2013年2月アーカイブ

昨晩、NHK-BSプレミアムで、「密着!秋元康2160時間 エンターテインメントは眠らない」という番組がありました。AKB48などのアイドルには全く興味がありませんが、彼のビジネス感覚には興味があったので、途中からですが観ました。予想に違わず刺激的な内容でした。

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驚くほどの数の楽曲とプロモーションビデオ(PV)を、超短期間で製作し続けるそのエネルギーと仕掛けは興味深いものでした。消費者(ファン)の欲望を加速度的に膨らませるための、秋元と多くのスタッフのぎりぎりの努力が描かれています。

 

欲望を膨らませ続けるには、量とスピード、そして質の維持向上が不可欠です。特に質を維持向上させることは並大抵ではありません。そのために、秋元自身が質には一切妥協しない。また同様にスタッフにも厳しく質を求める。作曲家、アレンジャー、PVの監督といったクリエイターには、ドライで徹底した競争原理をはたらかせます。ダメだしも、ストレートな批判もぎりぎりまで繰り返される。

 

試写を秋元にみせる時の監督たちは、まるで判決を待つ被告のようです。このように秋元が関わるスタッフに厳しくあたるのは、プロとして彼ら彼女らを認めたいと考えているからではないでしょうか。

 

秋元が専門的教育も受けていない自分自身をプロだと認識できたのは、美空ひばりから歌詞を依頼され、「川の流れのように」を提供できたときだそうです。あのプロ中のプロ美空ひばりに選ばれ満足してもらえたのだから、やっと自分も作詞家としてプロになれた気がする、だから自分の肩書きはひばりに認めてもらった「作詞家」にこだわる、と語る秋元は謙虚に見えました。そういう関係をスタッフと築きたいのかもしれません。

 

普通では考えられないスケジュールで質の高い作品が量産されるのは、関わるスタッフが一流のプロばかりだからでしょうが、彼らがそこまで秋元についていくのは、それによって自分達がさらに高みへ行ける、世俗的な成功だけでなくクリエイターとしての能力を秋元が引き出してくれることがわかっているからのように見えました。そう思えなければ、あんな修羅場を続けることは不可能でしょう。素晴らしい秋元ならではのリーダーシップです。

 

秋元は、ロンドンで現在大人気のエンタテイメントの演出家(その名前も団体名も失念!)に自分が手がけようとしているミュージカルの演出を依頼するためロンドンで彼と対面しました。演出家は秋元の力量を認めた上でこう言います。

「私と仕事をするのはリスクがあることを認識してほしい。私は、常に新しいものを創り続けたいんだ」

 

つまり解釈するに、自分は商業的成功を目指しているのではなく、新しものを創造したいのだ、だから私の自由にやらせてくれなければやる意味はない、ということでしょう。

 

それに秋元はこう応えました。(うろ覚えですが)

「私にもこだわりがある。では、こうしよう。ある案に対して、あなたの意見と私の意見が合わなければ、その案は却下して別の案を探そう」

 

両者が合意できる案を徹底的に追及しようということです。これはなかなか言える台詞ではありません。どちらかが妥協することはせず、両者が納得するまで別の案を創造し続けるということですから。芸術の世界ならまだしも、ビジネスの世界では普通ありえません。質への執着と、創造への絶対の自信。演出家は、「いいでしょう」とあっさりうなずきました。こちらも大したものです。

 

創造性を最重視するビジネスを考える上で、秋元の方法論は 非常に参考になります。彼が作ったシステムやリーダーシップスタイルなどが、これからどう展開していくのか、注目していきたいと思います。

恥ずかしながら先日、初めてダイソーの100円ショップで買い物をしました。

類似の100円ショップには入ったことはあるのですが、やはり本家の品揃えと品質は圧倒的。確かに消費者に驚きを与え、購買を誘発するだろうと納得。これなら日本は、デフレになるわけです。ただ、人間はすぐに慣れてしまうので、驚かせ続けること、これは至難の業。

 

昨日、日本マクドナルドの2012年度決算発表があり、驚きの14%減益。1月の既存店売上に至っては17%減収。100円メニューで顧客を集め、セットメニューで稼ぐデフレ対応モデルも失速。デフレに慣れた消費者は、100円メニューしか買わなくなってしまったようです。消費者はバカではない、そうそう思うつぼにはまるわけない。慣れと学習効果を見誤ったのでしょう。デフレの勝ち組と言われたマクドナルドも、戦略転換を図らざるを得ないでしょう。

 

デフレが消費者に値下げ競争を期待させ、供給側が歯を食いしばって期待に応え続けるが消費者はさらなる値下げを期待、このデフレスパイラルが20年もの日本経済をむしばんでいます。セブン&アイホールディングスの鈴木会長が言い続けているのは、知恵を使って値下げ以外で消費者の心をつかむことですが、それに成功したのはアップルやサムソンといった海外メーカー。

 

金融緩和をこれだけ長期間続けてきても、このデフレスパイラルを脱却できないのは、もはや金融は力を持たないことを証明しています。にも関わらず、日銀に緩和を強いるアベノミクス。白川総裁が言うように、規制緩和などの成長戦略の効果のほうが遥かに大きいにも関わらず、その責任を日銀に転嫁しているように見えます。現在の円安株高も、円の本来の実力(膨大な財政赤字と貿易赤字の予兆)を認識した海外勢が円を売った結果であり、それに連れて日本株のポジション(ドル建て)をまだ維持するための短期的株式購入、でなければいいんですが。

 

そもそもデフレの背景にあるのは日本の高齢化です。普通に考えれば、ただでさえ年を取ればおカネの使い道が減るのに、年金財政を信用できなければますます消費を絞るのが人間の性。そういう高齢者の率が急速に高まっています。

 

一方、消費の必要性が高いはずの20代から40代は、継続的な給与減少や非正規労働者比率の高まりで、思うように消費ができない。そこへ来て、65歳まで雇用延長の義務化ときた。当然、働き盛りの年代への給与配分は減り、ますますお金が高齢者に流れ込む構図です。(その意味では相続税アップは正しい)

 

さらに、労働分配率、つまり企業の儲けのうち、給与として社員に支払う額の比率の低下傾向も続いています。企業が使い道もないまま、お金を会社に抱え込んでいる。個人消費が伸びないのは当然です。そんな中、ローソンが20代から40代社員に一律3%給与を増やすと決定したのは、理にかなっています。小売業ならではのセンスですね。

 

銀行も預かった預金の使い道がないから、仕方ないので国債を買いまくっています。企業への貸付額よりも国債運用額のほうが多くなっているのではないでしょうか。これなら銀行は不要で、個人が預金を下ろして国債を買ったほうがよっぽど効率的です。こんな大赤字の国の国債を誰が買っているんだろうと不思議に思ったことありませんか。そうです、我々預金者です。

 

ただでさえこんなに危ない橋を渡っているのに、さらに大いなる社会実験ともいえるアベノミクなんかしていていいんでしょうか。

 

こういったがんじがらめの状況が、なぜ20年も維持されるのか。古くからの利益集団の存在と、そんな存在を何となく許してしまっている国民の意識ではないでしょうか。では、なぜそれを許しているのか。こり固まった意識のパラダイムを破壊することは、それだけ難しいのです。自分で破壊できないのであれば、誰かに破壊してもらうしかない。なーんだ、それじゃあ黒船やマッカーサーと同じじゃないか・・・。

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