組織の能力: 2009年3月アーカイブ

昨年秋以降、特に今年に入ってからの企業の経費削減の嵐は、ものすごいらしいです。某超大手自動車会社は、東京出張の交通費すら支給されないそうです。また、ファナックでは会社施設以外の宿泊は原則禁止。スズキでは、社員一人当たりの文具は、消しゴム、鉛筆、赤ボールペン、黒ボールペンが、各一つずつ、ホチキスは二人で一つと決められ、余分は召し上げられたそうです。

 

こういう時代ですから、研修にもお金をかけることはできないでしょう。しかし、以前書きましたが、こういう時期にこそ、集中的に人材開発に時間を投入することは戦略的投資です。そこで、お金を極力使わないで、中身のある研修を企画し、実施することに、知恵を絞ることになります。

 

数日前の日経新聞で、富士重工の英語が得意な人事部社員が、自発的に自分が講師となり、英語の社内研修を実施し、好評だとの記事がありました。

 

社員が講師で、社内会議室で実施するので、追加コストはゼロです。時間も就業時間後でしょう。

 

いい話だとは思いますが、複数の人々に対して教育するということは、それほど簡単なことではありません。すべての大人は、過去に相当時間の教育を受けてきたわけですから、自分が提供者の立場になっても、それなりのものは提供できるでしょう。つまり、一応できてしまうわけです。その時のベンチマークは、大学教育や新人研修かもしれません。

 

しかし、すべての世界そうですが、やはりアマチュアとプロのレベル差は非常に大きいです。残念ながら、多くのビジネスパーソンは、大学教育レベル(今は随分進化しているかもしれませんが)しか知りません。他の世界と同様に、上には上があることを知り、本来はそれとの比較で、検討すべきです。

 

もちろん、いいものは高いのは当然ですが、重要なのは費用対効果です。少ない費用でも、その分企画運営者が苦労して、ある程度の効果を上げることは可能です。いきなり、アマチュアの社員が講師をするということが必ずしもいいとは限りません。(もちろん、教えることによ り講師役の社員が成長することは期待できますが)

 

こういう時代だからこそ、人材開発担当者は、知恵を出し、手間を惜しまず汗をかくべきでしょう。

 

そのためには、・・・・「人材開発マネジメントブック」を買って勉強しましょう。(最後は宣伝で、すみません。昨晩、編集者からプレッシャーを受けまして・・・)

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人材開発、特に研修に関わると、話し言葉に敏感になります。本を執筆するということは、いわばミュージシャンがスタジオ録音することですが、現場での研修講師を担当することは、ライブに相当します。ライブでは、観客との関係性や状況によって、さまざまな話し言葉を駆使して成果を生み出します。それを話法と呼びましょう。

 

話法を、発話者の数と話の方向が収束に向かうか、発散に向かうかで4象限に分類してみます。  話法3.ppt

 

「場」に何らかの責任を負う者(必ずしも研修講師だけではなく、社内会議の場面でも同様)は、受講者と、あるいは受講者同士で、これらの話法を使い分ける必要があります。どれを使うかは、何を獲得したいかによります。

 

例えば、「問いかけ」は相手の思考のスイッチを入れるための話法ですし、「講演/プレゼン」は、相手の理解を得るためのものです。また、「議論」は、相手を納得させ決定するための話法です。

 

最も難しいのが、「対話」です。受講者間の対話により、共感や創造を生み出すことを狙います。複数者で発散するわけですから、難しいわけです。

 

それでも、研修会場や会議室といった物理的な場を共有していれば、ある程度の場のコントロールは可能ですが、最近では、ネットを使ってバーチャル空間で、それを実現させたいとのニーズも高まっています。

 

講師が話法(モード)を使い分けることと、ネット環境でそれを瞬時に対応可能にするIT技術の両方が揃って、初めて可能になります。チャレンジングなテーマですが、もしうまくできたらインパクトは計り知れないほど大きいでしょう。

 

 

本日、東大の中原淳准教授が企画された「カフェ研究会」に参加してきました。中原さんが、「caféから時代は創られる」(飯田美樹著)に刺激を受けて企画されたものです。caf´eから時代は創られる
飯田 美樹
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著者の飯田さんによる「創発空間としてのcafé」と題する講演をはじめ、盛りだくさんの内容でとても楽しく、刺激的でした。仮想的なcaféの場でcaféについて対話しようというものでした。

 

保険のロイズは、ロンドンのコーヒーハウスから興ったことは有名ですが、思想や芸術分野などでも新しい時代はヨーロッパのcaféが生みだしていったそうです。

飯田さん曰く、

「天才たちがcaféにやってきたのではなく、caféという場が天才たちを創っていったのでは」

 

辺境に多様な人々が、入れ替わり立ち替わり集い、そこから新しい「知」が生み出されていくという景色は、理想的なもののように見えます。今、企業でも、そうした場を作りたくてしょうがないのです。が、できません。

 

Caféの条件は、

    ふらっと、いつでも行ける

    Caféの主人の前では皆が対等

    無目的で集う

    職場や家庭では、決して会うことのない人々がたくさんいる

    時にすごい人(アトラクター)にも会え、彼らとの議論にも参加できる

といった、自由と平等、開放性が担保されていることだそうです。

 

まさに、すべて企業組織の対局に位置するものです。もちろん、プロジェクトチームやスカンクワークなどといった手法を使って模擬的な場をつくることはできます。多くの企業では、それを模索しています。

 

マクロで捉えれば、日本社会にも上記の定義でのcafé的なものがたくさんあり、そこで教育され刺激された人材が、たまたま企業組織でも活躍するというのが、あるべき姿ではないでしょうか。

 

真のcaféあるいはcafé的なものをたくさん創りだす、そしてcafé育ちが集い活きる組織を創る、この二つの課題を追っかけてみたいなと思いました。

 

 

WBC.jpg韓国との大接戦を制して、日本チームが見事二連覇を達成しました。原監督が、優勝後インタビューで語った「先月の代表合宿から、日に日にこのチームは進化してきた」というコメントが印象的でした。

 

プロ集団でも(だからこそ)、短期間にチームとして進化するというのは、実はすごく難しいことなのでしょう。アメリカやプエルトリコチームは、それができなかった。

 

サッカーでは、代表チームが召集され短期間でチームとして成熟させることは、どの国でも普通です。ところが、野球にはそういう機会はほとんどありません。五輪とWBCだけです。どのチームも慣れていないのです。

 

韓国と日本というアジアのチームが決勝まで勝ち残った理由は、進化のスピードにあるのかもしれません。各選手の持つコンテクストと、監督がチームとして目指すコンテクストを融合させる、また選手同士も擦り合わせる、それがチームの進化ではないでしょうか。それを、短期間で成し遂げるには、(昨日も書いた)各自のコンテクストを操る能力が優れている必要があります。その点では、アジア人が一歩リードしている気がします。

 

もし、日本シリーズ、韓国シリーズの覇者と大リーグの覇者が対戦したら、また結果は変わってくるでしょう。WBCは大リーグが企画しているイベントですが、実は(少なくとも現時点では)彼らにとって不利なイベントのようです。本当は、日本人が自らの強みを活かすフィールドを、自ら世界に企画していくべきなのでしょうが。

㈶日本能率協会主催のHRMセミナーに参加した翌日に、「三等重役」(昭和27年東宝)を観ました。

 

HRMセミナーのテーマは、「人事のネットワーク力」でした。人事は、経営者、事業ライン、外部とのネットワークを、もっと強化しなければならない。ネットワーク力が高い人事ほどラインからも評価され、業績も良いということでした。

 

翌日観た映画では、古い日本企業の雰囲気を十分味わうことができました。会社は家であり、社長は家長。家長は、家族ひとりひとりの生活に深い関心を持つ。こういう牧歌的な風景でした。

 

三等重役.jpg 

森繁久弥演ずる人事課長が社長に最も近く、一緒に難問奇問?に対していくのですが、その距離感がいいのです。単なる腰巾着ではなく、情実入社には断固社長に反論を主張したりしますが、社長もそんな一筋縄ではいかない人事課長を信頼しています。

 

人事課長は社内のあらゆる情報の結節点となっているようで、だからこそ社長も彼を信頼しているのでしょう。当時は高度成長の直前ですが、すでに組織はその準備ができていたようにも感じます。高度成長期にもっとも欠乏していた資源は人材でした。人材を采配する人事部や労務部の力は、今では想像できないほど大きかったそうです。森繁の上司たる現社長も、以前は人事課長だったという設定です。社長を代々輩出する部門が、その会社の本流であることは今も変わりません。

 

その後、営業、マーケティング、技術開発、財務など機能の重要性も高まり、相対的に人事部の地位は低下します。その結果、それまで人事部が担っていた、社内の情報結節点が次第に消滅していったのかもしれません。

 

ところが、ナレッジエコノミーに世の中全体が変わっていくにつれて、あらためて情報結節点が重要になっています。ネットの活用で、情報流通量は飛躍的に増大しましたが、それらを束ね、解釈し整理する機能が、以前に増して必要になっています。これは、システムでなく人間にしかできないことです。ナレッジは、基本的には人間が創出し、加工します。だから、人材(人的資源という言い方もしますが)を司る人事部門のネットワー力が、あらためて求められているのではないでしょうか。先祖がえりではないですが、「三等重役」の頃の家族的企業のエッセンスを、現代の企業組織にも導入することができたらなあと、映画を観て感じました。

昨晩、六本木アカデミーヒルズのアダットシリーズ「プロに学ぶプロジェクトプランニング」の講座をオブザーブさせていただきました。

 

開始早々、永禮講師から受講者に対して、「自分の仕事のうち、プロジェクト型業務の比率が半分以上の方は?」と問うたところ、20名のうち約半分の方が挙手されました。こういう講座を受講する方ですから、一般より比率は高いとは思いますが、それでも随分多いなあと感じました。

 

永禮講師によると、プロジェクト型業務とは、以下を指します。

    非定型、非ルーティーンワーク

    メンバーは流動的

    時限性あり

    指示命令系統が複雑で流動的

 

これまでの経営管理は、基本的には上記と正反対の定型業務を前提に組み立てられてきました。経営層から下達された業務目標を、上司が部下に伝達し、その遂行を支援する。上司が、部下の行動を見守り、長期的観点から指導し、評価する。そういう形です。しかし、バブル崩壊の92年ごろから、インターネットの普及もあいまって、急速に仕事の仕方が変わっていったような気がします。

 

そして、現在において、このようなノスタルジックな業務の進め方がほとんどだという正社員は、ことホワイトカラーに限っては、絶滅種に近い存在となっているのではないでしょうか。

 

そうなると、定型業務主体で育ってきた管理職層と、入社時点からプロジェクト型業務主体で育ってきた若手中堅社員の間に、単なる年齢の壁以上の壁ができ、経営管理が難しくなっていることでしょう。

 

それに加え、「自分らしく生きること、誰の同意もなく自己決定すること」に価値を置くことを求められてきた「ゆとり第一世代」(874月~884月生)が、いよいよ来年社会人デビューします。彼らは、チームで行うプロジェクト業務どころか、一人プロジェクトを追及するかもしれません。

 

定型業務で育った管理職、チームでのプロジェクト型業務が当たり前の中堅、一人プロジェクト志向の若手、こういう組織を運営する経営管理のあり方を、今から検討しておくべきだと思います。

インターネットの出現により、地球は小さく、またフラットになったと言われていますが、日本企業のグローバル化や組織的なグローバル人材育成は、牛の歩みという気がします。なぜ、なんでしょうか?

 

企業にとってのグローバル化とは、内外の一体化と定義しても大きな問題はないでしょう。それは、三つの観点で捉えられます。

 

1)モノ:機能の一体化

2)カネ:資本の一体化

3)ヒト:人材の一体化

 

上記のうち、機能、資本、人材の順で、一体化の難易度が上がっていくと思います。85年の円高不況以降、多くの日本メーカーは、海外に製造拠点や開発拠点を設置していきました。資本の一体化は、資本規制撤廃の面では90年代までにかなり進みました。上場企業の株式の三割近くは外国人が保有しています。しかし、ここ数年続いた海外ファンドによる日本企業買収への企業や政府の対応を見ていると、まだまだ資本の一体化の道は遠いと思わざるをえません。

 

そして、人材の一体化。これは、私が新卒で社会に出た約20年前と、大きくは変わっていないとの実感です。難しいのは確かだとしても、どうして変化がないのでしょうか。

 

人材の一体化にも、ハードとソフトの両面があります。つまり人事制度の一体化と、個人の能力の一体化です。この両者が車の両輪となり、一体化を推進していかねばなりません。

 

個人の能力は、(図4-6chart_04_06.jpgにあるように、5階層からなると考えることができます。下から、特性・動因、態度、メタスキル、スキル、知識です。この中で、グローバル人材固有の能力を考えてみると、言語や現地での商慣習などの知識は、確かに固有のものも多いでしょうが、それ以外では、それほど多くはないと思えます。グローバル人材に必要とよく引き合いに出される「多様性への受容力」や「多文化の人材に対するリーダーシップ」なども、程度の差こそあれ、国内で成果を出すにも必須の能力になってきています。(なお、グローバルの場面で、日本人が他国の人材に比べて優れている能力はたくさんあることも強調しておきます。)

 

そういう状況でも、グローバル人材育成が着目されるのは、たとえば海外拠点に派遣されることにより、(国内でも必要とされるが、国内でより)能力発揮すべき時期が早まる、あるいはサポートしてくれる人材がいないことにより必要性が顕著になる、と考えるべきなのではないでしょうか。

 

だとすると、考えるべきはグローバル人材開発ではなく、純粋に自社にとっての人材開発なのだと考えられます。あえて「グローバル」人材と捉えることにより、知識の問題や人事制度の問題に矮小化されてしまうリスクがあります。

 

もちろん、それらも大切ですが、一部にしか過ぎません。国籍はどうあろうと、本当に自社社員に必要な能力を冷徹に見極め、それを起点に経営システムを組み立てるべきです。残念ながら、この点は20年前と比べても、あまり変わっていません。

 

では、そんなことが、日本企業にできるのか。最短の道は、やはり資本の一体化を先に進めることでしょう。ガバナンスが変われば、動きます。日産がいい例です。もし、それができないのなら、・・・・グローバル競争の荒波にさらされ、適者生存の法に従って、自己変革するしかないでしょうか。

毎週楽しみにしている新聞コラムに、花園大学佐々木閑教授の「日々是修行」(朝日新聞木曜夕刊)があります。数年前に花園大学で、1週間ほどの禅に関する集中講座を受講したことがあり、先生には勝手に親近感をいだいています。

 

昨日のコラムは、「学問と実践が交わる快感」と題するものでした。先生がタイの山奥の僧院に行き、そこで修行中の日本人僧侶二人と対話した時の話です。

 

 

タイの僧侶.jpg 

古代仏教の研究者である佐々木先生が、古代文献にあった儀式のことを僧侶に問うと、僧侶が「それは実際にはこうです」と言って実物を見せてくれる。欠落していたピースが次々に埋まっていくような快感があったそうです。

 

「頭の中だけで組み上げてきた私の学問に、初めて生気が吹き込まれたような思いだ。」

 

僧侶もこれまで自分たちが、理由もわからず実践してきたことの、そもそもの意味や理由を先生から聞き、これまでの疑問が氷解していくようだったそうです。

 

このような時間を体験できる学者も実践者も、幸福でしょう。

 

「釈迦の本当の姿は、学問と実践が交わるところに立ち現れてくる。」

 

ビジネスの世界でも同じでしょう。企業研修の醍醐味は、こんなところにあるのです。

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