組織の能力: 2009年6月アーカイブ

雑誌「人材教育」7月号が、「日本の経営人材育成を考える」を特集しています。私もこれまで、少なからぬ企業の経営人材育成をお手伝いしてきたので、興味深く読みました。

 

 

神戸大学の三品教授は、日本と海外企業の経営者を比較して面白い切り口を示しています。

 

80年前後:日本の創業経営者 VS アメリカの専門経営者

     (松下幸之助、盛田昭夫、本田宗一郎、豊田英二ら)

90年代:アメリカの創業経営者 VS 日本の専門経営者

     (ビル・ゲイツ、アンディ・グローブ、ラリー・エリクソンら)

    現在:韓国・台湾の創業経営者 VS 日本の専門経営者

 

結局、グローバル競争力の変遷も、経営者タイプに代表される企業の発展段階で解釈できるようです。(もちろん例外はありますが)

 

創業経営者と専門経営者の違いは、創業者は目的のために手段を選ばないのに対し専門経営者は、手段(プロセス)へ固執することだそうです。言いかえれば、会社の生き残りのためなら手段を選ばない創業者と、秩序重視から抜けだせない専門経営者ともいえるでしょうか。

 

創業社長が、後進に譲った後、業績不振からカムバックした例はたくさんあります。あまり見た目はよくはありませんが、それが創業者なのです。ヤマト運輸の小倉さん、ファーストリテイリングの柳井さん、スズキの鈴木さん、新生銀行の八城さんなどなど。創業者とそれ以外では、明らかに違うのです。

 

 

では、日本の既存大企業で専門経営者を輩出するにはどうしたらいいでしょうか?答えはひとつでしょう。組織の枠の中であっても、疑似的に創業者的役割を担わせることです。新規事業、事業投資先、関連会社など、大企業であればあるほど、その候補先はたくさんあることでしょう。できるだけ早い時期に、そこに放り込むのです。親元からの支援を最少にして。

 

かつての銀行は、取引先支援と称して若手行員を倒産寸前の企業に派遣しました。リクルートの元気がいいのは、どんどん新規事業を創らせ実質的に経営をさせるからでしょう。近年では、総合商社が投資先に若手を経営陣として多数送り込んでいます。

 

まだ実力も経験もない若手が、そういう境遇に追い込まれれば、いやでも勉強もしたくなります。そうなって、初めて経営人材教育(研修)の効果が期待できるのです。

 

同期でトップだから選抜教育を受けさせようなどという、トップや人事の配慮は、思うほど効果は上がらないでしょう。当然ですが、学習効果など、本人の意欲、もう少し言うと渇望感次第なのですから。

先週の金曜、東大中原淳准教授が主宰する恒例のLearning barに参加しました。テーマは、ずばり「リーダーシップ開発」です。

神戸大学伊達さん.jpg 

 

神戸大学の伊達さんのプレゼンを聞いていて、共感することが多くありました。企業研修の分野でも、リーダーシップ開発はとてもメジャーなテーマで、ニーズも大きい。にも関わらず、これだ!といった開発方法論も確立されていませんし、そもそもリーダーシップ開発なんてできるの?という疑問が常に付きまといます。

 

ニーズは大きくかつ誰もが何でも言えるので、魑魅魍魎が跋扈する世界でもあります。正直、私はあまり近づきたくはない領域です。

 

そこを、伊達さんは、若手研究者ゆえ大胆にも「リーダーシップはロマンス(妄想?)に過ぎない」と言い切ったのです。

 

その話を聞いていて、青山二郎が言った言葉を思い出しました。

 

「美なんてものはない。ただ、美しい物があるだけだ。」

 

それと同様に、りーダーシップなんてものはなく、ただそこでの「リーダー」がいるだけではないでしょうか。集団には必ずリーダーが生まれてきます。それらのリーダーの共通項を抽出し、それをリーダーシップとして概念化したところで、実践で活用できるとは思えません。百人のリーダーがいれば百のリーダーシップスタイルがあるというのが私の実感です。

 

ただ、似た様な時代背景や業界・業務特性、ライフステージ、企業文化、そして個人の性格などによって、リーダー像の共通項を抽出し、参考にすることは多少有益かもかもしれません。(すごく難しそうですが・・・。)また、自社にとっての好ましいリーダー像を、自ら定義することも意味があるはずです。

 

そしてその上で、そのようなリーダーが輩出されるように組織環境を整えることはできるでしょう。それは、決して「りーダーシップトレーニング」や「選抜者へのコーチング」などではないと思います。環境を整えもせず、リーダーが生まれてこない理由をトレーニング不足や上司の力不足に求めるのは、経営者の責任回避ではないでしょうか。リーダーを育てるのは、トップリーダーでしかありえないのです。

 

 

そんなことを考えさせられた、とても有意義な会でした。

 

(注:上の伊達さんの写真は、中原さんのブログhttp://www.nakahara-lab.net/blog/2009/06/learning_bar_23.htmlから転載しました。)

 

今朝の日経朝刊に、ソフトバンクが研修の外部委託を減らし、内製化を進めていくとの記事がありました。これまで、全体の6割を占めていた外部委託を2割にまで減らすことにより、費用を3割削減できるそうです。ただ、幹部研修など社内講師では難しいものは、引き続き外部委託するそうです。

 

また、中小企業診断士などの有資格者を、社内講師として登録し、年間10日程度講師を担当してもらうそうです。

 

さて、この記事から、簡単な計算で内製化と外部委託の費用の比率が、12.4であることがわかります。内製による研修費用には、社内講師や受講者の機会費用は含まれていないでしょうから、外部流出する会場費、受講者移動宿泊コストくらいでしょう。仮に一日研修で考えてみましょう。会場費は一時間約一万円で8万円。移動や宿泊費はばらつきが大きいですが、ざっくり一人7千円、受講者数を30人として、計21万円。内製研修費用合計29万円。外部委託の費用は、その1.4倍の約40万円となります。

 

 

これまでも、何度も書いてきましたが、研修費用削減のため内製化を進めるのは、大きな流れとなってきています。果たして、40万円で委託していた研修内容を、講師としてはアマチュアである社員講師が品質を落とさないで提供できるのか。なかなか難しいところだと思います。しかも、社員講師の機会費用を加味すると、実は節約額の40万円は、大幅に小さくなるはずです。(社員講師が、暇なら別ですが、そんなことはないでしょう)

 

しかし、企業では難問にチャレンジし、課題を克服していかねばなりません。そのためには、単に社員講師を起用するだけでいいのか、頭の使いどころだと思います。

かつて駆け出しのコンサルタント時代、先輩からこんなことを言われました。

 

「コンサルタントは、分析や提言の中身が重要なことは言うまでもないが、それ以前に第三者であることに価値がある。どんなに優秀な経営者でも、自分や自社のことを冷静に見られなくなることがある。だから、業界の門外漢であるコンサルタントの言葉を信頼してくれ、高いお金を払ってくれるのだ」

 

当時は、そんなものかなあと思ったのですが、年を経るに従ってその意味が良く理解できるようになりました。

 

 

先日、ある講師が予定している一日セミナーのクラス運営計画を、一緒に考えました。講師には言いたいことがいっぱいあります。当日使いたいパワーポイント資料も膨大になっています。それぞれに思い入れがあるので、なかなかカットできません。

 

第三者である私は、思い入れがないだけに、それを冷静に見ることができます。当初講師が準備してきた計画や資料を見ると、枝葉が生い茂って幹 熱帯雨林.jpgが見えない樹木のように感じました。一番言いたいメッセージ、すなわち幹を際立たせるには、大幅な剪定が必要なのです。

 

そこで、その講師が多少気分を害すことも予想しながらも、大胆にパワーポイントのページをカットし、また並びかえました。いったん、第三者がそれをやって、目の前で見せなければ、なかなか思い入れを断ち切れないのです。

 

これができるのは、私の能力や経験の問題ではなく、単に第三者だからです。私も、何度も逆の立場で苦労して作った資料を、バッサリ捨てられたものです。でも、冷静に考えれば、確かにその方がいいと思いえることばかりでした。

 

 

プロ野球の選手兼監督も、映画の主演兼監督も、演劇の主演兼演出も、たいていはうまくはいきません。人間なんて、所詮その程度の能力なんだと割り切って、それを補う方法を考えるべきなんです。

 

ただ、最近の社外取締役制度はそうか、というとちょっと違う気がしています。最終顧客のことだけを考えて、バッサリできなければ第三者とはいえないのですから。

集団があれば、そこに必ず嫉妬は生まれます。それが人間というものでしょう。では、それをどうマネージするのか。

 

 

無名塾を主宰する俳優仲代達也による、良いパフォーマンスを見仲代達也.jpgせる劇団は、必ず組織の中に嫉妬があるそうです。むしろ、仲間の能力の高さに嫉妬できない仲良しグループでは、良い結果が残せない。「お互い役を奪いあう敵と思え」と指導しているとのこと。

 

たしかに、仲良しグループでは厳しい外部との競争に勝っていけないでしょう。内輪での心地よさと、外部競争での勝利の両立は難しいはず。

 

嫉妬を負のエネルギーと正のエネルギーに分けるものは、いったい何でしょうか?それは、自己においては、現状を客観的に観ることができる能力であり、組織としては「礼儀」ではないかと思います。

 

安定を求め、自己を客観視できなければ、その矛先は相手に向かいます。以下、立川談志のことばです。

 

「己が努力、行動を起こさず対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。(中略)現実は事実だ。そして、現状を理解、分析してみろ。そこには、なぜそうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。」(「赤めだか」より)

 

批判的思考(クリティカル・シンキング)がそこでは大きな役割を果たすでしょう。ここで、大事なのは、批判の矛先は他者ではなく自己に向かうという点です。

 

 

次に、組織としてどう対処すべきか。仲代は、それを「礼儀」に求めます。演劇では一年先輩は神様です。でも、実力と人気があれば、その先輩を追い越すこともある。「先輩を追い越すことがあるからこそ、礼儀が大切だ」という。お先に行かせていただきます。申し訳ありません。失礼させていただきます。こういう礼儀が、他者に向けられそうになる嫉妬を和らげる。そして、他者に転嫁できなくなった嫉妬心を自分自身に向け、自己研鑽の強い動機とする。これが強い組織の秘密なのだそうです。

 

嫉妬心と批判的思考と礼儀が、強い組織の源泉だという説、私はなんとなくですが、納得できます。

職場の人材育成力低下が著しいという話は、そこここで聞きます。組織のフラット化、成果主義、株主重視、人材アウトソースなど、バブル崩壊後日本企業に盛んに取り入れられた経営ツールやコンセプトは、職場の育成力を低下させこそすれ、高める方に作用することはなかったので、当然と言えば当然です。

 

そこで、最近再び職場の育成力に注目が当たりつつあるようです。ゆとり世代が社会人になる来年以降、ますますその傾向は高まっていくことでしょう。

 

 

 

では、職場の育成力を高めるには、どうしたらいいのでしょうか?プレイヤーは、以下の5者です。育成される若手、育成を担うマネジャー、職場の先輩、人事部、経営層。

 

若手自身の意識や能力は当然として、やはり重要なのは、若手が育つ場たる「職場」の前線責任者であるマネジャーの役割が重要であることは言うまでもありません。

 

では、どのようなマネジャーが望まれるのでしょうか?この認識が、プレイヤーによって大きくぶれている気がします。以下は、(ステレオタイプ的)推測です。

 

        若手:わかりやすい指示、そして親切に教えてほしい。一方やる気にさせて欲しい

        先輩:自分達は目標達成に忙しいので、教育はマネジャーにお任せしたい

        人事部:強いリーダーシップで、若手を指導してやってほしい

        経営層:なんでもいいから早く一人前にしろ

 

 

こんな周囲の思惑の中で、マネジャーは、トレードオフに苦しみます。

 

短期業績目標達成 VS 長期人材育成

手取り足取り指導 VS やる気重視で任せて育てる

とにかくやらせる VS ほめて動いてもらう

マンツーマン指導 VS 職場全体で育てる

 

それぞれ、左右どちら側にも理はあります。だから、マネジャーは悩むのです。いっその事、皆が「鬼軍曹になれ!」と言ってくれれば、どんなに楽なことか。トレードオフをmanageするのがmanagerだろ!という声も聞こえてきそうです。

 

昔から「中間管理職の悲哀」という言葉はありましたが、経済全体が成長していれば、悲哀を感じつつもなんとかなったものです。仕事がどんどん増えれば、勝手に若手は育つし。

 

 

しかし、世界は変わりました。解はありませんが、少なくとも問題は単純ではなく、ますます複雑化しつつあることを、関わる全員が認識する必要はあるでしょう。

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