組織の能力: 2009年10月アーカイブ

今年も、東大安田講堂で、ワークプレイスラーニングシンポジウムが開催されました。まずは、このような大掛かりなイベントをボランティアで成功させる中原先生はじめ関係者の皆さんに、敬意を表します。

 

今年は三社の企業から講演がありました。カルチュア・コンビニエンス・クラブ柴田社長、アサヒビール丸山執行役員人事部長、バンダイナムコホールディングス紀伊人事部副部長です。

 

どれも非常に興味深かったのですが、特にCCC柴田さんの話は刺激的でした。柴田さんは、人事コンサルファームのマーサーの社長だった方です。つまり、主に人事制度構築支援をずっと手がけてきたわけです。その柴田さんがCCCの社長になって強力に提示しているメッセージのうち二つは、

        目に見えないものを大切にすること

        「制度」に支配されないこと

 

なのだそうです。どちらも制度を中心としたハードHRへの依存を戒めることだと解釈できます。

 

隣に座っていた某人事系コンサルファームの方が、「柴田さんがそうおっしゃるなんて、今の仕事を否定されているみたいだ」と嘆いておられました。

 

もちろん、全否定しているわけではなく、その企業の成長ステージ、事業特性、経営環境、組織文化、など数多くの変数によって、ハードHRの重要性やソフトHRとのバランスが変わってくるということなのだと思います。正解は一つではないのです。

 

ただ、多くのコンサルファームが、自分が得意とするような企業像をクライアントにあてはめて、自社サービスを提供しようとしていることも事実でしょう。それへの戒めではあると思います。

 

CCCは、社員の自主性を重視する方向に舵を切りました。各自が落とし所を想定している管理された自由や自主性ではなく、真の自主性を尊重した組織になることができるのか、同社のこれからに目が離せません。

 

ところで、今回試行されたリアルタイムドキュメンテーション、すごいです。リアルタイムドキュメンテーションとは、「今、この場でおこっている出来事を、リアルタイムで記録(ドキュメンテーション)し、振り返りに役立てる手法」です。昨日のラップアップでは、もうこれだけのものを見ることができるのですから。もし、手軽にこれができるようになったら学習の形も大きく変わるかもしれません。WPL2009に参加されなかった方は、是非以下から観てください。

 http://product.kobe-du.ac.jp/sowa/infoGuild/HOME/entori/2009/10/31_workshopwakupureisuraningu2009.html

先日、野中郁次郎氏による賢慮型リーダーの6要件を転記しました。その中に、相互作用を促す「場」をタイムリーに設ける、というものもありました。

 

「場」については、私も関心が高いので、もう少し書いてみます。特に日本で場の概念が注目されるのは、西洋科学の前提となっている「自他分離」に対する違和感があるからだと推測します。

 

さて、私たちは、心身を投げ出しながら、コミュニケーションを行っています。一般に、このように身体性を入れ共創的コミュニケーションを行う「共創の舞台」のことを「場」と呼びます。場の最大のメリットは、コンテンツだけでなくコンテクストを生み出すことです。

 

重要な会議では関係者を参加させ、巻き込んでおこうとするのは、コンテクストを共有させるためです。もちろん、形式的に場を共有するだけではだめです。本来は、自他非分離の状態をつくらなければコンテクストの共有も創造もできません。

 

「場」の例をひとつ挙げてみましょう。

 

私も採用面談を、もう何百回もしてきました。限られた面談時間の中で、その方の能力や人間性を測ることは容易ではありません。もちろん、職歴や学歴などからおよその評価はできます。しかし、これでは本当の力はわかりません。それでは、あくまで「普通名詞」で見ているに過ぎないからです。知りたいのは「固有名詞」です。さまざま経験・歴史を経て今そこにいる世界に一人しかいないその人、つまり固有名詞で認識しなければ採用の判断などできないはずです。なぜなら仕事は固有名詞でするものだからです。

 

では、面接会場でどうやって固有名詞を引っ張りだすか。方法は一つしかありません。こちらが固有名詞としての自分自身を「一人称の経験」を語りながらさらけ出すのです(それに時間をかけすぎ、聞く時間がなくなってしまうという失敗もありましたが)。まず、自分が心を開き、相手が開くのを促すのです。互いに心を開いて相手を受け入れることによって、心が触れ合い自他非分離の状態が生まれます。これをエントレインメント(相互引き込み)といいます。ダイアローグ(対話)も、このプロセスを促す方法のひとつでしょう。このような作用が働いているのが「場」なのです。

 

このような「場」を、あらゆる場面で必要に応じてタイムリーに設けることができたら、なんと素晴らしいことでしょう。組織やコミュニケーションの目指す、一つの方向だと思います。

2003年ごろから昨年までは、企業の新卒採用熱が、バブル期以上に高まったような印象を受けました。人材系のフォーラムでも、採用支援や新卒教育(というより退職回避策)を手がける企業の顔ぶれが、圧倒的に増えたように感じました。

 

特に、4月に一斉入社と同期管理を慣例とする日本企業では、新卒採用の重要性は言うまでもありません。しかし、一方では年功制や終身雇用は維持できないと公言する企業も珍しくありません。

 

そこまで採用に時間とお金を投入しても、社員と会社双方の理由での退職率は高まっているのではないでしょうか。そう考えると、ちょっとおかしな気がします。

 

高い費用をかけて採用した社員への育成投資は、どの程度かけているのでしょうか?相対的には、あまり育成投資にはお金をかけていないのでは。それはなぜでしょうか?

 

        とりあえず採用しておけば、後は何とかなる。できる人間は伸びるし、そうでなければ脱落するまでだ。そもそも社員は育てるものではなく、育つのだ。

        育成投資にお金をかけて、その結果能力が高まったら転職されてしまう。

        採用活動の成果は、採用人数と出身大学名で計測でき、他社とも比較しうる。負けるわけにはいかない。それに対して、育成効果なんて図れない。

        育成は、職場でマネジャーが担う仕事だ。(部下育成もマネジャーの評価項目に入っているし)

 

若手育成は大事だと、常に経営者も人事もいいますが、実は本音にはこんなことがあるかもしれません。

 

人事の方と話していると、採用担当と育成担当は仲が悪いとしばしば聞きますが、そりゃそうですね。 

 

いずれにしろ、このような構造は、世界的に見てもかなり異常だと思います。日本企業のおかれている環境はあらゆる面で激変しているというのに、採用と育成の構造は、変わるどころか、ますます強化されているように思います。(さすがに今年は採用投資を絞るでしょうが)

 

私は多くの企業の研修(若手から経営幹部まで)に関わって、それぞれの社員の能力を肌で感じてきましたが、企業を横断してみた場合、いわゆる学歴と仕事のできは、あまり相関は大きくないと感じています。入り口の優秀さより、入社後の職場での育成環境のほうが遥かに仕事の成果に結びついていると思います。職場での育成環境、それを一言でいうと、「学びを是とするか、指示通り動くことを是とするか」に関する組織としての意思あるいは文化だと思います。

 

同じ条件であれば、競争をくぐり抜けてきた高学歴社員が成果を出すことも多いでしょう。でも、企業によって育成環境という条件は全く異なるのです。そのことがもっと着目されてしかるべきだと思います。

 

昨日、日本CHO協会主催のセミナー「新・人財開発元年 今、『組織開発』のあり方を問う」に参加してきました。

 

以前も組織開発のテーマで書いたことがありますが、日本企業にとっての「組織開発」は、なかなかわかりにくいものです。大手企業人事の方々と少し対話する時間がありましたが、どの方も社内では組織開発という考え方自体まったくないとのお話しでした。

 

組織開発とは、Organizational Developmentの訳語で、そもそも日本語にはなかった言葉なのでしょう。チームビルディングという言葉と同様。欧米企業では、本社から日本法人へ、ODマネジャーを採用しなさいとの圧力が常にかかるが、日本にはODマネジャーはいないし、そもそもODがないので苦労するとの、中島さん(シティグループ証券常務執行役員人事部長)のコメントが、如実に現状を表していました。

 

そもそも組織観が異なります。欧米を中心とした外資系企業では、「組織」という言葉からは、レポートライン(報告関係)をイメージします。一方、日本企業では、「営業部」「総務部」といった入れ物(Box)をイメージすることでしょう。

    OD2.jpg   

外資系企業では、タテのラインは強固でも、横や箱の中の結合力は、相対的に弱くなっています。だから、集団を効果的なチームに転換するような作業が必要になります。(見えにくいですが赤線の部分)それが、ODのもともとのニーズだと思います。また、当然他の部門とも結合が弱く、さらにM&Aなどのよる組織再編も頻繁に起こるので、プロアクティブに「組織」を開発する必然性があります。

 

日本企業は、共同体としての組織(箱)が確立し、そこに属す個人間の関係性も比較的強く結合力も高いため、あまり「開発」の必要はありません。他部門とも、そこにいる同期とのつながりや、あるいは頻繁な異動でなんらかの人的つながりがあるため、それほどは隔絶されていないのです。

 

ただ、ここでも状況変化はあります。日本企業でも、M&Aなどは珍しくなくなりました。また、個人間の関係性も変わりつつあります。競争激化に伴う成果主義の浸透、組織のフラット化、プレイングマネジャーの常態化などで、かつての結合力、相互依存関係が揺らいでいます。

 

 

だから、今漠然と「組織開発」へのニーズが高まっているのでしょう。ただ、以前も書いたように、単に欧米企業を真似るだけでは、成果主義導入の失敗と同じように、うまくいかないと思います。そこにチャレンジがあるのです。

一般的な言葉となってきた「人材開発」ですが、Human Resource Developmentの訳語だけに、その定義が意外にあいまいではないでしょうか。

 

ここでは、あくまで私の定義を述べたいと思います。狭義の定義は、「人材が本来もっていた能力を顕在化させること」です。たとえるなら、不動産開発です。

 

数年前まで、東京駅前の一等地には、歴史ある複数のビルが旧丸ビル.gif建っていました。小津安二郎の映画のシーンに出てくるような古式ゆかしいオフィスは、個人的には嫌いではありませんでしたが、あの土地の潜在力を活かしているとはいえませんでした。その後、開発が進み今やオフィスのみならず商業地としても、価値は飛躍的に高まりました。このように、本来持っていた価値を顕在化させることです。

 

 

もう少し広い定義は、「人材に新たな『何か』を付加することにより、本来もっていた価値をさらに増大させること」です。たとえるなら、「村おこし」でしょうか。

 

以前ブログにも書いた越後妻有での  「大地の芸術祭」や直島です。過疎の進んだ山村や島を、現代アートの力を使って再生させています。山村にアートが必要なだけではなく、アートにも山村が必要です。両者の接点に、新たな価値が生まれるのです。

 

次は、ビジネスの事例です。先日お会いさせていただいたあるグローバル企業の人事トップのお話によると、現在最も緊急性の高い人材開発上の課題のひとつは、技術者の交渉スキルだそうです。ちょっと、意外かもしれませんが、グローバルに競争しているメーカーでは、自社の技術だけで完結できることは、ほとんどなくなりつつあります。他社との提携によって、技術を組み合わせ、より付加価値の高い製品を開発していく必要があるからです。

 

その際、その交渉にあたるのは多くの場合、その技術を最も深く理解している技術者にならざるを得ません。しかし、いうまでもありませんが交渉は技術知識だけではできません。その提携が企業経営に及ぼすあらゆる影響を検討しなければなりません。会計や財務、税務、法務などの一定の知識も必要になってきます。そして、何より交渉のスキルが求められます。交渉の巧拙により、数百億円の損害が発生するような可能性も、逆に数百億円の利益を生み出す可能性もあります。

 

したがって、技術の専門性に加え経営全般や交渉スキルといった、新たな「能力」を付加する広義の人材開発が必要なのです。

 

 

狭義の人材開発は、どちらかというと長期・全社視点で取り組むべきものです。広義の人材開発は、より短期的・事業レベルで発生することが多いでしよう。こういった現場でのニーズに効果的に応える機能の強化こそが、企業の潜在能力を最大限発揮させるために、非常に重要なのではないでしょうか。

もし、あなたが驚くほど美味しく、しかも安いレストランを見つけたとします。その後、どうしますか?たぶん、親しい誰かに教えたくなるでしょう。もしかしたら、その口コミが広がり、その店が有名店になり、予約すら取れなくなる可能性もなくはありません。また、その結果味や値段が変わってしまうこともありえるでしょう。だったら、誰にも教えない方が合理的ではないでしょうか。

 

でも、ほとんどの人は教えたくなるのでしょうか。それはなぜか?多分、人は喜びや感動を誰かと分かち合いたいという気持ちがDNAに埋め込まれているからだと思います。

 

もうひとつは、「誰も知らない凄くいいものを、自分が発見したんだ」という自己効用感を、他者からの反応で確認したいのではないでしょうか。いわゆる「自慢」ですね。自己満足だけでは、なかなか自己効用感は味わえないのです。

 

こういった、人間の特性の実現を、飛躍的に拡張させたのがネットというツールです。でも、自分と大きく志向性が異なる人に伝えたとしても、その反応はかんばしいものではないでしょう。そうすると、似た志向性の人々が集団化する力が働きます。SNSはそれに支えられています。集団の中では、きっと居心地がいいのでしょう。

 

さて、この後はどうなるのでしょうか?ますます集団の細分化が進むのか、それとも、集団と集団をつなぐ方向に力が働くのか。私は、つなぐ方に行ってもらいたいと思います。

 

伝えたいという願望は、知りたいという願望と表裏一体です。なんらかの目的のもとで、集団を超えて伝えたい、そして知りたいという願望を満たし、表現する行為がデザインなのではないかと思います。

 

Wikiによると、デザインとは、「計画を記号に表わす」という意味のラテン語designareが語源で、ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現されることだと解されるそうです。まさに、issue drivenで「つなぐ力」ではないでしょうか。

 

これから、(広義の)デザインが力を持ってくるのと思います。

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