内宮神楽殿で御神楽を奉納(初穂料を納め、それによって御神楽を神様に奉納するので、我々が奉納したことになるのだろう)したあとで、いよ

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いよ天照大御神を祀る正宮(正式名称は皇大神宮)を参拝。2013年に遷宮がなされたので、建築後6年です。建物はもうかなり古びた味わいのようなものを醸し出していました。

 

階段の下からまでしか撮影できないので、右はそこからの写真です。正宮の中心となる正殿は、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重もの垣根で囲われています。一般参拝者は、板垣と外玉垣の間までしか入れません。私たち社中は、玉串料を納めることで、もう一段階内側の内玉垣の外側まで入ることができました。

 

外玉垣の内側には、玉砂利というには大きすぎる、15cm~20cmもあるグレーっぽい丸石が敷き詰められています。そこを歩くのは、かなり大変。正装でなければなりませんが、ヒールのある靴では危険です。興味深いのは、神様に正対する場所の石は、すべて真っ白。これは、全ての別宮も同じ。

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々は、中重鳥居の後方あたりに整列。代表の観世喜正師が中重鳥の下あたりに進み出て、全員揃って二礼二拍一礼。そして、またしずしずと外玉垣を出ました。

 

お垣内参拝(外玉垣の中に入っての参拝)を終えて、いよいよ参集殿での能楽奉納です。1015分の開始時には、客席は満席で立ち見もでるほど。地元の皇學館大學の学生による仕舞から始まり、観世喜正師による半能「逆鉾」が奉納されました。半能とは、能の後半だけを演じるものです。逆鉾のシテ(主役)は瀧祭明神であり、内宮の別宮である瀧原宮が、その神様を祀っています。先生は舞台を終えた後で参拝してきたそうです。

 

半能の後で、多くのお客さんは帰っていきました。仕方ないでしょう。その後、15時半ごろまで、弟子の舞台が入れ替わり続きます。途中13時頃、大連吟を行いました。大連吟とは大勢が舞台に座り、声を合わせて一斉に謡うものです。40人以上で「絵馬」の最後の部分を謡いました。「絵馬」は、伊勢神宮の斎宮が舞台で、最後には天照大御神と天鈿女命と手力雄命が現れ、天の岩戸隠れの故事を再現するというもの。その部分を大連吟したわけです。とてもアップテンポでついていくのが大変でしたが、要所では後方に座る先生がリードしてくださるので、何とか無事謡い終えることができました。これも得難い経験です。

 

ところで、私の仕舞の出番は最後から三番目。ほとんどの方は、出番を終えて、着替えもすましリラックスしているのに、待たされる私の緊張はずっと続きます。いやなものです。この能舞台での稽古をする時間は一切ないので、床の感触などは本番までわかりません。


私の演目は、「雲林院」です。舞台は京都の雲林院ですが、シテは伊勢物語の主役といわれる在原業平の霊。なぜ伊勢物語と呼ぶかには諸説あるそうですが、現在は第69段の伊勢国を舞台としたエピソード(在原業平と想定される男が、伊勢斎宮を連れだし密通してしまう話)に由来するという説が最も有力視されているとのこと。

 

私が仕舞で舞う部分(クセ)は、在原業平が二条の后を連れだし逃避行する場面です。連れ出すのは斎宮ではありませんが、伊勢神宮で奉納するにはふさわしい曲とも言えそうです。(演目を決めるときは、そこまで考えていませんでした)

 

また、その直前にみた御神楽の人長舞の装束が、ちょうど私が舞うパートで語られる在原業平の装束と似ていたので、イメージが湧きました。

 

そして出番。喜正師と中所先生が地謡で座る前に進みて、片膝座り。「きさらぎや」と、シテ謡いをし、立ち上がりました。舞台では眼鏡を外すので、遠くが見えません。見えない方が、気楽とも言えます。床のすべりが、普段稽古している床と違って滑らないので、なかなかすり足で前に進むのが難しい。でも、出番を終えた方から、その情報を得ていたので焦ることはなく、なんとか大きなミスはなく終えました。終わった時は、汗びっしょり。

 

終演後、バス出発まで1時間くらい余裕があったので、おかげ横丁の赤福

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へ。その頃には雨が止みかなり蒸し暑くなっていましたから、舞台を終えた解放感も加わり、本当に美味しく赤福氷(赤福餅の入った抹茶かき氷)をいただきました。

毎年恒例の能の発表会、今年は伊勢神宮の内宮参集殿能舞

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台にて、7/7(日)に行いました。我々の先生である観世喜正師が、神様に能楽を奉納するというのが正式な名目であり、その後で素人弟子もついでに奉納という名の発表会を行うというわけです。

なにせ、場所が伊勢神宮ですから、これまでの地方での会とは趣が大いに異なります。これまで、昨年の名古屋能楽堂から溯り、彦根城、佐渡、京都観世会館と場所を変えて実施してきました。いずれも夏だったので浴衣に袴の衣装でよかったのですが、今回が紋付袴です。

 

7/6(土)早朝に東京駅に集合、そこから団体行動です。団体旅行には慣れていないのですが、ここは添乗員付き旅行にどっぷりつかります。総勢40人くらいの団体です。

 

お昼すぎに宇治山田駅に到着、バスでおかげ横丁へ。そこで自由行動となり、各自昼食。てこね寿司を食べに「すし久」へ。おかげ横丁全体もそうなのですが、古い建物を利用しており、いわゆる観光地の「・・・横丁」「・・・通」とは一線を画していました。「すし久」も、江戸時代の旅館の風情を残しており、弥次喜多道中にも出てきそうな雰囲気。

 

その後、バスで外宮へ。伊勢詣ででは、外宮のあとに内宮を参拝するのが決まりだそうです。私は初めての伊勢神宮だったので、少し勉強していきました。

 

伊勢神宮とは、正式名称ではなく、正式には「神宮」です。「The神宮」です。日本全国にあるあまたの神宮は、●●神宮と呼びますが、その総本山である伊勢には●●は不要なのです。皇族に苗字がないのと近いかも・・。

 

その神宮は、内宮と外宮、それから14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社によって構成される一大組織です。もちろんその中核が、皇室の祖先といわれる天照大御神お祀りする内宮です。正式には、皇大神宮といいます。

外宮は別の神様をお祀りしています。それは衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神です。だから正式名称は、豊受大神宮です。

 

内宮と外宮それぞれに正宮があり、20年ごとに遷宮されます。なので、正宮の隣には必ず旧正宮の跡地が更地になっています。

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さて、外宮正宮を参拝し、その後、近隣にある別宮(土宮、風宮、多賀宮)も参拝。どれも正宮の縮小版のようで、遷宮するため隣に更地が残っています。

 

ちなみに、外宮の勾玉池には池にせり出した能舞台があります。以前は、ここで能楽奉納をしていたそうですが、3年前の台風で被害にあい、現在は閉鎖されています。

 

外宮を出たバスは、二見ヶ浦で夫婦岩を拝んだ後、ホテルへ到着。夜の宴会を経て初日日程終了。翌日舞台にも関わらず、結構皆さん羽目を外しておられました。

 

7/7(日)は早朝7時半にホテルを出発し内宮へ。お垣内参拝をしるため、全員礼装に準じた服装です。私は濃紺のスーツにネクタイ。普段着と羽織袴に加え、スーツも持参と、なかなか大変でした。

 

内宮は、五十鈴川に面して配置されており、水との関わりが深いことが感じられます。我々が奉納という名目の発表会を行う、内宮参集殿に荷物を預け、内宮神楽殿に向かいます。そこで、祝詞をあげていただき、そして神楽を拝見するのです。

 

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神楽殿の中では、全員正座です(畳敷きとはいえ、これが結構つらい)。4人の舞女が、ご神前(奥の台座)に神饌(神様のお食事)を順々においていきます。その後、神職が祝詞を奏上。そして、その後に、いよいよ御神楽が奉納されます。

 

後で知ったのですが、神楽殿で奉納される御神楽は4段階あり、私たちは最上位の特別大大神楽を奉納しました。当然初穂料が異なります。

 ・御神楽        [倭舞]

・大々神楽    [倭舞・人長舞]

・別大々神楽[倭舞・人長舞・舞楽1曲]

・特別大々神楽[倭舞・人長舞・舞楽2曲]

 

 

雅楽の調べとともに、4人の舞女が群舞。その後に、一人ずつ男性が舞い、4人続きます。いずれも、とても鍛え抜かれ、洗練された舞でした。舞を含む雅楽には単調で退屈なイメージを持っていましたが、全く見方が変わりました。厳かな美しさとでもいいましょうか、動きの激しい舞も一部の隙もなく、突き詰められた緊張感が漲りエネルギーを発します。こうした舞楽が、生きたまま千年以上伝わっていることに感動します。とても贅沢な体験でした。

 

それぞれの特徴は、とても私では説明できないので伊勢神宮HPから転載します。

 

倭舞:

倭舞は清和天皇の御代から宮中の儀式で舞われています。本来は男子4人の舞ですが、神宮では明治時代に乙女舞に改められました。舞人は舞女が緋色長袴に、白い千早をつけ、紅梅をさした天冠をいただき、右手に五色の絹をつけた榊の枝を持って、楽師の歌にあわせて舞います。舞振りは優雅で歌に伴奏する和琴、笛ふえ、篳篥、笏拍子の調べは、単調ながらも幽玄な余韻があります。

 

人長舞:

宮中の御神楽の中に「其駒」という曲があり、神楽人の長が舞うので「人長舞」といいます。舞人は葦に千鳥模様を青摺にした小忌衣をつけ、手には御鏡を模した白い輪のついている榊を持ち1人で舞います。舞振りは落ちついた神々しいもので、いわれもめでたい歌舞として尊重されています。倭舞には現代的な華やかさがあるのに対し、人長舞は上代的な幽玄さがあるといえます。

 

舞楽:

雅楽には、日本で古来歌われてきた国風歌舞(くにぶりのうたまい)5世紀から10世紀にかけて中国大陸や朝鮮半島、また林邑ベトナム、天竺インドなどから渡来した外来音楽、11世紀ごろ日本の宮廷で流行した朗詠・催馬楽という3種類の歌曲があります。

国風歌舞には、神楽歌・倭舞・東遊(あずまあそび)などがあり、特徴として歌に舞を伴い、和琴・笏拍子などの楽器を伴奏に用います。

外来音楽は一般に雅楽と呼ばれるもので、中国大陸から渡来したものを唐楽(とうがく)といい、朝鮮半島から伝わったものを高麗楽(こまがく)といいます。唐楽には笙・篳篥・龍笛・羯鼓・太鼓・鉦鼓など、高麗楽には高麗笛・篳篥・太鼓・鉦鼓・三ノ鼓などの楽器があります。唐楽・高麗楽を伴奏とする舞を舞楽といいます。唐楽の舞は左舞と呼ばれ、赤色を基調とする装束を着けて舞うのに対し、高麗楽の舞は右舞といい、青色を基調とする装束で舞います。


ベストセラー本の品揃えを競っているような図書館に、存在意義はあるのかと近頃思っていました。ベストセラー本を図書館で借りて読むことが普通になったら、誰も本など買わなくなる。その結果、本の存在そのものが危うくなってしまう。その片棒を担ぐのが公共図書館だと思っていました。

 

にも関わらず、この映画が予想外にヒットしていると聞き、少し不思議でした。その理由を知りたいとの気持ちもあり、観てきました。噂通りの大入り。

 

 

映画としても斬新でした。バックミュージックやナレーション、テロップは(分館名だけ日本語文字表示あり)一切なし。ドキュメンタリーではありますが、ここまでそぎ落とした映画は初めて観たのでは。そのため、観客には分かりづらさがあることは否めません。まるで自分が透明人間になって、いきなりどこか知らない会社で数日過ごした感じに近いかもしれません。戸惑いますよね。

 

図書館のイベントで有名なパネラーや講演者が多数出演しているのですが、誰なのか詳しい人にしかわからないでしょう。ドーキンス博士、エルビス・コステロ、パティ・スミス、辛うじて私が知っていたのはこの三人ですが、他にも超有名人が登壇しています。

 

あえて、登壇者をテロップ等で紹介しないところに、ワイズマン監督の意思を感じます。この図書館では、有名人も一般の利用者も、同じ利用者の一人として扱っていることを予感させる。一般の住民対象のワークショプもいくつか出てきますが、そこでの発言者も堂々として、先の有名人と遜色なく見えます。ここがアメリカの厚みでしょうし、監督の認識なのでしょう。

 

このように、一見するとわかりにくい作りではありますが、その分観客の想像力を掻きたててくれます。日本のTV番組のテロップや字幕の多さに辟易としている私には、すがすがしささえ感じさせてくれました。

 

さて、映画で観察された「ニューヨーク公共図書館」そのものについて。いろいろなことを考えさせられました。

・デジタル化社会における図書館の意義とは?

・税金と寄付で成り立つ「公共図書館」の役割、存在以後とは?

・貴重な資金の配分をどう考えるべきか?

 -紙の本か電子書籍か?

 -ベストセラーか研究書か?など

・住民に開かれた図書館を標榜する立場から、入ってくるホームレスにどう対応すべきか?

・どのように資金調達を進めるべきか?

 

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図書館幹部による、こういった正解のない問題を議論する会議の場面が何度も描かれます。その真摯な議論をする様子を観察するだけでも興味深い。日本の組織の会議では、どうしても落としどころを意識した予定調和が根底に流れますが、それとはだいぶ異なります。

 

図書館というと本に代表される知識を収蔵し、利用者がそれを探し持ち帰る場所というイメージが強いと思います。このニューヨーク公共図書館は、それだけに留まりません。知識はネットでいくらでも家にいても獲得できる。この図書館では、ネット環境を持てない住民のため、ネット接続機器の貸し出しまでしています。ここは、知識を提供する場ではなく、人間同士が物理的に関わることで知識を交換し、さらには創造を促す場になっています。最初に述べたパネルディスカッションはその代表例ですが、他にもたくさんのセッションや講座が描かれています。

 

なぜここまでの役割を、公共図書館が果たしているのでしょうか?民主主義を支える装置として、図書館は存在するのだという基本思想を感じます。日本では、未だに知識は上から与えられるものという思い込みに縛られています。子どもの時は親や先生から、社会人になると会社の上司や、政治家など「エライ人」から。憲法とは国家を縛るのではなく、国民を縛るためにあるのだと勘違いする人が、いまだに多くいるのは当然かもしれません。

 

この映画を観る限りアメリカでは全然違いそうです。市民が自らの力で知識を獲得し、それらが切磋琢磨して「公」をつくりあげる。そういったボトムアップの志向が、当然のように市民にいきわたっている。その基盤として、図書館が存在する。

 

10分の休憩をはさんで約3時間半の長い映画で、しかも不親切なつくり。そんな映画が大入りになるのですから、日本もまだ捨てたもんじゃないのかもしれません。

映画「嵐電」を観て

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アート作品は、作家の意図はある意味どうでもよく、観る人がどう感じ思うかが全てといってもいいでしょう。

 

この「嵐電」も、観る人に様々な想像をさせる余地を残しており、観る人によって解釈は様々に違いありません。

 

そもそも「嵐電」という電車はどのような存在なのか。普段決まったダイアに従って走っていながら、どの電車に乗るかで、その後の行き先、つまり人生は無限に枝分かれする。その無限の選択肢の中で、人は偶然にある一つを選んでいる、あるいは選ばれているにしか過ぎない。そういうことの象徴が「嵐電」であるように感じました。狐の乗務員は言います。「この電車に乗ればどこにだって行けますよ」、と。

 

40代、20代、10代の3組のカップルの話が同時進行していきます。40代の鉄道関係のライターである井浦新は、一人で嵐電線路脇のアパートに住み始めます。鎌倉に残してきた妻からときどき携帯に電話は入ります。しかし、その電話は本当にかかってきたものなのかも疑わしい。井浦の想像ではないかと私には思えました。彼は、もう現世にはいない妻を、思い出のある嵐電の周辺に探しに来ているように見えるのです。彼は、妻に対して何らかの後悔をしている。鉄道ライターの仕事ゆえ、家に全然帰らなかったことなのかもしれないし、他の理由かもしれない。

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嵐電には都市伝説があり、「夕子さん」にラッピングされた電車をカップルでみると結ばれるというものと、狐と狸の乗務員の乗った電車に乗ると、カップルは別れるというもの。井浦はかつて妻と京都を訪れた時に、どうやら狐と狸が乗務員の嵐電に乗ったようです。そこから人生が何かずれていってしまったと、井浦は感じているのかもしれません。その電車がどんな行いを意味しているのか、全くわかりません。人は誰でもそういう自分なりの分岐点を持っているものなのでしょう。あの時、あの電車に乗ってしまったと。それが、観る者をざわつかせるのです。

 

最後の方に、嵐電線路沿いの家で、妻と仲良く暮らす井浦が描かれます。こういう「幸せ」な人生も有りえたのだという井浦の想像なのだと思います。諦念なのかもしれません。

 

20代のカップルも、及び腰の恋が成就しかけたところで狐と狸の嵐電に乗ってしまった。その結果、男は去り、女は打ちひしがれる。やはり、その乗った嵐電が何を意味するのかはわかりません。最後に、このカップルを映画撮影するシーンがでてきます。一度目のテイクは、現実に二人の間に起きたことの再現。その後、監督はもう一度同じシーンを撮ると告げます。しかし、テイク2はさっきのことは忘れて、別の気持ちで演技して、と指示。二人はそれに挑みます。先ほど書いた井浦の有りえたかもしれない想像と違って、このカップルはテイク2が可能だということの暗喩なのではないかと感じました。

 

10代のカップルは、不細工で不器用で猪突猛進。なんとも、微笑ましい。

 

三つの世代のカップルの成長過程、成熟過程を表現していると言えなくもない。でも、それより、乗る電車によって人はどうにでもなるという、他力思想を表現した映画なのだというように、私には感じられました。

 

でも、きっと、そう思う人はそう多くないだろうな、とも思います。それが芸術というものなんでしょう。とにかく、不思議で魅力的な映画です。

忖度と社長の視座

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日本企業の生産性の低さは、今では有名です。ひとりひとりは優秀で、手を抜くことはあまりせず、集中力も決して低くはない。にもかかわらず、なぜ生産性が低いのでしょうか?

 

 

ある大企業の新任執行役員を集めて研修を行うことになりました。例年であれば、リゾートホテルに集まり、社長講和や役員としての心構えや法規制などのレクチャーを受け、翌日ゴルフして解散というパターンでした。

 

ところが、昨年就任した新社長はそれでは不満で、もっと勉強させろという指示が事務方に降りたのです。

 

事務方は慌てていろいろ検討しました。そして、こう考えました。

昨年の社長就任とともに、新中期経営計画を発表した。その計画を実行に移すための方策を、新任執行役員に考えて欲しいに違いない。その発表を、ホテルでの研修の際に行うことにしよう。

 

このコンセプトのもとに準備が始まりました。部門を超えたグループで検討を進め、発表するものです。発表の相手は社長です。社長はこの機会に、新任執行役員ひとりひとりの品定めをすることは、容易に想像できます。メンバーのプレッシャーも相当なものになるでしょう。

 

できるだけ、期待に応えられるように支援することが、私たちのミッションです。

 

事務方は、体制や運営方法もつめ、社長に最終確認を得るべく報告しました。貴重な社長の時間を使うのですから、完璧に詰め想定問答も準備した上でのぞみました。

 

ところが、中期経営計画について取り組ませたいと説明した瞬間、社長はばっさり否定。「そんなものは、普段仕事で考えていることだろう。もっと、その大元を考えさせなければダメだ。」

 

そして、すぐに対案を指示。

「歴史観、社会や経済の構造変化、そして日本の生産性向上について考えさせよう」

 

事務方としては想定外の展開でした。

 

経営計画について検討させるのと、歴史認識について考えさせるのでは、あまりに次元が違い過ぎるように感じました。しかし、もともと社長が考えさせかったのは、そういうことだったのでしょう。

 

過去のパターンから中期経営計画がテーマでよいと想定し、それに基づいて準備を進めてきたのが間違いだった。

 

もしかしたら、社長はそういう仕事の進め方自体を変えたいと考えているのかもしれません。かつては、こういった阿吽の仕事の進め方が生産性を高めていたのかもしれませんが、もうそういう時代ではないことをわからせたい。

 

過去の枠組みをとっぱらうために、一時的な生産性低下(これまでの準備)を甘受する。現場は振り回されるでしょうが、変革のために必要なステップなのでしょう。

 

また、もうひとつの想いは、新任執行役員には、少しでも社長の視座に近づいてほしいということ。

 

しかし、このテーマで社長に発表するのは、本当に大変です。

母校である上智大学のコミュニティ・カレッジ(社会人向けの夜間講座)に、また通うことにしました。今回は、「脳のはたらきから見た心の世界~生理心理学入門~」という講座です。昨日(5/7)から、毎週月曜の1910204010週間連続シリーズ。

 

手軽に安価で専門家から直接学べるのは、本当に有り難いことです。東京には、他にも膨大な学習機会があり、宝の山に住んでいるようなものですね。

 

さて、今回なぜこの講座を受講することにしたのか。仕事上「集団における学び」には関心が高いわけですが、ヒトの学びも突き詰めていけば、脳のはたらきにいきつくと、最近考えていることが大きいですね。

 

ヒトは論理だけでは動かず、感情や直観の影響が極めて大きい。その感情や直観がなぜ生まれてくるのか、それを理解しなければ、個人の振舞も集団の振舞も理解できないと感じています。

 

組織などの集団>個人(ヒト)>脳>神経細胞 は何らかの相似形であり、共通のメカニズムのようなものがあると思っているので、脳とヒトの心理の関係を学んでみたいと思ったのです。

 

経営と心理学の関係は、特に最近注目されているように思います。ただ、心理学といってもとても範囲が広く、学問としても細分化されています。まずその整理が必要。

 

昨日の第一回の講座で学んだので、早速使います。

●心理学は以下の諸領域に整理できます。

 --社会心理学

 --臨床心理学(精神病理学)

 --行動心理学(動物行動学)

 --認知心理学(認知科学)

 --発達心理学

 --生理心理学(脳・神経生理学)

 

いずれも、「心の活動」を探るための学問です。様々な角度から斬りこんでいる。私も、心のはたらきに関わりそうな本を乱読してきましたが、このように整理すると、どれかに当てはまりしっくりきます。

 

「心」はモノではないため、自然科学として扱うことが難しい。(だからもともとの発祥は哲学でした。)それを何とか科学的にアプローチしようとの努力がなされました。具体的には、心的活動そのものは計測できないものの、外部からの刺激に対して「心」が反応し、その結果発生した外的事象を観察・測定しようとしたのです。外的事象とは、言語、思考、行為、しぐさ、表情、生理的反応などです。

 

さて、生理心理学とは、主に脳や神経と心の関係を解明しようというものです。

 

ここで根本的な問いが存在します。

「心と脳は一体なのか?」

もう少しいうと、「心は脳に宿るのか?」

ちなみに、アリストテレスは、心は心臓に宿ると考えたそうです。

 

「脳がなければ心はないのか?」

脳死とは、心も死んだのだと考えていいのか?脳死を人間の死と認定し、臓器移植してもいいのか?

ヒトは死んでも魂に心が残る、という考えもなくはありません。

 

こう考えていくと、宗教や哲学に戻っていきそうで、前に進むことができなくなりそうです。

 

昨日の講座で、先生はこうおっしゃいました。

 

「生理心理学では、脳と心の一元論を作業仮説とする。つまり、

 ・脳と心は同一のものである

 ・脳がなければ心はない という前提を置く

ただし、これは研究を進める上での作業仮説であり、必ずしもこの前提を信じる必要はない。」

 

なるほど!

意識や心はまだまだ謎だらけです。しかし、いったん「脳=心」という前提を置くことで、真実に迫ろうという姿勢なのです。面白いですね。次回以降が楽しみです。

独立系エコノミストの中前忠氏の独自の視点での経済評論には、これまで注目していました。たまたま新著を本屋で見つけたので早速読みました。今年123日の発売でしたが、これまで全然その存在を知りませんでした。それほど注目されていないということなんでしょうが、残念です。

 

緻密なデータ分析に基づく洞察は、これまで同様非常に納得感のあるものでした。簡単にその主張をまとめれば、以下です。

 

1980年代のレーガノミクス以降、先進国は企業を家計より優先してきた。それは1970年代の強すぎる労働組合賃上げ圧力や戦後の福祉政策の追求への反動だった。また、トリクルダウンすれば家計も潤うとの前提を置いていた。しかし40年ちかく経過し、その副作用が顕著になってきた。トリクルダウンは起きなかった。そして富める企業と窮乏化する家計との格差拡大。その結果、トランプ政権やBrexitに代表されるようなポピュリズムが世界を覆う。少し遅れた日本でも、バブル崩壊後に企業ファーストの傾向が強まり、他の先進国の後を追い続けた。

 

それらに対応するには、企業ファーストから家計ファーストへの転換である。日本での具体策として、

 ・消費税の廃止と企業への増税

 ・貯蓄金利の引き上げ

 ・円高の促進

 ・産業構造転換に対応するための職業再訓練の制度化

などを挙げています。

 

ところで数多くのデータの中で、私の目を引いたのは1997年以降減少する家計所得(309兆円→268兆円)の内訳です。日本が米国やドイツと比較して、極端に異なるのは、(給与所得に比べて)自営業者所得の比率が急激に減少している点です。三ヵ国で1980年と2016年を比較してみます。

 ・日本:13.7% 3.0%

 ・米国:9.8%10.3%

 ・ドイツ:11.4%(95) 8.3%

日本は農家の減少が影響していると思われますが、それにしてもこの差は大きい。日本が、どんどんサラリーマン社会化していることが分かります。確かに目立つところでは、代表的自営業だった喫茶店も飲食店も、現在独立系の店を探すのは困難で、ほとんどチェーン店です。酒屋や米屋もコンビニに転換しています。

 

大学生の数が増え、その卒業生はほとんどサラリーマンになっていく。マスコミの論調では、ベンチャーが急増しているようにも感じますが、一部の成功事例を華々しく採り上げているだけで、サラリーマン社会化の進展は進む一方。

 

自営業者の一人当たり所得をみるともっと衝撃的です。2000年を100として指数をみます。

 ・日本:78.3

 ・米国:181.9

 ・ドイツ:114.6

日本では儲からないから廃業し、また新しく起業する人も減っていく。しかし、なぜ日本だけがこんなに顕著なのか。

 

国の活力は、こういうところに表れてくると思います。ボディーブローのように、これからも国力を削ぐ。

 

日本の社会も経済も、いびつな姿に一直線で変わりつつあるようです。その流れを変えるには、さらなる金融緩和や消費税引き上げではなく、家計ファーストの方針に基づく政策転換だと、本書を読んで強く思いました。

厚生労働省の統計問題は、ますます混迷を極めています。それについて、言いたいことはいろいろあるのですが、今日は特別監察委員会を題材にして考えてみたいと思います。

 

まず、特別監察委員会報告は最初の報告で、国民からダメ出しされ、先日の二度目の報告でもまた議論を呼んでいます。情けない失態です。なぜ、こんなことが起きたのでしょうか?

 

報告内容以前に、特別監察委員会とその活動の客観性に関する認識の違いがあったと思われます。想像力をはたらかせて、厚生労働省官僚の思考を追ってみましょう。

 

・特別監察委員会は第三者委員会でなければまずそうだ

・しかし、全く厚生労働省のことを知らない人に監査は無理だろう

・厚生労働省の外郭団体のトップであれば、ある程度役所の文脈も理解できるし、知的レベルも高い立派な人だし、役所の人間ではないので適任だろう

 

 

また、最初の監察委員による職員へのヒアリングに、厚生労働省幹部が同席していたというのも驚きでした。そこも想像してみましょう。

 

・職員へのヒアリングでは、正しい発言をしてもらわなければならない

・しかし、職員は管理者のいないところでは、どんないい加減な発言をするかわかったものではない

・管理者(幹部)は、職員の発言に責任を持たなければならない

・また職員は管理者のオーソライズがなければ、責任ある(?)発言はできない。なぜなら、もし自分の発言内容で問題が起きても、自分では責任を取れない。管理者がオーソライズしてくれていれば(同席だけであっても、そこで否定しなければ)、責任はその管理者が取るはずなので

・したがって、ヒアリングには管理者が同席しなければならない

 

これはあくまで想像ですが、役所全体がこういう思考でなければ、今回の事態は理解できません。

 

この思考回路には、隠れた前提があります。

まず監察委員の構成について。

・役所のことは役所内部の人間でなければ理解できない

・そうして役所の人間が下した結論に、間違いはない

・国民はその結論に従うべきだ

 

次に、ヒアリングへの幹部の同席について。

・「正しい」発言とは、真実を指すのではなく、役所のピラミッド機構を維持するための発言を指す

・その機構において、下の者は上の者の意向を想像してそれに沿った行動を取ることが正しい

・究極の上の者とは、国民ではなく官僚機構トップであり、さらに言えばその上司にあたる首相である

・職員は組織の一員であって、独立した個人ではない

 

このように、「第三者委員会」や「第三者委員会によるヒアリング」という言葉も、我々のような一般の人と、役人では全く異なるものとして捉えているようです。

 

私は、厚生労働省の役人が、悪意を持ってこうした思考をし、行動したとは思えません。もし、悪意があればもっとうまくやり、隠しおおすことだって、彼らの才覚を持ってすればできたはずです。

 

つまり、これが「普通だ」と思ってなしたのだと思います。彼らの世界では一貫性のとれた思考。私は悪意があった場合より、こっちの方が恐ろしい。悪意であれば自制が働く可能性はありますが、無意識であれば、同じようなことが何度も繰り返されるでしょう。国家の中枢が、こんな世界観で動いている。

 

役人の頭に浸みこんでいるこうしたディスコース、すなわち思い込みや言説をどうすれば変えていくことができるのか?

 

しかし、これは役所に限定した問題ではなく、会社でも国民レベルでも、どこにもあることです。

 

組織変革と物語

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組織変革という言葉は、既に手垢がついてしまっています。手垢がつくということは、人によってその言葉の解釈がばらばらになっている状況です。にも関わらず、キーワードとしては頻繁に使用されるため、それぞれの解釈の違いを確認することなく、何となくわかった気になって使用され、コミュニケーション齟齬をきたすことが、まま起きることになる。

 

組織変革という言葉は、組織構造を変える、組織構造を変えないで担当者や役割を変える、社員の意識を変える(意識って何?)、企業文化を変える(文化って何?)、評価方法を変える、就業に関するルールを変える、などなど、様々で使われています。もちろん正解はありません。

 

私の定義は、「組織が持続的に成果を出し続けることができるような状態になっている」ことです。持続的に成果を出すためには、環境変化にも適応できなければなりません。Aという状態をBに変えるというイベントではありません。変革をイベントと解釈することがありますが、そうではなく、常に変化し続ける状態が組織変革の理想です。

 

優雅に川に浮かぶ白鳥が、実は水面下ではすごい勢いで足を漕いでいるイメージでしょうか。一見すると安定しているが、実は常に細かく変化している。

 

こうした組織変革を可能にする能力を組織のケイパビリティとするならば、それはSkillWillに分解できます。Skillとは、どうすれば実現できるかの知識を持ち、かつそれを実行できること。Willは、一般には意欲とか動機づけとか言われますが、向かうべき方向性や従うべき規範に沿って動いてしまう心の状態だと解釈しています。つまり、戦略がこうだからこっちに向けて行動しようと意識することではなく、無意識にそう行動してしまう。インストールされている。

 

自動車に例えれば、アクセルやブレーキ、やハンドルがWillで、エンジンがSkill。スムーズに運転しているときは、足の操作やハンドルは意識することなく勝手に反応するでしょう。


SkillWillが揃って組織のケイパビリティ―といえるのです。そして、組織が置かれた環境によって、SkillWillを操作する必要があります。

 

Skillを向上させるために、上司が指導したり研修したりします。では、Willはどうやって獲得・向上させるのでしょうか?

 

その前に、Willとは何かをもう少し考えてみる必要がありそうです。組織のWillを形づくるものは何か。

 

私は、それは物語だと思います。個人的な例で恐縮ですが、私は約30年前に新卒で銀行に入行しました。就職活動中、当初私は銀行にお堅いネガティブなイメージを持っていました。しかし、リクルーターや人事部の方々と会ううちに、それは少しずつ変わっていきました。時代はまさに金融自由化元年といわれた頃。銀行は自由化、グローバル化に対応するためにこれまでとは異なる人材を必要としている、そんな言説に共感していきました。自分の中でそういう物語をつくりあげたのでしょう。

 

しかし、入行してみるとその物語は木端微塵に吹き飛びました。銀行という組織は、これまで通りの物語に従って動いていた(当たり前か!)。人事部は本当に新しい物語を信じていたのかもしれません。しかし、それは人事部や経営幹部の一部にしか共有されていない、希望的物語だったのです。そのギャップのため、二年で私を含め二割近くの同期が退職しました。(原発神話も、日本国民全体を巻き込んだ壮大な物語でした・・。)

 

物語に類した言葉に、「思い込み」や「前提」などありますが、それらはいわば点です。物語は面であり、広がってあらゆる思考や行動に影響を及ぼします。また、物語は組織を構成する人びと全体に共有され、自分だけ別の物語を生きるということは、ほぼ不可能です(私が辞めたように)。こうして組織文化ができあがります。

 

企業の環境が大きく変わる場面では、物語を編み直すことが必要になることがあります。(それをイベントとしての組織変革ということもできます)

 

まず、その組織が持つ物語をひも解いて、それを言語化し意識化することから始める必要があります。組織の内部の人間だけでは、その作業は難しいでしょう。全ての壁と天井が赤に塗られた部屋でしか暮らしたことがない人は、その部屋が赤いなんて知りようがないのですから。

 

現在の日本のあらゆる組織で、こういった作業が必要なのではないでしょうか。私は、それを組織を耕す作業としてイメージしています。

もうすぐ東京での会期が終了することに気付いたので、慌てて昨日上上野の森美術館に観に行ってきました。

 

初めての時間枠予約制でしたが、いいですね。平日昼間とはいえ、観客が殺到するのは明らかなので、予約制は安心感があります。私は13時入場枠を購入。14時半まで入場可能で、その次は15時入場。入替制ではありません。

私は待ち時間なしで14時くらいに入りました。ロッカーの空きもあり、まあまあの時間だったでしょうか。

 

入場すると同時にイヤホンガイド渡し場所。普段はイヤホンガイドは借りないのですが、それも代金込み(2500円)なのでつい借りてしまいました。また、全展示作品の紹介文が記載された小冊子も、全員に配られました。これも代金込み。正直、あまり大したことはかかれておらず、ほとんど見ませんでした。フジサンケイグループが主催すると、こういう展覧会になるのだなと、妙に納得。絵画好きというよりも、フェルメールの名前につられてくる方を主な対象としているのがありあり。フェルメール作品をこれだけ持ってくるには相当の費用が掛かったでしょうから、こういった方式で入場者を増やすのは合理的と言えば合理的。でも、絵画好きにとってはちょっと複雑な心境。

 

さて、展示全49作品中39作品は、同時代オランダ作家の作品。それらが展示された5部屋を通り過ぎて、やっとフェルメール作品だけの部屋に辿り着く。驚いたのは、最初の5部屋も人だかりができていたこと。皆さん、イヤホンガイドと小冊子で、絵画の読み取りに専念のご様子。私はさっさと、人だかりを抜けて一目散に最後のフェルメール部屋に直行。フェルメールの8作品が一堂に会した部屋は、さすがにすごかった。(「赤い帽子の娘」だけは12/20で展示終了。代わりに、「取り持ち女」が1/9から展示。数年前にドレスデンで見た作品でした。)フェルメールの作品は、全世界で35作品しか発見されていないのに、そのうちの9作品を日本でみられるのは、確かに画期的なことです。

 

フェルメール作品は物語を感じさせます。観る者の想像力を刺激し、各々が勝手に自分でストーリーを思い描かせる力が、ものすごく強いですね。

 

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例えば、「ワイングラス」ではグラスをまさに開けようとする女性をじっと見つめる男性。片手は既にワインボトルに。早く注ぎたくてしかたない風情。リュートやステンドグラス。少しだけ乱れた卓上が意味深です。あと、床の市松模様が微妙に歪んでいます。手前の市松は奥のそれにくらべて、上から見た確度で描かれています。つまり、奥に比べて手前の床が少し落ち込んで見える。遠近法として不自然です。なぜ、あえてフェルメールはそんなふうに表現したのか。そこの想像力を刺激されます。ワインを飲む女性が、酔っていることの表現か、はたまた女性が「堕ちていく」ことの暗示か。空間がゆがんでいるのです。

 

歪んでいるのは空間だけではありません。時間も歪んでいる。ワイングラスは、ほぼ飲み干されており空に見えます。であれば、もっと女性はグラスを傾けている(120度くらい?)はずです。でも、そうはなっておらず、75度くらの角度しかついておらず、不自然です。女性は、空になっているにも関わらず、グラスを口から離したくない。離すと男性から注がれてしまうからか。必死の抵抗に見えなくもない。そういった女性の気持ちが、あるはずのないワイングラスの確度に表現され、また女性がいやで長く感じる時間をも描いているように、私には思えます。

 

有名な「牛乳を注ぐ女」の牛乳の流れと壷の角度のズレも、フェルメール

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の意図を感じます。本来、壷の底に少しでも牛乳が見えていないとおかしい。観る人は、その微妙なずれに視点を集中してしまう。その時に脳の中で傾く壷と牛乳の流れが動き出す。私は動きを感じました。つまり、フェルメールは絵画でありながら動画を観るような効果をつくりだしたように思えるのです。

 

他の作品についても、いろいろ想像が膨らみますが、このくらいにしておきます。ホンモノの作品は、やはりすごい!!イヤホンガイドや小冊子に頼ると、こうした想像力がはたらかなくなってしまわないか心配です。それは、本当にもったいないことです。

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