2011年10月アーカイブ

大学三年生のとき、初めての海外旅行でオーストラリアにいきました。その時、一番印象に残ったのは人々の歩き方です。誰もが胸をはって、堂々と歩いていました。唯でさえ彼らに比べ貧相な体格なのに、いっそう自分のことをみすぼらしく感じたのでした。そこでその後も、せめて歩き方くらいは堂々としようと、自然に背筋が伸びる歩き方を意識していたように思います。おかげで、姿勢がいいねと言われたりしました。

 

数年前、矢内原伊作がエッセーで「西洋人は股で歩くが、日本人は膝で歩く」と書いているのを発見しました。矢内原といえば彫刻家ジャコメッティのモデルにもなった哲学者です。なるほど、と膝を打ちました。確かに私がかつて強く印象を受けたオーストラリア人に代表される欧米の人々は、背筋を伸ばしているだけではなく、大股歩きで前に踏み出した側の足の膝はまっすぐのびています。股を起点にして、靴が振り子になるような歩き方です。その極端なのが軍隊の行進でしょう。

 

それに対して我々日本人は、ほぼ間違いなく踏み出した足の膝も、くの字に曲がっています。極端にいえば、膝を起点にしているようです。何となく日本人の歩き方が貧相に見えるのは、そのせいだとわかりました。

 

では、日本人はなぜそんな貧相に見える歩き方をしているのでしょうか。ところで、能では歩く所作は「すり足」です。つまり常に膝を曲げてちょっと前傾姿勢ですーっと、すべるように歩きます。手は振らず両手を両太ももの前に軽く添えます。

 

現在の日本人の歩き方は、西洋人のそれと能の所作の中間のように思います。しかし、能の歩き方を貧相だとかみすぼらしいと感じたことはありません。なぜでしょうか?それは、能役者が着ているのが洋服ではなく能装束/和服だからでしょう。つまり、服にはそれに合った歩き方がある。現代の日本人は、和服の歩き方をどこか引きずりながら洋服を着て歩いているから、不自然に見えるのだと思います。成人式の頃、振袖を着てさっそうと歩く女性を見て不自然だと思うのは、その反対側です。

 

おととい、城西国際大学エクステンション・プログラム「日本人の身体の美意識」という講演を聞いてきました。とても面白かった。そこで、日本人の身体技法について学ぶことができました。矢田部先生によると、日本人は鼻緒のついた下駄や雪駄で歩いてきたので、重心が爪先にかかる。そして爪先を移動させて歩くには前傾姿勢で膝から歩くことになるのだそうです。そういう歩き方に慣れた人が、ハイヒールのようなかかとに重心を置くことを想定した靴を履くと、足先に大きな負担が掛り体に良くないのだそうです。外反母趾などはそれが原因なのでしょう。

 

先生によれば、服装に合った身体技法を身につけることが大切なのだそうです。さらにいえば、生活・生産活動-服装-身体技法、それらから美の基準も紡ぎ出される。矢田部先生が写して見せてくださった日本舞踊の名人

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武原はんの二枚の写真、舞踊中の姿と洋服で盛装した姿は、その重要性を如実に語っていました。どちらも完璧に「きまって」おり美しいのです。

 

つまり、状況に応じて身体を操作する技術「身体技法」を身につければいいだけの話で、決して日本人の体格や稲作文化のDNAを理由にして諦めるようなものではない。日本人だから洋服が似合わないのではなく、ふさわしい身体技法ができていないから不格好なのです。

 

そう思えば、体格を変えることはできなくとも何とかなりそうな、希望が湧いてきませんか。何事にも理由があり、それを克服する方法を身につければ、大抵の問題は解決できる、そんな希望も・・。

日本の田舎は宝の山―農村起業のすすめ
曽根原 久司
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荒れ果てた耕作放棄地での開拓作業が、都会人にとってはリフレッシュの機会にもチームビルディング研修にもなる。全く異なるもの同士を、ある意図を持って結びつけることで、数百倍もの価値を生みですことができることを実践で証明し続けているのが、著者の曽根原さんです。優れたプロデューサーの才と啓蒙家の才を併せ持つ方のようです。

 

農村と都会を結ぶNPOというと、いかにもありがちじゃないですか。例えば、都会の人を集めて田舎で田植えのボランティしてもらうとか。それは、あくまで善意に基づく無償の役務提供という枠組みでしかありません。持続性がないのです。ところが、ストレスフルな都会人を元気にする活動と言い換えただけで、ビジネスに成り得ます。つまり持続性が生まれる。ちょっとした発想の転換で価値が生まれる。

 

私の周囲でも都会で働きながら田舎暮らしをしたいと考えている人は数多くいます。しかし、様々な障害があるのも事実です。ニーズがあっても障害が多く実現困難という状況は、ビジネスチャンスがあるということです。そうは考えず、では公的支援を使ってだとか地元の人の善意の協力で、というような発想をしては大きな流れにはなりません。シーズとニーズが存在するのですから、それが自律的に結びつくプラットフォームをつくれば、そこで新たな価値が生まれビジネスにもなり拡張サイクルも築けるはずです。三菱地所グループと曽根原さんのNPO法人「えがおつなげて」と山梨県との提携関係は、その先進事例でしょう。

 

 

日本には数多くの限界集落があります。そこの高齢化比率は非常に高く、そのための公的負担が大きな問題となっています。だから、限界集落から都会の近くに新たにつくったコンパクトシティに転居させ、効率化を図るべきとの意見もあります。商店も病院も近くにあって高齢者にとっても便利だといいます。津波や原発事故で住めなくなった住民のためにコンパクトシティをという意見もあるようです。被災者も避難者も限界集落住民も、そんな便利さを望んでいるのでしょうか?湾岸や幕張あたりの埋め立て地に築かれた街には、人間のにおいがしません。人が望むのは効率的で機能的な街ではなく、雑然としてはいても人々の暮らしの歴史が積み重なり、それがにじみ出ている街だと思います。東京で人気のあるのは、下北沢にしても吉祥寺にしても谷根千にしてもそんな街です。裏通りのない街では、決して寛げません。(下北沢では効率化の街づくりを進めようとしていますが・・)

 

もう効率化、機能重視といった供給者の論理(列島改造論の残滓)はやめて、人々が精神的に暮らしやすいかどうかという軸を中心に据える必要があるでしょう。そしてそうなったとき、日本の田舎がいかに暮らしやすいか、どれだけ素晴らしい宝の山なのかを再認識することでしょう。それがわかればビジネスベースでも大きく動き出すはずです。

 

「どういうわけか都市でビジネスをしていた人も、農山村に来ると、マインドが農山村的になってしまいがち」だそうです。そんな中、曽根原さんは両者のマインドを併せ持って、ある意味当たり前の考え方(なぜかそれが難しいよう)で起業し、ここまで育ててきたのでしょう。ここには世界をも変えうる、大きなフロンティアがあるような気がします。

経済運営の肝は、いかに節度を持って中庸を意識するかだと思っています。加熱しすぎた景気は金利引き上げなどで冷やすべきですし、好景気に浮かれる企業は転換点を冷静に予測し過剰在庫を持たないようにする必要があります。また個人レベルでも、例えば株取りにおいての損切りの売却や利益確定の売りも、行き過ぎを戒める歴史の知恵でしょう。良すぎる状況も悪すぎる状況もいずれ反転するのは歴史が証明するとおりです。ただ、そのタイミングを判断するのが、感情すなわち欲をも持つ人間にとっては難しいのです。

 

「好ましい状況は、このままずっと続くと思いたい」と多くの人は考え、さらに多くの人々は「いつか爆発するだろうが、今ではない」と根拠のない自信を持つ。こういう人々が過半数を超えれば、それへの反論は「意気地なしのぼやき」とレッテルを張られ、退けられることになるでしょう。

 

80年代後半の日本のバブル、90年代後半のアメリカのITバブル、00年代のアメリカの住宅バブルとそれに付随する高レバレッジ経済化、さらには2002年ユーロ創設後のユーロ圏内南方諸国におけるユーロメリットによるバブルとそれに便乗した北方諸国の大銀行の貸付競争、全て「欲が目をくらませた」ことが引き起こした人災です。

 

東日本大震災によって露呈した、日本の原子力ムラの実態も、ある意味この程度の被害で表に出て良かったのかもしれません。さもなければ、欲の続く限り行きつくところまでいったでしょうから。

 

大きく成長している時には見えなかった綻びが、低成長ないしマイナス成長となった時点で一気に見えてくることは、どの世界でも常識です。だから無理してでも成長しようとするのですが、それがさらに傷を広げる構造です。そのエンジンはやはり「欲望」です。高成長環境において、欲望は幸福を拡大させるパワフルなエンジンです。しかし、低成長となったら、それは不幸を拡大させるエンジンにもなりうるのです。

 

したがって、成長の構造的転換点を冷静に見定めることが何より重要になります。感情を排してクールに。もし、見定めることができたら大きく様々

houkatu.jpgな仕組みを組みかえる、あるいはギアを入れ替えることが必要です。その役割は、国家であれば政治家、企業であれば経営者です。我欲を持たず客観的に自社会も組織も見透す、そんなリーダーがいるかどうか、最後はそこにつきます。

 

EUでは、各国首脳による10時間もの議論を経て、包括合意がまとまったそうです。それがどれだけ効果的なものなのか、さらにどこまで実行できるのかはわかりません。しかし、長い歴史の知恵を育んできたEUの努力が、過去20年以上続いた資本主義ではない「欲本主義」を修正させるための第一歩となってほしいと切に願います。また、福島第一原発事故も・・・。

ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)
山口 誠
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先月のヨーロッパ旅行のために久しぶりに「地球の歩き方」を買いました。しかも、ドイツ編、チェコ編、イタリア編の三冊も。三冊も持ち歩くことができないので、なんか不便だなあと思いながら、それぞれから必要な都市の部分を切り取り持参。学生時代の海外旅行では「地球の歩き方」は必携でした。しかし、その後何度も遊びで海外旅行をしましたが、考えてみればそれを買ったのは学生時代以来かもしれません。

 

今回本書を読んで「地球の歩き方」などのガイドブックの変遷を知り、そこから日本人にとっての海外旅行の意味合いの変遷を知ることになりました。ほとんど意識していませんでしたが、確かに海外旅行の変化は日本人の意識・行動変化の一側面を如実に表しています。本書は、なぜ最近の若者は海外旅行に行かなくなったのか、という疑問から書かれたものですが、一方で旅行ビジネスの栄枯盛衰の書としても読めます。

 

今回三冊も買わなければならなかったのは、ガイドブックが一国を旅行することを想定して出版されているからでした。学生時代は「地球の歩き方 ヨーロッパ編」一冊ですみましたが、国ごとに分冊になったのは、少しでも詳しく多くの情報をという読者の要望に応えたことと、分冊によって総売り上げが増えるからだと勝手に思っていました。しかし、どうやら本当の理由は違うようです。かつては数カ国周遊する旅行者向けのガイドでしたが、近年は多くの国々を「歩く」旅行者は激減し、逆の増え続ける短期でひとつの都市だけを訪れ「買い・食い」を目的とする旅行者向けにシフトせざるを得なかったからのようです。

 

なぜそうなったのか、そこまでのプロセスを本書は丁寧に解説しています。社会環境と旅行者の意識の変化、さらには旅行業界の業界構造変化の相互作用です(詳細は読んでのお楽しみ)。その結果ここ10年で20代の出国者が半減となるに至っています。ちなみ日本人の出国率は他国と比べて突出して低くなっています。2007年日本人13.5%に対して、韓国は27.5%、台湾39%、G8平均52.3%です。これは驚くべき数字です!

 

「買い・食い」中心の旅行は今後も続くのでしょうか?本書の最後に、「歴史と文化の循環」としての海外旅行が暗示されています。名所を確認するための旅行ではなく、歴史と文化を味わいそこからなんらかの刺激や学習を得る旅行といえるでしょうか。シニア層向けのツアーに体験を謳うものが目立つような気がしますが、それもあくまで「日本を持ち込みながら」の疑似体験でしょう。

それは、日本人団体によって「日本を持ち込み」ながら、では不可能です。現地の文脈に身を浸しながら味わう旅行、旅行が目的ではなくそこでの体験、経験が目的であり手段としてする旅行、それが成熟した大人が行う観光旅行ではないでしょうか。

 

そこでの体験は「ホンモノ」との対話といえます。「ホンモノ」は何と言っても圧倒的な情報量を持ちます。例えば美術館で観る宗教画と、もともとそこに置かれていた教会で観る宗教画では、まったくそこから感じるもの、すなわち自分と絵画との対話の豊かさは異なるのです。今後はその意味合いがますます評価されると思います。

 

考えてみれば、これは海外旅行に限らず国内旅行や、国内の余暇の過ごし方全般に言えることです。成熟した国、日本にとって「ホンモノ」との対話こそが、人々を豊かにするための必要条件ではないでしょうか。日本経済にとっても、その促進は非常に大きなテーマだと考えます。

 

DVDで映画を観るのではなく、映画館で観ることが「ホンモノ」です。なぜなら映画は大画面の映画館で観ることを前提につくられているからです。また、音楽もコンサートホール(ライブ会場)で聴くのが「ホンモノ」です。iPodの普及はコンサートホールに足を運ぶきっかけとして有効でしょう。(マドンナの姿勢がいい例)

 

 

ところで海外旅行に話を戻せば、現在の「激安!!香港3日15000円」といった旅行会社のスタイル(HISが主導しています)は、長い目でみれば自分たちの首を絞めているといえます。このままでは業界は滅びかねません。新しい旅行のスタイルをどう見つけ、育てていくのか。業界発展モデルとしても、興味深くフォローしていきたいと思います。本書は、そういった知的刺激を与えてくれる本です。

今朝の日経トップで、アマゾンが日本で電子書籍事業に参入すると掲載しました。やっとかとの印象ですが、日本でのスマートオフォン拡販によって電子書籍市場が立ち上がると判断したのかもしれません。

 

その記事の中に「国内の主な電子書籍配信サイト」の表がありました。それによると、ソニー系、紀伊国屋系、大日本印刷&NTTドコモ系、シャープ系、楽天系、凸版印刷&インテル系、と6つの主な運営事業者が挙げられています。

 

電子書籍用機器メーカー、印刷会社、書店、ネット事業社といった、電子書籍周辺の大企業が軒並み独自陣営を築いて参入していることがわかります。主なグループだけで6つあるのですから、本当はもっともっとあるのでしょう。

 

既存大企業が競合に出し抜かれまいと、あせって参入する姿が目に浮かびます。もちろん新規事業参入は、経済活性化のために好ましいことですが、それによってこれまでどれだけの価値を提供してきたのか、冷静に考えてみる必要があるでしょう。横並びの市場参入が過当競争を招き、多くの企業が疲弊し徹底しました。撤退自体は仕方ないですが、その過程での過当競争が適切な事業の育成を妨げてしまったことも多いと思います。その結果、消費者は市場を離れ、ペンペン草も生えない市場となった。もっと大事に市場を育てれば大きくなったかもしれないのに。挙句の果てに、戦略的に事業拡大を図ってきた海外のジャイアントに一気に日本市場を奪われる、こんなパターンが繰り返されてきたのではないでしょうか。

 

こうなる理由は、海外ではベンチャー企業が担う市場創造の役割を、余剰資源を抱えた既存大企業が最初から自ら手掛けようとするからに違いありません。また、アップルやアマゾンのように他社を巻き込んでエコシステムを構築するといったような、大きな構想を描くことができる企業がないことも理由のひとつでしょう。突拍子もない大きな絵を描ける異能の社員は、多くの日本企業では大きな力を持てないからでしょう。EVAなどの財務データ重視の経営が浸透するにつれて、ますますその傾向は強まっているようです。ソニーを見ていてつくづくそう感じます。

 

電子書籍を利用したい一読者としては、早くアマゾンに日本市場に本気で取り組んでほしいと願うばかりです。残念ですが。


 

それから、著者の権利を守るべく電子書籍に反対、あるいは都合いいように管理しようという出版業界も、まるで農産物輸入反対を唱え続けながら自ら没落しつつあるJA(農協)を見るようです。顧客のためといいながら、既得権益保護を最優先で考えている。経済合理性だけでははかりがたい食料や思想、(出版)文化を盾にして保身を図る人々の本音をしっかり見極めなければなりません。TPPに関する議論も、経済合理性では図れないものがあることも事実ですが、それだけに終始するのではなく、経済合理性とのバランス判断にまで突っ込んだまっとうでオープンな議論をしていただきたいものです。(ちょっと話がそれました・・・)

近頃は新聞も雑誌もネットもジョブズ追悼関連でいっぱいです。それだけの人物であったのですから当然でしょう。しかし、彼のような天才は希有ですし、また天才ばかりでは世の中は回って行くはずもありません。今回はそんなことはないと思いますが、ITバブルの時代やライブドア騒動の頃は、自分は天才だ、あるいは特別な人間なんだと思いたい人々が、あちこちに溢れていたように思います。人生のある時期においては、そういう勘違いがエネルギーとなって個人の成長を促すこともあるでしょう。しかし、いつまでもそうはいかないものです。

 

 

先月ベネチアに行ったからという単純な理由で、それまで何となく読んでいなかった(気にはなっていても何となく手を伸ばさない本ってありますよね)須賀敦子を二冊読みました。やはり思った通り素晴らしい人間洞察と文章で、もっと早く読んでおけば良かったと後悔です。

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)コルシア書店の仲間たち (文春文庫)
須賀 敦子

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彼女の二冊目の作品、「コルシカ書店の仲間たち」に収録されている「ふつうの重荷」というエッセーにこんな言葉がありました。

 

書店はもう彼女にとって英雄たちの戦場ではなくて、避けるわけにはいかないだけの、誰もが人生で背負っているふつうの重荷になっていた。もう、しかたないわよ。彼女は何度もそう繰り返した。そういう彼女の表情には、哀しいあきらめというよりは、成熟がもたらす、静かな落ち着きがあった。

 

須賀は最初彼女(ルチア)の表情に、「哀しいあきらめ」の色を探したのではないでしょうか。ところがそれではなく「成熟がもたらす、静かな落ち着き」を見つけて、深く感動したのだと思います。それと同時に、それに感動した自分にもちょっと驚いたかもしれません。

 

ニクソン元大統領は日頃、こんな言葉を口にしていたそうです。

"Always remember, others may hate you, but those who hate you don't win unless you hate them."

 

ニクソンといえば、ウォーターゲート事件で失脚した悪徳政治家のイメージがありますが、失脚後の日々をこの言葉を胸に抱きながら生きたかと思うと、また違ったニクソン像が浮かび上がってくる気がします。もう15年以上前ですが、彼の著作を何冊か読んだことがあります。骨太で豊かな人間的洞察に満ちた優れた本でした。あれだけのものが書ける政治家は日本には絶対いないと思ったものです。

 

全くレベルも国も状況も異なりますが、須賀、ルチア、ニクソンの言葉から人間としての「成熟」の意味を少しだけ学んだような気がします。ジョブズも発病後、人間として急速に成熟していったのではないでしょうか。今は彼の天才としての成果に脚光が浴びていますが、もっとも学ぶべきは、彼の成熟のプロセスなのかもしれません。

先日ある企業の30才前後の選抜者研修を実施しました。その中で、ある科目(ケースメソッド)に関する終了後アンケートに、こんなコメントがありました。

 

実務の現場で身に付けた暗黙知を、一日という時間を使って紐解き、それをケースを通してクラス全体で形式知化するセッションであった。それをセッション終盤の段階で「気づく」わけだが、その「気づく」ということが非常に役立つのではないだろうか。

 

そうなんです、その通り!企画する側の意図をよくぞここまで理解してくれたと、読んで嬉しくなりました。

 

「気づき」をもたらすプロセスが、前回のブログで書いた「User experience」そのものだと思います。それに対して、「機能」にあたるものは「正しい理論の伝授」です。あるレベル以上の受講者にとって、機能は当たり前であり、事前に課題図書でも読めばほぼ目標は達成されます。ではなぜ時間をかけて集合研修を行うのか?それは素晴らしい「User experience」があって初めて自分のものになるからなのです。私たちは、そんな素晴らしい「User experience」を提供することにこだわっています。

 

素晴らしい「User experience」を体感するには、体感する側にもあるスキルが必要です。このアンケートの回答者のように、意図的にそれができる人は、自分の経験や思いという内面を客観視でき、それと他者(講師や他受講者)から受け取った情報をひもつけ解釈することができる人です。さらには、そういった関係性の意味合いも理解している。つまり、高いレベルでメタ思考ができるのです。

 

ところで、たまたま今朝の日経に、俳優生瀬勝久のショートインタビューが載っていました。彼は、私が欠かさず観る数少ないTV番組のひとつ、

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「サラリーマンNEO」のメイン出演者です。ちょっと長いですが、引用します。

 

Q:コミカルな役柄が多いですが、シリアスな芝居とコメディーでは、演技に違いがありますか?

A:シリアスな芝居は、どういう場面かという内容さえ頭に入っていれば、自然な気持ちで演技ができます。相手のセリフを聞いて、それを消化して返答する。

 

Q:コメディーは自然にはできない?

A:笑いを生みだすには、観客が予測しているリズムをどうずらすかが大切なんです。「話はこういう順番で進んでいくだろう」という予測を裏切る。怒鳴る、と見せかけて、笑うとか、演技や会話のテンポをあえて遅らせるとか。それには「観客はこういうリズムで見ているな」と意識する必要があるんですよ。

 

Q:演技しながら、ずっと意識しているのですか?

A:常に頭の片隅にあります。自分の気持ち以外のことも考えなければならないから疲れます。

 

「常に頭の片隅にある」とは、普通に考えて行動している自分を見るもう一人の自分がいるということだと思います。どうです、コメディアンにもメタ思考が必要なのです。優れた俳優にも優秀なビジネスパーソンにも共通のスキルなのでしょう。凡庸なビジネスパーソンは、せいぜいシリアスな芝居しかできません。そうなっていませんか?

 

美山荘やあさば、玉の湯などの質の高い日本旅館に泊まることは、最高のぜいたくのひとつだと思います。宿泊して夕食と朝食と食べるという機能面だけからみれば、バカげた贅沢だと思えなくもありません。しかし、そこで得られる経験は他では得難いものであり、だから不便なところであったり高額であったりしても、また行きたくなるのです。ひとことで表せば「おもてなし」の心が満ち溢れているのです。

 

ところで、User experienceの和訳として適切なのは「おもてなし」だと聞いたことがあります。User experienceを直訳すれば「使用者体験」ですが、それでは浅く表面的ですが、たしかにおもてなしとすれば、使用者すなわち顧客の心地よさ、満足感が表現できる気がします。

 

日本旅館という接客、サービス業と「おもてなし」という言葉で結びつくハードメーカーの筆頭は、ジョブズがつくったアップルではないでしょうか。メーカ-でありながらおもてなしの心に基づく体験を提供し続ける企業がアップルなのだと思います。古くはマウスやGUI、独特の美しいフォントや形やデザインなど、機能優先となりがちなIT分野で独自の美意識にこだわり続けたジョブズは、やはり天才の呼び名に値することは間違いありません。

 

User experienceの重要性は、もう何十年前から言われてきたことです。にもかかわらずそれを実践しビジネスとして成功する企業はわずかしかありません。アップル以外に思いつくのはバング&オルフセンやハーレーダビッドソンなどですが、あくまでニッチです。

 

古くは、ソニーのウォークマンも新たなUser experienceを提供しマスで成

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功した画期的な製品だと言われます。確かに私も初めてウォークマンを聴いたときの感動は鮮明に覚えています。その開発は、周囲の反対を押し切って盛田会長(当時)が実行させたそうです。

 

ジョブズが復帰した後、アップルはPCの顧客セグメントをデザイナーなどに絞り込みニッチで再建を進めました。そこで体力をつけ、iMacでマス向けに戻ってきました。なぜジョブズはマスマーケットにおいてUser experienceを切り口にした成功を収めることができたのか。

 

盛田氏もジョブズも創業者だったということは重要です。機能は計測し比較できますが、体験は計測も定量比較もできません。あくまで主観の世界です。高級旅館が規模拡大できない(しない)のは、この主観に大きく依存するからでしょう。反対に機能で勝負するビジネスホテルなどは、規模化が容易でありさらに競争力を高めます。

 

そう考えると、一人の天才が独裁してはじめて体験を切り口にしたマスへの勝負は実現可能だといえるのかもしれません。ただしここでの独裁とは、有無を言わせず強権発動で部下を従わせる独裁ではありません。それでは社員の本当の実力を引き出すことはできないでしょう。天才の「感覚」を汲み取り製品化できる優れた技術陣を持ち、かつ彼らをやる気にさせることにおいても天才でなければならないのです。

 

ソニーも創業者に近い大賀氏の後では、そういう意味でも成功を収めることができていません。しかし、そういう天才はそもそもどこにいるのか、またいつまでも天才でいられるのか、組織における意思決定の根本にもかかわる問題かもしれません。

 

とはいえ、「おもてなし」=User experienceは今後ますますその重要性を増すことでしょう。旅館に代表されるように、そこは日本人にとっては得意分野だと思います。しかし、大きな壁のひとつは、感性が主で技術が従というパラダイムへの転換が図りづらい点ではないでしょうか。


日本企業は自動車のように、機能の向上が体験の向上にも結びつく分野では成功を収めてきました。しかし、PCのように機能の向上が行きつくところまで行き、その向上が体験の向上には結びつかない分野では、行き詰っています。ガラケーは機能勝負できました(日本では)が、スマートホンは明らかに体験勝負の製品でしょう。そういった機能≠体験の分野でどうやって勝負するのか。

 

User experience、それは日本企業にとっては大きなチャンスであり、かつとても難しいチャレンジだと思います。これからもずっと模索しつづけるに値するテーマでしょう。

 

5日、スティーブ・ジョブズは亡くなりました。彼はかつて、「マッキントッシュというPCはどういう特徴か?」と記者に質問され、「マッキントッシュはマキントッシュだ!」と回答したそうですが、「スティーブ・ジョブズはスティーブ・ジョブズだ!」と世界中に知らしめてこの世を去っていきました。昨日依頼、世界中で多くの人々が彼について語り書いています。ビジネス界においてこんな存在は、後にも先にも彼だけでしょう。私も少しだけ語ってみます。

 

私が初めてPCを買ったのは1988年、NEC製でした。本当はビジネススクールの同級生が持っていたマックが欲しかったのですが高くて買えず、タテ型で形が少しだけマックに似ていたNEC製のあるPCを仕方なく買ったのでした。しかし、その時既にジョブスはアップルを追われていました。もう私にとって伝説の人でした。

 

そして卒業後、コンサルファームに入社した1990年、「マッキントッシュSE/30」を晴れて購入、愛用しました。その躯体もキーボードもShape

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美しく、うっとりしたほどです。3年でコンサルファームを辞め、SE/30とともにベンチャー立ち上げに加わりました。当時5人しか社員はいませんでしたが、社内のPCはマックで統一しました。今思えばただでさえおカネがないのに、値段の張るマックで統一したのは、こだわりと愛着以外の何ものでもありません。自宅にも「Macintosh Performa 588」を買いました。90年代半ば、自宅からオフィスのサーバーにリモートアクセスできたのは、画期的だったのではないでしょうか。しかし、その頃のマックには以前のような愛着は持てなかったように思います。


そうして、その後のウィンドウズの攻勢にはあらがえず、あるとき一斉にウィンドウズに切り替えたのです。あの時の残念さは今でも忘れません。初恋の人が落ちぶれて行く姿をみるのに我慢できなくなりその街を離れた、そんな感じでした。ジョブもアップルを追い出され、NeXT、そしてピクサーとさまよっているようで、アップルとともに、ジョブズもこのまま消えていくのか・・。ソニーがアップルを買収するのでは、との報道もありました。

 

その後、しばらくアップルとジョブズのことは忘れていたのですが、97年なんとジョブズが暫定CEOとしてアップルに復帰、たまげました!その後の、iMac,iPod,iPhone,iPadの大攻勢には目を見張りました。でも、個人的に買ったのはiPodだけ、一度離れた後ろめたさなのか、手を伸ばせないでいるのです。でも、ジョブズへの興味はどんどん増していきました。スタンフォード大学卒業式のスピーチには痺れました。そして、どうしてジョブズのような人間が出来上がったのかに興味がわきました。


たまたま昨年、友人が経営する会社の若手研修を個人的に頼まれ、ジョブズの半生(ほとんど全人生となってしまいましたが)をケースとしてディスカッションしました。その際、資料を集めて彼のケースを作成しました。それは、楽しくかつ興味深い作業でした。昨日今日の報道は、まるで彼を神様のように扱っています(ますますそうなるでしょう)が、陽の部分と同じくらいの影の部分を持っています。例えば倒産しかかったアップルに立て直しのため招かれたのではなく、かなりあくどいこともして強引に復帰したのです。

 

でも、(近くからでなく)遠くからひいてみれば、言うまでもありませんがやはり彼は偉大な人でした。若くして優れたビジョンを持っていたようにいわれますが、私はそうは思いません。ただ、瞬間瞬間の直感が異常に冴えていた。それは彼が信奉していた禅にも関係あるかもしれません。それに加え、直感を信じ執着する人並み外れた強い自負心を持っていた。直感も自負心も、その最大の敵は「常識」です。徹底的に常識を嫌ったのだと思います。それが「stay hungry stay foolish」の意味でしょう。

 

彼のような個性が、結果として世界一の企業をつくり上げた、この事実は非常に重いですし、忘れてはならないと思います。アップルのジョブズではなく、ジョブズはジョブズなのです。

9/1927の間、久しぶりにヨーロッパに行ってきました。出発する日は猛暑で汗をかきながら家を出たのに、帰国した日はもうすっかり秋の涼しさとなっていました。この間、大きな台風を東京が直撃し大変なことになっていたようですが、海外でもTVニュースで大きく取りあげていました。トーンとしては「踏んだり蹴ったりの日本」でしょうか。

 

今回は、ドイツのハンブルグ、ドレスデン、チェコのプラハ、そしてイタリアのベニスというルートでした。ハンブルグは一泊、その他は二泊と駆け足で、やっとトラムやバスの乗り方を把握したと思ったら移動で、それぞれもう二泊はしたかったという気がしました。

 

プラハとベニスは世界中から観光客が集まる街です。25年前にもベニスを訪れましたが、その時と比べて街はほとんど変わっていないのですが、観光客の顔ぶれが全く変わっていると感じました。25年前のベニスを訪れるのは、ほとんどがヨーロッパ系の人々だったと思います。そこにアメリカ人や私のような日本人の学生(卒業旅行)がちらほらいると感じでした。

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ところが、今回、プラハもそうでしたが、ベニスのサンマルコ広場周辺行くと文字どおり世界中から人々が集まっていることを肌で感じました。中国、ロシア、ブラジル、インド、そうまさにBRICSです。ベールを被ったアラブの人も何度もみかけました。彼らの多くは団体旅行で、集団で移動しますので、いやがおうにも目立ちます。世界の縮図がそこにあるようでした。

 

この四半世紀で世界全体に豊かさが広がったことを実感すると同時に、この先どうなるのだろうと、ちょっと不安になりました。地球が果たしてそれに耐えられるのだろうかと。

 

今回ベニスを訪れた目的は、現在開催されているベネチア・ビエンナーレです。ベネチア・ビエンナーレとは、二年に一回開催される現代美術の祭典です。今回は第54回、つまり100年以上続いている世界最古にして最高の現代美術イベントなのです。

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そこでは、ベニスの違った顔が見られました。会場は主に島の東側にあり、そこを訪れるのはビエンナーレ目的の人だけで、サンマルコ広場にたくさんいた世界中からの観光客はいません。世界で最も美しい街に来ているのに、わけのわからない現代美術作品をみるのに時間を使おうという酔狂な人は、そう多くはありません。したがって、同じベニスとはいえ、全く異なる人々が集まってくるのです。

 

そこで団体といえば、イタリア国内の学校の遠足(社会見学)くらいのもの。その他は現代美術が好きな個人たちです。美術が目的なので、落ち着いた雰囲気で多くの会場をじっくり周っています。いかにもイタリアの上流階級といった感じのマダム達も数多くいます。リゾート地に来て、今日はアートにでも接してみようかといった風情。ファッションといい振る舞いといい、日本ではなかなかお目にかかれません。さりげない華美さというか、生まれた時からの品の良さみたいなものが自然ににじみ出てくる感じです。成り金ではなく、長い時間をかけて作り上げられた風格とでもいいましょうか。もちろん女性だけでなく男性も。(私には無縁の)有名なイタリアブランドの服やバッグも、こういう人が身につけるために存在するのだと、よく理解できました。


その時ふと思いました。現代の日本にはこういう光景はなさそうだ、もしあったとすれば江戸時代の御花見や紅葉狩りか。浮世絵には、そういう風情のある光景がたくさん描かれています。

 

日本人は戦後アメリカを追いかけ、成り金を目指してきたように感じます。そうして、古い日本を忌み嫌いどんどん捨ててきた。しかし、イタリアではそうではなかったようです。古いイタリアを、プライドを持って維持してきた層が確実にいるのです。日本もイタリアに負けないほどの伝統と歴史、そして独自のスタイルを持っていました。それなのに、そのほとんどを捨ててしまった。我々は大きな勘違いをしてきたと、早く気づくべきです。

 

そして、そんな日本の失敗を新興国の人々が繰り返さないことを、祈らずにはいられません。

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