組織の能力: 2010年3月アーカイブ

切れ味鋭い学者の指摘は、もやもやした不快感への解毒剤となります。今日で終わる印南一路慶應義塾大学教授の日経朝刊「やさしい経済学 『医療の分かりにくさ』」は、そういう連載でした。こういう見識ある論を読んだとき、いくばくかの税金投入されている大学の価値を、かろうじて感じることができます。

 

 

医療問題における健康格差問題、医療崩壊問題、医療費問題を取り上げ、問題設定自体が間違っていることを指摘しています。詳細はここでは触れませんが、なぜこのような問題設定の錯誤が発生するかについての、今日の見解はなるほどをうなずくことしきりでした。真の問題設定を妨げている原因を四つあげています。

 

    感情論に訴えやすく、その結果問題を単純化しがち

    自分たちが求める問題解決を実現すべく、問題設定をするかえる結論先行型議論が起きがち

    真の問題解決にはほど遠くても、一見問題解決したと見せられる

    深刻な理念の対立を避けることができる

 

問題解決の先送りを合理化するための方便となるように、問題設定をすり替えるわけです。

 

 

これは、企業でも全く同じですね。たとえば、・・・・。

    派遣労働者の活用が企業の競争力を保ち、国内での雇用も守る

→「国内正社員の雇用を守る」ことが、まだ国民の琴線に響くようです

    成果主義の導入が、社員のモチベーションを高め、企業を強くする

→総人件費圧縮の方便として成果主義を活用したことは周知の事実です

    増資することにより自己資本比率を高め、株主に報いることができるようになる

→一見自己資本比率向上は、好ましいことですが、真の問題は増資した資金を有効に活用して、希釈化した既存株主の保有価値を、向上させることができるかどうかです。

    新卒採用停止で人件費を削減する

→真の問題は、社員の新陳代謝を適切に進められるかどうかです。新卒採用での雇用調整が、どれだけその後の企業運営に悪影響を与えたかは、企業自身が深く理解しています。雇用(給与)の保障か、企業の健全化か、避けては通れない理念の対立です。

 

 

基本右肩上がりの経済であれば、問題の先送りも意味があったことでしょう。しかし、現在は逆です。早く高度成長のパラダイムから脱却しなければ、企業も国も衰退を免れることはできないでしょう。

 

企業組織には、内部のアイデンティティを保つための見えない壁があります。壁が境界となり、ウチとソトを隔てて求心力を保つわけです。「ウチの部では・・・」と言いますね。

 

しかし、本当は壁ではよくないでしょう。壁ではなく膜であるべきです。壁は遮断することが目的ですが、膜は透過するものと遮断するものを選別する機能もあります。フィルタリング機能です。

 

組織は、外部環境の中に存在するのですから、否応なくその影響を受けます。それに対して、壁で囲うのか膜で包むのかで大きな違いが出てくることでしょう。

 

この不況下、顧客は費用対効果の高さを求めてくるようになってきているはずです。これまでのように、他社が買っているからとか、以前から使っているからという理由はなくなりました。顧客とは、こちらが思う以上に冷たいものです。

 

そういった変化に対して、組織の中は従来型のやり方を維持するのか、それともその変化を取り入れるのか。具体的には、例えばこれまでの年功型報酬を維持するのか、成果型報酬に切り替えるのか。

 

不況がサイクリカルなもので、いずれ景気が戻ると予測するのなら、ここは壁を作りじっと耐えるのもありだと思います。しかし、構造的な変化だと予測するのなら、その変化を取り込まざるをえません。膜を透過させて内部に持ち込むのです

 

しかし、単に入れ込むだけでは、膜の中は混乱することでしょう。かつての横並びの成果主義採用の失敗がいい例です。取り入れた後、組織内部で新たな均衡を図ることが必要です。組織が「変わること」とは、成果主義に切り替えることではなく、成果主義が機能するよう組織全体が新たな均衡点を見つけることなのです。つまりパーツの取り換えではなく、パッケージで変えるのです。

 

そのための柔軟性を、人間の細胞組織は持っています。何を透過させ何を遮断するかの判断と実行、そして透過後直ちに均衡させる適応の速さ、こういう賢さやしなやかさを企業組織が持つために、できることは何でしょうか。常に外界に素肌をさらすことと、組織の中の透明性を高く維持すること、そして適切な代謝を促すことでしょうか。

私がケースメソッドに出会って、はや22年も経ちました。1988年に慶應ビジネススクール(KBS)に入学した私は、経営学の知識もあまりないまま、突然ケースの海の中に放り込まれた気がしたものです。

 

ケースメソッドとは、「参加者がケース教材をもとにした討議を重ねることで、実践に備えうる叡智を紡ぎ、困難に立ち向かう姿勢と態度を涵養するための教育方法」です。また、ケースとは、現実の企業・組織の「経営の現場で業務の進行とともに隠れていた問題が生じ、担当者のみならず、そのマネジャーひいてはトップを巻き込む様態を描いた」教材です。(「実践!日本型ケースメソッド教育」高木晴夫・竹内伸一著より)

 

KBSを修了してからも、継続的ケースメソッドに触れてきましたが、やっと最近その醍醐味がわかってきたような気がします。

 

教育にも二種類あります。まだ、全く経験も知識もない分野について学ぶ教育と、ある程度の経験を積んだ分野において学ぶ教育です。前者の典型は小学校や中学校などの学校教育、あるいは企業の新人教育です。一方、後者は、企業のマネジメント教育がその典型でしょう。

 

ケースメソッドは、経験者に対する教育に適していると思います。なぜか。例えば、企業で管理職を務めるような人は、最低でも10年はビジネス経験を積んでいることでしょう。その間の経験の中で、様々な持論(My theory)を蓄積してきているはずです。また、様々な「ものの見方」(Mind set/Mental model)を意図せずかもしれませんが保有しています。それらの蓄積が、業務や判断の確実性、迅速性、的確性などの基盤となっているのです。

 

しかし、時にそれが足かせにもなります。裏返せば、「思い込み」「偏見」「頑迷」などのもとになりえるのです。それは、自分の経験による持論やものの見方に、他者の視点を入れないことから起きます。つまり、他者との相互作用の欠落です。

 

では、それを防ぐにはどうしたらいいか。人によっては、ある新聞記事を一瞥しただけで、そこに書かれた内容と自分の内面とを結びつけ、相互作用を起こし、そこから新しい学びを獲得する人もいます。そういう人が、すぐれた学習者です。しかし、それはそう簡単ではありません。

 

 

前置きが長くなりましたが、自己の内面(内部世界)と他者(外部世界)との相互作用を促すのに、効果的な方法がケースメソッドだと考えているのです。

 

新聞記事や哲学書、歴史書などと、自己の内面との相互作用を図れる人はそう多くはありませんが、自分が普段関わっているビジネスの領域であれば、内面に働きかけてくることは比較的容易です。経験と結びつきやすいのです。

 

多くのビジネスパーソンが集まって企業事例であるケースを題材にすることにより、参加者それぞれの多様な持論や「ものの見方」が発現してきます。それらを自己の内面と照らし合わせることにより、気づきが生まれるのです。偉い先生から教授されてもピンと来なかったことが、自分と似た問題意識を持つ方々との相互作用を経ることにより、腑に落ちるのです。経験者が「学ぶ」こととは、新しい知識を加えることではなく、自分自身が「変わる」ことです。学ぶ前とは異なる自分になることなのです。

 

 

ところで、ケースは、一種の「ものがたり」でもあります。概念化された理論をいくら教えられても、内面と結びつかなかったことが、「ものがたり」を通じて暗喩されると、案外結びつくことも多いものです。だから、ケースが教材としても有効なのです。

 

このようなケースを使って、多くの他者との相互作用を促すことができるケースメソッドは、経験豊富な方にこそ適した教育手法だと思います。

 

ただし、こういった相互作用を的確に促すには、「場づくり」あるいは「場のコントロール」が非常に重要です。それをリードする講師(ケースリーダー)の実力如何とも言えます。残念ながら、日本でその実力を持つ方は、まだそう多くはありません。それが、最も大きなケースメソッド教育における課題だと思います。そういった部分も含め、ホンモノのケースメソッドの浸透に貢献できればと思っています。

蓮池薫さんが、今朝に朝日新聞のインタビュー記事で、こんなことを言っておられました。

蓮池.jpg 

「どうしようもない感情というものが、人には必ずある。そのことを理解することが大切。そして、それを刺激してはいけない。」

 

北朝鮮に拉致され、無理やり人生を変えられてしまった人の言葉だけに重みがあります。私はそれを、感情と論理と価値観の折り合いの重要性だというふうに理解しました。

 

ちょうど、日韓合同の教科書検討会で、双方の認識の違いが明確になったり、またグーグルが中国政府の検閲に抗議して、本土から検索の撤退を決めたとの報道もされていました。

 

日中や日韓の間で近年取り組んでいる、合同の教科書検討会は、どうしようもない感情があることを双方に理解させる意味で、大きな一歩だと思います。

 

グーグルについては、感情というより中国政府の論理と、グーグルという私企業の価値観がぶつかった例ということができるでしょう。論理と価値観のすり合わせはやさしいことではありません。しかし、その対立軸を明確にしたという意味では、私企業であるグーグルに敬意を表したいと思います。

 

 

ところで、企業内におけるコンフリクトの大部分は、このような感情と論理と価値観(倫理観)の折り合いの稚拙さによるものだと思います。

 

例えば、富士通の社長退任問題にしても、様々な問題はありますが、突き詰めれば退任させられた野副社長の感情と退任させるべき合理的理由との間の折り合いが不適切だったからだと推測します。その上で、株主に対する説明責任、つまり企業倫理にも配慮が不足していました。

 

「折り合い」とは、非常にあいまいな日本語ではありますが、相手の立場を慮って、自分の立場との妥協点を見つけていく、という高度なコミュニケーションスキルということができるでしょう。

 

折り合いをつけることは、決して「臭いものに蓋をする」こととは違います。いったん、認識や思いの違いを双方で認識にした上で、「落としどころ」を見つける日本の知恵なのではないかと思います。

 

なんでもかんでも一つの正解を追及することを是とする一神教ではないことが、日本の強みになるはずです。

ユニ・チャームの高原会長の「私の履歴書」は本当に面白いです。今日は、生理用品から紙おむつへの多角化の経緯が書いてありました。

高原さん.jpg 

生理用品でナンバーワン企業になったとたん、減収となった。花王の参入もあったが、最大の原因は慢心、気の緩みだと考えた高原さん。社内風土改善が必要と痛感し、なんと三年前日本市場に参入したP&Gがいきなりシェア90%を獲得した紙おむつ市場への参入をもくろんだのです。

 

とても合理的な戦略とは思えません。本業は花王に攻めまくられ大変な時期に、超巨大企業がどっしり構える新市場に参入しようなどと、およそ合理的な人は考えつかないでしょう。

 

 

案の定、社内も社外も大反対。しかし、経営会議で「反対するヤツは出てけ!」と怒鳴り、参入を決定してしまったのです。

 

なぜ、高原さんはそうまで紙おむつへの参入にこだわったのでしょうか。成功の確信があったのでしょうか。ここに、経営戦略のもう一つの形が見えます。SWOT分析などに基づく合理的戦略策定ではなく、組織が学習し進化することを最優先にした戦略策定といえると思います。

 

サントリーのビール事業の長年の赤字は、健全な危機感を組織に維持するための健全な赤字だとの論調はありますね。しかし、それはウィスキー事業というキャッシュカウあってのものです。高原さんは、本業が危ないからこそ、大変なリスクを抱えようとしたのですから、サントリーともぜんぜん違います。

 

そう考えると、ユニ・チャームの競争力の源泉は、組織の学習能力だと感じさせられます。いかに、組織内に緊張感を維持し常に進化、学習を続けさせることができるか、そこが他社に真似できない本質的な強みに違いありません。

 

連載にも出てきましたが、高原さんの「ノート魔」ぶりは有名です。(幹部研修をオブザーブされたときも、最前列に座って熱心にノートを取り、真っ先に質問していました。)このような姿勢が、全社に浸透しているのです。本当に強い企業です。

 

サラリーマン社長は、合理的戦略を選ばざるを得ないような風潮にあります。ユニ・チャームをはじめとしたオーナー系企業の多くが強いのは、非合理的戦略を取ることができるところにあるのかもしれません。

コンサルティングは、クライアント企業の依頼を受けて、活動し最終的に成果物を自ら完成させて提出することが普通でした。いわゆる医者と患者の関係です。

 

このような従来型のコンサルティングでは、患者は病気になるたびに医者にかからなければならないという宿命にあります。また、医者も複数のコンサルタントからなるチームで対応せざるを得ず、必然的にコストも高いものになります。

 

しかし、最近異なる動きが広がりつつあるようです。クライアントは、コストをできるだけ抑える必要性と、社内にコンサルティングのノウハウを蓄積する、すなわち内部の能力開発を同時に行うために、クライアントメンバーのプロジェクトチームに、コンサルタントが一人加わり、問題解決を図るというパターンが増えてきているのです。

 

クライアント側はそのやり方により、コア人材の育成とノウハウ蓄積、そしてコスト削減の一石三鳥を狙います。一方コンサルタント側も、ある意味で手足となる人材はクライアントが提供してくれるので、コンサルファームから独立してもやっていけるというメリットがあります。つまり、個人コンサルタントの活躍の場が広がっているとも言えます。

 

ただし、そこでコンサルタントに求められスキルは、コンサルファームにおけるスキルと一部異なります。当たり前ですね。コンサルとしての能力も経験も不足している(ほとんどない)クライアント側のメンバーを、うまく使い、しかも育成までを視野に入れなければならないのですから。名選手必ずしも名監督ならずと同じで、このスキルシフトは実はそう簡単ではありません。クライアント側メンバーを育成するとは、将来の自分の仕事を代替する人を育てるということでもありますし。

 

 

ところで、企業内研修の文脈では、研修の場で教育しながらもビジネスに直結する成果を期待する傾向にあります。つまり、人材開発と問題解決/コンサルティングが、両方の側から近づきつつあるわけです。

 

もう一つ。ある社内プロジェクト(例えばブランド再構築プロジェクト)における育成もOJTといえますが、これまで社内のリーダーが担ってきたOJTにおける育成責任を、外部のコンサルタントに担わせるという、いわばOJTの外部化が起こっているということもできます。

 

 

現在は、あらゆる部分で従来型の境界がなくなる、ボーダレスの時代です。過去のパラダイムに執着せず、軽やかに境界を越えるしなやかさが、実は競争力の源泉になるのかもしれません。

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