グローバル人材育成を考える

インターネットの出現により、地球は小さく、またフラットになったと言われていますが、日本企業のグローバル化や組織的なグローバル人材育成は、牛の歩みという気がします。なぜ、なんでしょうか?

 

企業にとってのグローバル化とは、内外の一体化と定義しても大きな問題はないでしょう。それは、三つの観点で捉えられます。

 

1)モノ:機能の一体化

2)カネ:資本の一体化

3)ヒト:人材の一体化

 

上記のうち、機能、資本、人材の順で、一体化の難易度が上がっていくと思います。85年の円高不況以降、多くの日本メーカーは、海外に製造拠点や開発拠点を設置していきました。資本の一体化は、資本規制撤廃の面では90年代までにかなり進みました。上場企業の株式の三割近くは外国人が保有しています。しかし、ここ数年続いた海外ファンドによる日本企業買収への企業や政府の対応を見ていると、まだまだ資本の一体化の道は遠いと思わざるをえません。

 

そして、人材の一体化。これは、私が新卒で社会に出た約20年前と、大きくは変わっていないとの実感です。難しいのは確かだとしても、どうして変化がないのでしょうか。

 

人材の一体化にも、ハードとソフトの両面があります。つまり人事制度の一体化と、個人の能力の一体化です。この両者が車の両輪となり、一体化を推進していかねばなりません。

 

個人の能力は、(図4-6chart_04_06.jpgにあるように、5階層からなると考えることができます。下から、特性・動因、態度、メタスキル、スキル、知識です。この中で、グローバル人材固有の能力を考えてみると、言語や現地での商慣習などの知識は、確かに固有のものも多いでしょうが、それ以外では、それほど多くはないと思えます。グローバル人材に必要とよく引き合いに出される「多様性への受容力」や「多文化の人材に対するリーダーシップ」なども、程度の差こそあれ、国内で成果を出すにも必須の能力になってきています。(なお、グローバルの場面で、日本人が他国の人材に比べて優れている能力はたくさんあることも強調しておきます。)

 

そういう状況でも、グローバル人材育成が着目されるのは、たとえば海外拠点に派遣されることにより、(国内でも必要とされるが、国内でより)能力発揮すべき時期が早まる、あるいはサポートしてくれる人材がいないことにより必要性が顕著になる、と考えるべきなのではないでしょうか。

 

だとすると、考えるべきはグローバル人材開発ではなく、純粋に自社にとっての人材開発なのだと考えられます。あえて「グローバル」人材と捉えることにより、知識の問題や人事制度の問題に矮小化されてしまうリスクがあります。

 

もちろん、それらも大切ですが、一部にしか過ぎません。国籍はどうあろうと、本当に自社社員に必要な能力を冷徹に見極め、それを起点に経営システムを組み立てるべきです。残念ながら、この点は20年前と比べても、あまり変わっていません。

 

では、そんなことが、日本企業にできるのか。最短の道は、やはり資本の一体化を先に進めることでしょう。ガバナンスが変われば、動きます。日産がいい例です。もし、それができないのなら、・・・・グローバル競争の荒波にさらされ、適者生存の法に従って、自己変革するしかないでしょうか。

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このページは、福澤が2009年3月10日 19:07に書いたブログ記事です。

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