真実だけでは伝わらない

多くの企業で、個人は保有する知識やノウハウなどを、他者に移転・伝承させることが、大きな課題になっています。団塊世代の大量定年や人材流動化の高まりもありますが、なにより企業における重要資産が、目に見える固定的資産や特許などの無形資産から、そういう評価ができない個人に属する「知識」に移行しつつあるからでしょう。ドラッカーが予言したとおりです。

 

そこでいかに、個人に属する暗黙知を形式知化するかが重要になります。さらに、仮に形式知化したとしても、すぐに移転できるわけではありません。最終的には、別の誰かが修得しなければ意味がありません。つまり、学習がゴールなのです。

 

例えば、有能な営業マンが、若手営業マンを集めて講演したとしも、なるほどとは思うかもしれませんが、同じことができるわけではありません。それをつなぐための技術がLearning engineeringです。

 

 

知識の提供者が、どのように知識を引き出し整理するか。また、受け手は、どのようなマインドセット持ち、どういう環境や形式であれば受け取りやすくなるのかを徹底的に分析する必要があります。

 

Aという事象を、そのままAとして伝達してもだめなのです。AをいったんXに転換し、それを伝達すると、受け手が内面でXA'に転換して理解するというわけです。完全にAと認識することは困難ですが、もしAのまま伝達したらBと認識される可能性を考えれば、A'でも十分です。こういうややこしい操作も時には必要です。

 

 

ある映画監督と録音担当から、直接聞いた話です。その映画は、岩手の山奥で

移住した監督の子供たちを中心にした大きな家 タイマグラの森の子どもたち - goo 映画
というドキュメンタリーです。そこでは、森の自然が大きな役割を果たします。撮影した際の録音を、そのまま使用してもだめなのだそうです。大自然の中で聞いた音は、映画館では再現できない。そこで、録音した音をいったん分解して、余分な音を削除します。そして、そこに他で別途採取した音を加えていくのです。悪く言えば、音を創作して、映像に重ねるのです。しかし、それを映画館で映像を見ながら聞くと、まるでその森にいた時のように聞こえるのだそうです。つまり、AをいったんXに転換し聞かせると、A'と聞こえるのです。

 

 

映画を観た後、映画監督と録音技術者の話を聞きながら、学習のことを考えてしまいました。

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このページは、福澤が2009年12月18日 17:04に書いたブログ記事です。

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