2016年11月アーカイブ

問題発見の手法

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問題解決よりも問題発見の方が難しいとも言われています。しかし、問題解決のための手法は様々開発されているにもかかわらず、問題発見の手法は聞いたことがありませんでした。

 

問題解決には、主に論理思考を使うため手法も開発されやすいのです。原因を分析して、それぞれに対応する解決策をできるだけたくさん考え出す。そして、多くのオプションから評価基準に従って優先順位づけする。そんなプロセスですから、論理思考が欠かせません。想像的なオプションを見つけるにも、論理思考に基づく徹底的な分解が必要なのです。

 

一方、問題発見では、論理思考だけでは足りません。問題発見とは、問題を適切に定義することですが、それが難しい。論理は既存の枠組みで通用するものであり、そんなモードで問題発見に取り組んでも、なかなか斬新な問題の再定義はできないからです。そこで、創造性が不可欠になります。

 

昨日アカデミーヒルズで開講した 「問題解決のためのクリエイティブ発想」では、その難題に西田講師がチャレンジしました。効果的な問題発見のための手法はあるのか?

 

結論から言えば、有効と思われる手法はありました。

受講者の一人から現在抱えている問題を出してもらいます。具体的には、「どうすればわがままなゆとり世代の部下を指導できるか」というものでした。

 

そして問題提示者に対する質問者を二名募りました。ファシリテータを務める西田講師含め、4名チームで実際に試してみました。

 

ファシリテータは、あるチェックリストに従って、問題提示者に質問を投げかけ回答を引き出します。二人の質問者は、そのやり取りを受けて自由に問題提示者に質問できます。ただし、質問のみで意見は不可です。

 

そして最後に、質問者とファシリテータが、図などを使って問題を構造化し、問題の再定義を行うのです。詳細は省きますが、問題提示してくれた方にとって、有益な再定義が出来たようです。その方は、嬉々とした表情でホワイトボードに書かれた三つの図を、大事に写真にとって持ち帰りました。

 

チェックリストは、

1.  問題解決の意義の確認

2.  情報の整理

3.  問題の分解

4.  問題の構造化

5.  類似の構造の想起

6.  問題の再定義

 

こういうもので、特に目新しいことはありませんが、実際にやってみるとパワフルでした。

 

問題を適切に構造化できれば、真の原因や問題が発生するプロセスが見えてくるため、これまで見えなかった問題の再定義もしやすくなるわけです。

 

しかし、「問題の構造化」が実はものすごく難しい。訓練されたコンサルタントと一般のビジネスパーソンで差が最も大きいスキルは、この「問題の構造化」スキルだと確信しています。これまで多くの研修受講者を見てきましたが、驚くほどこのスキルを持つ人は少ない。それほど普段の仕事では使っていないのでしょう。

 

では、どうやって今回の質問者は、構造化できたのか。ファシリテータとの対話を聞いている質問者は、いろいろな疑問が浮かんできます。意見を言ったりファシリテートする必要がないので、無責任に思いついた疑問をぶつけられる。

 

疑問とは構造化する重要なきっかけです。質問者は、漠然と「問題の構造」を仮説として持っており、それを質問することで仮説検証し、その精度を高めていくのです。しかも、自分だけではなく、他の二人も同じように質問を投げかけるので、一人で考える場合の三倍の仮説検証ができるとも言えます。自由な発想、自分自身での仮説検証、他者による仮説検証情報、これら三点が効果を発揮するベストバランス(ほど良い規模)が、この4人チームによる問題発見(再定義)手法だと思います。

 

これまで「問題の構造化」は、原因探究や解決策立案において使われるものだと思っていましたが、「問題の再定義」に使うという発想に目から鱗が落ちました。そして、それを効果的に行う仕掛けにも。

英国のEU離脱に続く、アメリカ大統領選挙でのトランプ勝利。どちらも、「専門家」がいかに現実世界を理解していないかを、世界中に晒した歴史的出来事です。そして、この二つの出来事は、根底でつながっている。専門家と言われる人々は想像力欠如である、今後はそれを前提に物事を捉える必要があるのだと思います。だから一人ひとりが、想像力を鍛えなければならない。

 

では、想像力に優れているのは誰か?真っ先に思い浮かぶのは、アーティストでしょう。

 

先週、杉本博司 「ロスト・ヒューマン」展を観ました。トランプ勝利の直後だっただけに、深く考えさせられると同時、あらためてアーティストの「炭坑のカナリア」としての力を見せつけられました。

sugimoto.jpg

 

最初の作品は、「海景」シリーズの「ガリラヤ海」です。海景シリーズとは、世界中の水平線だけを撮った写真作品。海と空以外、何もありません。もう20年以上前でしょうか、私は初めて海景シリーズを観たとき、衝撃をうけました。撮影技術だとか美しさとかではなく、そのコンセプトにです。杉本が撮っているのは海でも空でもなく悠久の時間だと感じました。もちろん時間を撮影することはできません。しかし、数億年前から、その水平線の風景は変わってないはず。数億年前から悠然とそこにある海景を撮影することで、見えない時間を見せてくれるのです。

 

そんな「時間」と比べれば、人類の営みなんてちっぽけなもの。人類が存在しない時間の方が、はるかに長いのですから。今回の展示は、その人類が滅びるとしたら、どういう理由で滅びるかの想像を、杉本が提示したものです。33の物語(シナリオ)があります。それぞれ、それにかかわった人物の遺書の形(杉本の手書き)で表現され、それに付随するモノが置かれます。33の物語の人物だけ列挙しましょう。

 

理想主義者/養蜂家/政治家/古生物学者/遺伝子学者/ロボット工学者/カー・ディーラー/コンピュータ修理会社社長/安楽死協会会長/世界保健機関事務局長/国土交通省都市計画担当官/自由主義者/ラブドール・アンジェ/反拡大再生産主義者/美術史学者/隕石蒐集家/善人独裁者/ジャーナリスト/宇宙飛行士/国際連合事務総長/漁師/バービーちゃん/コンテンポラリー・アーティスト/軍国主義者/比較宗教学者/遺伝子矯正医/物神崇拝者/解脱者/人ゲノム解読者/宇宙物理学者/建築家/耽美主義者/コメディアン

 

どれも、起こり得る未来だと感じるもので、場内はシーンと静まり返っていました。こういう想像から目をそらして、人々は生きている。でも、ときに立ち止まって想像することで、人間の健全性は維持されるのではないでしょうか。

 

フロアー最後に、再び写真「海景シリーズ:カリブ海」。

太陽系はその創生から46億年経った。人類の文明は7千年程の一瞬の出来事だった。その太陽系第三惑星の水は、何事もなかったかのように今も佇んでいる。

 

 

下のフロアーの展示室は、うってかわって大版の写真作品(「廃墟劇場」と「仏の海」)が展示されています。

 

「廃墟劇場」とは、廃墟となった劇場にスクリーンを設定、映画作品を映写し、その映写時間の間ずっと映像の光のみで露光し、スクリーンを中心に廃墟となった劇場を撮影した写真作品です。たとえば、実際に廃墟の劇場で「ゴジラ」を映写し、その光のみで劇場全体を撮る。スクリーンは、上映時間分の光が集積されるので、当然真っ白です。劇場ごとに映画は異なっても、スクリーンの「白」は当然同じに見えます。しかし、その「白」には映画作品(撮影時に上映した映画名も表示されています)が封じ込められているのであり、すべて異なるはず。「異なってはみえないが、異なっている」というのは、海景と同じです。人間社会も同じではないでしょうか。


そして、もうひとつ。今は廃墟となった劇場にも、かつて様々な人が楽しみ哀しんだ歴史が刻まれており、それも撮影されているはず。「見えないものの、存在している」ものを、写真作品に刻み込んでいる。目には見えない時間や歴史、人間の営みや想いを形にするのが、杉本のテーマなのでしょう。

 

最後の展示が「仏の海」。三十三間堂の千手観音の「海」を9点の写真で並べた作品です。三十三間堂は、後白河上皇が平安末期の戦乱の世を「末法」と嘆き、極楽浄土への道を模索し、平清盛に創らせたもの。人類滅亡の後の再生を祈っているかのようです。そこには、千年の時間と「祈り」が作品に織り込まれています。

千手観音.jpg

 

日常に追われ、目に見える目先の現実ばかりを追いかけている我々にとって、こういう思考の刺激は絶対必要です。想像力を豊かにすることは、今の世界にとって必須であり、そこでアートが果たす役割は大きいのです。

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