どんな分野であっても、極めた方の言葉には心を動かされるものがあります。なので、そういった方のエッセーなどを読むのが好きです。私にとって、それに気づかせてくれたのは画家の中川一政だったのかもしれません。
ご存知の方も多いかとおもいますが、中川は1991年に97歳で亡くなりました。美術学校などの専門教育を一切受けておらず、独学で独自の絵画を極めました。中川が面白いのは、明治の有名な芸術家たちとの深い親交です。岸田劉生などの画家のみならず、武者小路実篤ら白樺派の人々、それから絵を描く前には詩や歌で生計をたてたこともあり、北村透谷、斎藤茂吉、与謝野晶子といった詩人や歌人とも交流していました。
最初は中川のエッセーを読み、それから彼の絵にも興味を持つようになりました。たまたま、最晩年に北国新聞に連載していたエッセーをまとめた本「中川一政画文集 独り行く道」を先日読み、あらためて多くの学びを得た気がします。
中川は、書や陶芸、日本画、詩や短歌など多くの分野で作家活動をしました。
「書や陶芸が余儀で画が本職というんじゃ決してないよ。文章を書いたり、詩や短歌も作っているけど、それも余儀じゃない。一つの道だよ。一人の人から出たものだよ。」
本職と余儀という区別は意味がないと言っています。「中川一政」という一人の人間の創造の発露という意味では、どれも同じなのです。つまり、作品というモノを作っているのではなく、自分を表現したものがそれぞれの作品になったということであり、あくまで自分が主なのです。そうでない者は、作家ではなく職人だと言っています。
中川はただ、いろんなものに手を出して楽しんでいるだけではなく、ジャンルを超えたものから普遍的なものを見つけ学んでいます。例えば相撲。若い頃、岸田や画の仲間たちとよく相撲をとっていたそうです。
「あまり強くはなかったんだけど、土俵際で相手の押してくる力を利用して技をかけるのが得意だった。で、相撲を取っていると、ムーブマンとかバランスの問題とか、そういうことを自然に体が覚えてしまうんだ。画を描くのに大切なことをね。それも決して頭で覚えるんじゃない。画描に相撲とることなど無用のものに思えるけどそうじゃないんだ。」
このようにして中川は、あらゆるものからどん欲に学んでいきました。ただ、やみくもに師匠を真似て学ぶことには否定的です。実際、中川は師匠といえる人は持ちませんでした。
「分かるかい。人間にはそういう知恵が天性、備わっているということ。他人に教わらなくとも、聴こうとしないでも、聞こえてくるものがあるということだよ。このやり方が画かきにもあるんだ。画かきになろうと一生懸命勉強するのと、そうじゃないのと二つの面が、一人の画かきにあるんだね。だけど、勉強するということは、とても大事なことだ。梅原も行き詰まったし、岸田劉生も武者修行に出た。それで、純粋なものが鍛えられて堅固になるんだから。」
自分が天性持っているものを大事にしながら、他者から貪欲に学ぶ。天性のもの磨き、固めるために学ぶのです。それを間違ってはいけない。
中川は、私淑していた岸田と袂を分かちます。喧嘩したわけではなく、もっと純粋にもっと広い世界がみたくなったのです。あらゆるものから自由でいたかったのでしょう。尊敬する武者小路実篤を評すことばの中に、中川の考えが現れます。
「武者さんというのは、職人じゃないということだ。職人というのは、一つのことを一生懸命にする。だけど、それは人間を縛ることになるんだ。武者さんはそうじゃない。縛られない。それがあの人の特徴なんじゃないか。どこからでも、栄養を取る。自由自在に。(中略)職人が悪いわけじゃないけど、そういう縛られない生き方というのは、自由にものを見ることができる。ひとつのことに執着しない、ということだ。」
私たちは、何かに縛られていないだろうか?自由にものを見られているか?
中川の言葉、そして精神としての発露たる作品に触れることで、常に刃を突きつけられているような気がします。
独り行く道―中川一政画文集
中川 一政
