社員は自立しなければならない、これからは自律型組織を目指すべきだ、といった言葉は、どんな企業でも聞かれる言葉だと思います。でも、それらの定義を明確にしている企業は、そう多くはありません。今回は、私なりに解釈してみたいと思います。
自立の対義語は依存です。まずは経済的に、さらにも精神的に人材的にといろいろ続けられるでしょうが、何らかの面で他者に依存することなく存在できること。大企業の子会社の多くは自立していません。親会社にあらゆる面で依存しています。それは、子会社の能力がないからというよりも、親会社が真には子会社の自立を望んでいないからという理由が本当だと思います。
社員と会社の関係も似ています。会社は社員に、もう会社に依存するな、それほどの余裕はなくなったので、自分の将来は自分で考えなさいというわけです。でも、もし社員がそれを真に受けて、自分の自立を第一に考えたらどうなるでしょうか。将来に備えて何か他の会社外の事業にかかわると(お金目当てでなかったとしても)、兼業規定に抵触し罰せられます。また、自立を意識した仕事の仕方や異動を会社に要求したところで、特別扱いできないと言われるのがおちです。つまりが、対等な関係でないところで、自立はできないのです。会社も、昔と比べたら自立の方向を目指しているのは間違いありませんが、いかんせんまだその途上の途上。会社の囲いを外れることは非常に難しい。その結果、社員は「ダブルバインド」の状況に陥る。
一方の自律。自律とは、自らで自らを律すること。自らを律するとは、システム論的にいえば、自らの現在や未来を決める重要な変数はシステム内部にあり、外部の影響を受けるとはいえ、それへの反応を含め内部のシステム内で結論が出せ、サイクルを回し続けることができることです。つまり、自分で自分をコントロールできる。
GEの元CEOジャックウェルチが好んだこの言葉こそ自律を適確に表しています。
Control your destiny or
someone else will
重要な変数としては、経営資源がまずあげられます。資金や人材を自分で調達し運用できる。また、プロセスの最初から最後まで動かせる。そして、結果がフィードバックされ、次のサイクルに反映することができる。これじゃあ、会社そのものじゃなかいと思われるかもしれませんが、そうなのです。自律型組織とは、バーチャルであろうと、小さな単位であろうと完結した一つの会社単位として振る舞える組織のことです。京セラのアメーバ-経営など、日本にもいくつかの例があります。自由度が高いと言えますが、当然結果に厳しい。倒産もあり得る。会社全体からみれば無駄も発生するでしょうし、言うことをきないというストレスも高まる。「変数」を差し出すことは簡単ではない。
自律するには、本人(自組織)は当然ながらそれを包含する企業全体にも覚悟が必要です。もちろん能力や度量も。自律型組織とピラミッド型組織をひとつの組織の中で併存できるものなのか。安易に自律しなさいと突き放すのではなく、本当に今それが必要なのか、それの実現のために企業としてどのような手を打つ必要があり実際に打てるのか、トップの責任のもと何年その浸透に時間をかけられるのか、仮にそれが実現したときに企業全体として受け入れられるものなのか、などについて十分な検討が必要と思われます。
思いつきや流行でなく、本気で自立や自律を検討していただきたいと思います。