事業仕分けは、政府の予算策定プロセスを透明にした点で、批判はたくさんあるとは思いますが、画期的なことだったと思います。
一方、予算削減に反対して気勢を上げたノーベル賞受賞者や、オリンピックメダリストたちは、残念ながら逆効果だったのではないでしょうか。科
学やスポーツが国家にとって大事であるとしか言っておらず、かえって「本当にそうなの?他の使い道に比べて、なぜ大事なのかわかるように説明してよ。」という疑問に答えられていなかったからです。それが、彼らの反論は内輪の論理にしか過ぎないと印象を与えたのではないでしょうか。つまり、説明責任を果たしていない。
ところで、今朝の日経に、GEの人材育成に関する記事がありました。その中で、GE人材教育担当副社長が、金融危機後の方針についてこう言っています。
「(人材育成に対する)イメルト氏の姿勢、予算は変わらない。経営陣は幹部教育を時間と金をかけるに値する投資と捉えている。教育の予算を正当化したり、投資効果を考えるより、教育の中身を考える。」
米国企業の中でもGEは、投資対効果にシビアなことは間違いありません。でも、もはや人材育成は、投資対効果を云々する段階を超えているのでしょう。それに比べ、多くの日本企業は、「人材育成の費用対効果はどんなんだ」、「効果測定はできているのか」などと、こと教育投資に関しては緻密な議論を好むことがあります。まるで、教育投資をしない言い訳を探しているように見えることもあります。これは一体なぜなんでしょうか?
透明性と説明能力に原因があると思います。先の事業仕分けの例でいえば、予算を使用する側も、配分する側も、透明性も説明責任も果たしてこなかった。だから、国民は疑心暗鬼となり、投資効果を激しく求める。
日本企業の教育投資も、経営陣や社員に対してはたしてどれだけ透明性を持って説明責任を果たしてきたか、よく考えてみる必要がありそうです。人材開発部門が、経営陣へその施策の重要性や価値を、どれだけ彼らが納得するような形で説明してきたでしょうか。また研修を受ける社員や彼らの上司に、どれだけ何としても受講したいと思わせるだけのプログラムを用意し、かつそれを伝えてきたでしょうか。
それらが不十分であれば、事業仕分けと同じように、結局費用対効果を定量的に示せ、ということにならざるを得ないのではないでしょうか。本当に重要だと、経営陣も社員も納得できたら、末梢の議論などに時間を割かないはずです。
早くGEのように「大人の集団」となり、競争力強化のために議論に集中したいものです。
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