組織の能力: 2009年12月アーカイブ

多くの企業で、個人は保有する知識やノウハウなどを、他者に移転・伝承させることが、大きな課題になっています。団塊世代の大量定年や人材流動化の高まりもありますが、なにより企業における重要資産が、目に見える固定的資産や特許などの無形資産から、そういう評価ができない個人に属する「知識」に移行しつつあるからでしょう。ドラッカーが予言したとおりです。

 

そこでいかに、個人に属する暗黙知を形式知化するかが重要になります。さらに、仮に形式知化したとしても、すぐに移転できるわけではありません。最終的には、別の誰かが修得しなければ意味がありません。つまり、学習がゴールなのです。

 

例えば、有能な営業マンが、若手営業マンを集めて講演したとしも、なるほどとは思うかもしれませんが、同じことができるわけではありません。それをつなぐための技術がLearning engineeringです。

 

 

知識の提供者が、どのように知識を引き出し整理するか。また、受け手は、どのようなマインドセット持ち、どういう環境や形式であれば受け取りやすくなるのかを徹底的に分析する必要があります。

 

Aという事象を、そのままAとして伝達してもだめなのです。AをいったんXに転換し、それを伝達すると、受け手が内面でXA'に転換して理解するというわけです。完全にAと認識することは困難ですが、もしAのまま伝達したらBと認識される可能性を考えれば、A'でも十分です。こういうややこしい操作も時には必要です。

 

 

ある映画監督と録音担当から、直接聞いた話です。その映画は、岩手の山奥で

移住した監督の子供たちを中心にした大きな家 タイマグラの森の子どもたち - goo 映画
というドキュメンタリーです。そこでは、森の自然が大きな役割を果たします。撮影した際の録音を、そのまま使用してもだめなのだそうです。大自然の中で聞いた音は、映画館では再現できない。そこで、録音した音をいったん分解して、余分な音を削除します。そして、そこに他で別途採取した音を加えていくのです。悪く言えば、音を創作して、映像に重ねるのです。しかし、それを映画館で映像を見ながら聞くと、まるでその森にいた時のように聞こえるのだそうです。つまり、AをいったんXに転換し聞かせると、A'と聞こえるのです。

 

 

映画を観た後、映画監督と録音技術者の話を聞きながら、学習のことを考えてしまいました。

ある友人の妻君がフランダンスを習っています。彼女は、なんとなく上達が遅いような気がして、別の教室に変えました。すると、これまで行っていた教室と全く違う雰囲気で、みるみる上達しているそうです。

 

先生の教え方もあるようですが、最も違うのはそこに集まってくる生徒の意識なのだそうです。もちろん上手な人ばかりではないでしょうが、みんなが少しでも上達したいとの意欲に満ちており、それにつられて自分も頑張ってしまうのだそうです。彼女は前の教室のおっとりした雰囲気が何となく違うと感じていたから、移ったのだと推測します。

 

きっと先生が、そういう雰囲気を作りだすことに注力しているに違いありません。レッスン方法にそれほど違いはなくとも、自分が望むような「学びの場」づくりに長けているのでしょう。そして、その雰囲気が彼女に合っていたのでしょう。

 

 

そんなに奇麗でもなく、とりたてておいしいわけでもないのに、つい足が向いてしまう飲み屋があります。なぜか、そこにいると居心地がいい。その理由のひとつには、そこに集まっているお客さんたちの特性にあると思います。自分にとって、感じのいい人たちが集まっているのです。でも、その店へ来ない人からみたら、そうではないかもしれません。そう感じて足が遠のく店もありますね。

 

結果としてそういうお客さんを選んでいるのは、店主です。店主の個性が出ていて、それに知らず知らずのうちに共鳴する人が集まるようになっているのでしょう。居心地とはそういうものだと思います。19世紀のパリのcaféもきっとそうだったのでしょう。

 

 

フラダンス教室も飲み屋もカフェも、先生や店主の個性が客を集め、集まった個人個人がまた集団の個性(あるいは価値観)を形作っていく。ただし、メンバーは常に一定割合で入れ替わっているから、排他的にはならない。

 

強い組織は、そういう特徴があるのかもしれません。となると、やはりリーダー次第ということなのでしょうか?

先週の金曜、東大中原准教授が主宰するLearning barで、三井物産株式会社人事総務部の渡辺雅也さんの「組織文化を変える ~経営理念の浸透~」というお話しをうかがいました。同社が、2002年国後事件や2004DPF問題といった発端とした危機に、組織の面からどのように立ち向かったかという、非常に興味深いお話しでした。

 

一言でいえば、社員ひとりひとりが自分にとっての「良い仕事」を見つめ直そうという運動でした。

 

タイトルこそ経営理念の「浸透」ですが、私は「活性化」のほうが相応しいと感じました。浸透には上から下へ徐々に伝達するというイメージがあります。創業者や経営者が、理念を忘れてしまった社員たちに、あらためて教育しようというスタンスが垣間見えます。そのために、社長講話を開催し、またカードを配りポスターを至るところに掲示する。一方、「活性化」とは、本来組織や個人が持っていた能力を、顕在化させる、あるいは呼び起こすことです。

 

 

いずれにしろ、理念が社員ひとりひとりのものになっていないのが、現象としての問題でしょう。まずは、それに対処しなければなりません。

 

その場合の浸透策とは、上から目線による「教育」です。言いかるならば「躾け」です。その効果は、現代の組織においては疑わしいでしょう。

 

私は、「教育」ではなく「ラーニング」をベースにするべきだと思います。教育や躾けが外から与えられるものに対して、ラーニングは内面の変化です。経営理念であれば、内面が何らかの変化しなければ、形骸化することは明らかです。

 

企業としてできることは、内面の変化を促す仕掛けや場を提供することだけでしょう。つまり、ラーニングの促進策です。

 

評価制度に経営理念をリンクさせるという、間接的に個人に働きかけるハードアプローチもありますが、あくまで間接的に過ぎません。ひとの表面的な行動は変わるかもしれませんが、意識はなかなか変えられません。

 

 

三井物産では、徹底的に個人に直接働きかける方法にこだわり、全社員が「良い仕事」を考えるワークショップに参加したそうです。そして、その前提には経営陣のフルコミットがありました。

 

 

今回の事例からわかったことは、組織として望ましい方向へ、個人のラーニングを促すには、適切な「問い」を立てることが重要だということです。「良い仕事」という問いは、下記の条件を満たしています。

 

    誰もが経験に基づき、一人称で語ることができる(うちの会社、うちの部ではなく)

    いろいろな解釈ができ、自分自身で考えることができるだけの曖昧さがある(正論だけですまない)

    社員皆が同じ目線で対話でき、その後共通言語化しうる(立場や業務の違いを超えられる)

 

当社で行ったことは、以下のようにまとめられると思います。まさに、Learning engineeringの実例です。

適切な問い→適切な対話→内省→内面の変化→行動の変化

 

トップのコミットのもとで、本気で企業がこのようにラーニングを促進させるバックアップをしたら、不可能なことはないと思います。(ちょっと楽観的かもしれませんが)

 

説明責任と効果測定

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事業仕分けは、政府の予算策定プロセスを透明にした点で、批判はたくさんあるとは思いますが、画期的なことだったと思います。

 

一方、予算削減に反対して気勢を上げたノーベル賞受賞者や、オリンピックメダリストたちは、残念ながら逆効果だったのではないでしょうか。科 仕分け.jpg学やスポーツが国家にとって大事であるとしか言っておらず、かえって「本当にそうなの?他の使い道に比べて、なぜ大事なのかわかるように説明してよ。」という疑問に答えられていなかったからです。それが、彼らの反論は内輪の論理にしか過ぎないと印象を与えたのではないでしょうか。つまり、説明責任を果たしていない。

 

 

ところで、今朝の日経に、GEの人材育成に関する記事がありました。その中で、GE人材教育担当副社長が、金融危機後の方針についてこう言っています。

 

「(人材育成に対する)イメルト氏の姿勢、予算は変わらない。経営陣は幹部教育を時間と金をかけるに値する投資と捉えている。教育の予算を正当化したり、投資効果を考えるより、教育の中身を考える。」

 

米国企業の中でもGEは、投資対効果にシビアなことは間違いありません。でも、もはや人材育成は、投資対効果を云々する段階を超えているのでしょう。それに比べ、多くの日本企業は、「人材育成の費用対効果はどんなんだ」、「効果測定はできているのか」などと、こと教育投資に関しては緻密な議論を好むことがあります。まるで、教育投資をしない言い訳を探しているように見えることもあります。これは一体なぜなんでしょうか?

 

透明性と説明能力に原因があると思います。先の事業仕分けの例でいえば、予算を使用する側も、配分する側も、透明性も説明責任も果たしてこなかった。だから、国民は疑心暗鬼となり、投資効果を激しく求める。

 

日本企業の教育投資も、経営陣や社員に対してはたしてどれだけ透明性を持って説明責任を果たしてきたか、よく考えてみる必要がありそうです。人材開発部門が、経営陣へその施策の重要性や価値を、どれだけ彼らが納得するような形で説明してきたでしょうか。また研修を受ける社員や彼らの上司に、どれだけ何としても受講したいと思わせるだけのプログラムを用意し、かつそれを伝えてきたでしょうか。

 

それらが不十分であれば、事業仕分けと同じように、結局費用対効果を定量的に示せ、ということにならざるを得ないのではないでしょうか。本当に重要だと、経営陣も社員も納得できたら、末梢の議論などに時間を割かないはずです。

 

 

早くGEのように「大人の集団」となり、競争力強化のために議論に集中したいものです。

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