」っていう番組、面白いですね。日本にはいろんな仕事があって、いろんな職場がある。そこにはいろんな人々がはたらいていて、当然ランチを取る。ランチに注目することで、いろんなことが見えてくる。

随分古い回で恐縮ですが、すごくいい話がありました。記憶を頼りに書き起こしてみます。



東大阪市にある中小企業経営者三代目Mさんは、父親から会社を継いだものの社員の確保に苦労していた。典型的な町工場に来てくれる若者なんていない。


6年前のこと、知り合いの経営者から技能実習生制度を活用してベトナムから若者を採用できることを聞いた。日本人の半分以下の給料で、真面目にどんな仕事に取り組んでくれるらしい。Mさんは早速制度を活用し、20代前半のベトナム男性三人を採用した。確かに彼らは、日本人の若者が嫌がる単純作業を黙々とこなしてくれる。Mさんは安い労働力を確保でき、また彼らは日本でお金を稼ぎいずれ母国で家でも建てるのだろうと考えると、素晴らしい制度だと思ったものだ。


しかし、半年が経過したある日、三人は突然Mさんに食ってかかった。リーダー格の青年は、片言の日本語でこう訴えた。「この会社潰れる。僕たちはバカじゃない。」Mさんは、最初何を訴えているのか理解できなかった。彼らは満足していると思っていたからだ。しかし、うすうす彼らの不満を感じとっていた経理を務めるMさんの妻は、涙が止まらなかったという。


やっとMさんは気づく。自分はなんてひどい仕打ちをしてきたんだと。三人は日本で技術を身に付けて、母国の発展に役立とうと大決心して日本にきたのだ。なのに自分は、彼らを安い労働力としか考えていなかった。ヒトとは思っていなかったのかもしれないと。それからMさんは、三人に難しい作業も教え任せるようにしていった。妻は週に三回は彼らのためにまかないを始め、皆で一緒に昼食を取るようにした。彼らに喜んでもらうように、ベトナム料理も勉強した。職場の雰囲気はよくなり、彼らの習熟度もどんどん上がっていった。やがて彼らは実習期間を終えベトナムに帰っていった。Mさんは、その後もベトナムから実習生を招き続けている。


仕事を拡大していったMさんは、昨年ベトナムに工場を設立した。現地で中心となっているのは、あの「この会社はつぶれる」といった一期生たちだ。


ここからいろんなことが見えてきます。

 ・労働者を機械とみるか、ヒトをみるか。ヒトをみたほうが生産性は高まる

 ・一般に日本の会社は労働者をヒトとみるが、途上国からの労働者は機械と見なす傾向がある

 ・小さな職場は「生産の場」でもあり、ヒトとヒトが関わりあう場であり「共同体」

 ・共同体では、食事という生きるために最も重要なことを共ににすることで結束が高まる

 ・共同体では、「育てる」ことが必須の機能であり、育てられたヒトがやがて共同体を支えるという循環が起きる

 ・しかし日本をはじめ先進国では、共同体の破壊が進んでいる。かつては日本では会社が共同体の役割を担ってきたが、それも弱まっている。もし人間にとって共同体が必要だとすれば、今後何がその役割を担っていけるのか


よく一体感があるという表現を使いますが、一体感とはどのようなものなんでしょうか?今朝の日経に、認知行動療法研修開発センターの大野裕さんの講演に関するこんなコラムが載っていました。

 

(前略)話し始めてしばらくは緊張が続き、ろれつがうまく回っていないように感じる。ところが、不思議なことに、しばらく話していると次第に緊張が解けてくる。さらに、聴衆がうなずきながら聴いているのは目に入ってくると、次第に高揚感のようなものが湧いてくる。聴衆と一体になったような不思議な感覚だ。そうするとしれまでの落ち込みや緊張はどこかに消え去って、表情は穏やかになり自然と笑顔になってくる。まさに人の存在の力を感じる瞬間で、聴衆に話させてもらったという思いを強く持つ。(後略)

 

 

すごくよくわかります。さすがに認知科学の専門家、すごくご自分や周囲の状況を客観的に把握し描写されています。私も同じような感覚を抱くことがありますが、それをうまく表現できませんでした。

 

最初、緊張のあまり自分自身は「閉じた」状態になっています。聴衆も同様に「こいつ何を話すんだろう」とやや不安な状態。自分もその聴衆の不安感を受けとめるので、相乗効果となってますますうまく話せなくなります。こうなるとバッドサイクルに入ります。

 

ところが、必死で話すうちに「うまく話そう」とか「聴衆はどう感じているんだろうか」とかの意識が飛んでいきます。とにかく話すのに精一杯で、意識する余裕もなくなる。無意識が自分を支配するようになると、余計なことを考えなくなり話に専念できるようになる。すると、少しずつ聴衆の心も「開いて」くる。それを自分も感じることができるようになる。すると自分も心を「開」けるようになる。そうなれば、心と心が通じ合い一体感を得ることができるのではないか。今度はグッドサイクルが回りはじめます。「聴衆に話させてもらった」という感覚は、自分自身と聴衆の相互関係が活発になり、聴衆から言葉を引っ張りだしてもらうような感覚です。

 

西田哲学に「主客合一」という言葉があります。自分と対象が分離されていない状態ということでしょうか。近代科学の二元論とは異なる世界観によるもので、この講演時の一体感がそれなのかもしれません。

 

この「主客合一」(とりあえずそう呼びます)に入ると、自己と他者が同じ水の中に入っており、その中で自己と他者それぞれが溶け出し混じりあうイメージになります。あるいは、自分の呼吸と他者の呼吸が連動しており、いかようにもその場をコントロールできるように思えてきます。舞台に立つ卓越した芸術家は、まさにこの状況をすぐにつくりあげることができるのではないでしょうか。この感覚を一度でも味わうと、どんな苦労にも耐えてまた味わおうと思えるに違いありません。

 

研修の場面でもいま述べたような状態を何度も、客観的(つまり当事者ではないオブザーバーとして)に感じてきました。講師と受講者が見えない糸で繋がって、その「場」を全員でつくりあげているイメージです。

 

そういう場を観察すると、ヒトは近代科学で定義されるような「独立した個人」ではない、もっと相互依存する開かれた存在だと感じます。「人間」という単語が、「人」と「間」の二文字でできているのは的を射ています。「ヒト」は、人と人との相互関係があって初めて「人間」になるのです。日本人はそのことを古来より知っていた。考えてみれば、「個人」の概念が伝わったのは明治維新後であり、まだほんの150年しか経っていません。近代科学の二元論だけを依拠するのは止めた方がよさそうです。

一流の人が人生を振り返ってかくものは、本当に面白い。(その反対がサラリーマン社長や世襲政治家の「私の履歴書」)小三治師匠の落語は味わいがあって大好きだが、この連載も含蓄があります。(朝日新聞朝刊連載)

 

昨日は小さん師匠に弟子入りしたばかりの頃の話。小さんのうちでは、最初に「道灌」を学ぶ。面白くない話らしい。まず師匠がやる。するとすごく面白い。でも自分がやると、全然面白くない。そのギャップをどう埋めるかが、最初のテーマ。なるほど、自らの位置を知り、ゴールも知る。そして、必死で考える。もちろん師匠は教えてくれない。素晴らしい新人導入です。

 

前座から二つ目に上がり、初めて師匠に聞いてもらったのが「長短」。自信はあったが、黙って腕組みをして俯いて聞いていた師匠が、終わったあとの第一声が、「お前の話は面白くねえな」。すっと、立ち上がり床屋へ行ってしまった。一刀両断。全身に電極を当てられビリビリってやられた感じだったそうです。その時を振り返って、小三治は言います。

 

「あとになれば小さん師匠の気持ちはよくわかります。ほんとに面白くなかったんでしょう。でも全否定されて、考え込みましたよね。面白いっていうのは、どういうことなんだろう。笑うことか?でも人情話もあるんだから、人の心を感動させることか?日常の何でもないことを何でもないこととして表現することでも、人は面白いって思ったりするんだろうか?、とか。あの一言がすべての始まりです・・・・、と今思い至ると涙が出てきますねえ。よくあの時小さんは私をそう言い表してくれた。こう言えばこいつは一人前になるぞ、なんて思ってもいないんですよ。そんな腹案、何にもない。だからこそ、重たいんですよね。」

 

どうですか?素晴らしい人材育成ですね。師匠も弟子も本気で向き合っている。

師匠にしてみれば、どの弟子に対して同じように接しているのでしょう。なだめすかして育てるなんて考えてもいない。そんなことで育てても、どうせダメな奴はダメだと割り切っている。だから本心しか言わない。弟子もそれをよくわかっている。だから、自分自身で考え抜くしかない。こういう厳しい環境の中で育ってきた噺家だけが、本当の噺家だとの合意が双方にある。部下の顔色をうかがいながら、「部下育成」しているいまどきの上司とはまったく違います。(師匠としても弟子への愛情があった上で切って捨てるのであり、師匠もつらかっただろう。後年小三治もその立場になってそれに気付いたのだと思う)

 

しかし、小三治の兄弟弟子だった談志は、いろいろあって小さんのいえを飛びだし、立川流を起こします。そこでの、弟子への対応は小さんとは全く異なるものでした。(そのあたりは、談春著「赤めだか」に詳しい)その立川流からは、談春はじめ素晴らしい弟子がたくさん育っています。やはり、時代というべきでしょうか。

赤めだか
立川 談春
4594056156

 

今日の回、「グサリと来た笑子の一言」も素晴らしい落語のような話ですが、また今度。

15284B1_s5.jpg

ファシズム初期の兆候

| | コメント(0) | トラックバック(0)

 昨日、伊藤塾の伊藤真塾長の講演を聴く機会がありました。とても熱い方で、緻密な論理とともに想いがビシビシと伝わってきました。お話の中で紹介していただいた「ファシズム初期の兆候」が大変興味深かったので、ここに記録しておきます。それは、アメリカにあるホロコースト博物館の研究者が、世界中の過去の様々なファシズムを研究してまとめたものだそうです。

 

 

・強力で継続的なナショナリズム

・人権の軽視

・団結の目的のため敵国を設定

・軍事優先(軍隊の優越性)

・はびこる性差別

・マスメディアのコントロール

・安全保障強化への異常な執着

・宗教と政治の一体化

・企業の力の保護

・抑圧される労働者

・知性や芸術の軽視

・刑罰強化への執着

・身びいきの蔓延や腐敗(汚職)

・詐欺的な選挙



ファシズムは遠い昔の出来事だったと思っていましたが、案外そうでもないかもしれません。



TA.jpg




最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

アイテム

  • 15284B1_s5.jpg
  • TA.jpg
  • 歩く人.jpg
  • dog.jpg
  • kudara1.jpg
  • nbn9MI3tIPaIFRnfleSx8LsdFBwmDEwNNf90StH2DjUYVks0Aj2dO5A1aIklbpv0.jpg
  • hikone.jpg
  • dress.jpg
  • toni.jpg
  • nui.jpg

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1