組織の能力: 2010年1月アーカイブ

今朝の朝日新聞に載っていたサッカー岡田代表監督と福岡伸一氏の対談が面白かったです。

 

福岡氏には「動的平衡」という著書がありますが、岡田監督はその概念をチームづくりの参考にしようとしているようです。

 

岡田監督がこんなことを話しています。

岡田監督.jpg 

フォワード選手がシュートすべき場面で、パスしてしまったとする。かつては、試合後そのビデオを見せながら、ここではシュートすべきだと指導していた。すると、その選手は後の試合で、ここはパスかシュートか迷ってしまった。同じ場面は二度とないのだから。今では、同じようなことが起きても、ミーティングで見せるビデオ作りを工夫している。過去パスで成功した映像をたくさん集め、その中に一つだけシュートして成功したシーンを混ぜておく。そして、他の選手にも聞こえるように、「今のは、いいシュートだった」という。

 

一方、守備の選手への対応はちょっと違う。防御は、ある程度がロジックだ。そうすべき理由を丁寧に説明する。

 

 

うろ覚えですが、こんな内容でした。攻撃と守備で対応が違うのも、言われてみれば確かにそうです。主導権が自分にある場合、必要なのは定石云々よりも、一瞬のひらめきでしょう。先手を取れるわけですから、そのアドバンテージを最大限利用すべきです。だから、迷わせるような指導はいけないのです。より重要なのは、定石を知っているかどうかよりも、判断スピードです。

 

それに対して、守備は後手です。不確実性が高い守りでは、できるだけリスクを最小化しなければなりません。そのためには、定石、ロジックに従うことが、もっとも失敗確率を小さくするのです。

 

あと、ビデオの使い方も面白いですね。多くのパスシーンにシュートシーンを挟み込む。選手は、パスする自分を見て満足しながらも、「シュートも悪くないかも」と気づく。そのちょっとした自信が、潜在意識にインプットされ、迷うことなく無意識のうちにシュートするかもしれません。フォワードには、指導より「気づき」のほうが有効なのでしょう。

 

これは会社でも同じです。銀行業務のようなリスク回避型の仕事では、ルールの徹底とロジックの理解が大切です。よって、指導が必要。一方、創造性を重視する仕事では、どんなに「創造せよ」と指導しても無意味です。本人の気づきを促す、場を整備することしかできません。その使い分けこそが、マネジメントだと思います。

 

生命科学を踏まえたサッカー日本代表チームができあがったら、結構ワールドカップで暴れるかもしれません。

ダイアローグ(対話)の重要性が、だいぶ企業の中でも浸透してきたように思います。効果的なダイアローグを進めていくには、問いかけの力が欠かせません。

 

これが実は非常に難しいのです。質問と何が違うのか?

 

質問とは、疑問を相手に投げかけ、答えをうることにより聞き手が満足する行為です。問いかけは、相手に対して、思い込みや固定したマインドセットに目を向けさせる行為です。従って、聞かれた人が、自分自身で気づいていなかった自分に気づき、満足するはずです。

 

的確な問いかけは、相手にメタ認知させるわけです。メタ認知とは、自分自身をもうひとりの自分が上空から眺めている状態のイメージです。(元ヤクルトの古田さんは、優れた捕手には、上から見ているもう一人の自分がいると、言っていました)

 

では、メタ認知を促す問いかけを発するには、どうしたらいいでしようか。これには、ある程度の経験が必要ですが、代表的な型もあるような気がします。

 

他にもあるでしょが、以下4つが思いつきました。

●前提を疑う:「そう言うけど、本当にそう?」

●可能性を広げる:「他の方法もあるんじゃない?」

●根っこを掘る:「それは、実はXXだからじゃない?」

●やり直しを問う:「もし、今だったらどうする?」

 

思い込みや偏見、勝手な前提によってがんじがらめになったと感じたら、だれかに問いかけてもらうとういいかもしれません。案外、自分のことを一番わかっていないのは自分だと、あらためて気づくかもしれません。

昨日、日本CHO協会主催「スマートHRD養成講座」の第三(全四回)回を開講しました。企業で人材開発に携わる方々のレベルアップを図ることを目的とした講座です。一貫したテーマは、「経営戦略遂行のために人事・人材開発が何をすべきか」です。

 

初回は、拙著「人材開発マネジメントブック」(日本経済新聞出版)の内容を、ざっとインタラクティブレクチャー形式で行い、第二回は「花王―研修取組2006」というKBS開発ケースをつかって、ケースメソッドを、そして昨日の第三回はライブケースとして、旭化成㈱の事例を取りあげました。

 

 

同社労政・人事部長の元田勝人さんに来ていただき、「旭化成におけるグループ人事マネジメント」というテーマで約45分間講演いただいた後、三つの設問を提示しました。設問を簡単に書くと以下です。

 

1)分社化(2003年持株会社制に移行)に伴い,各事業会社独自の専門能力開発と、グループ全体で必要な能力開発をどうバランスとっていくか

2)求心力を高めるため、経営理念の浸透をいかにはかるべきか

3)グローバル展開加速に向けて、どのような目標と施策を打ち出すべきか

 

そして、グループごとに検討、発表し、元田さんも交え対話を進めました。

 

 

意見の詳細は書きませんが、会社や立場こそ違え、本質的な課題は多くの企業で共通だということがよくわかりました。受講者の皆さんは、「うちも全く同じなんだよな」などと言いながら、熱く発言されていました。皆さん、いくつかの共通するトレードオフに悩んでおられるのです。

 

問題の本質は共通でも、様々な理由により対応の方向性や打ち手、その反応は、会社によって異なります。なぜ、異なるかを認識することが、自社の特徴や状況を浮かび上がらせることになります。

 

ずっと企業の中で議論していても、なかなか自社のことは見えないものです。深い検討を進めるには、一度客観視してみることが必要で、そのためには、同じような問題意識を持った外部の人たちと対話することが最も効果的なのだと思います。

 

東大の中原さんではないですが、シリアス・ファンで対話するこういう「場づくり」を、もっともっとやっていきたいですね。

 

 

私の拙いファシリテーションではありましたが、最後に元田さんから、「今日はいろいろヒントをいただいた」とおしゃっていただき、少しほっとしました。(元田さん、ありがとうございました)

 

なお、次回(最終回)は、他社ではなく受講者自身の会社の経営課題を題材にして、対話を行います。みんなで真剣に知恵を絞り、具体的なアイデアを生み出す場にしていきたいと思います。

内田樹さんの「日本辺境論」に、こんな記述がありました。 

 

弟子はどんな師に就いても、そこから学びを起動させることができる。仮に師がまったく無内容で、無知で、不道徳な人物であっても、その人を「師」と思い定めて、衷心から仕えれば、自学自習のメカニズムは発動する。(「日本辺境論」P149

 

日本辺境論 (新潮新書)
4106103362

 

内田さんは、辺境人たる日本人は、こうして「中心」から学ぶための、素晴らしく効率のいい学びの技術を修得したのだと指摘しています。

 

 

また、世阿弥は「風姿花伝」にこう書いています。

 

上手は下手の手本、下手は上手の手本なり

 

上手が下手の手本は当たり前ですが、下手も上手の手本になると言っているわけです。上手にも悪いところがあり、下手にもよいところが必ずあるもので、自分の技能がある程度のレベルに達したら、「下手のよき所を取りて、上手の物数に入るる(芸の一つに加える)こと」が肝要だとも説いています。つまり、すべてが師になり得ると。

 

 

いっぽう、比較の心が芽生え、自分が偉いと思ってしまう(慢心)と、学びが起動しなくなってしまいます。それを、世阿弥は、以下の言葉で指摘します。

 

稽古は強かれ諍識(じょうしき)はなかれ

 

諍識とは、慢心から生じる争う心のことです。他者を自分と比較して、劣ると見下すことです。そういう心を一切排除して、稽古に励めと説いているのです。稽古とは、古(いにしえ)をかんがえることだそうで、古来の型をひたすら真似ることです。そこに、比較対象はありません。世阿弥は、日本人の学びの大先生です。

風姿花伝 (岩波文庫)
4003300114

 

 

ところ、最近の職場で、「若手が学ばない」と嘆く声をよく耳にします。あるいは、上司の育成力が落ちているとも。

 

もし、以前は職場での学びが機能していたとすると、何が変わったのでしょうか。暗黙のうちに伝授されてきた、学びの作法が、現在職場で失われつつあるのかもしれません。

 

「上司は、若手に対して、なぜそれを学ばなければならないかを、合理的に説明しなければならない」、「最近の若手は、理屈で納得しなければ動かない」

 

といったフレーズもよく耳にします。確かにそういう側面はあるのでしょう。「なぜ、人を殺してはいけないのか?」という問いが、話題になるような時代です。

 

しかし、そういう風潮が、日本人の強みであった学びの力を落としているのかもしれません。理屈はともかく、まず稽古(型を真似る)することで、学びを起動させるアプローチに立ち返ることが必要なのではないでしょうか。一見非効率に見えて、実はそれが最も効率的だという気がします。

ヒューマンキャピタルという言い方は、やっと一般的になりつつあるようです。ヒトは、減損する資源(リソース)ではなく、蓄積・拡大する資本(キャピタル)であるとの考えに基づくのでしょう。企業サイドから見れば、その通りだと思います。また、個人としても自分自身のキャピタルを意識すべきでしょう。

 

ところで、最近個人であろうが組織であろうがナレッジ・キャピタルとレピュテーション・キャピタル、ポリティカル・キャピタルの3資本が欠かせないと考えています。(長いので、それぞれKCRC,PCと略します。)

 

まず、KCですが、経験や学習によって獲得したナレッジは、基本的には蓄積されます。その意味では、典型的キャピタルです。過剰適応の問題はありますが、KCの蓄積はどういう環境であろうが持続すべきですし、質の良いKCを蓄積することを心がけるべきです。

 

次にRCです。レピュテーションとは、名声、評判そしてそれらにより構築される信用やブランドを表します。これも、ネガティブなRでなければ蓄積されます。ただし、時間の経過によって、薄れる特徴があります。それが資金との大きな相違点です。したがって、継続的な獲得活動が必要になります。名前を忘れられないように。

 

最後のPC。ここでのポリティックとは、他者(他社)へ影響力を行使できる力を表します。これは、KCRCの結果ということもできるでしょうし、それ以外にもたくさんその源泉はあります。権力、おカネ、人脈、知名度、人柄、人気、期待などたくさん考えられますね。PCの源泉には、固定的性格のものもあれば、移ろいやすいものもあります。新政権は、100日以内は国民とハネムーン期間だと言われますが、そのPC100日間しか有効ではないということです。(その間に大きな成果を上げれば、PCは増大します)

 

さて、これらのキャピタルはお金で測ることができず、従ってBSPLに表記されません。さらに、それぞれの獲得を目的とした投資とリターンの関係も明確にはわかりませんし、リターンが見えるまでに長い時間もかかるでしょう。

 

しかし、その重要性は日に日に高まっています。したがって、3キャピタル獲得を信じて、日々継続して地道に活動するしかないのです。信念と忍耐強さが欠かせません。

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