組織の能力: 2010年4月アーカイブ

部下を叱れない上司や、隣にいてもメールで報告する部下の話を耳にする一方で、社内運動会や社内旅行、上司の自宅でのホームパーティに嬉々として参加する若手の話も聞きます。企業組織内のコミュニティの力はどうなってきているのでしょうか?

 

 

企業における組織の問題を考えていると、結局日本社会の問題に行きついてしまいます。つまり、日本社会におけるコミュニティの問題と、日本企業における組織の問題は、相似形にあり、どちらも大きな変革期を迎えていると言えそうなのです。広井良典千葉大教授のコミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書)
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を読んで、そう感じました。

 

 

日本社会は「農村型コミュニティ」であり、共同体的一体意識でつながっていると言われます。戦後、人口が農村から大量に都市に流入したのですが、都市(主に東京)に、「カイシャ」というもう一つの農村型コミュニティを成立させた。そして、儒教的価値観を否定し、「経済成長」という新たな価値原理で人々はまとまり、社会全体が一心不乱に成長を追い求めてきたわけです。しかし、前提となる経済成長は、もうほとんど望めません。その結果、社会的孤立が高まっているそうです。

 

 

企業組織も、同じような問題を抱えています。農村型コミュニティでは、企業は立ちいかなくなっています。まず外部からは、否応なくグローバル化に対応するには多様化を受け入れざるをえません。また内部では、終身雇用や年功序列が崩れる中で、たぶんに情緒的な長期安定的な組織運営は難しくなります。つまり、農村型コミュニティが維持できなくなりつつあるのです。そこに来て、すべてを癒してくれた「成長」も見込めない。

 

そんな中で、成果主義やグローバルスタンダードのかけ声のもと、社会の中でも企業の中でも格差が広がっています。日本経済すなわち企業の成長イコール個人の豊かさであった時代はすでに幕を閉じ、個人の豊かさがそれらと分断されてしまったのです。「会社の成長のために、一丸となってガンバロー!」は、もはや社員の心を動かさない。こうなると、企業は「企業成長」に替わる新たな価値原理を、社員に提示しなければならないでしょう。

 

 

たまたま今朝の日経の清華大学国情研究センターの胡主任のインタビュー記事に、こんな言葉がありました。

 

(中国は)貧富の格差は広がっており、これを解消する方法はなかなか見つからない。ただ、中国では経済のパイが膨らむ中で格差が拡大している。貧しい人たちも教育を受けて一生懸命に仕事をすれば、いつかより良い生活をおくれると信じている。一方、日本の格差拡大は収入が増えない中で起きている。悪性の格差拡大であり、解決方法がないように見える。

 

中国が今後も高成長の中で格差拡大を抑えることができるかどうかは、はなはだ疑問ですが、日本についてはその通りでしょう。(ちなみに、日本の高度成長は、成長と格差縮小を両立させた世界でも稀に見る快挙だった!)

 

 

では、「都市型コミュニティ」に、日本社会も企業も移行すべきなのでしょうか。それは可能なのでしょうか。都市型コミュニティとは、独立した個人としてつながるコミュニティーのことです。農村型が情緒でつながるのに対して、都市型では規範でつながる。欧米が都市型コミュニティを築いているのは、歴史的経緯もありますが、やはりキリスト教という強い規範があり、「神」を経由して自律した個人同士人がつながることができるからなのです。そのような規範のない日本は、どうすればいいのでしょうか。「空気」が規範になるのだけは避けなければなりません。

 

自律した個人のつながりとなるか、孤立した個人の「空気」によるまとまりとなるのか。社会の変化に敏感な若手社員は、社会的孤立から逃れるために、「カイシャ」でのつながりを求めているのかもしれません。学生の大企業志向回帰も、単に不況のためだけではない気がします。求める「つながり」が、都市型コミュニティでのそれとは異なる携帯での頻繁なメール交換に近いものでなければいいのですが・・・。

 

 

いずれにしろ、日本社会も企業組織も、あらたな「つながり」の形を創造する時期に来ているい気がします。

 

これまでも何度か組織開発に関して書いてきましたが、私なりに整理してみたいと思います。

 

組織開発に関する私の問いは以下です。

1)なぜアメリカ企業では組織開発が大きなテーマになっているのか

2)なぜ日本企業では、これまで組織開発は大きなテーマになっていないのか

3)日本企業において、それが今後どうなっていくのか

 

以下に、私見を書いてみます。

1)アメリカ企業と組織開発

・個人の自律性を重視する欧米企業では、リーダーの指示により社員が決  められたタスクを遂行することが一般的だったので、レポートラインは重要だが集団の力を高めることへの関心は低かった。

    80年代日本企業の躍進を驚異と感じ、強みの源泉を探った結果、組織能力にポイントがあると分析、その開発の重要性に着目した。

    個人の自律性を重視する米企業にとって、それは容易ではなかった。しかし、日本企業に学びながら、「組織開発」の手法をシステマチックに進めていった。

 

2)日本企業と組織開発

・集団志向の強い日本企業では、組織図上で箱をつくり、その管理者とメンバーを箱に書き入れれば「組織」ができあがった。つまり、ムラと同じ人間集団すなわち組織だった。そこでは、リーダー(管理職)の権限は総じて強くはなかった。

    高度成長期をむかえ、急速に拡大する会社組織を適切に管理するために、管理職の能力向上が喫緊の課題となり、アメリカから感受性訓練(ST)が導入された。

    そもそも自律性の強いアメリカ社会での、集団相互関係強化の手法であるSTを、凝集性の強い日本企業組織に導入した結果、個人パーソナリティーの変容をもたらす即効性のある訓練との誤解を一部で生んだ。その結果、自己の殻を破るためとのロジックで、性格破壊の弊害も見られるようになった。

    その反動で、STの目的の一つである「組織開発」という言葉へのアレルギーが広がっていった。一方、経営環境の変化に乏しく、基本右肩上がりの成長を続ける日本企業では、米企業と比べ組織開発の必要性も高くはなかった。

 

3)これからどうなるか

・日本企業で、組織開発が必要なかった背景が現在急速に変化している。例えば、以下の傾向は今後さらに強まることでしょう。

 -経営環境:安定→不確実性へ

 -組織凝集性:強い→弱くなりつつある

 -構成要員の同質性:高い→低くなりつつある

 -戦略理解の必要性:あまり必要ない→組織末端まで必要

 -マネジメントサイクル:比較的長期→短期化

 -ミドルの役割:マネジメント層と現場の仲介役→プレイングマネジャーという名のプレイヤー

 -既存組織を超えた相互依存性:低い→高くなりつつある

・米企業では戦略面においても、トップダウンではない現場レベル(下レイヤー組織)からの創発を促す傾向が強まるだろう。そのためにも組織能力の強化はさらに進んでいくに違いない。

 

 

このような環境のもと、日本企業もプロアクティブに組織の効果性を高める必要に迫られているのではないでしょうか。呼び方は、職場開発でも組織開発でも何でもいいのですが、STの失敗を繰り返さないためにも、日本企業の歴史や風土に根差した活動にしなければなりません。まだまだ個人の自律性が高くないことを前提に、個人の開発と組織の開発を並行して行う難しさがあるのです。

(ここでは単純化のため、米企業と比較していますが、EUや中国、韓国企業との比較も必要ですね。)

昨年政界を引退した河野洋平氏が、こんなことを書いていました。

 

「仲間と新自由クラブを創設するため自民党を脱党する時、脱党の理由のひとつでもある田中角栄氏に挨拶にいった。田中氏は、脱党に理解を示した上で、こうアドバイスしてくれた。『いいか、とにかくできるだけ仲間と一緒に飯を食え。それさえしていれば大丈夫だ。』その数年後、同志の西岡氏が脱党したとき、あの時の田中氏のアドバイスの意味を痛感することになった。」

 

 

一緒に飯を食うことに、一体どんな意味があるのでしょうか。結党の同志たちですから、一緒に議論する機会はいくらでもあったでしょう。でも、議論の場だけではだめだということではないでしょうか。食事をともにするということは、議題も議長もない状態で無目的に対話(ダイアログ)をすることなのだと思います。田中氏は、ダイアログすることの価値を深く理解していた。

 

ダイアログは、意見を交わすことではなく、意見の根底にある前提、さらにその根っこにある思考プロセスや価値観をさらすことです。必ずしも、合意を求めるようなことではありません。集団で理解しあい、時間を経て結果としてそれらがすり合い共有するプロセスということもできます。

 

ましてや、食べるという行為はもっとも本能的な行為です。人間は、そういうときは「思考」というフィルターが外れやすいものです。その回数が増えるにしたがって、さらにその効果は高まることでしょう。そうして、集団で意味の共有が図られ、やがて「文化」にまでなっていく。そうなったら、強い組織になる。

 

 

政治の世界で天才的な勘と実行力を示した田中氏にとって、ダイアログは必須の技術だったのかもしれません。それを、政敵ともいえる河野氏にアドバイスするとは、やはり器が大きな人だったのですね。

 

そういえば、キヤノンでは、役員は毎朝8時に集まって雑談をすることが習慣になっていると聞いたことがあります。キヤノンの強さも、この早朝ダイアログにあるかもしれません。

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